第五話「君だけでいい」
ある日突然、日向が犬を飼いたいと言い出した。何故いきなり? と思いつつ訊いてみると、どうやら大学の友達が飼っているミニチュアなんちゃらが子供を産んだらしく、その写メを見せてもらったのだそうだ。しかし、生まれた子供全員の面倒を見るのは経済的には厳しいらしく、何匹かは誰かに譲りたいと考えているとのこと。どうやら、日向はその内の一匹の里親になりたいらしい。
犬ねえ。
私はキラキラした瞳でミニチュアなんちゃらの魅力を語る日向に一言、思っていることを言ってやった。
「その子を飼うに当たって掛かる費用は誰が出すのかな?」
「文目だけど」
はあ、と思わず溜息が溢れる。私はやれやれと首を振り、日向の眼前にびし!と人差し指を突き付けてやった。
「あんた、絶対途中で飽きるだろ!」
私の指摘に日向はさして動揺することもなく、恐らくは図星を突かれたクセに、いつもの嘘臭い笑顔で飄々と笑った。
「飽きないって。ちゃんと育てるから」
「ダメ! 食費だって嵩張るでしょうが!」
「俺も出すからさあ」
「ダメなもんはダメ!」
「えー、いいじゃん。家族が増えるんだよ? 文目だって、賑やかな方が嬉しいでしょ?」
優しく、しかし僅かに憐憫の色を宿した儚げな微笑みを湛えながら、日向は私の頬に手をやった。中性的な顔立ちの日向がこういうことをすると、否応にも性的な雰囲気が生まれる。とは言え、こんなことで流される私じゃない。まったく舐められたものだ。
ほとほと呆れているのに、触れた箇所からは日向の体温が伝わってきて、私はなんだか泣きそうになってしまった。
時間さえ凍結したかのように思える濃密な沈黙が肩にずっしりと降りてくる。微かに響く耳鳴りの音が、私を辛うじて現実に繋ぎ止めているような気がした。
要らない、と私は言った。自分でも吃驚するほど冷たい声が出た。そうすると日向は珍しく真剣な表情を作って、緩慢な動作で私の唇に自身のそれを重ねる。ただの肌の接触だと感じるほどに事務的なキスだった。そのままゆっくりと抱き締められる。
私は抱き締め返すようなこともせず、だらんと腕を垂らしたまま体重だけを日向に預けた。寄り掛かっているその体勢は何かを体現したように型に嵌っていて、なんだか酷く落ち着いた。何かを受け入れたような気がした。
「日向がいれば何も要らない」
言うと、頭上からは「そうだったね」となんとも保全的な台詞が落ちてくる。
「文目は俺がいないとダメだからね」
とても優しい音をしているのに、その言葉を私は何故か酷く冷たく感じた。