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06.ランチとコーヒー

 おれの想像していた食堂というのは、たとえば地方の大学や省庁に併設されたものだった。要するに長机にパイプ椅子に、セルフサービスの水とお茶が飲めて、食券を買って、お盆を持って並んで、安くて量があって、それなりに美味しい食事を受け取って、ガヤガヤとした空間でそれをいただく。


「いらっしゃいませ。許可証をお持ちでしょうか」


 だからイケメンのウェイターに迎えられ、ドレスコードが必要そうな店内を歩き、窓側の丸テーブルへと案内されたとき、おれは死と恥のどちらを選ぶかで頭がいっぱいだった。


 一生のうちに何度入ることができるのだろうかと思うしかない高級料理店は、図書館と同じ建物の一階南端に位置していた。途中出会った警備員が申し出た道案内を断ったツケか。いやいや、場所自体はここで合っているはず。


 おれは考える。そうだ。ここはお嬢さまたちが通う学園でしかも異世界。おれの基準で考えるな。ここはきっと食堂だ。決して多額の現金を用意しなければならない店ではないはず。高い金を払えずに社会的な死を受けるか、それとも間違えましたと恥をかくか。その二択ではないはずなのだ。


「お客さま、ご注文が決まりましたらまたご連絡くださいませ」


 ほかに客がいない、静寂の店内。渡されたメニューブックを捲る音すら響くなかで、おれはうっかりタイミングを逸してしまったことを悔やんだ。なにしろ文字が読めないのだ。


 呼ぶしかない。呼んで今日のランチだ。それがなければオススメ。いくしかない。挙手して呼びつけたウェイターに、おれはいった。


「今日のランチを」

「申し訳ございません、お客さま」


 終わったぁ。その先もなにかをいっていたがもう聞こえなかった。たぶんランチの残量か時間制限かをいっていたのだろうがどっちにしろないものはないのだ。プランBだ。恥ずかしくてもウェイターのおすすめを問うしかない。


「すみません、ヴォドニーク・ライトランチを二つ。飲み物は食前と食後にコーヒーを」

「かしこまりました、お客さま」


 注文が通り、去るウェイター。おれは目をパチパチさせた。なにが起こった?


「こんにちは、バディさん」

「……どなた?」


 テーブルの向こう側に腰かける女性は異世界人(・・・・)のおれの評でも見目麗しく、またいい意味で大人っぽかった。眼鏡のズレを戻した彼女は、顔写真付きの身分証を置いてくれた。といっても読めないのだが。


「オルトゥス・タブリンよ。この学園の数学教師で、実質的なミリアロードの担任」

「実質的な? ああ、おれは三島陽章です」


 質問したあと、おれは非礼を小さい礼で詫びて名乗った。


「この学園には決まった担任はいないの。でもわたしは彼女を気にかけてるから、実質担任」

「それで、その担任の先生がなにか?」

「仮登録に名前があったのが一つ。それと、午後イチの授業に彼女が顔を出してたのを見たのが一つ。いつも昼休みのあとは授業を休んでどこかに行ってるんだけどね」


 普通なら、お嬢がどこかでなにかをしているという話になるのだろうが。おれは昼休みの一件を思い出す。いろいろと後処理があるのかもしれない。そう考えただけでおれの気分は下降した。


「っと、そうか。バディさんなら事情も知ってるのかな」

「逆に訊きますけど、先生もご存知なんですか」

「知ってる。じゃあ、ボカす必要もなかったか」


 ウェイターが運んできたコーヒーに口をつける。コーヒーを飲むことは習慣ではなかった。もとの世界と同じ味に、おれは安心しているのかもしれない。慣れもあるだろうが、異世界(ここ)はいささか居心地が良すぎる。


「彼女たちの自由にさせるのが教育方針、ということですか」

「皮肉たっぷりにありがと。まぁ、間違っちゃいないんだけど。彼女……ミリアロードから半年前にいわれたの。このことは公にしないでくれって」


 先生が隣の席にあったらしい砂糖瓶を持ってきてくれた。まだブラックを好む舌にはなれていないから、素直に砂糖を投入して、かき混ぜる。


「お嬢……ミリアロードが入学して何ヶ月ですか」

「編入や転入じゃないから十ヶ月。大会は一年の決算でもあるから」

「よく学園に毎日通えましたね。こんな……」

「居心地の悪い学園(ばしょ)に? そうね、アレが酷くなってきたのはここ数ヶ月の話だけど、それ以前から兆候はあった。彼女が我慢して通っているのは間違いないでしょうね」

「なにかきっかけが?」


 ウェイターがランチをテーブルに並べた。コーンスープにサラダ、ポークソテーにチャパティに似たパン。順番に届くかと思いきや一気に届いたし、皿も無駄に大きくない。食べてみても見た目との差異はない。ランチとしてはきわめて手軽で王道だ。量もそれほど多くはなく、手早く済ませたい学生たちにはぴったりかもしれない。もっともお嬢さま向けかといわれると少し疑問は残るが。


「いろいろあったのかもしれない。事情は当事者にしかわからないわ」


 お互いに、しばらく無言で料理を手をつけていたなかで発せられた先生の言葉だ。


「でもいまの間には、なにか心当たりはあったように思えます」

「よくある話よ。嫉妬とか、名誉とか、勘違いとか。けどそれを全部含めてミリアロードさんは心配ないといった。だから傍観してるの。彼女、徹底的に他人を頼りたがらないから」

「そうですか?」

「だからバディが決まったって話は嬉しかったの。どんな事情があるにしても、彼女にも味方はいたんだなって」


 いや、おれは。そう口に出そうとしたおれを、先生は制した。


「別にウィルバートさんやキックバルさんの紹介でもいい。たとえばお金で雇われていたのだとしても、彼女の味方には変わりない。そうでしょう?」


 先生はそういって笑い、食事へと戻った。美味しい食事だった。なんせポットパイ以来だ。正直にいってかなり空腹だったから、この先生には感謝せねばなるまい。


「さっきもいったけど、嬉しかった。だから今日はわたしの奢りね」


 立ち上がった先生が、まだ食後のコーヒーを飲んでいたおれにいった。


「待ってください。入館証があるのでおれが……」

「残念だけどランチメニューは現金精算で、しかも入館証割はなし。知らなかった?」


 先生はそういうとさっさと会計を済ませて出ていってしまった。


 会話と食事はともかく、長居していられる店の雰囲気ではない。ウェイターに一礼しておれも店を出る。正直にいって相当に助かった。このままだと恥と死を同時に味合わせることになってしまった。


 そして店を出た先に立っていた人物に、おれは困惑した。


「エフェリリウス、生徒はいま授業なんじゃ?」

「あなたはだんだん眠くなる」


 店前の廊下に仁王立ちしていたエフェリリウスが、おれを指していった。急に力が入らなくなり、おれはその場に片膝をついた。


 これが魔法というやつの力か。おれがそう考えている間に視界が曇り、強烈な眠気に襲われ、肉体の自由が効かなくなり、おれの意識はどこかへと落ちていってしまった。







 目を覚ますと、そこは知らない天井だった。


 たとえるなら用事のない日にうっかり目を覚ましてしまったときのような気持ちだった。つまりおれは未だに猛烈に眠く、良い匂いのふかふかのベッドにこのまままた意識を(うず)めようと目を閉じ、幸福に身を任せ――。


「られうか」


 呂律が回らない口でおれはそう声に出した。薄れゆく意識を保つためには自分を動かし続ける必要があった。寝返りよりも鋭く首を動かし、自分をベッドから引き剥がすように起き上がった。


「良かった、起きましたわね」


 毛布を剥ぎ取る。その声の主はおれが寝ているベッドの横に椅子を置いて座っていて、器用に包丁でりんごの皮を剥いていた。おれは病人かなにかなのか。


「なんでここに寝てるんだっけっていま考えてた」

「思い出されましたか?」

「催眠魔法だろ」


 おれはそういって周囲キョロキョロと見回した。淡いライトブルーで統一された部屋はキレイにまとまっていて、家具や小物のセンスもいい。おれはここがすぐに学園内にあるであろう保健室ではないことを見抜いた。


「誰の家だ?」

「わたくしの家です。もっとも家というより寮であり、寮というより部屋ですが」


 椅子の横にあった物置台の上には、小さな皿に紙袋。そこに包丁とりんごを置き、エフェリリウスは少し頬を染めた。


「わたくし、殿方を部屋に招いたのはこれが初めてです」

「教えとくよ。これは専門用語で『連れ込んだ』って表現するんだ」

「違いますわ」


 彼女はムッとして腕を組んだ。


「倒れたあなたをここまで運んで差し上げましたの。まったくあんな初歩的な魔法がこんなにも効いてしまうだなんて……魔力が足りないのではありませんこと?」

「魔力は持ってない。それよりなんでおれが悪いみたいな話になってるんだ」

「魔力を持ってない? そんなことありえませんわ!」

「後半聞いてた?」


 大層な驚きようだった。正確には魔力の流れを感じないといわれただけで、魔力がないという話ではなかったはずだが、まぁいいだろう。


「た、たしかに魔力を感じませんわね。これは一大事ですわ」

「そういうのって感覚的にわかるものなのか?」

「近くで集中すれば……いえ、そんなことより。魔力は肉体の見えざる防御壁。あなたの肉体は魔力を由来とする攻撃や病原体にきわめて脆い状態になっていますの!」


 まくし立てられてもピンとこなかったが、病原体という言葉の響きはよくない。しかしおれの反応が淡白だったからか、エフェリリウスはますます語気を強めた。


「まったくドレッドノート家は! いくらお金がないからとはいえこのような知識の乏しい者を……!」

「いやぁ、そりゃお嬢……さまのせいじゃないんだ。事情があって……」


 そこまでいって、おれは彼女の様子がおかしいことに気がついた。


 ベッドの上で上半身を起こしていたおれの()に、彼女がいつの間にか跨っていた。鬼気迫る、というには少し足りないかもしれないが、彼女の表情は真剣そのものだ。だからおれも真面目に、彼女がなにをしているかを知りたかった。


 知りたかったのだが。


 押し倒され、おれに迫る彼女に、さすがのおれも身の危険を感じたわけで。


「接吻をお許しください。最低限は補給しておく必要がありますわよね……!」

「異世界だからって横暴が許されると思うなよ!」

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