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月明かりの夜  作者: 雨乃月夜
~2年C組編~
4/10

第4話 チャンス

「アリスちゃん、宿題見せてよ〜」


 休み明けから数日の間、咲音は那津希と話をするチャンスを探り続けた。


「うっわぁ〜また不幸顔が歩いてる」

「あ、あの……」

「不幸面で廊下の真ん中歩いてんじゃねーっつーの!」

「っ……」


 教室、廊下、昇降口……那津希は相変わらず場所を問わず一々咲音に接触してくる。チャンス自体は確かにいくらでもあるはずだった。……が。


 ………言えない。

 放課後、咲音は自分の席に突っ伏した。

 那津希は学校にいる間必ずと言っていいほど取り巻きを連れている。一人でいるところなんて見たことがない。トイレですら誰かと同伴だ。

 5人の女子に囲まれて、どうしてこんなことするんですかーなどと言えるわけがない。鼻で笑われて終わりだ。


 どうしたらいいんだろう……。


 ふっと黒板を見る。そういえば今日は日直だった。咲音は教壇に提出されたノートを持って教室を出た。


 せっかくきっかけを掴めると思ったのに。

 廊下を歩きながら咲音はそんなことを考える。

 いきなり自分を変えるなんて、やっぱりできない。私は神名さんみたいに強くないから。

 でも……ほんのちょっとの勇気なら、私にだって……。


 ノートを提出した後、2階に下りるために階段の踊り場を曲がった時だった。


「……………」


 ばったりと出くわしたのは、一人で階段を上ってきた那津希だった。

 那津希は咲音をチラリと見るが、一瞬眉を潜めた後すぐに目を逸らす。咲音に何か言ってくる様子はない。

 急速に鼓動が高鳴る。このまま那津希は階段を上がっていってしまう。

 那津希が一人の時に出会えるチャンスなんて、これを逃せばそうそうないだろう。

 今しか………今しかない。


「徳森さん」


 咲音はすれ違った直後に振り返って那津希の名を呼んだ。那津希は少しだけ驚いた様子で足を止める。


「………何?」


 心底嫌そうな顔をする那津希。


「あの………ちょっと、き、聞きたいことが……あって」


 心臓が激しく動きすぎて声が上手く出せない。


「は? あたしはあんたと話なんかする気ないんだけど」


 那津希はすぐに歩を進めようとする。


「なんで、急に関係悪くなっちゃったのかなって……私何かしたかなって……もし気を悪くしちゃったんだったら、謝らないと、いけないから……」


 咲音は那津希を引き止めようとひとしきり言葉を吐き出した。那津希は鬱陶しそうな表情をした後、見下したように笑う。


「てかさぁ、何。あたしらと関係良かったとか思ってたの? うわダッサぁ。誰もあんたのこと友達とか思ってないから。別に急でもないし」


 那津希は明確な答えを言おうとはしない。


「……A組の天馬さんに聞いたんだけど。徳森さんがなんであんな手に出たのか、分からなくもないって」

「!」


 その瞬間、明らかに那津希の空気が変わった。


「天馬が……?」

「う……うん」


 那津希の予想以上の反応に驚きを隠しつつも頷く咲音。


「……聞いてもいいかな。天馬さんに。理由……」

「ダメ!」


 那津希の声が響く。こんなに焦った表情の那津希を見るのは初めてだ。これはどう考えても何かある。


「聞いたら許さないから」

「…………」


 恐ろしい形相だった。思い出したように咲音は恐怖に支配される。……でも、早く行かなきゃ。

 咲音はほとんど無意識に足を踏み出した。


 ドン……。


 背中に衝撃が伝わる。気付いた時、階段が視線のすぐ下にあった。


「⁉」


 派手な音を立てて階段を転がり落ちる。

 視界がぐるぐる回り、上も下も分からなくなる。


「あっ……!」


 最後の大きな衝撃の後、ようやく体が止まった。全身が痛い。動けない。

 目だけを動かして階段の上を見る。踊り場に那津希の姿はなかった。


「大丈夫か⁉」


 音を聞いてか、駆けつけてきた教師の声が聞こえた。



 ***



 幸い、怪我は足の軽い打撲とおでこや頰の軽い傷で済んだ。しかしこの顔のガーゼは隠しようがない。

 咲音はなんとか親をごまかす方法を考えながら帰路についた。

 駆けつけた教師や保健医には自分の不注意で階段から落ちてしまったと説明した。那津希に突き落とされたと言うわけにはいかなかった。


 ──『聞いたら許さないから』


 あの恐ろしい表情が頭に浮かぶ。まさかあれだけのことで私を階段から突き落とすなんて。

 もしも教師に言っていたら。天馬に聞いたとしたら。今度はどうなるか分からない。

 咲音の中の那津希に対する恐怖は増大するばかりだった。



「ただいま………」


 これほど玄関の扉を開けるのに気が進まないことはない。咲音はできるだけ小さな声で言ったが、母親がリビングから出てくる。


「お帰り咲音。……ってあなたどうしたのその顔!?」


 予想通りの反応だ。


「うん……ちょっと階段から落ちちゃってね。急いでたから、足踏み外しちゃって……」

「大丈夫なの? 傷は……」

「大したことないよ。大丈夫」


 母親は神妙な面持ちで咲音の顔を覗き込んでくる。


「咲音……もし学校で何かあったら、ちゃんとお父さんに言いなさいよ?」

「あは、だからそんなんじゃないって……」


 咲音は力なく笑うと、自分の部屋のある2階へ足早に駆け上がった。


 言わないよ。

 言ったってロクなことにならないのは、よく分かってるんだから……。



 ***



 次の日、顔にガーゼをつけて教室に現れた咲音は当然のごとく注目を浴びた。しかしもちろん声を掛けてくる者は一人もいない。

 だがいつもとは少しだけ空気が違うことを咲音は感じ取った。


「ねぇあれやっぱり徳森さんがやったのかな? 有栖川さんが逆らったとかで」

「階段から落ちたんでしょ? いくらなんでもそこまでする? 普通に足踏み外して転んだんじゃないの」

「でも級長だったら何するか分かんないじゃん」

「いや、でもマジだったらさすがにドン引きでしょ……」


 那津希に対するクラスメートの疑いと、度が過ぎる仕打ちへの違和感。そこに入ってきた那津希も一瞬でその空気を理解したようだった。



「ねぇ」


 一時間目が終わった後、那津希が立ったのは咲夜の席の前だった。

 少しは立場が悪くなったのかと思われたが、その表情は余裕に満ちていた。

 そして那津希は思いも寄らない言葉を口にする。


「“アレ”、神名さんがやったんだって?」


 那津希は親指で咲音を指しながらそう言った。教室は俄にざわつき始める。

 当然ながら咲夜には全く身に覚えのないことであり、何のことだというふうに那津希を見返す。


「やっぱ不良って何するか分かんないわー。こっわ」


 那津希が何を言っているのか、咲音にもよくわからない。


「あたし聞いちゃったんだよねー、あんたの噂」

「……………」

「うちくる前はさぁ、夜な夜な不良に喧嘩売って回ってたらしいじゃん? まじ不良女だよねぇ。やばくない? 暴力だよ暴力」


 那津希はクラスメートたちに訴えかけるようにそう言った。


「階段から突き落とすとかマジ引くわ~。ねぇみんなもこいつに関わったらマジでヤバいよ?」


 クラスメートたちは顔を見合わせた。本当に咲夜が咲音を突き落としたのか。その噂は本当なのか。


「だよねぇアリスちゃん」


 唐突に那津希が咲音を名指しした。クラスメートの視線が咲音に集中する。当の本人が頷けば、それは真実になる。


「……………」

「アリスちゃんかわいそ~。ねぇ、こいつに突き落とされたんでしょ?」


 この返答は、これからの咲音の運命を左右すると言っても過言ではない。今まさに、切り替わろうとしているのだ。いじめのターゲットが。


「…………………」


 ここで頷けばクラスメートの嫌悪の対象は全て咲夜に向くだろう。咲音は同情さえされるかもしれない。だけどそれは咲夜を生け贄にするということだ。


 私は…………どこまでも弱くてずるい人間で………でも、例え変われなかったとしても、そうではありたくないと、思っていた…………だけど。


「………わた、しは…………」

「そうだよ」


 声を発したのは咲夜だった。


「私がやったんだよ。……それで満足か?」


 咲夜の目には、クラスメート全員に対する敵意の色が浮かんでいた。


「……………」


 しばらく誰も何も言えなかった。


「……うふっ、ふははっ」


 いきなり那津希が笑い声を上げる。堪えきれずに吹き出したようだった。


「あんたって善人ぶっといて最低最悪の暴力女じゃん! ちょっと新しい自分になってみようとか思っちゃったけど秘めた凶暴性は隠せませんでしたーみたいな? あー怖い怖い」


 那津希は壊れたようにゲラゲラ笑いながら咲夜を指差して早口で喋り出した。咲音には狂気のようにも感じられた。


「ねぇ。あんた今超イタくてウザい奴だよ? 分かる?」

「……………」


 そこでチャイムが鳴った。


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