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01.夢診断

三島(みしま)くんさ、本を読むの上手だね!」


 一時限目の休み時間に、彼女がそう話しかけてきた。


「文のとこも台詞もむっちゃ上手い! 家で音読とかしてるん?」


 おれは首を振った。そしてふと、周囲に目を移した。もはや完全に忘れてしまっていたはずの、小学校の教室だった。いまおれはもう、二十五歳なのだから。


「どうしたの?」

「ここ、小学校?」


 無意識に呟いた言葉に、おれは自ら吹き出した。


「そりゃ小学校だよな」


 ひとりで納得して、おれは自分の体を見て、なるほどと頷いた。


「でも体はもう大人だ」


 肉体までは若返らない。おれはこの茶番劇が夢の産物であることを、冒頭で見抜いてしまったらしい。


「なにいってるの? 中学校だよ、中学校!」


 彼女の言葉におれはハッとした。改めて見回すと、たしかにそこは中学校だった。最後に見たのはもう十年近く前だというのに、陽が射す教室も、机も、旧友たちさえも、しっかりと脳は記憶しているらしかった。


「ねぇ、進路決めた? やっぱ演劇やるなら南高?」

「演劇? なにいってるんだ?」


 彼女は怪訝そうに眉をひそめた。脳のどこに、こんな彼女の表情が記録されていたのだろう。自分の脳なのに、ずるいと思ってしまった。


 いや、それよりも。


「演劇って?」

「えー? 高校でもやるんでしょ?」

「中学ですらやってないだろ」


 いざ意識を保って飛び込んだ夢のなんと不思議なことか。ただ見るだけならばこの会話にもなんら違和感を持たないのだろうか。


「でもオトナになったらやるんだよね、役者」


 夢ならばどんな自虐でも許されるというのだろうか。そういえば夢は、現実世界で起こった出来事の整理をするために見るのだという説を聞いたことがある。


この(・・)時期の夢なら、役者じゃなくて声優な。それに、それは諦めたよ」

「なんで?」


 まるでカウンセリングだ。おれは苦笑して、それからゆっくりと口を開いた。


「親がいなくなって、金はあってももうオトナにならなきゃいけなくて……」


 違うだろ。夢のなかでまで嘘をついてどうする。


「無理って気づいたんだ。役者として、声優として……夢に指すらかからない現実が、もう嫌になった。自分が特別な人間だって信じ込んでただけで、薄っぺらだったんだ、おれは」

「ほほう。じゃあ、本当に薄っぺらかどうか見てあげる」

「なに?」

「重要なのは、諦めないことだよ。自分がどういう存在なのかを、強く認識すること。あなたは誰? なにをしたいの?」


 そういうや否や、彼女はおれの体に指をかけた。ペラペラとおれを捲り出す彼女に身動き一つできず、おれはいつの間にか、小学校の国語の教科書になっていた。彼女が初めておれと話すきっかけとなった――いや、初めておれと彼女が話すきっかけとなった、あの国語の教科書に。小学生向けの教科書だ。薄っぺらに決まっているではないか。


 教科書の背に書かれた三島陽章(みしまはるあき)というおれの名前が、なぜか教科書と化したおれ自身にも見えていた。まったくもって夢とは整合性が欠片もない。


 意味もわからず胸中でそう思ううちに、おれの意識は薄れて溶けていった。







 目を覚ました途端、鈍い痛みが脳を揺さぶった。何度も経験したことのある、酔っぱらったときのそれだった。


「……アホくさ」


 一瞬間のうちにそう結論づけて、おれは口端を曲げた。走馬灯っぽく偽装したらしいが、まさか夢のなかで自分からお説教されるとは。


 夢診断の必要すらないド直球な夢だった。もう数分もしないうちに夢の詳細は忘れてしまうだろうし、なんならすでに細かい部分は思い出せずにいる。たしか、彼女が出てきたのだ。彼女というのは彼女だ。いまは名前も顔も思い出せない、おれが初めて好きになった相手だった。


 いや、先ほどの夢の限りでは、どうやら記憶の奥底にはしっかりと彼女の顔は保存されているようだ。高校以降道が違え、おれが同窓会に出なかったせいで更新されずじまいだった彼女の顔が、脳裏に浮かびそうで浮かばない。さっきの夢には出演していたはずなのに。


 初恋の思い出と、どこかですれ違ったかもしれない小学生と、それからいま直面している問題と。それらがなぜか絡み合い、バカみたいな夢を作り上げたのだ。すでに彼女が出てきたこと以外は忘れそうになっているが、夢とはそういうものだろう。


 手元にスマホはなく、どうやら布団に寝ているわけでもない。そして外出用のコートをなぜか羽織っている。さてさて昨日はどこで飲んでどこで潰れたのか。夢はともかく、そこを思い出せないのは問題だ。体を起こして、少なくとも自分の家ではなさそうな部屋を把握しなければならない。


 迎え酒か水がほしい。頭痛に顔をしかめながら上体を起こしたおれは見知らぬ部屋をゆっくりと眺め、


 見知らぬ女性が正面に立っているのに気づいた。


「……誰の後輩?」


 おれは寝ぼけ眼を擦りながら問うてみた。艷やかな黒髪。整った顔だが幼さがまだ残っている。誰かが大学生でも連れてきていたっけか。いや、そもそも昨夜おれは誰と飲んだ? バイト先の仲間? それとも同じ養成所に通っていた知り合い?


「爺や、どういうこと?」

「さぁ、わたくしめにも正直さっぱりで」


 女性が横を向いて爺やと呼びかけるまで、おれは彼女の横にもう一人いることに気がつかなかった。寝起きで物理的に視野が狭まっているらしい。


 しかしこれは困った。おじいさんがいらっしゃるということはここはおそらく誰かの実家であり、一成人が酒酔いの果てに厄介になっているのは控えめにいって恥ずかしかった。


 だからおれは自分が迷惑をかけない存在、つまり元気であることを示すために勢いよく立ち上がったのだが。


「やっば。すみません!」


 情けない声でおれは謝罪し、慌ててその場に座り込んだ。信じられないことにおれは靴を履いていた。しかもどこにでも履いていくスニーカーだ。間違いなく日本の屋内で使用していい類のものでは――。


「……おれ、床に寝てました?」


 目の前にいる二人の視線がこちらに向いた。二人のことについても問いたかったが、ひとまず気になったことから順に訊いていく。


「えっと、すいません。ここは部屋でしょうか? それとも屋内?」


 自分でいっておいてなんだが伝わっているかは定かでない。要するに一般的な家のなかか否かを問いたかったのだ。おれがいまいる空間はまるで打ちっぱなしのコンクリートのような白一面の部屋であり、高さを含めてほぼ正方形であり、家具が見当たらない。生活感がないのだ。


「何者?」


 冷たい声音で女性がいった。おれは朗らかに笑いながら名乗ろうとしたのだが、結構な勢いで振り回された棒に驚き、慌てて避けた。情けない声を上げたが棒が鼻先を掠めたのだから赦してほしい。


 棒の主は爺やと呼ばれた男のほうだ。棒というか杖で、しかも鉄杖だろうか。少なくとも簡単に人に当てようとしていいものではない。


「ちょっと待って! 怪しい者では……」

「盗人であるか?」


 杖を構えた爺やの言葉に、おれは首を何度も振った。


「状況がわからないけど、たぶん違います」

「はっ。盗人猛々しいとはこのことね」

「だから違う。いや、いい。ここがどこかわからないし、もしかしたらおれ、酔っ払って間違った部屋に入ったかもしれない……です。けどその棒は危ないので」


 二人は顔を見合わせた。


「彼、本当に知らない? 魔術書(まじゅつしょ)は?」

「見当たりませぬな。召喚光(しょうかんこう)はございましたが……」


 相談終了。彼女たちの会話の意味がなんとなくわかってしまうのが嫌だった。理由は単純明快。足元に淡く光る謎の模様が広がっているからだった。


 この魔法陣みたいなのはなんだ。もしかしてここは触れちゃいけないタイプの宗教施設かなにかなのか?


 などということを事情がわからない内に口に出すほどおれはバカではない。おれは近づいてきた爺やが衣服を触ってきてもなにもいわず、拒むこともしなかった。持ち物検査というわけだ。


 それから少しして、手を止めた爺やが女性に首を振った。


「本当になにも持ってない? 本だけじゃないからね? 木板も石版もメモ帳もノートも巻物もパピルスも?」

「なにもありませぬな」


 おれも一応触ってみるが、たしかに懐にもポケットにもなにもない。外出用の私服を着ているのに家の鍵もスマホもないのは由々しき事態なのだが、かえってそれはおれを冷静にさせる情報になった。


「これも夢なのか?」

「こっちの台詞なんだけど?」


 爺やと入れ替わるように目の前にきた女性がおれを睨みつけた。


「召喚の痕跡はある。召喚したのは確実なのに、どういうこと?」

「その召喚っての、おれが理解できる領域の話か?」

「あくまでもとぼけるってわけ」


 彼女が胸の高さまで上げた右手から青白い炎が出現したことで、逆におれは安堵した。夢の続きだ。これは安心できるやつだ。なぜならマジシャンでもない限り、こんな芸当はできやしないのだから。


「知ってるかもしれないけど、わたしはミリアロード・クラフマスティカ・アンツ・ドレッドノート。質問に答えなさい」


 たぶん大丈夫。夢だから。


「もし抵抗するようなら……」


 きっと大丈夫。夢だよな。


「燃やすわ。この炎で!」

「いや待て、その炎は!」


 彼女の声とおれの声がほぼ同時。自分の本能か、あるいは勘。おれの感覚を信じて、おれは彼女の手で火柱と化した炎から逃げ出すように後退した。仮に夢だとしてもそれに立ち向かう必要はまるでないではないか。


 火柱は瞬く間にその規模を拡大させ、一瞬間のうちに彼女の背丈を越し、彼女の手を離れ、うねりながら五メートル以上はある天井に勢いよく衝突した。


 おれは尻もちをついていた。強烈な熱気が、反射的におれの顔をしかめさせた。夢の続きならばどれほどよかっただろうか。


 これが夢の産物だとは、残念なことに欠片ほども思えなかった。

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