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今できることをしましょう

「お嬢様、何を考えているんですか」


 城内の案内が終わり、レフィアとメイドは部屋へと戻っていた。

 もともと幽閉されていた場所だが、今は鍵は外されている。

 頬杖をつきながら、窓の外を眺めていたリナが言った。


「何か考えているように見えますか?」

「まあ、付き合い長いですから」

「ふふ、そうですね」


 ベッドの端に腰かけたレフィアは、中空に向けていた視線をリナに移した。


「ちょっと母のことを考えていたんです」

「奥様のことを……?」


 祈りと類まれなる魔術の力で、最強の害獣の一つとも呼ばれるドラゴンの襲来を退けた救国の聖女。

 その後は、目立つのが嫌だという理由で、没落寸前だった父の元へ行き、裏からフェンダー家の再興を果たした。ただ、その功績は近しい関係者しか知らず、母もそれでいいと考えているようだった。


 流行り病でぽっくり逝った時も、国葬の話も出たが、母の遺言で開催されないことになった。


 見も知らない大勢の人間に救国の聖女として祭り上げられることに興味はない。私はロズワルドという国を守ったつもりはなく、そこに住む何人かの愛すべき人達を守りたかっただけなのよ。


 そう笑っていたのを思い出す。


「……素敵な奥様でした。帝都の暗黒街から私を拾ってお嬢様の付き人にしてくれたのも奥様でしたね」


 リナがしみじみした口調で言った。


ひるがえって、私は第三皇子には婚約破棄されるし、辺境に婚約者としてやって来たと思ったら人質ですし。滞在の許可は下りましたけど、母と父のような信頼関係がシルヴァ殿との間にある訳でもない。今の私を見たら母がなんと思うかと考えていました」

「でも、少なくとも宮殿に嫌々出かけている時より、お嬢様はいい顔をしていると思いますよ」

「……そうですか?」


 きょとんとした顔のレフィアに、リナは言う。


「宮殿って意地が悪い人多いじゃないですか。ここは田舎ですけど、ルーカス君は可愛いし、メネシスさんは紳士だし。兵士の人達も気持ちのいい人ばっかりだし。不愛想な領主はちょっとあれですけど」

「正直ですね、リナ」


 レフィアは苦笑し、ゆっくりと立ち上がった。


「そうですね。とりあえず今できることをしましょうか」

「今できること?」

「このままごろごろして本を読んでいるのも悪くないですが、母の別の格言を思い出しました」

「なんですか?」


 首をひねったリナに、レフィアは笑いかける。 

 

「働かざる者、食うべからずです」


 ……

 

 ……


 ……


「何をやっている?」


 数十分後。

 レフィアとリナの後ろから聞こえたいぶかしげな声はシルヴァのものだ。

 

「何って、見ての通り、掃除ですよ」 


 振り返ったレフィアは頭に布巾を巻き、両手には布雑巾を持っている。

 そこは炊事場だった。

 うず高く積んであった皿は綺麗に磨かれ、床のしみもだいぶ薄くなっていた。 


「掃除だと……?」

「ええ、この城、防衛の拠点としては優れていますが、それ以前の問題としてあまりにも汚すぎます」

「別に問題あるまい」

「おおありです。見た目だけの問題ではありません。伝染病でも流行ったらどうするんですか」

「……」


 シルヴァが何かを言おうと口を開きかけた時――


「あ、レフィアさんっ」

「美しいご婦人方がそんな格好で何をやっているのかな」


 通りかかったルーカスとメネシスが声をかけてきた。


「掃除です」

「へー」


 感心した様子で相槌を打つ二人に、リナが尋ねる。


「っていうか、ここ掃除当番とかないんですか?」


「掃除……当番?」

「炊事番や見張り番などはあるが、そういえば、聞いたことはありませんな」

「これだから、男所帯は」


 リナが呆れた顔で肩をすくめた。


「でも、なんだか綺麗になるっていいですね。僕も手伝いますっ」

「このところ体がなまってきてますからな」


 ルーカスとネメシスが腕まくりして、掃除を手伝ってくれる。  


 肩をすくめてその様子を眺めるシルヴァに、レフィアはブラシを差し出した。


「シルヴァ殿は食堂をお願いします」

「……俺に掃除をしろと言うのか」

「はい。急ぎの仕事があるなら別ですが、黙って見ているくらいなら手伝ってください。誰だって汚い職場より、綺麗な職場で働きたいと思うんです。兵士さん達の士気も上がると思いますよ」 


 にこにこした顔でレフィアは言う。


「この時間はちょうど予定なかったですよね、ボス」

「剣ばかりでなく、たまには掃除具を持つのもよいもんですな」

「……」


 続く部下達の言葉に、シルヴァは苦虫を嚙み潰したような顔で、頭をぼりぼりとかいた。


「……くっ、わかったよ」


 奪い取るようにブラシを手にすると、シルヴァは食堂の床をこすり始める。

 やがて、数人の兵士が通りがかった。 


「ボス、何やってるんですか」


「……見ればわかるだろう」


「ま、まさかボスが掃除を……?」

「暴君と呼ばれた男が…!」

「俺、手伝いますよ」


 わらわらと男達が集まり出し、あっという間に掃除が進んだ。

 すっかり綺麗になった炊事場と食堂を眺めて、兵士達は言う。


「おお、綺麗になるだけで気分が変わるな」

「風呂場と廊下もやったほうがよくないか」

「ちょっとやる気が出てきたな」


 清々しい兵士達の顔を見て、シルヴァがレフィアの隣で言った。


「なるほどな。だから俺に掃除をやらせた訳か」

「なにがですか」

「領主の俺がやれば、部下達もやらない訳にはいかなくなる。結果、すぐに掃除が片付く訳か。相変わらず小知恵のまわる女だ」

「よく言われます」

 

 レフィアは小さく微笑んだ。


「でも、みんないい顔してますね」


 シルヴァはもう一度兵士達の顔を見回し、短く息を吐いた。

 去り際に一言。

 

「ルーカス、これからは掃除当番も作るようにしろ」

「はいっ」


 ルーカスの返事が、磨かれた食堂の壁にひときわ大きく反響した。

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