第6話 級長の影
翌朝のC組の教室はいつも以上にざわついていた。
「ねぇ昨日のアレ見た?」
「見た! 犯人は徳森那津希とかいうやつでしょ? ヤバくない?」
「匿名で書き込んじゃった奴誰だよ〜!」
「このクラスの中に絶対書いた奴いるってことだろ?」
騒ぎは女子だけでなく男子にまで広がっていた。
「咲夜ちゃん、あれって……」
休憩時間、咲音は人通りの少ない廊下で咲夜と話をした。
「私でもお前でもない……ってことか」
「う、うん……」
「一応確認するが、あの書き込みは事実……なんだろうな?」
「そう……だね」
「あの時他に誰か見てる奴が居たのか?」
「それは分かんない……誰も居なかったとは思うんだけど」
「あんな書き込みして、何が目的なんだ……。クラスには結構影響があったみたいだが」
教室に現れた那津希は最高潮に不機嫌な顔をしていたが、クラスメートたちはそれにも構わず那津希についてのひそひそ話を交わしていた。
「でも、私や咲夜ちゃんをかばってくれた……ってことなのかな」
「さぁな。私には徳森の怒りを逆撫でしてるようにしか思えないけど」
「…………」
教室では当の本人の那津希が咲夜の席を睨み付けていた。
ゆらりと立ち上がると、狂気を携えた目で机に近づいていく。
そして右足を上げて椅子を蹴り飛ばそうとした時だった。
「やめときなよ那津希」
声を掛けたのは実姫だった。
「今神名さんに当たってもあの書き込みが事実だって言ってるようなもんだよ」
「でもあいつがっ……!」
「落ち着いて。神名さんじゃないと思うよ。こんなことしても状況が悪化するだけだし。とにかくほとぼりが冷めるまでは目立つことしない方がいい」
「そんなの待ってる暇なんかない……」
「え?」
那津希は静かにそう言うと教室を出て行った。
「……………」
***
昼休みの終わり頃。席についた咲音は一通のメッセージを受信した。それは匿名で個人宛のものだった。
そのメッセージには簡潔にこう書かれていた。
『昨日の書き込みをした者です。話したいことがあります。放課後テラスに来てください』
文面に目を通した咲音はすぐに咲夜を振り返る。すると咲夜はスマートフォンの画面を見せるような仕草をした。彼女も同じメッセージを受け取ったのだろう。
二人は頷き合う。
そして放課後、二人はテラスの隅でメッセージを送ってきた人物を待った。
「うちのクラスの人……なんだよね?」
「だろうな。まさか向こうから呼び出してくるとは思わなかったが……」
「来てくれてありがとう」
背後から声がして振り返る。二人の前に現れたのは思いがけない人物だった。
「メッセージを送ったのはあたし」
「そ、園原さん……!?」
「……………」
咲音は驚嘆するが、咲夜は冷静に彼女を睨み付ける。
「どういうつもりだ? お前は“そっち側”じゃなかったのか?」
「………。まず用件を言うわ」
咲夜の警戒心を意にも介さず、実姫は毅然としてそう言った。
「神名さん、あんたに頼みがあるの。ほんとはあの書き込みでしばらく大人しくさせるつもりだったけど、そうもいかないみたいだから」
「どういうことだ?」
「……みんな気付いてると思うけど、那津希はうちのクラスの級長」
「級長……?」
「あ、咲夜ちゃんはまだ知らないよね。級長は各クラスに一人ずつ存在する、絶対に逆らってはいけない人のことだよ。私もつい最近まではただの噂だと思ってたんだけど、本当に実在するんだって……」
「なんだそのアホみたいな役職は……逆らったらなんだって言うんだよ」
「学校に来られなくさせられるとか、何らかの制裁を受けるって言われてる」
代わりに実姫が答える。
「ふーん……じゃあ昨日のアレが制裁ってことか?」
「あれはまだ本気じゃなくて、ただの脅しだったと思う……。でも那津希は相当頭に来てた。あのメッセージを送れば大きな動きはしないと思ったけど、那津希も焦ってるみたいだったから、今度こそ本気で動く。もう時間がないの」
ただ事ではない実姫の態度に、咲夜も身構える。
「あたしは那津希に、級長を辞めさせたいと思ってる」
「え……そんなことできるの?」
「前にもあったらしいの。級長に不満を持つ一人の生徒が、クラスメートを率いて級長に逆らって、代わりにその人が級長になったって」
「へぇー……」
「クラスメートを味方にしていって、那津希に歯向かわせる……そのリーダーになってほしいんだよ、神名さん」
「…………」
咲夜は難しそうな顔をして俯いた。
「で、でも……園原さんは徳森さんの友達なんじゃ」
「……別に、あたしは那津希と一緒にいるのが都合がいいと思ったから一緒にいただけだよ。でももういじめとかめんどくさくなったから。それをやめさせたいだけ」
実姫は淡々とそう言った。
「どう? 神名さん」
「……その流れだと、私が代わりにその級長とかいうやつになるってことにならないか?」
「そうだけど。なにか問題ある? クラスの実権を握れるんだよ?」
「いや………私はそんなものになるつもりはさらさらないんだが」
「どうして? 神名さんが級長になればいじめも全部なくなるんだよ。誰もあんたには逆らえない」
「断る」
咲夜はきっぱりとそう言った。
「私はそうやって権力にすがりつくような真似は絶対にしない。それに、クラスメートを味方にするなんて絶対に無理だ」
今の2年C組は那津希率いる女子5人が実権を握っている状態で、クラスにも那津希には逆らってはいけないという空気が漂っている。それに逆らおうとしている咲夜は、クラスの地位としては圧倒的に弱者なのである。
「……じゃあ、このままでいいの? そのうちあんただって級長の制裁を受けるんだよ。そうなったら、有栖川さんだってまたターゲットにされるかもしれない」
「…………」
咲音が不安げな表情を見せると、咲夜は予想外の言葉を口にした。
「………だったら、その級長の制裁を受けても私が勝てばいいんだろ」
咲音と実姫は揃って目を見開く。
「何言ってんの? 級長全員を敵に回すつもり? 言っとくけど、那津希は級長の中ではまだましな方だから。あのA組の天馬は紅城最強の不良とか言われてるし」
「紅城最強なら……まだましだ」
「え?」
実姫が聞き返すが、咲夜はそれには答えなかった。
「お前らはもう私に関わるな。私は何も変わるつもりもないし変えるつもりもない。それで文句を言う奴がいるなら勝手にすればいい」
「咲夜ちゃんっ」
校舎の中へと歩み始める咲夜。
「………………」
咲夜はどこまでも強い。だがその強さが何故か不安に思えた。
「………意外だった。神名さんなら那津希を止めるためにこれくらいするかと思ったけど」
咲夜が校舎の中に消えたところで実姫が言った。
「うん……でも、本当に級長の制裁を受けるつもりなのかな……」
「さぁ。で、有栖川さんはどうするの?」
「え?」
「無理にでも神名さんに級長になってもらうか、このまま黙って見てるか」
「…………えっと……」
実姫にそう問われ、咲音は言葉を詰まらせる。
このまま咲夜が制裁を受けるのは避けたいと思うが、本人が乗り気でないことを無理やり推し進めるのも気が引ける。ありがた迷惑というやつだ。
「まぁ、神名さんなら本当に級長にも勝っちゃうのかもしれないけどね」
「園原さんはどうするの?」
「あたしはとりあえず、しばらくは那津希の近くで様子を見る。何か動きがあったら報告させて。あたしが言っても神名さんは聞きそうにないし」
「うん。……ありがとう、園原さん。徳森さんを止めようと思ってくれて」
「………あんたがあたしに礼を言うのはおかしいよ、有栖川さん」
「え……」
「あたしは那津希があんたをいじめてるの見て、ずっと見て見ぬフリしてきたんだよ。止めようともしないで。あたしは自分のことしか考えてない、最低な人間だから」
「それは……仕方ないよ。私だってそうだもん」
「…………」
「でも、自分でちゃんと考えて行動できるのはすごいよ………」
実姫は思いつめるように地面を見つめる。
「有栖川さん。一つだけ言っとく」
「?………」
「あたし、1年の時から那津希と同じクラスだったの。梓も一緒で」
「そうなんだ……」
「那津希はいじめなんかするような奴じゃなかった」
咲音は一瞬言葉を失ってしまう。
「始業式………那津希が級長になった時から急に変わったんだよ」
それは那津希が咲音に金をせびり始めた日だった。
「………………」
咲音は級長制度の闇を垣間見た気がした。
***
中間テスト最終日の放課後。いつもより早く終礼を迎えたC組の教室で実姫は周りを見回した。
「ねぇ、那津希は?」
「あぁ、なんか用事あるとか言ってどっか言ったよー」
カナの返答を聞いて実姫はふーんと頷く。那津希が放課後真っ先に一人で行動するとは珍しい。
あの時は、有栖川さんが何か話したそうだったから、那津希をわざわざ一人にさせたんだもんな……。
そんなことを思い返す。
ここ数日、那津希は咲夜にちょくちょく絡んではいたが特に大きな動きはなかった。テスト週間ということもあったのかもしれない。
だがテストが終わったそばからの那津希の単独行動。
「……………」
実姫は胸騒ぎを感じた。
***
紅城高校の一室と思われる会議室。そこに数名の生徒が集まっていた。長机をぐるりと取り囲む7人の生徒──その一人、那津希が口を開く。
「制裁を………与える」
重く低い声が会議室に響く。
「おぉっ、ついに来たな」
「で、誰をヤるつもり? 咲夜チャンは例外って“あいつ”が言ってたと思うけど」
赤髪のチャラ男、志賀崎がノリノリに返し、続いて天馬が笑みを浮かべながら問う。
「分かってる。だからターゲットは…………有栖川咲音」
ヒュウ、と、どこからともなく口笛が聞こえた。
「あのコが君に逆らったってこと?」
天馬の質問は続く。
「あいつがあたしに濡れ衣を着せようとしたのよ」
「へェ。証拠は?」
「証拠がいるの?」
「まぁ、必要ないね」
「それにあいつは一度あたしに刃向かった……」
──『……聞いてもいいかな。天馬さんに。理由……』
那津希はギリ……と歯を軋ませる。
「あの子に制裁ねー……俺たちが出るまでもない気もするけど。ま、可愛い女の子ならいいか」
「テメェは黙ってろよ変態」
志賀崎のぼやきに罵声を飛ばしたのは茶色い猫っ毛の男。
「女なんかいちいち相手にしてられるわけねーだろ。どうせヤるならもっと強ぇ奴じゃねーと納得できねぇ」
「あ〜、安御坂君は女子と話したこともない純情チェリーボーイだから仕方ないか〜」
「るっせぇ話したことくらいあるに決まってんだろクソナルシストが‼」
妙にかっこつけて話す志賀崎が猫っ毛男安御坂に火をつける。
「騒ぐなら外でやってもらえませんかね。僕と戒さんの貴重な時間を無駄にする気ですか?」
眼鏡をかけた正に優等生といった風貌の黒髪男子生徒が苛立たしげに口を挟む。
「落ち着け志賀崎、安御坂。……で、具体的に俺たちにどうしろと?」
黒の長髪で長身の男が落ち着いた口調で話を進めた。
「……明日の昼休み、アリスちゃんを体育倉庫に監禁して。あとはあんたたちの好きにすればいい」
「監禁って………いつまで?」
呆れや嘲りを含みつつも乗り気に見える天馬が問う。
「あたしがいいって言うまでよ」
「え、好きにしていいって? よし、一人ずつ交代にしよう」
「何考えてんだよ変態」
「ん? 君は何を想像してるのかな〜安御坂君」
「黙れ‼」
再び言い合いを始める志賀崎と安御坂を眼鏡の男子生徒が睨む。
「ふむ……まぁそんなに難しいことではないな。お前はどうだ?」
長身の男が大真面目に言うと、机に頬杖をついて寝かけていたガタイの良い白髪の男がむくりと起き上がった。
「あぁ………寝てていいんならやる」
「ちゃんと見張ってなさいよ」
那津希が睨みを効かせる。
「級長は一心同体なんでしょ。……やってくれるわよね」
「ま、それが級長のルールだからね」
天馬が椅子にもたれ足を組んで言った。
そう、彼らこそがこの紅城高校を支配する裏のトップ──級長なのだった。