第七話「出血大サービス」
「あっ」
「い」
「う」
「え」
「お、じゃなくてさ」
珍しく夕飯のお手伝いをしてくれていた日向が唐突に声を上げた。いつも通りテキトーにふざけてみたけれど、どうやら深刻な問題が発生したらしい。なんやなんやと隣でニンジンの皮を剥いていた日向に目をやれば、彼にしては珍しく放心している様子だ。
「え、なに?」
「指切った」
「は」
日向がすっと差し出した人差し指を見てば、指の腹には薄っすらと赤い筋が通っていて、そうしている間にも、みるみるうちに赤い液体が染み出してくる。ぬらぬらと妖しく光る、赤黒い液体が、うにゅっと。
「うわ」
「ばあああ!? やばい! やばい! え、なに、この出血の量! 死ぬ!? 日向死んじゃう!?」
「いや、ちょっと切っただけじゃん」
お前は包丁で腹ぶっ刺されても同じこと言いそうだなあ!
「あ、絆創膏とか、どこにあるか分かんない! どうしよ! どうする?」
「落ち着いて、文目」
「お前が落ち着け!」
「その台詞、そっくりそのまま返すよ。って、ちょっと、大丈夫?」
日向の指の先から這い出すように溢れてくる血を見ていたら、爪先からずるって骨が抜けていくような感覚がして、私はその場にへたり込んでしまった。まるで寝起きの時のように、身体に力が入らない。筋肉が弛緩しているようだった。
そういえば、昔から血が苦手だったっけな。
「ああ、もう、なんで文目の方が重症なの。顔、真っ青だよ。貧血?」
「……知らん」
目線を合わせるように目の前にしゃがみ込んで、日向が顔を覗き込んでくる。出血量を見る限り、結構深く切ったみたいだけれど、なんでそこまで冷静でいられるのだろう。感情が壊死しているのかい、私のダーリンは。
ぼうっとしていると、日向は「あ!」と何か思い付いたように声を上げて、にんまりと楽しそうな笑みを浮かべた。何か良からぬことを思い付いたらしい。
んん?
こてんと首を傾げる私に、日向は「このふたつの危機を同時に解決する方法があります」と未だ出血の止まらない指を掲げて言った。私は尚も首を傾げ、その方法とやらの詳細を問うた。
「どうすんの?」
「こうする!」
「?」
「だから、これをこう」
「ん?」
日向は私の顔に向かって指を突き出す仕草を繰り返した。なるほどなるほど、まったくわからん。
「だから、なに?」
訊くと、呆れたとばかりに溜息を吐かれた。そうして何故か私の頬に手を添えて、口の中に切った手とは逆の手の親指を突っ込んでくる。そのまま舌に指の腹を押し当てられた。
「はにふんだ」
「ん? 舐めてもらおうと思って。そっちの方が効率的だよね。あ、もちろん血が止まるまで舐めててね。ついでにアレの練習でもしておきなよ。いつまで経っても下手くそなんだから」
心底楽しそうに笑って、日向は人差し指を私の口の中に容赦なく突っ込んだ。口の中に鉄の味がじわりと広がる。噎せ返る様な濃い味に、ちょっとだけ吐きそうになった。
視線をあげれば、目の前には甘ったるくて優しい笑顔がある。
「はい。吸って?」
言われて、ゆっくりと、私は日向の手を縋るように掴む。なんだかとても恥ずかしくなって、ぎゅっと目を瞑った。顔は青から一転して、真っ赤に染まっているに違いない。なんという屈辱。それでも素直に従った私を見て、日向がくすくすと笑った。ぐは。
誠に不本意ながら、どうやら私はMの気質があるらしい。出来ることなら一生知りたくなかったぜ。あーあ。
ちなみに、その後どうしても出血が止まらなかったので無理矢理病院に連れて行きました。ちゃんちゃん。