第8話 真意
C組の教室では5時間目の授業が始まっていた。
「…………」
咲夜は空いている咲音の席を見つめる。
昼休みに教室を出て行ってから咲音は戻ってきていない。廊下では女子たちが「有栖川さんが志賀崎くんに呼び出されてた」と噂をしていた。
そして先ほど、咲音が居ないことに対して那津希のグループとは関係ない女子が「有栖川さんは体調不良で保健室に行きました」と答えていた。
志賀崎が誰なのかは知らないが、咲音に何かあったのかもしれない。保健室に行ったというのも、大方那津希が言わせたのだろう。
授業が始まる前に咲音を探しに行くべきだった。級長たちが動くなら必ず自分に仕掛けてくるはず……そう思って油断していた。
授業が終わるまであと45分。今はただ時間が過ぎるのを待つしかない。
***
「映時! そこだよそこ! あーったく何やってんだよマジでポンコツだなお前」
「うるせーなまだ始めたばっかなんだよ……」
咲音が体育倉庫に囚われてから、約30分が過ぎた。
「……………」
最初こそ志賀崎が咲音にちょくちょく話題を振っていたものの、早々に飽きた安御坂がスマホゲームを始め、それに興味を持った志賀崎も続き、スマートフォンを持っていない咲音は孤立している。持っていたところで参加はしないだろうが。
先ほどから彼らが自分に何か危害を加えようとする素振りは全くないし、自分を閉じ込めた目的も分からない。
「おっ、ナイスフォロー! いけんじゃねーかコレ」
「ふっ、見たか俺の美技」
何度か言い争ってはいたものの、この二人実は仲良いんじゃ……と思う咲音。
しかしながら閉じ込められている状況とはいえこの緊張感の無さに咲音はだんだん眠気を感じていく。
「ふあぁ………」
「「!」」
咲音が一つ欠伸を漏らした時、二人は我に返った。
「おい、いいのかよこんなに油断させて」
安御坂が神妙に話し出す。
「は?」
「俺ら級長だろ。泣く子も黙る級長だろ? もっと……ビビらせなきゃダメなんじゃねーか」
「つっても、ただ閉じ込めとけって言われてるだけだしなー」
何かするっつっても、と志賀崎がぼやくと、安御坂が周りを見回し始めた。
咲音はどことなく危険な会話が進められていることを感じつつも安御坂を見守る。
「おっ!」
やがて彼はある物に目を止め、ソレを手に取った。
「これで縛るぞ」
「え……!?」
安御坂が手にしたのは、大縄用のロープだった。
「え、ヤス……お前そんな趣味が……!?」
「何考えてんだよぶっ飛ばすぞ」
安御坂はロープを伸ばしながら咲音に近付いてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私逃げたり暴れたりもしませんから……!」
「アァ?」
すると安御坂は咲音の左手首を掴み上げ、
「っ……」
「テメェは黙って俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ」
その冷酷な瞳に射抜かれた咲音は恐怖で動けなくなる。
「ごめんなー咲音ちゃん。しばらくこいつの趣味に付き合ってやってくんねーかな」
「お前は黙ってろ」
志賀崎の茶々に罵声を飛ばしつつも安御坂は咲音の両手首を後ろ手に縛り上げていく。
「ま、待って……わっ!」
咲音がかすかな抵抗を示すと、安御坂は掴んだ腕を引っ張るようにして咲音を横向きに倒し、足で咲音の腕を押さえ付けた。
「大人しくしてろ。俺は女でも容赦しねぇぞ」
「……………」
体から血の気が引いていくのを感じる。
両腕は完全に縛られ、押さえ付けられて動くこともできない。
油断していた。もしかしたら、想像していたよりもっと恐ろしいことが起きようとしているのかもしれない。
***
早く過ぎてほしいと思う時こそ、時間が経つのは遅く感じるものだ。咲夜は先ほどから授業の内容がほとんど頭に入ってきていなかった。
ようやくあと5分で授業が終わるという時、咲夜のスマートフォンにあるメッセージが表示された。
「!」
差出人は徳森那津希だった。咲夜は送信された画像を開き、さらに驚愕する。
腕を縛られ、誰かに踏みつけられている咲音の写真と、”化学準備室”の文字。
バッと那津希を振り返る。が、彼女はこちらを見ずに気付かないフリをしていた。
咲夜はこのメッセージの意味と自分がすべき行動を考えながら残り数分が過ぎるのをひたすら待つ。
時計の秒針だけを凝視し続け、やっとチャイムが鳴った。
咲夜は授業が終わるとほぼ同時に教室を飛び出す。
「あ~あ………」
「…………」
実姫は血相を変えて走っていく咲夜と、それを横目に嘲笑を浮かべる那津希の姿を見た。
***
パシャッ
「っ……!」
咲夜が教室を飛び出す数分前、安御坂が突然咲音の姿を撮影し始めた。
「これでよしっと」
「……………」
「ん?」
顔を床に埋めて黙りこくる咲音を安御坂が覗き込む。
経験のない恐怖と屈辱感に、咲音の心は耐えられなくなってしまったのだ。
「…………っ」
かすかに鼻をすする音が聞こえた。
「「!?」」
男二人はギョッとして顔を見合わせる。
「……は、はぁ~⁉ コイツ泣きやがったぞ。ハハッ、やっべ~傑作」
安御坂は内心ものすごく動揺しているのだが、恐怖に支配されている咲音はそれに気付かないのだった。
「ったくしょうがねぇな……」
と志賀崎が呟くと、
「咲音ちゃん、泣かないでくれよ」
咲音に近付き、優しく抱き起こす。
「君みたいな可愛い子に涙は似合わないよ」
咲音の目に滲む涙を指でそっと撫でる志賀崎。
「……じゃあこの縄ほどいてもらえませんか」
「…………。それはムリ」
志賀崎の口説き文句は見事にスルーされた。
***
「咲音‼」
咲夜は化学準備室の扉を勢いよく開け放った。しかし中には誰も居ない。
しばらく中を見渡してみたが、那津希にハメられたと気付いた時にはもう遅かった。
「神名さん、あんた焦り過ぎ」
振り返ると、入口にもたれて立っている那津希の姿があった。
「ちょっとくらいあたしに突っかかってくるかと思ったけど、真っ直ぐ飛び出していっちゃうんだもん」
軽く笑いながら、那津希は準備室に入り扉を閉める。
「なんのつもりだ。咲音はどこにいる」
「知りたいならちょっとあたしの話聞いてくれない?」
「お前と話すつもりはない」
頑なな咲夜の態度に、那津希はハァーと大きなため息をついて腕を組んだ。
「ねぇあんたほんとに気付いてないの? あたしはアリスちゃんのことなんかどうでもいいのよ。あたしの狙いは最初からあんただけだよ、神名さん」
「………なら、なんで咲音に手を出したんだ」
那津希の言葉を完全に理解したわけではないが、相手のペースに乗せられないよう咲夜はそう問いかけた。
「アリスちゃんは都合よく利用させてもらっただけよ。今回だけじゃなくて、もっと前から……あんたが転校してきたその日からずっとね」
「……どういうことだ」
やはり那津希の話を聞くしかないらしい。咲夜は仕方なく問い返す。
「邪魔なあんたを潰すためよ」
薄笑いを浮かべていた那津希の表情が険しいものに変わった。
「あんたは………級長候補だったのよ」
「級長候補……?」
「そう。あたしよりあんたの方が級長に相応しいと判断されれば、あんたを級長にするってね……」
「誰がそんなこと決めるんだよ」
「それは知らない。でもメッセージが送られてきたのよ、あんたが転校してくる前に。相当注目株だったみたいね」
那津希は自嘲気味に笑う。
「そのメッセージであんたが不良に喧嘩売るような危険なヤツだってことは知ってた……だから対立しないように、あたしの下に上手く丸め込めばいいと思った」
那津希は咲夜を“こちら側”……つまり、咲音をこき使う仲間にしようとしたのだ。
「でも、あんたいきなり刃向かってくんだもんね。びっくりしたわ」
「…………」
あの時咲夜は咲音をパシリにする那津希たちにはっきりと反感を示した。それは那津希も予想外のことだった。
「まさか不良の暴力女があんなことであたしに楯突いてくるなんて思わなかった」
しかし那津希は皮肉な笑みを浮かべながら続ける。
「コイツは絶対あたしに対立してくる……って思った。だからどうしてもあんたを潰さなきゃならなかったのよ」
「……………」
「でもあたし一人で簡単にどうにかできる相手だとは思ってなかったよ。だからアリスちゃんを使ったの」
「なんで……」
咲夜は徐々に先ほどまでの威勢を失いかけていた。
那津希の言葉の続きが恐ろしくなったのだ。
「アリスちゃんをいじめてあんたが口を出してくれば、カナたちの不満も溜まっていく。そうやってあたしたち全員の恨みをあんたに向けて、徹底的に追い詰めることにしたのよ」
咲夜は自ら彼女たちの恨みが自分に向くように仕向けていたつもりだったが、それは那津希によって仕組まれていたことだったのだ。
「それは面白いくらい上手く行って………あんたはクラスの嫌われものになった」
でも……と那津希は続ける。
那津希たち全員をもってしても、咲夜を屈服させることはできなかった。
「あんたは絶対に負けを認めようとしなかった」
静かに呟くと、狂気じみた目をギロリとこちらに向ける。
「あの時……大人しく土下座すればよかったのよ。せっかくチャンスをあげたのに、あんたはまた逆らって……だからこうなるのよ」
「……………」
那津希の侮蔑の視線を受け、冷や汗が滲んだ。心臓が俄に波打ち始める。
「あんたが余計なことするからよ、神名さん」
その言葉は、スローモーションのように咲夜の頭に響いた。
「アリスちゃんも気の毒よね。あんたが大人しくあたしに従ってれば、こんな目に遭わずに済んだのに」
………わたしの、せいで………。
『あーあ。お前が余計なことするから』
『大人しくしてればよかったんだよ』
『お前のせいだ』
あの時、私は一度自分を失った。
今まで積み上げてきたものが、音を立てて崩れていく気がした。
『……言っとくけど、いじめを止めようとしたのは本当にお前のためじゃないからな』
『自分のためだよ』
もしも咲音を助けることができたら。私はきっと自分を取り戻すことができる。そう思った。
今度はもう失敗しない。
私はあの頃より強くなった。誰にも負けない自信があった。級長にだって……。
………なのに。
私は……また間違ったのか。
「……最後にもう一度だけチャンスをあげる。もう次はないわ……」
まるで断罪でもされるような気分だった。
咲夜は視点の定まらない目を那津希に向ける。
「アリスちゃんを助けたいなら、もう二度とあたしに逆らわないと誓って」
一体、どうすればよかったのだろう。
「………私は、級長になるつもりなんかない。もしそう言われたとしても絶対に断る。それでいいだろ?」
「あんたの意志なんてどうでもいいのよ! あんたがあたしに逆らい続ける限り、いつかは絶対そうなる!」
二人はそれぞれに追い詰められていた。
「……っ、こんなことして、無理やり言うこと聞かせようとしてる時点でお前に級長は向いてないだろ! なんでそんなに級長の地位にこだわるんだよ!」
「…………!」
握り締められた拳がわなわなと震える。
「あんたに……何が、わかんの………」
6時間目の開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「だったら、アリスちゃんがどうなってもいいのね。あんたは自分を守ってアリスちゃんを犠牲にするんだ。全部、全部あんたのせいで……!」
「もうやめろ……!!」
ガラリと音がして、扉が開かれる。
興奮状態だった二人は一瞬それに気が付かなかった。
「那津希」
「…………実姫」