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不死身と呼ばれた男の悩み

作者: ウメ種

「何をやっているんだ!!」


 大きな声が、周囲に響いた。

 皺枯れた、老人の声だ。しかし、老人とは思えないその声量に、周囲に居た人達の視線が集まる。

 場所は、薄暗い、陰気な雰囲気を感じさせる酒場の一角。出入り口から、一番奥にある席。

 夜の暗闇の中、ランタンの薄暗い明かりで照らされたテーブル。

 そこに、老人が肩を怒らせながら立っていた。

 身長は低く、腰が曲がり始めた猫背。頭髪は白がほとんどで、蓄えられた髭は胸元まで伸びている。けれど横幅は不自然なほど広く、身長と幅が合っていない。

 毎日、よほどいいモノを食べているのだろう。身体だけではなく、頬も息をする度に瑞々しく震えている。ランタンの灯りを反射しているのは、その瑞々しい肌ではなく、浮いている汗……脂だが。

 その頬は、血色の良い紅に染まっていた。酒精によるものだ。

 酔った勢いでの大声に驚いたのは周囲だけではない。老人の喉も、突然の大声に耐えられず、次の瞬間には不自然に咽ていた。


「折角の酒をお……」


 呂律が怪しい。いや、まっすぐ立っている事すら難しいようで、フラフラと上半身が揺れている。

 そんな老人を支えるように、一緒に酒場へ来ていた、こちらは若い青年が倒れても大丈夫なように後ろへ控えていた。

 そして、その老人の正面。老人らしからぬ大声を向けられた相手――年若い、豊満な肢体を薄暗い室内でも映える赤いドレスに身を包んだ女性が一瞥した。


「私にだって、一緒に飲みたい相手を選ぶ権利くらいはありますわ」

「酌の一つくらいしても良いだろうっ」


 老人の後ろに居る青年が、どうしたものかと困ったように頭を掻いた。

 そんな青年に、女性は視線を投げかける。


「さっさと連れて帰ってよ。私がお酒を飲めないじゃない」

「なんだとお!?」


 あまりにも相手にされていないと分かる言葉に、老人の顔が酒精とは別の理由で赤くなる。

 そして、酔いもあって眩暈を起こしたように身体が揺れた。青年が、肩を持って老人を支える。


「おいっ! この女を捕まえろっ!」

「無理ですよ、旦那様」


 老人は、この辺り一帯を治める地主であった。周囲で酒を飲んでいた客達が、小声で囁いている。

 また始まった、と。

 老人の、酒癖の悪さは誰もが知る所だった。

 知らぬは本人ばかり……ではなく、本人もまた、自分の酒癖の悪さを知っている。

 税を課し、何か手助けをしてくれるわけではない地主。日照りが続いて麦が採れなくても、大雨が続いて川が氾濫しても。それでも変わらず、毎月、毎年、同じだけの税を課す。

 それが当然なのだが、だからと言って村人たちは納得できるわけでもない。理由は、老人の体格だ。

 細々とした生活を続けている村人たちからすると、棺桶に片足を突っ込んでいると言っても良い年齢だというのにでっぷりと肥えた外見は、どうにも浅ましく見えてしまっていた。

 そうして嫌われているというのに、老人はこうやって場末の酒場へ足を運んでは、酒を飲む。そして、酔って村人たちからもっと嫌われてしまう。


「おい、女。儂に酌をしろ」

「い、や、よ」

「――――」


 老人の視線が、鋭くなる。元々は国に仕え、武功を立てて土地を手に入れた貴族だ。歳を重ね、いくらか衰えたとはいえ……視線の鋭さは相当の物。

 強気な笑みを浮かべていた女性にその視線を耐えろと言うのが難しい。女性はバツが悪そうに顔を逸らすと、表情を曇らせた。


「酌をしろ」

「…………」

「すみません。一杯だけ。一杯だけでいいですから」


 せめてもの妥協とばかりに、後ろに控えていた青年が言った。

 いつもなら、ここで女性が折れ、酌をして終わり……となっていただろう。

 けれど、この日は、いつもと同じではなかった。

 ギイ、と。乾いた音が鳴った。

 酒場のスイングドアが軋む音を上げ、来客の来訪を伝える。老人の怒鳴り声と住人達の囁き声に満ちていた酒場の中に、その音は不自然なほどよく響いた。

 全員の視線が、そちらへ向く。


「…………すまない。腹が減っているんだが」


 その声は、低く、けれどよく透る――不思議と、耳に残る声だった。

 男、だろう。声の質は、男のソレだ。身長も、酒場の天井に届きそうなほど高く、入り口を通る際には腰を落としていた。

 けれど、男だと断言する事は出来なかった。

 その人物は頭からボロ衣のような外套を被り、表情が見えない。

 上半身はそのボロ衣で隠されているが、下半身には厚手のズボンと太い紐で結ばれた革のブーツ。軍人のような出で立ちをしている男に、この場に居る全員が緊張する。

 酒場のマスターが、声を上擦らせながら男をカウンターの席へ誘った。

 ギシ、ギシ、と。男が歩く度に、床が悲鳴を上げる。大の男達が暴れても抜けないほど丈夫な床だというのに、男の体重に悲鳴を上げていた。


「なにか、すぐに食べれるものを」

「は、はいっ」


 外套を被ったままカウンターの席に座ると、男はそれだけを口にした。

 メニューは見ない。食べる物は任せると言外に注げているようでもあり、マスターは緊張しながら厨房へと小走りに向かっていった。


「急いでくれ」

「い、今すぐにっ」


 男は、厨房へ向かうマスターの背中へ、念を押すように言った。その一言を、まるで脅しのように感じて、マスターの顔は可哀想なほど青くなっていた。

 先ほどの騒動が嘘のように、酒場の中が静かになる。

 その原因である男は、席へ腰を下ろした事で一息を吐いたのか、顔を隠していた外套を外した。


「――ひっ」


 その、引き攣った声は、複数。悲鳴を上げたのは、誰だろうか。いや、いきなり現れた男の傍に座っていた、全員が上げたようでもあった。

 顔を見て悲鳴を上げられる。

 そんな失礼な事にも動じず、男はただじっと、席に座って料理を待つ。

 それは一種、不自然とも取れる光景だった。

 周囲は緊張……いや、怯えとも取れる感情を表情に浮かべながら一歩引いたというのに、その当人は微動だにしない。

 その原因は、男の顔にあった。

 年の頃は、三十に届きそうなくらいだろうか。軍人としては若い部類に入るのだろうが、しかしその雰囲気は老成しているようにも感じられる。それは、感情の波が何も無いとも取れる、鉄面皮が原因の一因であろう。

 しかし、何よりも目を惹くのは、右頬にある大きな裂傷。左の上瞼と下瞼にも斬られた裂傷がある。髪で隠れているが、額にも大きな傷があった。どの傷も古く、痕は残っているが完治している。けれど、最も人目に付く、服に隠される事の無い顔ですらこれなのだから、服に隠された身体には一体どれほどの傷があるのか……そう想像すると、争いとは無縁の村人達は震えあがっていた。

 先ほど騒いでいたでっぷりと太った老人とは違う、本物の軍人。

 その登場に、酒場の中は先ほどまでとは違う緊張感で包まれていた。


「ちっ――おい、さっさと酌をしないかっ」


 男の登場に、老人は舌打ちをした。

 それは、先ほどまで自分の視線に怯えていた女が、自分ではなく男に視線を向けていたからだった。

 自分ではなく他者を見る。それが我慢できずに、異彩を放つ男の登場で緊張した酒場の中で声を張り上げる。


「だ、旦那様……」


 老人を支えていた青年が、その肩を軽く揺すった。

 男が、老人を見ていた。正確には、騒がしい一角に視線を向けた。

 静かな、感情の起伏がまったく感じられない――冷たいとすら思える視線だった。


「なっ、なんだっ!?」


 老人は、声を張り上げた。けれど、恐怖に引き攣っている事を隠せていなかった。

 酒に酔って大声を出した事とは違う理由で、汗が噴き出す。男へ声を張り上げながら、額を流れる汗を服の袖で拭った。


「……別に」


 そんな、大声を出す老人とは対照的に、男はそれだけを口にするとマスターが向かった厨房の方へ視線を向けた。

 それっきり、老人の方へは興味を失くしたように意識を向けてこない。

 それが、老人には我慢ならなかった。酔って気が大きくなっているというのもあった。なにより、酌をさせようとした女の前で舐めた態度を取られた、というのが我慢ならなかった。


「おい、貴様。どの隊の所属だ!? この近辺で、訓練も作戦も行われているとは聞いていないぞっ」


 軍とは国に仕えるものの呼称である。そこには名前があり、部隊があり、作戦の際にはどこで何をすると近辺へ知らされる。

 それが極秘の任務であれば知らされる事はないのだが、酔った老人はそこまで頭が回らなかった。

 元軍人。地方とはいえ土地を収める領主。貴族。

 その矜持が、酒の助けもあって、気持ちを大きくさせていた。


「――――」


 男は返事をしなかった。

 それは、老人が酔っていて、ただ自分に絡んでいるだけだろうと分かっていたからかもしれない。


「おいっ」

「だ、旦那様っ」


 老人が、千鳥足になりながら男へ歩み寄り、その肩を掴んだ。

 貴族は、軍人よりも偉い。

 そういう思いがあったのかもしれない。


「こっちを見ろ、若造っ!」


 言われるまま、男は老人を見た。

 椅子に座っていても、身長はほとんど同じ……いや、男の方が老人より少し高い。

 視線が合う。老人は、引き攣った声を漏らさないように腹の底へ力を入れ、男を睨んだ。

 男は――静かに、老人を見返していた。

 ただそれだけ。何も言わず、言われたままにただ老人を見ただけ。だというのに、老人は、まるで心臓が止まるような思いだった。

 男の瞳は何も訴えておらず、ただただ、静か。眼前には何も無いかのように、感情が見て取れない、伽藍の瞳を老人に向ける。

 それはまるで、老人を人とは見ていないような、人を物と見ているような冷たい瞳だった。


「……なにか?」


 黙ってしまった老人に、男が訪ねる。


「旦那様、屋敷へ戻りましょう」


 冷たい瞳に見据えられて震える主人の背中を押すようにして、青年たちは酒場を後にした。

 後に残ったのは、重苦しい雰囲気だけ。

 先ほど、老人が大声で(わめ)いていた時よりも息苦しくて、胸が締め付けられそうな静寂。

 とても、酒を楽しむような雰囲気ではない。

 嫌な領主が居なくなったというのに、誰一人騒がないのがいい証拠だ。その原因である男は、何を言うでもなく、ただじっと料理が来るのを待っていた。



 どうしてこうなったのだろう、と思った。

 酒場に来た男は、内心で項垂(うなだ)れていた。

 やはり表情に変化はないが、しかし内心では溜息だけでなく、涙まで流しそうな勢いで落ち込んでいる。

 自分が行けば、明るい職場も、皆が一日の疲れを癒す酒場も、等しく重苦しい雰囲気になる。

 そんな事は望んでいないのに、傷だらけの顔や、雰囲気がそうさせてしまうのだと言われ続けてきた。

 ある人は笑いながら、ある人は呆れながら、ある人は揶揄(からか)うように。


「はあ」


 外套で顔を隠していたのは、その為だ。顔を隠していれば、警戒はされても怖がられない。

 けれど、どうしようもなくお腹が空いて、村を見付け、酒場を見付け……立ち寄ってしまった。

 男は軍人であったが、先程老人に聞かれたように、何かしらの任務を帯びていたわけではない。この村の近辺に、解熱薬の元となる薬草が群生しており、それを採取しに来ただけであった。

 こんな夜遅くになったのは、その薬草の近くに綺麗な花が咲いており、それに見惚れて……気付いたら眠ってしまっていた。

 まあ、あれだ。折角の休日だからと綺麗な花に囲まれてのんびりしていたら、気持ちを緩め過ぎたという訳だ。

 人間、空腹や眠気には耐えられない。三大欲求とは言ったものだと思う。

 食欲、睡眠欲、そして性欲。

 睡眠欲が満たされれば、次は食欲である。周囲から怖がられると分かっていても、人が集まる酒場へ立ち寄ってしまった。

 それを受け入れてしまえば楽なのかもと思うし、ある程度の踏ん切りは付いている。けれど、やはりこの雰囲気の中に居ると悲しい気持ちが胸に湧く。

 自分も他の皆と一緒に話したい。笑いたい。

 だが、自分が酒場へ行けば誰もが黙り、笑えば怯えられる。

 それが、男の悩みだった。

 口数が少ないというか、口下手なのもその一因である。

 また、溜息を吐く。

 それをどう勘違いしたのか、驚くほどの速さで料理を用意したマスターが厨房から駆けてくる。手に持った皿には、値段の割には沢山の料理が乗っていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] ここから物語が始まりそうな雰囲気 妄想しがいがありますねぇ!
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