08.一閃
ヴォドニーク魔法学園。エンドロウ大陸の南にそびえるノイ山脈とジャルヴ山脈の谷間に位置し、三方を山に囲まれたヴォドニークでは、ここに古くから根付く魔力によってきわめて気候が安定し、四季を通して温暖な時期が続く。山を滑り降りる強風と冬に降ることがある雪を除けば、ここは一種の楽園とも考えられるかもしれない。
現生徒数二百七十人。その全員が由緒か金か権力のある家に育ち、幼いころから英才教育を受けた女性たち。彼女たちはこの辺境の地で魔法を含むあらゆる勉学を施され、卒業後は世界を動かす人間として羽ばたいていく。特に在籍三年の内に魔術書と呼ばれる『特異』を召喚できた者にはあらゆる場面において優遇され、有用な人物として将来が期待される。
今年入学したお嬢は、一年目にしてその偉業を成し遂げようとしていたのだ。先に説明してほしかったな。
「送還魔法については現在、魔術書に詳しい者に話を通しております。遅くとも数日のうちには答えが出るかと」
爺やさんの報告におれは頷いた。昼間の例外はあれど特に危険な場所でもないし、ご飯が不味いわけでもない。いまやちょっとした海外旅行気分だ。
「でも、どうやらおれは魔術書じゃないらしいですし、大丈夫なんですか?」
「まだわかりませぬ。充分な調査をするべきです」
「いやいや。魔術書って、すごい魔法が使えるんですよね。でもおれは魔力すらないらしいですし、実際になにができるわけでもない」
当初、爺やさんはおれを魔術書だと疑っていた。なんらかの事情によって魔術書が人間のかたちを取ったか、もしくはおれと魔術書が不慮の事故で融合してしまったか。
いやいやいや。前例がないのにそういうのはないだろうと、おれはそのとき力強く拒否した。前者ならおれのもとの世界での記憶や服装の説明がつかないし、後者なら魔術書由来の魔法が使えるものだろう。
まぁ、もうそれはいいとして。
「そういえば、家持ちなんですね」
「と、申されますと?」
明日は大事なことがあるから。爺やさんに決闘のことをボカしたまま、お嬢はさっさと寝室に入ってしまった。爺やさんが作ってくれたシチューを堪能したあとで、いまおれはといえば爺やさんからこの学園についてのレクチャーを受けているわけだ。
「世界中からいいとこのお嬢さまが集まってきてる学園だから、ああやって豪邸みたいな寮があって……けどドレッドノート家はかなり近くに家があって、たしかにあの寮と比べると小さいかもしれませんけど、充分にすごい屋敷です」
「で、あれば。借金などない者たちも同じように家を建てればよい。それでなくとももう少し広い私空間のある賃貸を借り、使用人を置けば……という話ですかな?」
「すみません。ご理解が早くて助かります」
エフェリリウスの寮はたしかに豪華だった。しかしそれなりに暮らしている人数はそれなりに多そうだったし、共有スペースは広そうだったが彼女の部屋はあの一室だけだった。なんせ部屋を出ると目の前は廊下だったのだ。おれの世界の都市部でマンションに住んでる小金持ち程度の待遇は、将来を期待されている上層人物のものとしては少し違和感があった。
「事情はさまざまでしょうな。生徒のなかには家族ごとこの谷に移住した者もおられるようですが、はてさて。三年というリミットや、若い頃にできるだけ苦労をさせたいという親心という考えもありまする」
「……別にいいんですけどね」
見事に話を逸らされてしまった。異世界全体は不明だが、少なくともここの文化水準は低くない。魔法がある分下手すればもとの世界より上かもしれないほどだ。引っかかる点はあるものの、違う世界の文化や風俗などはまだなにもわからないのだからと、おれはいつものように思考を止めた。
※
学園に部活動や生徒会の類があるのかどうかは知らないが、少なくとも昨日の放課後は全体的に静かだったと記憶している。
しかし今日はどうだ。快晴の夕方というのもあるだろうが、学生のほぼ全員がいるのではないかというレベルで校舎の中庭を取り囲んでいる。校舎の上階からの観戦を決めた者、多少の見え辛さを覚悟して近い中庭後方に陣取った者、そして校舎の壁側に沿ってなぜか開かれているいくつかの屋台。
「なんか俗っぽくないか」
「料理研究部の出店らしいですね」
答えてくれたのはテルキュネスさんだ。部活、あったのか。いやそうではなく。
「売ってるのがお好み焼きに焼きそばってのはどういう了見なんだよ。しかも紙皿って」
「珍しい食べ物ですよね。さすが料理研究部って感じです」
あ、そういう捉え方なんですね。
ベンチに並んで座っていたテルキュネスさんは、持っていた焼きそばとおれの手にあるお好み焼きを交換してくれた。互いに半分ほど食べていたから交換ということなのだろう。
どこをどう見れば男性が苦手なのやら。
「そろそろですね」
テルキュネスさんが遠くを見ていった。正確には人だかりの向こうから聞こえた歓声に反応して、といったところか。決闘の噂はいつの間にか広まり、おれはいま、決闘場の目の前に設置されたベンチという特等席にいるのだった。
そう、お嬢とエフェリリウスの決闘である。
「それじゃあ、そろそろ実況の準備もしなくては」
テルキュネスさんがどこからか取り出した拡声器のようなものに、おれはギョッとした。
「なんですかそれ」
「拡声器です。今回は放送委員長として、実況と解説を担当するので」
「図書委員じゃなかったんですか?」
「放送委員長兼図書委員長です」
そりゃまた立派な肩書で。しかしなるほど、通りで声の出し方がしっかりしているわけだ。
「こういうのには自信がありまして。実力を認めてもらえたんです」
それはすごいな。そんな風に会話していたとき、先ほどとは逆側から歓声が上がった。またあとで話しましょう。そういうとテルキュネスさんは前方の決闘場へと行ってしまい、おれは話を中途半端に聞いたままに取り残されることになってしまった。
実はテルキュネスさん、相当にすごい実力者なんじゃなかろうか。なんせお嬢が失敗した魔術書の召喚すら成功させているのだ。
しかしひとまずその話題はそこまで。とりあえずいまは決闘だ。
決闘場とは中庭の中央にセットされた横長の空間を指す。長さは三十メートル前後だろうか。一本の細い道のように、舗装された空間が中庭にある。道の幅は一メートル強くらいか。なんというか。
「フェンシングみたいなやつだな」
「その通り!」
突然中庭全体に響いた音割れ声に、おれは思わず仰け反った。銃のような持ち手がついたメガホン型の拡声器を構えたテルキュネスさんは、おしとやかさを連想させるドレスのような制服の上に巨大なバッグを背負っていた。ワイルドな太いベルトで体に巻かれたそれは、よく見ればそれはバッグではなく発電機のようななんらかの機器だ。拡声器と背負った機器が一本のコードで繋がっていて、声の増幅がアレによるものなのは確実そうだった。
「今回の決闘は互いの合意のもと、魔法フェンシングによって行われます!」
「なんにでも魔法ってつければいいみたいなのはやめろ!」
おれの声は届いていないらしい。テルキュネスさんはそのまま説明を続けていく。
「今回のダメージ判定は体育の時間でやったときとは別の、大会でも使用する魔力計測装置を使用します。全身に纏った魔力を攻撃が突き抜けた場合、それを有効打として処理。ダメージ数値の合計が戦闘終了の値に達した時点で決闘を終了し、より多くのダメージを相手に与えた側を勝者とさせていただきます!」
歓声。口で説明されてもおれにはよくわからなかった。ダメージ数値ってことはゲームのようにダメージが目に見えるのか。そして勝利条件についても引っかかるものがある。テルキュネスさんの横に立ったおれは、その位置で決闘する二人を出迎えることにした。
「決闘っていうから、どちらかが降参するまでやるのかと思ってた」
「それだと死人が出てしまいますので」
あっけらかんと答えたテルキュネスさんに、おれはなにもいえなかった。そんなものなのか。そんなものなのだろうか。
音割れ気味の増幅音声が会場である中庭に轟く。
「さぁまずは赤コゥナァ……身長百六十八センチ、体重はリンゴ百八十五個分! ヴォドニーク魔法学園第五期生最強との呼び声も高い才女にして『肉体強化』の魔法をフルに活用するステンダの黄金騎士! 光クラス所属、エフェリリウス家四女! レヴィ・シルトランゼ・エフェエエェェェリィリィウゥスゥ!」
とてもお嬢さまたちが決闘を始める雰囲気にそぐわないテルキュネスさんの迫力ある美声に、会場のボルテージが一気に上がった。正直いってテルキュネスさんの先ほどまでの様子からは想像できないほどの声であり、まったく燃えてこないといえば嘘になる。
紹介を受けたエフェリリウスが入場する。歩く姿はまさにお嬢さまといったところか。しかしその表情はすでに穏やかなものではなく、顎から首元までを覆う局所的な鎧に、ドレス風の制服の上に纏った鉄の籠手と胸当て、そして右手に持つレイピアが異様さを強調している。
「そして青コゥナァ……身長百五十七センチ、体重はリンゴ百五十九個分! おっと、もっと盛り上がってくれよなァ! 優れた魔法と知識で瞬く間に第五期生の総合ランキングを駆け上がった灼熱の継ぎ接ぎ姫! そしてヴォドニーク最優の孤高の狼! 水クラス所属、ドレッドノート家の長女! ミリアロード! クラフマスティカ! アンツゥ! ドレッドオオオノウトォ!」
向こうから歩いてくるお嬢に、ブーイングなどは一切なかった。お嬢が学園でどんな立場にいるのか、昼休みの一件やエフェリリウスの態度からははっきりとわからなかった。しかしおれはいま、ようやく少しばかりそれを理解した。
テルキュネスさんが指摘した通り、歓声が上がらない。二人の決闘を楽しみにしてきたのではないのか。二人のぶつかり合うさまを見たいのではないのか。
校舎の最上階から見下ろす人影に、おれは気づいた。名前はたしかマズマリア。水柱を出したあの女生徒。彼女が複数人の生徒たちとともに、中庭を見下ろしている。
孤高の理由を、あとで問うてみる必要があるかもしれない。顎から喉元のみを保護する鎧とレイピアだけの軽装備で入場してきたお嬢にだ。
「さぁ、ここからは見逃し厳禁! 二人の勝負、決の着を決めるのは互いの中指にはめられた測定機だが、戦いの火蓋は二人に切ってもらおう!」
そういうとテルキュネスさんは拡声器を降ろした。一気に場が静まり返る。戦場の両端から真ん中へと歩いてくる二人は、ともに止まる様子がない。まるでそれが当たり前のように、まっすぐに舗装された道を進んでいく。
誰かが息を呑んだ音が聞こえた。近くにいた女生徒かもしれないし、テルキュネスさんかもしれないし、おれかもしれない。それほどまでに一気に静寂が訪れ、感覚が目に集中していた。
互いのレイピアの切っ先が、手を伸ばせば相手の喉元へと到達するかもしれない地点。かも、と思ったのはたぶん、観客であるおれたちだけだ。彼女たち二人は、間違いなくそれを確信していた。
テルキュネスさんが背負った機器が、甲高いブザー音を響かせた。
ハッとおれは一度、二度瞬きした。たしかに見ていたはずの戦いは、すでに終わっていた。
地面を蹴る巨大な音を、そういえば聞いた気がする。緩やかなカーブを描いたお嬢のレイピアが、エフェリリウスの首元にぶち当たっていた。紙一重で外れたもう片方の切っ先は、お嬢の頬を掠めているのみだった。
実況がなんらかの声を発するのを会場にいた何割かは待っていたように思う。しかし誰も声を上げなかった。ぶつかり合いに絶句したのか、それともなにが起こったのかまったくわかっていないのか。おれは後者だ。
エフェリリウスが左手中指にはめた指輪が、静かに赤く点滅している。
静寂を破ったのは、くるりと反転してお嬢に背を向けたエフェリリウスだった。
「わたくしの負けですわね」
そのまま彼女は立ち去ってしまった。お嬢は中庭を出るまで、一言も発さなかった。