領地を見て回ります
「領地を見て回りたい、だと?」
城内の執務室で、シルヴァが眉間に皺を寄せた。
椅子に座る領主の前で、レフィアは大きく頷く。
「はい。城内は案内して頂けましたが、ベスキアの土地のことはあまりわかっていませんので」
「また何か企んでいるんじゃないだろうな」
「失礼な。辺境伯は、私をどういう人間だと思っているんですか」
「何を考えているかよくわからん女だ」
「それはお互い様です」
シルヴァの眉間にもう一本皺が寄る。
この男も何を考えているかわかりにくいが、いつも通り不機嫌なことはわかる。
「自分が住む土地のことを知りたいのは自然なことじゃないですか。シルヴァ殿がお忙しいなら、ルーカスさんに案内して頂いてもいいのですが」
辺境伯の脇に控えているルーカスに、レフィアは視線を移した。
「……ルーカスは俺の側近であって、お前の案内係ではないのだがな」
「あの、僕、やりたいですっ」
ルーカスが口を挟んだ。
「なんだと?」
「だって、レフィアさんはまだちゃんと街を見たことないですし、僕なら色んなお店も知ってますし」
「本当ですか。それは有難いです」
「ええ、絶品の串焼きを出すお店があるんですよ。行ってみませんか」
なぜか前のめりなルーカスを眺め、シルヴァは小さく溜め息をついた。
「……いい。案内は俺がする。お前は普段の業務をこなしておけ」
「……は、はい」
ルーカスは露骨に肩を落とした。
立ち上がった辺境伯は、レフィアについてくるように指示をする。
部屋を出ると、廊下をメネシスが通りかかった。
「これは領主、レフィア嬢とお出かけですか」
「外を案内しろとうるさいからな。視察のついでだ」
「ほう、領主自ら案内とは。坊やに任せればよいものを……まさか嫉妬ですかな」
「馬鹿を言うな。俺は上でふんぞり返っているだけだが、城内の実務はルーカスがいないとまわらない。たびたび留守にされては困るだけだ」
「ふふ、そうですな」
「何を笑っている」
「ああ失礼、そう見えましたか」
口元に手を当てるメネシスは、レフィアに向けて片目をつむって見せた。
相変わらず妙に色気のある男である。
「馬を引け」
庭に出ると、大きな黒い馬が二人の前に用意される。
軽々と背に乗ったシルヴァは、レフィアを振り返った。
「後ろに乗れ」
「あ、はい」
視察というから、てっきり馬車か何かで回ると思っていたので一瞬面くらった。
両腕を伸ばして馬の背によじのぼろうとするが、ずるずると滑り落ちてしまう。
「わ、わ」
その手首をシルヴァが掴んだ。
ぐっと引き上げられ、後ろに乗せられる。
「あ、ありがとうございます……」
「まさか馬に乗ったことがないとは言わないだろうな」
「子供の頃には何度かありますけど、大抵は馬車で移動していましたから」
年頃の貴族の子女が一人で馬に乗っていては嫌でも目についてしまう。
帝都では極力目立つ行為は控えるようにしていた。
「これをつけろ」
羽根帽子のようなものを渡される。
前にレースがついており、顔が隠れるようになっていた。
「どうしたんですか、これ」
「仕立て屋に用意させていたものだ」
「お気遣いには感謝しますが、そんなに陽射しも強くないですし、帽子がなくても平気ですけれど」
それにここは帝都ではない。
レースまでつけて無理に顔を隠す必要はないように思えるが。
「つけないならここで下ろすぞ」
「わかりましたよ」
レフィアはしぶしぶ帽子をかぶった。
サイズはぴったりだ。
顔の前にレースはあるが、網目を通してしっかり景色を見ることもできる。
「じゃあ、つかまっておけ」
シルヴァの合図で馬が駆け出す。
レフィアは振り落とされないように、シルヴァの背を掴んだ。
広く大きな背中だ。
蹄の音が鳴り響き、平原の緑が通り過ぎていく。
「シルヴァ殿。領主が馬に乗って一人で視察しているんですか」
「月に一度は部下も引き連れて廻るが、それ以外は一人だな」
「城の防衛も指揮しながら、領地も自分でまわるなんて大変ではないですか」
「全てを見るのは無理だがな。現状を把握するには、自らの目で見るのが一番確実だろう」
「……」
宮廷にこもって日夜パーティーにあけくれている帝都の皇族とはえらい違いだ。
田畑に挟まれた一本道が長く伸びており、その奥に小さな町が見える。
ベスキアは、帝都のような城下町という形ではないようだ。
国境線に位置する城は、あくまで外敵から領地を守る砦の役割なのだろう。
「あー、シルヴァ様だ」
「こんにちは!」
農作業に精を出す領民がシルヴァに向かって手を振る。
「慕われているんですね」
「さあな」
そっけない返事だが、不機嫌ではなさそうだ。
しかし、不思議だ。
シルヴァは確かに不愛想だが、部下にも領民にも慕われているように見える。
どうして中央には暴君という噂が伝わっていたのだろう。
「あれは……?」
少し進むと、道の脇に人の輪ができていた。
中の一人がこちらに気づいたようで、大声を上げる。
「あっ、シルヴァ様」
「どうした」
馬を止めるシルヴァの前に、若い夫婦が駆け寄った。
「うっ、うちの子供が遊んでいて怪我をしてしまったようで」
見ると輪の中心に、子供がうずくまっている。
そばに背の高い木があり、どうやら木登り中に落ちたようだ。
足を押さえて大泣きしているが、周りの大人達もどうしていいかわからないようで右往左往していた。
「骨が折れているな」
子供のそばに膝をついたシルヴァは赤く腫れた足を見て言った。
「ええっ、どうすれば!」
「ま、町に行って先生を……!」
「その必要はない」
慌てる両親に、シルヴァは落ち着いた声で答え、ちらと視線をレフィアに向けた。
「任せてください」
滑るように馬から降りたレフィアは、泣いている子供の足に手をかざした。
淡い光が患部を包み、やがて消える。
「い、痛くない……」
子供は突然泣き止み、不思議そうに立ち上がった。
腫れはすっかり引き、子供は嬉しそうにぴょんぴょん飛んでみせる。
「す、すごいっ」
「い、今のは一体……?」
両親や周りの大人達が、レースで顔を隠したレフィアの周りで騒ぎ始める。
魔術を使える人間はそれほど多くなく、辺境では見たことある者も限られているのだろう。
「シルヴァ様、この方は……?」
「俺の客人だ」
婚約者、とは言わないようだ。
ことさら主張することでもないし、目立ちたくもないのでレフィアも黙って頭を下げる。
「そうですか。さすがシルヴァ様の知り合いだ」
「本当にありがとうございました。こんな辺境によくお越しくださいました」
領民達は口々に感謝の言葉を述べた。
「ベスキアは元々ならず者たちが集まる土地で、野盗や山賊がたくさんいたんです。でも、シルヴァ様が一掃してくれたので今は比較的平和になったんですよ」
「容赦のない取り締まりで、来た当初は悪党達から暴君と呼ばれてましたな、ははは」
「なるほど……」
暴君という二つ名はそうしてついた訳か。
シルヴァの取り締まりでベスキアを逃げ出した悪党達が、帝都で恨みつらみを言いふらしたのだろう。
そうして、ベスキアの暴君という噂が形作られた。
何事も自分の目で確認するほうが確実だ。
シルヴァの言葉をふと思い出す。
「行くぞ」
「あ、はい」
再び腕を引かれて馬の背に乗せられた。
領民達に手を振って、二人を乗せた馬は、一本道を先へと進んでいく。
逞しい背中に手を軽く添え、レフィアは口を開く。
「不愛想な割には、やっぱり意外と優しいのですね」
「……なんの話だ」
「レース付きの帽子を渡された時は、よっぽど婚約者の存在を隠したいのかと思いました」
「ああ、その通りだ」
「でも、その理由は、あなたが厳しい取り締まりをした悪党達の残党が、まだ領地のどこかに残っているかもしれないからですよね。彼らの怒りの矛先が私に向かないように、婚約者の顔や存在を公にしないようにしている」
「……」
シルヴァは何も答えない。
おそらくシルヴァに婚約者がいるということを知っているのも、城の人間だけだろう。
元々は婚約という建前で、人質にする予定だった訳だから、漏洩リスクを考えると領民にまで伝える意味はない。
レフィアは羽根つき帽子に手をやり、ふと思った。
これで、正体を隠せるならば、目立たずに色々なことができるかもしれない。
自慢ではないが、胸はないほうだ。
声もそれほど高くはないし、今日の格好だと男と間違われてもおかしくはない。
この地域のため、ここの人々のため、そして、前で馬を駆る男のために。
母とはまた違う形で、自分なりの内助の功を果たせるかもしれない。
「何を考えている?」
「なんだと思いますか」
「お前は何を考えているかわからん女だ」
「それはお互い様です」
シルヴァはふっと息を吐いた。
「そろそろ町だ。あまり喋ると舌を噛むぞ」
「はい」
視界の先に小さな町が現れ、その上に覆いかぶさるように空が広がっている。
それは帝都で見ていたものより、ひときわ青く澄んで見えた。




