嵐の誓い
雨は相変わらず激しく大地を叩いており、嵐の様相を呈している。
朽ちかけた天井板の隙間から、ぽたぽた、と水滴がしたたり落ちた。
雨の廃屋で、暴君と呼ばれる男と、二人きり。
何を考えているかわかりにくい人物だが、立場上は一応婚約者だ。
今なにかアクションを起こされても、こちらも強くは拒否できない。どうしよう……。
レフィアは口元を少し緩める。
……なんて。そう思うような女性だったら、帝都で婚約破棄されていなかったかもしれませんね。
むしろ、これを好機と捉えてしまうのが、自分の悲しい性だ。
いつも忙しいベスキア領主と、初めて誰にも邪魔されず、ゆっくり話せるのだから。
「シルヴァ殿、ちょっといいでしょうか」
「……なんだ」
「私たちのこれからについて話がしたいのですが」
「これから、だと」
割れ窓から雨を眺めるシルヴァに、レフィアはこう続けた。
「はい。前に私を人質にして待遇改善を中央に訴えるくらいなら、国を奪ったほうが早いと私は言いましたが、あなたも同じ考えでしょうか」
「はっ」
辺境伯は小さく吹き出して、レフィアに目を向けた。
「何かと思ったら、いきなり国を奪う話か」
「せっかく人目につかない場所なので、率直に目標のすり合わせができればと思いまして」
「相変わらず変わっているな、お前は」
「よく言われます」
シルヴァは視線を窓の外に戻した。
「……お前はどう考えている」
「今のロズワルド帝国は、華やかなのは外面だけ。制度疲労を起こし、方々に負担を押し付けてなんとか保っている状況です。このままでは他国に攻め落とされるのも時間の問題でしょう。その前にあなたが帝都をおさえるのは、この地を守る観点からも悪い手ではないと思います」
母は救国の聖女として国を守ったが、帝国を守ったつもりはなく、そこに住む少数の愛する人達を守りたかったと言った。いずれやってくるであろう戦争から、帝都の父や兄妹を守ることは、今の怠惰な支配層には無理だろう。
少なくともこの辺境伯は、今より、面白い国にしてくれそうだ。
「実際あなたはその準備も始めているようですし」
「……準備だと?」
「ジェスナーさんの第五兵団は遊撃隊と言っていましたが、本当は情報収集を担っているんですよね」
シルヴァの目が、もう一度自分に向いたのを確認して、レフィアは続けた。
「帝都や他領地、他国に潜入しての情報収集。それが本当の第五兵団の姿でしょう。町で彼と会ったのは多分偶然ではありません。あなたは一人で視察をする時に、ジェスナーさんと落ちあい、彼が集めてきた情報を得るようにしていた」
なぜわざわざ外で会うのか。
それはつまり、他の部下にはシルヴァの目標を知らせていないということだ。
「では、他の部下に知られては困る目標とは何でしょう。ずばり帝位を得て、国を変えることではないですか。当然、反逆罪にあたりますから、他の部下には迂闊に漏らせない。それに、あなたのことですから、ばれた時も自分だけが罪を被ればいい、ということもあり皆に言っていないのだと思いますが」
「……考えすぎだ」
「隠さないでください」
レフィアはまっすぐシルヴァを見つめた。
「私はあなたの婚約者ですよ。私には隠し立てはしないで下さい」
「……」
シルヴァは溜め息をついて、頭をかいた。
「……視察に連れてくるんじゃなかったな」
辺境伯は、鋭い眼光をレフィアに向ける。
「それを聞いてどうする気だ」
「私を内政の責任者に任命してくれませんか」
「なんだと……?」
「あなたの目標を達成するには、ベスキアの力をもっと強くする必要があります。だけど、現状は害獣の侵入に、隣国との小競り合い、それに荒れた領地内の治安維持。防衛に人を取られすぎてまともな富国策が打てていません。実際、幹線道路を少し外れると、このような廃村が目立ちますし」
「……」
眉根を寄せるシルヴァを、レフィアは下から眺める。
「私を信用できませんか?」
「……だがな」
「もし、私の身の安全のことを気にしているなら大丈夫ですよ」
レフィアはレース付きの羽根帽子をかぶってみせた。
「内政官として表に出る時は、こうして顔を隠しますし、それに一応聖女の母の血を引いてますから。いざとなれば自分の身は自分で守れます」
「……」
シルヴァが口を開こうとした瞬間――
「おいおい、まさかこんなところでお目にかかれるとはな。辺境伯よぉ」
「侵入者がいたようだから、来てみたら、まさかお前とはな」
「この廃村は、俺らのアジトなんだがなぁ」
廃屋にガラの悪い男達が五人ほど姿を現した。
シルヴァは興味なさそうに、彼らを一瞥する。
「ここを寝床にしているゴロツキ共か。嵐の音で足音が消えていたか。油断したが、まあいい」
嵐のおかげで会話は聞かれていないようだ。
「よくねえよっ」
先頭の眼帯をつけた男が怒鳴った。
「はんっ、こんなところにのこのこ現れやがって、馬鹿が。ここであったが百年目。恨みをはらさせてもらうぜ」
「……誰だ?」
「忘れるんじゃねえよっ。この顔を覚えてねえのかよっ。てめえに潰されたガルオン団の副長だ」
いきり立つ男に、シルヴァは淡々と言った。
「……知らん。俺が取り締まった盗賊団が幾つあると思っているんだ。全員の顔など覚えていない」
「て、てめえっ」
男達は血相を変えて襲ってくる。
が、音もなく腰の剣を抜いたシルヴァに、あっという間に切り倒されてしまった。
しかし――
「こっちを見ろ、シルヴァっ」
シルヴァが振り返ると、そこにはレフィアの首にナイフを当てた副長の男の姿があった。
他の男達が倒されている間に、レフィアの後ろに回り込んでいたのだ。
「部下を盾にした訳か。上官として褒められた行動じゃないな」
「はんっ、お前に復讐できれば、あいつらがどうなろうが知ったこっちゃねえ」
盗賊の男は、残忍な声で言った。
「こいつが誰だか知らんが、逢引とはいい身分じゃねえか」
「逢い引きじゃない」「逢い引きじゃありません」
二人の声が重なった。
男は一瞬怪訝な表情をしたが、すぐに声にドスをきかせる。
「はんっ、どうでもいいが、連れの命が惜しければ、剣を捨てるんだな。辺境伯よ」
鋭利なナイフを首筋に当てられたまま、レフィアは目の前のシルヴァに尋ねる。
「……だから言わんこっちゃない、と思ってませんか?」
「少しな」
「まあ、ご心配なく。それより、さっきの話の答えを聞かせてくれませんか」
「てめえら、なにこの状況でくっちゃべってんだよっ」
男は二人を交互に見ながら声を荒げる。
「役職の話か」
「ええ、それなりにいい仕事はすると思うのですが」
内政官になったとしても、母親ほどの内助の功が果たせるかはわらかないが。
「おいぃっ。俺を無視するんじゃねええっ!」
男がナイフを持つ手に力をこめる。
舌打ちとともに大地を蹴ったシルヴァに、レフィアは穏やかな声で言う。
「大丈夫ですよ。言ったでしょう、自分の身は自分で守れると」
ガチッ。
硬質な音とともに、男のナイフの先が折れて壁に突き刺さった。
「なっ、なんでっ? 刃が通らねえっ」
「【シールド】。攻める魔術は苦手ですが、守るのは得意なんです」
それは、体の周りに一時的に硬質なバリアを張る魔術だ。
落ち着いたレフィアに、少しだけほっとした様子のシルヴァは、ゆっくりと剣を振り上げた。
「お、おいっ、どうなってんだ。ちょ、ちょっと待って、ま、待ってくれっ」
振り降ろされた魔具の剣から、紅蓮の炎が踊り、盗賊の顔の横で弾ける。
「真っ二つにされたくなければ、そこに伸びてる奴らを連れて、出て行くんだな。次はないぞ」
「ひ、ひいいいっ」
盗賊は床に倒れている部下達を無理やり引き起こしながら、真っ青な顔で逃げ出した。
シルヴァは刃を鞘にゆっくりとおさめる。
「本気で言っているのか」
「もちろん。まだ信用できませんか」
「……なぜそんな苦労を敢えて背負う。今からでも帝都に帰ればそれなりの暮らしが待っているだろう」
「婚約破棄された私を、どういう形であれ拾ってくれたのはあなたですから。ここで立派な内助を功を果たさねば女がすたる、母ならそう言います」
辺境伯が引き結んでいた口元を、少し緩める。
「つくづく、変わった女だな」
「私もそう思います」
レフィアもくすりと笑う。
「第五兵団長のジェスナーさんが言ってましたね。辺境伯が選んだ兵団長は皆頭がおかしいと。どうやら、私も例外ではないようです」
シルヴァは、観念したように、大きく息を吐いて、肩をすくめた。
そして、レフィアを正面から見つめた。
「……いいだろう。お前に任せよう」
「はい」
レフィアはレース付きの帽子を外した。
ちょうどこれをしていたおかげで、盗賊達に顔は見られず済んだようだ。
レフィアはにっこり微笑んで、小さく腰を落とした。
「では、改めて。ふつつか者ですが、宜しくお願いします」
辺境の暴君と、帝都の聖女。
雷鳴とどろく廃屋で、二人の密約が人知れず交わされる。
表向きは、領主の婚約者として。
そして、裏では領地を支える内政官として。
聖女レフィアの「内助の功」が始まろうとしていた。
序章完結です。ここまで読んでもらってありがとうございます。
先の構想はあるのですが、当面手がまわりそうになく、放置状態になるのもあれですので一旦完結済とさせてもらっています。
いつか違う形で出せればと思っています。




