暴君と対面しました
ベスキア城の正門をくぐったレフィアとリナは馬車を降り、荒れ放題の庭を横目にしながら、入り口へと足を進めた。
新しい婚約者であるベスキア辺境伯シルヴァとは一体どういう人物なのだろうか。少しだけ脈が速くなるのを感じながら、レフィア達はホールに踏み入った。
「ゴ、ゴリラ……っ」
リナが呆然と呟く。
ホールの中央に佇んでいたのは全身毛むくじゃらで、天井まで届きそうな巨体だった。
その生き物は、レフィア達を見下ろしながら、ウホ、と荒い息を吐いた。
「お嬢様ぁぁ、やっぱり言ったじゃないですかぁっ。ベスキア伯は猿みたいな大男かもしれないってぇぇ」
「落ち着きなさい、リナ」
「無理無理無理、無理ですよ、お嬢様。野蛮にも程がありますよ。だって、服すら着ていない――」
「あれは本物のゴリラです」
「へ?」
涙目のリナが、ぱちくりと瞬きをする。
なるほど、言われてみればそれはまごうことなきゴリラだった。
「で、でも、なんでこんなところにっ」
「悪いな、どこからか入り込んだようだ」
奥の通路から、数人の部下を連れた男が姿を現す。
ホールに差す光が、先頭に立つ男の顔を照らし上げた。
それは突如訪れた対面だった。
「ベスキア辺境伯のシルヴァだ。遠路はるばるよく参られた、帝都の聖女よ」
次の瞬間、リナが拝むように手を合わせる。
「か、格好いいっ!」
その男は確かに相当の美青年だった。
黒髪で眼光は鋭く、よく鍛えられた引き締まった体は、しなやかな獅子を思わせる。
英雄譚の主役がよく似合いそうな、絵になる立ち姿。
国境線という地域柄なのか、領主とは言え、そのまま戦いに出られそうな出で立ちをしていた。
「お嬢様、イケメンですっ。ゴリラの後にイケメンが現れましたっ」
「リナ」
「辺境の暴君とか言うからどんなのかと思いましたがイケメンですよ、イケメンっ」
「だから、落ち着きなさい。リナ」
メイドの背中を軽くこづいて、レフィアは腰を落とした。
「初めまして、レフィア・フェンダーです。シルヴァ辺境伯、このたびは趣向を凝らしたお出迎えをありがとうございます」
「……どういうことかな」
シルヴァがわずかに目を細める。少し低いがよく通る声だ。
レフィアは仁王立ちになっているゴリラに視線を向けた。
「そこの獣、どこからか入り込んだと言っていましたが、本当でしょうか?」
「……何が言いたい」
「私達を脅かすために、わざと獣をここに呼び寄せたのでは」
「ええっ」
リナが驚いて声を上げる。
「ど、どういうことですか、お嬢様」
「ホールに私達と辺境伯が現れても、このゴリラに動じる気配がない。動物は本来もっと警戒心が強いはず。人慣れしすぎていますし、偶然入り込んだというのは嘘でしょう」
「……どうやらただの箱入り娘ではないようだ」
シルヴァがふっと息を吐いて、右手を庭のほうへと向けた。
「ここがそういう土地だと理解してもらうにはよいかと思ってね。もういいぞゲルググ」
ゲルググ、と呼ばれたゴリラは、ウホと答えて、のしのしと外へ出て行った。
やはりシルヴァの指示で動いていたようだ。
「ゲルググのような動物ならまだしも、ここには害獣が攻め込んでくることもある。この程度で驚いていてはこの土地で暮らすことは難しいのでね」
害獣というのは動物より遥かに凶悪な生き物のことで、地域によっては魔物と呼ばれることもある。
「お試しという訳ですか。では、私はこの土地で暮らすことに合格ですか」
「不合格ではないというだけだ」
「そちらから婚約を申し込んでおきながら、随分と不遜な態度では?」
「結婚するならば、相性は大事だろう」
「だとすれば、私達はあまり相性がよくなさそうですね」
レフィアの言葉に、シルヴァは少し口の端を上げただけで、何も答えなかった。
「シルヴァ様は獣の扱いにも慣れていらっしゃるご様子」
「人間も猛獣も同じだ。力の差をはっきりと見せつけてやるのがコツだ」
「それがあなたが暴君と呼ばれる所以でしょうか」
「ふっ、ルーカス。部屋に案内しろ」
シルヴァはそれだけ言って踵を返した。
彼の背後に立っていた、部下とみられる少年が元気良く「はい」と返事をする。
「うわ、可愛い」
それはリナが思わず声を上げるのも頷けるほどの美少年だった。金髪に、薄い緑の瞳。女装をすればほとんどの人間が性別を間違えるだろう。
帝都の第三皇子なんぞより、よっぽど王子らしい風貌だ。
「無骨な美丈夫に、天使の美少年っ。お嬢様、まさか、ここはハーレムですかっ!?」
「リナ、ちょっと落ち着きなさい」
鼻息を荒くするリナをなだめながら、レフィアはルーカスと呼ばれた少年の後に続く。
辺りを見回すと、男だらけの空間だからか、城の中は雑然としていた。
「うちのボスがすいません。いつも敵や獣ばかり相手にしているので、レディの扱いに慣れていないんです」
ルーカスは後ろを振り返って、申し訳なさそうに眉の端を下げた。
「まあ、レディだなんて」
なぜかリナがウキウキとした様子で返事をする。
案内されたのは階段を幾つも登った回廊の最奥にある部屋だった。
奥の窓から裏庭の緑が見えるが、剪定などはされておらず枝は無秩序に伸びている。部屋も他の場所よりは綺麗だが、無理やり片づけたという印象だ。
「こんなところで申し訳ないですが、ゆっくりくつろいでください。どうもすいません」
入り口でルーカスが頭を下げてドアを閉めた。
遠ざかる足音が聞こえると、リナが荷物を置いて大きく伸びをした。
「はー、やっと着いた。辺境伯は鼻持ちならない人間でしたけど、ルーカス君は可愛いですねっ。私すっかりファンになりました」
「……」
すっかりくつろぎモードのリナとは反対に、レフィアは黙ったままルーカスが閉めた入口の扉を見つめている。
「どうしたんですか、お嬢様? あっ、まさかお嬢様もルーカス君のファンに? 駄目ですよ、お嬢様は曲がりなりにも辺境伯の婚約者なんですから」
「そんなことより……リナ、ドアを開けてみてくれませんか」
「どうしたんですか?」
リナはレフィアに言われた通り、入り口のドアに手をかけた。
が、しかし――
「あれ? 開かないですよ」
ノブはまわらず、ドアに体重をかけてもびくともしない。
「え、え? どういうことですか」
「……なるほど。辺境伯はなかなかの曲者のようですね」
混乱するリナを横目に、レフィアは腕を組んで嘆息した。
「どうやら私達は人質にされたようです」
「ええっ、人質? なにが? なんで?」
リナはますます慌てた様子だが、レフィアはふあとあくびをして、奥のベッドに移動する。
「まあ、せっかくゆっくりするように言われたのですから、とりあえずゆっくりしましょう」
「お嬢様っ、ちょっと、説明してくださいよ。訳がわからないんですけどぉぉぉっ」
横になろうとするレフィアを揺らすメイドの声だけが、室内に虚しく響き渡った。
見てくださりありがとうございます。
出会い方はあれですが、レフィアとシルヴァは次第に想いを寄せあうようになる(予定)です。
内容はあまり変わりませんが、タイトルちょっと変わりました。




