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六章  卒業・その先の未来へ            

利知未の懐かしい中学時代の思い出話、第六章です。この作品は、’80年代後半から’90年代初めを時代背景としたフィクションです。

中三の夏休み、利知未と敬太の心が通じ合った。初めての恋人を得て、利知未の心はまた成長を遂げる。

 そんな中、新たに現れた年下のヤンチャ少年達。その中の一人が、将来の伴侶となる少年・倉真だった。

 中学編の最終話として、お贈り致します。どうぞ最後まで、お付き合いの程を…。

この作品は決して、未成年の喫煙、ヤンチャ行動を推奨するものではございません。ご理解の上、お楽しみ下さい。

     六章  卒業・その先の未来へ            


            一


 中学三年の二学期が始まった。

 学校で久し振りに顔を合わせた貴子は、利知未の雰囲気が休み前と比べて、随分と柔らかくなっている事に気付いた。

「ね、利知未。夏休みに何かあったの?」

始業式の日。放課後、帰り支度をしている利知未を捕まえて聞いてみた。

「…何かって?」

照れた様に誤魔化そうとする利知未に、貴子は益々、怪しいと感じる。

「解らないから聞いてるんじゃない。…なんか、やっと落着いた様にも見えるし、もうちょっと違う感じにも見えるし…。」

首を傾げ、利知未の姿をマジマジと見つめる。貴子の視線から逃げようと、利知未は軽くそっぽを向いた。

「…何にも無いよ。貴子の気の所為。…あたし、部室に寄ってくから。」

じゃぁ、と手を上げて、教室の出口へ向かう。その利知未の腕を掴んで、貴子が笑顔を見せた。何か企んでいる様な笑顔だ。

「利知未。…なんか可愛くなったんじゃない…?」

利知未は顔が赤くなってしまう。その変化を貴子は見逃さない。益々、怪しげな笑顔が広がる。

「タマには一緒に帰ろ?じっくり、聞かせて貰いたい事が出来ちゃった!」

「…って、部室に寄ってくって…、」

「イーよ、私も今日は部活、無いし。一緒に行くから!」

何時も通りの積極的な様子で、利知未の腕を引っ張って教室を出た。


 部室へ入ると珍しく、高坂と大野がロッカーに置きっぱなしにしている参考書を開いていた。数学の参考書だ。古典と英語の参考書も頁を伏せて置いてある。

「お、瀬川!斎藤も一緒だな。丁度良かった!またチョイ教えてくれよ。…ここんトコロ…。」

高坂が問題を指差しながら、利知未を見た。

「…雨でも降ってきそうだ。」

利知未は窓から、良く晴れた空を眺めて見せた。

「マジ、ヤバインだって。今学期のテストって重要だろ?」

大野が本気で参った顔を見せた。その表情に利知未が笑った。

「シャー無い、見てやるよ。貴子は古典、見てやってくれよ。」

言いながら空いている椅子に掛けた。利知未は部室にいる時だけは、それでも昔の少年の様な雰囲気に、いくらか戻る。

「仕方ないな…。どれどれ?」

貴子も椅子へ座り、机に並んでいる参考書の中から古典を手に取った。

「ワリー。恩に着るぜ。」

高坂が隣に座った貴子へニコリとする。

 貴子は最近、高坂と何となく仲が良い。利知未繋がりだ。去年の体育祭の応援騒ぎから、少しだけ意気投合し始めていたらしい。

「…って、コレこないだ教えたばっかじゃないか!」

夏休みの最終週、利知未は二人からヘルプを出され、二、三日、宿題を片付けるのを手伝ったばかりだ。

「…コーユー、暗号型の教科は苦手なンだよ…。」

大野が情けない顔を見せる。利知未は呆れ、そして少し吹き出す。

「…高坂の物覚えの悪さ、笑えネーじゃん?」

「ソー言うなって…。」

 利知未達はそれから二、三時間、二人に付合った。応援団部室では、その場に不似合いな勉強会が行われた。



 帰り道、高坂と大野が付き合って貰った礼だと言い、駅前のファーストフード店でハンバーガーを奢ってくれた。

 話題が利知未の事に集中する。貴子が聞きたくてウズウズしていた。

「高坂君達なら、なんか気付いてるカモと思ったんだけど…。」

貴子がハンバーガーを食べながら、いきなり話を切り出した。

「なんの事だ?」

高坂と大野がキョトンとして貴子を見る。

「…利知未の、…恋話!」

利知未が珈琲にむせる。隣で大野がびっくりして、背中を叩いてくれた。

「…ちょっと…、待てって…、」

咳込みながら異論を唱え様と努力した。貴子は構わず高坂に振る。

「利知未、休み前に比べて、凄く可愛くなったと思わない?コレってソーユー事だって、私は見たんだよね?!」

「そーなのか?」

鈍い高坂が気付いている筈は無かった。貴子と一緒になり利知未に聞く。大野は何となくではあるが貴子の意見に賛成だ。

「…どーだってイーだろ?」

やっと咳が止まった。片頬杖を突いてそっぽを向く。…顔が少し赤い。

「やっぱ、ソーなんだ!」

赤くなった利知未を見逃さずに、貴子がニマリとする。

「好きなヒト出来たの?どんなヒト?何処の学校?」

ポンポンと質問が飛出す。高坂は目を丸くして貴子と利知未を見ている。大野は利知未が照れ臭さを誤魔化す様に膨れているのを見て、少し笑ってしまう。…FOXの誰かかな…?そう、ピンと来る。中々、鋭い。

「ソー言う貴子は、どうなんだよ?…田崎センパイ…。」

反撃する事にした。田崎の名前をニヤリとして囁いて見る。

 貴子が密かに田崎を見ていた事は、流石に三年も仲良くしていたから気付いていた。ただ去年までは、利知未がそう言う話しに興味を持てなかった。突っ込んだ話しはした事が無い。

「…利知未、気付いてたんだ。」

意外そうな顔をして貴子が言った。しかし今は、貴子が気になる相手は他にいる。田崎に対しての思いは、どちらかと言うと憧れに近かった。

「…一応ね。けど、興味無かったからな。…あの頃は。」

呟いてしまって、『しまった!』と思った。貴子の顔に、再び好奇心が溢れだす。もう遅い。

「ふーン、あの頃は、ネー…。」

ニヤニヤしている。利知未は照れながらも、観念せざるを得なくなった。

「……バンドの仲間。」

ボソリと言った。貴子は益々ニヤニヤし始める。高坂は驚いたままだ。大野は一人で納得した。

「…けど、アンマリ人に言いたく無いから…。広がったらマズイし。」

「イーよ、広げたりしないし。…けど、私達には白状するよね…?」

当然よね?と云う言葉が、貴子の表情にくっついて見えた。


 それからポツポツと白状させられ、『好きな人』ではなく『恋人』である事が判明し、高坂は勿論、貴子と大野まで本気で驚いていた。

 利知未は照れ臭い。だが反面、秘密が一つ外に漏れた事で、少しだけ楽になった。…この仲間なら、噂にはしないだろうと信頼もしている。

 三人は利知未の信頼を裏切る事は、しないでくれた。三月に中学を卒業するまでと、それ以降も。

 この話しを聞いてから後、貴子が中学時代に一度だけ、ライブを見に来てくれたのだった。



 敬太は忙しい。一週間の予定は、大学とバンド活動とアルバイトで、全て埋っている。

 夏休みが終ってから、利知未と二人で過ごせる時間は、スタジオとライブハウスから下宿まで送る、車の中だけだった。

「あーあ、また敬太と、どっか行きたいな…。」

九月初めの週。木曜日の練習後に、車の中で利知未が言った。

「そうだね。…ごめん、中々、時間が無くて。」

頷いた敬太が、少し済まなそうな顔をする。

 素のままの利知未は、随分と少女らしい雰囲気になっていた。それは敬太の前でだけ見せる表情だ。


 夏休みは、あのキスを交わしたデートの後、それでも二日程は二人で過ごす事が出来た。そんな時の利知未のスタイルは、相変わらずキャップと伊達眼鏡だ。

 どうしても街中で会う時には気を使う。何処にファンがいるか本当に分からなかった。デート中にも遭遇してしまう。利知未はその度にセガワになってしまう。それは少し残念な事だった。

 二度目のデートの日、シルバーアクセサリーのペアリングを買った。普段はチェーンに通してネックレスにしている。二人の指に、お揃いのそれを着けて街中に出るのは、やはり憚られた。利知未は敬太に会えない日だけ、その指輪を普通に身につけた。


 下宿で食事中、利知未の右手に指輪を発見した朝美が、ニヤリとした。

「りっちゃんってば何時の間に、そんなお洒落に目覚めたのかな?」

恋愛ネタで利知未をからかう時、朝美は利知未を『りっちゃん』と呼ぶ。

「…そんなんじゃないよ。イーだろ別に…。」

赤くなってしまった利知未を、ニマニマと眺めた。

「利知未も、漸く女の子らしくなったって事ね。喜ばしいことじゃない?」

里沙が笑顔でフォローをする。

「そのデザイン、可愛くは無いわね。」

玲子が少し突っ掛かる。最近また、以前のように口喧嘩に反応する様になった利知未だった。…玲子はそれが、ちょっと嬉しい。

「…あたしが、可愛いの選ぶ訳ネーじゃん。」

好みも確かにあるが、ペアリングなので、敬太が着けても可笑しくないデザインを選んでいた。

「でも、それなら男の人みたいな時でも、大丈夫そう。」

冴史が小さい声で感想を述べた。利知未以外の三人が冴史を一斉に見た。

「…ソーかもな。冴史との初対面は、あの時だからな…。」

利知未は、何も気に成らない様子で、普通に言葉を交わす。

 そうして貰って、冴史は少し頬がほころんだ。冴史は利知未に、大変な興味を持っている。利知未を見ていると、お話しのネタが色々と浮かんでくる。だから本当は、もっと話しをして見たかった。

 けれど、冴史が入居した頃の利知未は、色々あった時期で、どうしても打ち解けて言葉を交わす雰囲気ではなかった。最近、敬太のお蔭で明るい様子を取り戻してきた利知未に、少しだけ声を掛ける事が出来る様に成って来た所だ。

 下宿の他のメンバーは、冴史と利知未がマトモに話しをするのを見たのが、初めてだった。


「なんだよ?」

三人の様子に気付いて、利知未が、不可解な顔をする。

 利知未は冴吏と廊下で擦れ違ったり、リビングで顔を合わせた時には、ほんの少しでも言葉を交わす様になっている。それで、皆の様子が腑に落ちない感じだ。

 住人の中で冴史の隠れた趣味に気付いているのも、どうやら利知未だけの様だ。それについては以前、利知未との短い会話中、冴史が自ら打ち明けていた。話の流れで偶然、知っただけだ。冴史は最近、お芝居の台本作りに挑戦していた。



 九月の二週目。ライブに、ちょっと懐かしい顔が現れた。

「瀬川!久し振りだな。」

利知未が取り巻きの群れを抜け、メンバーの席に近付くと、田崎が軽く振り向いた。

「田崎センパイ!久し振りだな、元気だったか?」

田崎の隣に見慣れない少女を見つけ、利知未は慌てる。

「平気だよ。ゆいには、瀬川の事チョイ言っておいたから。」

少女はニコリとして、挨拶をした。

「初めまして。私、水城 唯って言います。真のクラスメートなの。」

田崎の名前だ。名前で呼び合う仲と言う事かと、利知未は納得した。

「ライブハウスって始めて来たの。びっくりしちゃった!凄い迫力ね。それに格好良かったし…。真から聞いていた以上で、驚いちゃったよ。」

 どちらかと言うと、おっとりと優しい喋り方をする子だった。セミロングのストレートヘアで、ふっくらとした頬のラインが優しい。美人と言うタイプでは無いが、育ちの良いお嬢様チックな雰囲気だ。貴子はどちらかと言うと、元気な感じで可愛らしい。


 田崎の好みを知り、利知未が呟いた。

「…成る程。」

いつものカクテルを店員から受け取り、田崎の隣に座る。

「なんだよ?成る程ってのは。」

変わらない呑気そうな眉を軽く上げて、田崎が言った。

「いや…。何でも。」

利知未はニヤリと笑って見せた。セガワ・スマイルだ。

「ま、イーケドな。…それより、バレて無いみたいだな?」

 以前に比べて身のこなしまで男っぽくなっている利知未を、半分感心して眺めた。利知未はライブ活動中、少女らしい雰囲気は絶対に出さない。声の高さまでワントーン落としている。

「中々の、役者だよ。」

リーダーがニコリとして言った。



 その日も、敬太が車で送ってくれた。

「…疲れた。」

小さく溜息を吐いて、利知未が言う。田崎と、その彼女が近くにいる間、利知未は何時も以上に気を張っていた。気を抜くと、無邪気に団部センパイ達の周りをチョロチョロしてた頃の自分に、戻ってしまいそうだった。心は敬太のお蔭で、そこまで回復していた。


 そして敬太の前では、新しい自分が現れる。

「今度の連休、何処か行こうか?」

敬太がニコリとして言った。

「バイト休めるのか?!」

セガワの時より、声がワントーン上がって戻っている。目を見開いたその表情も可愛らしい。敬太はそんな利知未を見ると、何となく嬉しい気分になって頬がほころんでしまう。

「うん。月曜なら。…練習の前になっちゃうけど。」

少しだけ済まなそうな顔をする。本当なら時間を気にしないで思う存分、二人で遊びに行きたいと、敬太も思う。

「構わないよ、そんなの!そっか…、何処、行こうか…?」

利知未はニコニコして、嬉しそうに考え始める。

「…タマには、映画もイーかな…?」

「何か見たいのあるの?」

「特に、そう言う訳じゃないけど…、映画館なら、周りの視線、気にしないで済みそうだし…。」

ちょっと情けない顔をする。…本当は、そんな事は気にしないで、二人でいたい。

 敬太も考える。夜までたっぷり時間があれば、少し遠くまでドライブをするのも良い手かもしれない。けれど、その日は練習日だ。どうしても、夕方には都内に戻っていなければ成らない。

「…そーだな。何か面白そうな映画、探して見ようか?」

敬太の言葉に、利知未はニコリと頷いた。



 敬太との約束の前日。祝日と日曜日が重なった、その日曜日。

 朝、利知未が階下へ降りると、何故か朝美がエプロン姿で、キッチンから姿を表した。

「…何してんだ?」

目を丸くした利知未に、朝美が頬を膨らませた。

「利知未、遅い!もう九時だよ?早くご飯食べて!片付かないから!!」

ダイニングへ入ると、カウンタータイプの調理スペースの中で、朝美がフライパンに卵を割り落としていた。

「コレから日曜と祝日位は、成るべくあたし達で家事を手伝おうって、この前、玲子達と話してたの。」

「何時のことだよ?」

「こないだの金曜。」

利知未の分の朝食を支度しながら、朝美が説明した。

「実はね、この前、里沙が、ちょっと具合悪くなっちゃったンだよ。」

「…そうなのか?」

 びっくりした。利知未は初耳だ。毎週・月・水・木・金の四日間は、練習とライブがある。その日は、朝、学校に行ってから夜遅くに帰宅するまで、里沙の顔を見ない事も度々あった。

 里沙は何時も、利知未が帰宅するまで、起きて待っていてくれた。


 朝美に言われ、先週末の三日間は、里沙が起きていなかった事を思い出す。昨日は、明日の敬太との約束で頭がいっぱいで、周りの事には余り気が行っていなかったのも、確かだ。

「ソーなの。で、あたし達、里沙に甘えていたなって思って…。それで、これからは住人で、休みの日はローテーション組んで、里沙を助けて行こうって話しになったのよ。」

「里沙は、大丈夫なのか?」

「今はね。ちょっと風邪引いただけだった見たい。でも、それでも休めない訳じゃない?あたし達の世話が忙しくて。だから、利知未も協力してよね?」

「分かったよ。…確かに里沙、今まで休めなかったんだモンな…。」

「で、今日はあたしがヤルから、来週の日曜はよろしくね。明日は玲子が引き受けてくれたから。」

利知未の朝食を、テーブルに並べる。

「ああ。…朝美、もしかして料理苦手なのか?」

焦げた目玉焼きを、箸で摘んで持ち上げた。

「…文句ある…?」

朝美が腕を組んで、利知未をチロリと睨み見た。


 同居人の間で始まった、毎週日曜・里沙の休日は、この日から利知未が大学三年の春まで、約六年半の間。…里沙が、遅い結婚をして、この下宿を出るまで、続いて行った。





            二


 十月。今年も、体育祭シーズンの到来だ。

 利知未と細川は、今年もクラス対抗リレーのアンカーに決まった。また二週間、放課後の一時間は、リレー練習の餌食だ。

 やはり、細川と付き合っていたらしい鵜野が、応援ついでに練習風景を眺めていた。

「利知未さん!頑張れ!!保に負けるな!!」

運動場の隅から大声を張り上げる鵜野に、細川が文句を返す。

凌子りょうこ!!テメ、どっちの応援だよ!?」

「ンなの、決まってんじゃン!利知未さん!!」

「…ンだとー、この!」

細川は、かなりの負けず嫌いだった。鵜野はその性格を良く知っている。利知未の応援をすれば、負けるものかと必死になると踏んでいた。

「…単純バカ…。」

鵜野が小声で言って、そっぽを向いて小さく舌を出していた。

 利知未はその様子を見て、小さくクスリと笑ってしまう。

『鵜野って、細川の操縦が上手いな。』

優と自分の関係を思い出した。裕一の事も思い出す。少し寂しさを覚えた。

 沈んだ表情を一瞬、見せた利知未に、練習の後、鵜野が声をかけた。

「…利知未さん、敬太さんと何かあった…?」

「特に何も無いよ。なんで?」

「練習中、ちょっと寂しそうに見えたから。」

利知未はまた驚いた。…鵜野って、今まで思っていた以上に敏感だ。

「敬太の事じゃないよ。…チョイ、兄貴の事、思い出したんだ…。」

小さく笑顔を作って答えた利知未に、鵜野は少し気の毒そうな顔をする。

「…そっか。…ね、またチケット売ってよ?アタシ、FOX好きなんだ。」

直ぐに笑顔で話しを変えた。利知未は二年の頃から鵜野と、もっと仲良くしていれば良かったと感じた。…意外と気が合いそうだ。

「勿論。ただ最近、二週間先位の分まで直ぐに売り切れるんだ。だから都合が良い日があったら、早めに言ってくれよ?」

「判った。…トコロで、敬太さんとは上手く行ってンの?」

夏にデートを鉢合わせして以来、始めて聞かれた。鵜野は話しても平気そうな相手だと思った。

 言葉で言うのが少し照れ臭くて、利知未はチェーンに通して首に掛けているシルバーリングを、手繰り出して見せた。

「…コレ、お揃いなんだ。…内緒にしておいてくれるよな…?」

鵜野が目を見開き嬉しそうな顔をして、照れている利知未の顔を見た。

「良かったジャン!ソーか、アタシも保とお揃いの買おうかな。ウン、勿論、内緒にしとくから安心してよ!…その代わり、その指輪ドコで見つけたのか教えてよ?いくら位だった?他にも良いのあった?」

二人で店の話しと、売っていた指輪の値段やデザインについて、二十分くらいはお喋りを交わした。今までの利知未には、余り無かった事だ。

 それから鵜野は利知未にとって、貴子以外で敬太の話しが出来る、数少ない友人になった。卒業まで後、半年を切った頃の事だった。



 その月の中旬。夏以来、久し振りに宏治がライブを見に来た。

 そして赤毛のモヒカン少年・倉真と再会した。

 更に、補導事件の原因を作った、脱色髪少年・準一とも。


 倉真は久し振りに再会した宏治を、ライブが始まる前に見つけていた。

「ヨ、やっと会えたな!」

カウンターで前回と同じ様に、コーラを手にした宏治に声を掛けた。

「…あの時の!館川たてかわ、だったよな?」

「覚えてたか?久し振りだな!今日もセガワと来たのか?」

店員からビールを受け取り、宏治の隣に立った。7、8センチの身長差があった。この頃、宏治はやっと158センチまで伸びた所だ。

「そーだよ。お前は今日も一人か?」

「ああ。俺のダチ、メタルの方がイイって言ってさ、良いバンドだからって言っても、来ようとするヤツいないんだよな。」

ビールに口を付け、面白く無さそうな顔をした。

「お前、宏治って言うんだっけ?」

頷く。改めて自己紹介をした。

「手塚 宏治。お前は、館川…ソーマって呼ばれてたよな?あの時。」

「ソーだよ。倉真。館川 倉真だ。コレから仲良くしようぜ?」

ヤンチャそうな笑顔を見せた。


 準一はライブが始まる寸前に、和泉を連れて店に入った。

「お前、本当にココ、一人で入ったのか?」

呆れた声で和泉が聞いた。

「入ったって言うか、逃げ込んだ。…結局、掴まっちゃったけど。」

ヘラリと笑う。和泉は準一を呆れ顔で眺めた。

「…良くストップ掛けられなかったモンだ。」

「あはは。走り込んだ。受付けの人、驚いてたよ。」

準一らし過ぎる呑気な笑顔に、和泉は軽く溜息をついた。

「…お前は、ドコまでも本当に呑気だな。」

「だって終わった事ジャン。…あ、ライブ始まる!」

ワクワクした顔で、人混みを掻き分けて客席の中程まで進んだ。


 倉真と宏治はライブが始まる前、客席の中程より、ややステージ近くに移動した。倉真は移動する前にビールを飲み干し、カウンターにグラスを返して来ていた。偶に宏治のコーラを貰う。

 初対面から、まだ二回目の出会いだ。それでも二人は話している内に、お互い何となくウマが合うと感じていた。すっかり仲良くなっている。倉真は他人に対しては、余り拘りの無い性格だった。けれど好き嫌いはハッキリしていそうだ。それなら逆に、判り易くて付き合い安い。

 倉真はこの数ヶ月で、すっかりFOXとセガワのファンになっていた。

「やっぱFOXの音ってイイよな!?ボーカルの声もイイよ。それにカッコイイ!」

そう言って、ステージ上の利知未を見て、ワクワクとした目を輝かせる。


 セガワの事に付いては、宏治としては少し複雑だ。けれど、ステージの利知未は、本当に格好良く見える。それにもハッキリ言って複雑ではある。自分より背も高く、喧嘩も強い。

 宏治が利知未と初めて会ったのは、もう二年も前の夏だ。

 あの頃の利知未は、明るく捻くれた態度を取る割には、感情的な所もあって、生き生きとしていた。

 そして、本当に少年の様に活発だった。…裕一も、まだ生きていた。

 しかし、宏治がセガワを見たのは、今年の夏が始めての事だ。あの補導事件があった夜。利知未のセガワとしての変貌振りは、見てきていない。

 だからこそ、セガワの男っぷりに対して、ただ目を丸くして驚く事しか出来なかった。それゆえ宏治は益々、利知未に頭が上がらない感じでもある。

『おれも、もう少し男っぽくならないと駄目だな…。』

最近、宏治は利知未を見る度に、そんな風に感じていた。



 騒ぎが起こったのは、FOXのライブ時間が中盤を過ぎ、後半に向かおうとしていた十九時半過ぎの事だ。


 倉真の目の前に、もっと近くでライブを見ようと、進み出てきた二人組が割り込んできた。それだけでも傍迷惑な感じがしたが、自分も偶にやることでも有るし、仕方が無いかとも思った。

 それでも、どんなヤツ等か顔を見てやろうと思い、その二人連れの小さい方の影を注視した。

「…あ!テメ、ショー懲りもなく、また来やがったな!?」

倉真が指の間接を鳴らす。ライブは丁度、中盤の盛り上がりを見せていた。

 目の前に割り込んできた奴の一人には、見覚えがある。覚えがある所では無い。三ヶ月前に、コイツが引き連れて来た補導員に補導された。

 しかも、コイツが連れ去られる時に、自分の腕を掴んだ所為だ!

「あれ?あー、あの時のモヒカン!!」

驚いた顔をした準一の顔面目掛け、倉真が行き成りストレートパンチを放った!準一は全く構えていなかった。その準一を庇う様に、連れの少年がパンチをモロに受けた。

「和尚!」

準一が叫ぶ。客席から悲鳴が上がる。準一を庇った少年・剃髪頭の和泉は、倉真のパンチでステージ上まで吹っ飛ばされていた。音が止まった。

 セガワも驚いて歌が止まる。客席からまた悲鳴が上がる。足元に飛ばされてきた少年が、跳ね起きて自分をふっ飛ばした少年に向かって行く。懇親の力を込めて、撲り返した!!

 今度はモヒカン少年が、カウンターまで吹っ飛ばされた。

『アイツ等…!』

ライブをメチャクチャにし、客席をパニックの渦に巻き込んだ少年の派手な頭には、見覚えがある。セガワはマイクを使って呼び掛けた。

「宏治!モヒカンを止めろ!!」

 倉真は既に立ち直り、和泉に向かって組みついている。


 客席が大乱闘になった。関係無いヤツラまで酒の勢いで殴り合いを始める。中心のモヒカンと剃髪の喧嘩を、手を振り上げて煽っている脱色髪にも見覚えがある。

 マイクを使って指示を飛ばされた宏治が、ヤレヤレと言う顔で、倉真達に向かっていった。

 セガワはステージを飛び降り、何故か楽屋に向かって走り出す。

「おい、どーする気だ!?」

リーダーがステージ上から声を投げた。

「ホース、長いヤツあったよな!?」

セガワが叫んで、リーダーに確認した。そうしながらも走って行く。

「楽屋じゃない!便所だ!!」

拓が返事をした。敬太も利知未の思惑が解らないままにステージを飛び降りて、その後に続いた。アキがステージ上からマイクを使って、喧嘩を止める様にと叫んでいた。


 トイレに掛け込んで長いホースを見つけ、手洗い場の蛇口に嵌めようとしている利知未に、追いついた敬太が聞いた。

「何をするつもり?」

「水ぶっかける!」

一言叫んで、ホースの片側を持ってステージ上に戻った。拓にぶつかりそうになり、拓は慌てて横に飛び退く。

「アキ、マイク!!」

両手でホースを握っているセガワに、アキがマイクを向けた。

「敬太!」

マイクを使って合図を送ると、敬太が手洗い場の蛇口をいっぱいまで開けた。ホースが低く唸って、口を掴んで勢い良く飛ぶように調節された片側の出口から、水が噴出した!!

「テメーらっっ!!!いーかげんにしろっっっ!!!!」

マイクに向かってセガワが叫んだ。スピーカーが割れた音を、客席中に響かせた。

 水を掛けられて、中心で大喧嘩をかましていた二人以外は鎮まった。

 カウンターの中では店員が、壊れたグラスや酒瓶を片付けるのに大童だ。落着いたファンが一人、また一人、その片付けを手伝い出した。


 宏治は中心の二人が組み合ったまま、お互いに引き摺り合う様にして店の外へ出たのを追い掛けた。準一も煽りながら付いて行く。

 ステージの上で、やっと鎮まった客席にホッとして、メンバーが店の片付けを手伝いに降りて行った。

 利知未は敬太が様子を見て蛇口を閉め、水を止めたホースの口を持ったまま、目に怒りを宿して荒い息をついた。

「…アイツ等ァ……。」

ホースを投げ出し、再びトイレに走って行く。そして今度は、バケツを引っ張り出して水を張る。敬太はホースを手繰り寄せて、片付け始めた。

 水を張ったバケツを持って、物凄い形相で店の外へ駆け出すセガワを、ファンが恐ろしげに見送った。


 店の外で二人が、激しい取っ組み合いをしている。喧嘩の腕は五分五分だった。宏治はとばっちりを上手く避けながら、何とか二人を止め様と、必死で努力している。準一は変わらず、二人の喧嘩を面白そうに煽っていた。

「宏治、避けろ!」

利知未の声に、宏治が素早く反応した。


 バシャ!!


バケツの水が、喧嘩をしている二人の頭に、見事にヒットした。

「「うわ!!」」

二人同時に叫び飛び離れると、興奮したままの形相を利知未に向けた。

「てめー…!!」

「何しやがる!?」

 二人の喧嘩は止まった。だが今度は、水を引っ掛けて来た人影に向かって、揃って突進してきた。利知未がバケツを投げ捨てた。右と左から掛かって来た二人を、利知未は冷静に左右に避け、その勢いのついた利き腕を掴んで弾みをつけた。合気道の技は、まだまだ健在だ。

 二人はそれぞれ掴まれた腕を中心にして、弧を描く様にふわりと飛び、次の瞬間、地面に叩きつけられた。身体中に走った衝撃で、倉真と和泉は漸く我に返った。


 仰向けに倒れているモヒカン頭の胸座を掴んで、拳を上げる。ガッと鈍い音が響く。剃髪頭の少年にも、同じ様にして拳を振り上げた。

「お前等、店メチャクチャにしやがって!何考えてんだ!?」

撲られてまた転がった二人を、立ち上がって上から見下ろした。二人はお互いに睨み合って無言だ。その様子を、迫力の睨みを効かせてセガワが見る。宏治が逃げ掛けた準一を捕まえて、近くまで連れて来た。

「…お前も、止めもしネーで良くも煽っていたな…?」

準一にも鋭い睨みを効かせる。

「…だって、いきなり撲りかかられたんだ。モヒカンに…。」

剥れた顔をしている。利知未は準一にも平手を食らわす。

「理由がどうとかじゃネー!お前等の所為で、店もライブもメチャクチャだ。立て!」

半身起こして睨み合っていた二人を引っ立てた。

 宏治は真面目な顔の裏で、利知未の様子を感心して眺めている。

『…やっぱ、カッコイーな…。』

セガワに引っ立てられた二人は、まだ睨み合っている。

 一触即発な雰囲気だ。それに気付いたセガワが、二人を放してもう一度鋭い睨みを効かせた。

「テメーら…、まだやろうってのか…?いーかげんにしろ!!」

パンパンッと、二人にビンタを食らわせた。それで漸く二人の睨み合っていた視線が、最後の一睨みを交わしてから、フンと左右に離れた。


 和泉は、もう一度セガワに向かって行きそうな雰囲気だった。だがセガワに隙は無かった。

『このボーカル…、何者だ…?』

しかし、それでも段々と冷静にはなって行く。水と拳は正直効いた。

 倉真はセガワに張られた頬の痛みに、やっと自分がやらかした事に対して、やや反省の念が浮かび出す。

『セガワのライブをぶっ壊したのは、確かに悪かったな…。にしては…』

隣を歩く剃髪頭を、ちらりと見た。

『コイツ、中々ヤルな…。今度きっちり、ケリ着けさせて貰おう…。』

血の気が多い事を思っている。



 店の中に入り、店員の前で三人を土下座させた。セガワと宏治も、一緒に頭を下げた。

「ご迷惑お掛けして申し訳有りません。店の損害は、俺が弁償します。」

セガワが言う。宏治を含めた少年四人が、一斉にセガワを見る。

 ライブで稼いで来た金があった。免許を取る為に溜めてきていたが仕方ない。こいつ等の小遣いじゃ払える筈も無い。どうせ親にも内緒で来ている筈だ。…何時か、こいつ等に返して貰おう…。そう思っていた。


 倉真と和泉は、驚きながらもセガワの言葉を聞いて本気で反省した。

『…セガワって、』

『…このボーカル…。』

自分達を張り倒して制裁を加えた強さ、一緒になって店に詫びを入れ、弁償まですると言う、その面倒見の良さ、潔さ…。

 二人はセガワに、憧れにも近い様な、不思議な印象を持った。


 準一は、一度にセガワが気に入った。撲られた事は腹も立つが、自分が悪い事をしたと言う事くらいは理解している。

『兄貴だ…!』

少年誌の不良漫画や青年誌のヤクザ漫画の、義理と人情の世界を思い出した。…セガワって、格好イイ…!そう素直に感動する。


 宏治は、改めて見直す感じだ。

『…瀬川さん、こんなコトしたヤツ等のために…。』

また、頭が下がる思いだった。



 その日のFOXのライブは、混乱の内に終わってしまった。

 次のバンドがステージ時間を三十分ほどずらして、店はそのまま営業を続けた。警察なんかには通報しない。叩けば誇りが出るのは確かだ。

 利知未は店の請求書を眺めて、溜息を付いた。

『ざっと、十四万か…。半分以上、貯金無くなるな…。』

そしてその日、メンバーと少年達は店の最寄り駅のファーストフード店で反省会だ。といっても、FOXのメンバーが三人に説教をする為の…。


 セガワに撲られ、店との弁償問題の話し合いをして、三人はすっかり反省していた。それでFOXのメンバーも、セガワの顔を立てて一応、許してくれた。

 少年達はそれから、宏治と利知未のヤンチャ仲間になってしまった。


 倉真と宏治はウマが合い、和泉と準一はセガワに大きな借りが出来た。勿論、倉真も。

 その倉真と和泉は、ココから暫く喧嘩相手だ。顔を合わせる度、小さな事を原因とした殴り合いが恒例となる。準一は何時も二人を煽っている…。宏治はその三人を、利知未と共に呆れて眺める。

 そしてバッカスにも、困った常連が出来てしまった…。




            三


 十一月に入った。文化祭シーズンである。応援団部は例年通り、校内警備係だ。

 今年の舞台発表は、朝美が見に来た。冴史の力作を鑑賞するためである。冴史が夏から頑張って挑戦していた芝居の台本は、舞台発表で演劇部が公演した。校内評価は中々、好評だった。



 正門横の警備詰め所で、利知未は一年の監視に立っている宏治と、雑談をしていた。

「倉真が、この前、家に来ました。」

「あのモヒカンか?…ヤバイな。ココ等辺りうろつかれたら、あたしの正体バレるかもしれないな…。」

腕を組んで思案顔だ。その利知未を、偶にチラリと横目で見ている一年がいた。利知未の隠れファンだ。セガワの、では無い。

「佐々木、どうした?」

宏治が優しげな顔で問い掛けた。

「いえ!なんでも有りません!」

佐々木と呼ばれた一年は、やや慌てた様子で返事をした。そしてまた、利知未の姿をチラリと盗み見る…。宏治はその視線の意味を理解している。軽く苦笑いしてしまう。

『…ま、佐々木は学校での瀬川さんしか、知らないからな…。』

利知未は顔を上げて宏治を見た。その苦笑いを見て問い掛ける。

「何かあったか?」

「いえ、何も。」

言って見た所で仕方ない。宏治には、利知未は色恋沙汰には興味が無さそうに見えている。それに佐々木のソレは、憧れの方が強そうだ。

 宏治は力で後輩を抑えつけるタイプではない。

 今年の一年団員の大半は、裏の仕事よりも、応援団その物に憧れ、入部してきた様な生徒が占めている。それらの下級生を纏めるのが、二年の中では宏治の役目になっていた。

 ヤンチャ系の小人数を纏めるのは、結城や尾崎が引き受けている。


「利知未!」

 朝美の声がした。呼ばれて正門を振り向く。朝美が軽く手を上げて、合図を寄越して近付いてきた。

「ここで会えて良かった。冴史のお芝居、見に来たんだけど。ドコでやるの?案内してよ!」

「本当に見るのか…?」

利知未が、明らかに不満そうな表情をする。宏治はそれを見て、また少し笑ってしまう。


 冴史の書いた台本は、利知未を見て思い付いたらしい内容だった。

 性格にかなり斑のある少女が主人公だ。一幕芝居で、その少女が一人で留守番をしている所に、色々な訪問者が現れる。

 その訪問者と少女の、相手と気分によってクルクル変わるやり取りを、コミカルに描いた物だ。

 そのやり取りは、利知未の言動が、相手によって色々と変わる事をヒントにして書かれた物だった。利知未を良く知っている人が見たら、一目瞭然で主人公のモデルが誰なのか判ってしまう。そう言う意味でも、一部の生徒には大ウケをしていた。

 利知未は昨日の校内発表を見て、放課後、応援団部室で宏治や高坂、大野を相手に、膨れっ面でぶつぶつ文句を言っていた。


 利知未の不満そうな表情を見て笑っている宏治に、朝美が気付いた。

「何々?そんなに面白いお芝居だったの?」

朝美に問われて、宏治は自分をチラリと睨んでいる利知未に、小さく肩を竦めて見せた。逃げるが勝ちだ。

「うっす!ご苦労様です!舞台発表は体育館で行っております!自分が案内します!」

応援団らしい態度で格好良く朝美を案内して、その場を離れて行く。

「…宏治のヤツ、逃げたな…。」

利知未が小さくぼやいて、二人を見送った。



 宏治に案内されながら、朝美は校舎裏の体育館へ向かった。

「ね、利知未って、学校ではどんな風なの?」

最近の利知未の変化に、興味津々である。何しろ朝美は、初めて下宿に表れた頃からの利知未を、間近に見てきている。

「どんな風って…、そうですね。人気があります。」

「ソレって、どんな感じ?まさか校内女子のアイドルってんじゃないでしょうね…?」

朝美の質問に、宏治は少し考えてから答えた。

「男にも、女にも人気があります。」

宏治の返事に、朝美が感心した様な驚いたような顔をする。

「ソーなの?…やっぱり、あの外見か…。」

「それだけじゃ無いと思います。…隠れファンの方が多いかな…?」

佐々木を始め、思い当たる顔が幾つか頭に浮かぶ。男女の関係抜きで見た場合、現団長・副団長も、ある意味、利知未を大事にしている。

 FOXのライブに定期的に行っているらしい生徒も、何人か知っている。

「へー、隠れファンね…。貴方も、その一人?」

ニ、と笑顔で宏治の顔を覗いて見た。覗き込まれて宏治は引いた。

「自分は…、瀬川さんには、恩を受けてるんで…。」

そう言われて、この少年には見覚えがあったような気がした。

「恩、ね…。そう言えば、去年の夏頃、良く利知未を訪ねてきてた?」

その頃からは髪形も変わっているし、雰囲気も何となく変わってきているが、意外と可愛い感じで整っている宏治の顔には、覚えがある。

「行ってました。貴女の事も見覚えてます。朝美さん、でしたね?」

宏治は何度か、利知未から朝美の名前を聞いた事があった。どんな感じの人かは半分想像だが、下宿住人の顔は全員見て知っていた。その中で利知未の話と、さっきの様子を見ると、彼女が朝美だろうと推測した。

「良く覚えてるね!そう、あたし、朝美。」

びっくりした顔で肯定した。自分はこの少年の顔しか知らないのに、大したモンだと思う。しかもさっきまで、見た事がある相手だと言う事も忘れていた。宏治も大分、雰囲気が違ってきているので仕方が無い事ではある。宏治は去年の夏からこの秋までで、随分、成長していた。

「着きました。体育館です。演劇部の公演がそろそろ始まると思います。」

「そ、ありがと。」

「では、自分は失礼します!ごゆっくり。」

応援団式礼をして踵を返しかけた宏治に、朝美が呼び掛けた。

「ネ、また後で利知未のこと教えてよ?何処にいるの?」

宏治は少し考える。自分の今日の予定は…?

「…時間が出来たら、さっきの詰め所で後輩に聞いて見て下さい。自分が空いていれば、校内の案内させてもらいます。…失礼します!」

もう一度礼をして踵を返した。

 朝美は宏治の後姿を見送って、ちょっとだけ感心した。弟の事を思い出した。

『智紀も中二の頃から確りしてたな。…あの子の家も何かあるのかな?』

そう感じた。家庭の事情が複雑だと、あの位の歳でスッパリと2パターンに分かれるものだと、朝美は思っている。歳より確りするか、逆に捻くれて非行に走るタイプか…。

 あの少年は、その折衷パターンだろうか?それならそれで、もう少し話して見るのも面白いかも知れないと思った。


 宏治が詰め所へ戻ると、同じ二年の結城が一年の監視に立っていた。

「手塚!団長が部室で呼んでンぜ!」

利知未の姿は無い。宏治は結城の言葉に頷いて、応援団部室へ向かった。



 宏治が部室に顔を出すと、高坂、大野、利知未が、揃って雑談をしていた。

「お、来たか。ま、座れよ。」

大野の言葉に短く返事をして、宏治は三人の近くの椅子へ座った。

「手塚。お前、コレから先の事どう思う?」

座った途端、高坂に質問をされて、宏治が理解不能な顔をする。

「バカかお前は?今、来た手塚に話しの流れの説明もなしで解るかよ?」

大野が高坂に呆れて突っ込んだ。利知未が簡単に話しだした。

「…コレから先ってのはさ、最近、近隣校との抗争が減って来ただろ?」

宏治は頷く。確かに一年の頃に比べて、格段に減っていた。

 以前は一、二ヶ月に一度の割合で、喧嘩騒ぎに狩出されていた。それが今年度に入って見ると、いきなり少なくなっていた。この前、騒ぎに出向いたのは四、五ヶ月も前の事だ。

「時代が変わってきたんだろうって…。今、話していた所だよ。」

大野が、利知未の言葉の先を続けた。

「確かに街中で気合の入った奴、見掛け無くなって来たからな。偶にそんなヤツを見ても、格好だけの奴も増えてる。…今なら手塚も、街中でソー言う連中相手に喧嘩しても、多分ヤられる事は無いだろう。」

そう言って大野が、軽く首を竦める。

「で、こっからが本題だ。…今年の新入生、真面目なヤツ等が多いだろ?」

宏治はまた頷く。恐らく本気で殴り合いの喧嘩経験のあるヤツは、一握りのヤンチャメンバーくらいだろう。

「そうなってくると来年の下を纏めるのも、喧嘩が強いだけの奴じゃ無理だろう。そんな奴だけが締めていたら、真面目な部員が辞めちまう。そうなりゃ部員数が減って、団部その物が廃部になる可能性も出て来る。…ソレは、ヤバインだよ。何だかんだ言っても、まだ、おれ等みたいな奴等だって残ってるだろ…?影の部分の仕事も、完全に出来なくなるのは危険なタイミングだ。」

「ソレに現団長・副団長としては、団部の伝統を守り、伝えて行く義務もある。…解るよな?」

利知未が言って、宏治を見た。宏治はもう一度、頷いて見せる。

「で、だ。来年度の団長・副団は選考に悩まされてな。」

高坂が言ってニヤリとした。大野がまた説明をしてくれる。

「先ず、どうしても団長は喧嘩上等なタイプで無いと、気の荒いヤツ等の纏めがつかない。その点では、結城が現・二年団員の中じゃ適任だろ?アイツが一番、同学年で喧嘩、強かったよな?」

宏治が頷いた。次に強いのは尾崎だ。自分は喧嘩だけで言ったら、もう一人の二年の下だ。全九人中、宏治の腕っ節は四、五番目だ。

「お前、結城と仲良かったよな?」

高坂が再び口を挟んだ。それにも頷く。団員二年の中では、宏治と一番ウマが合う相手が結城一彦だ。

「喧嘩だけで選ぶなら、副団は尾崎なんだが…、アイツは、どうもそういう立場に置かれるのは遠慮したい様なんだ。それに尾崎じゃ来年、真面目な団部後輩を纏めるのは難しそうだしな。」

尾崎はマイペースなヤツだ。呑気過ぎ気味な所もある。

「…それで、だ。色々、瀬川とも相談して見たんだが…。」

大野がチラリと、利知未に視線を向けた。利知未が目で合図を返す。

「手塚。お前、来年度・副団、引き受けてくれないか?」

「…自分が、ですか?」

大野も高坂も頷いた。利知未は宏治の様子を観察している。

「考えたんだが、丸っきり喧嘩騒ぎに縁の無い二年には、やっぱり無理だ。それなりにソッチでもある程度、活躍出来るヤツじゃ無いとな。」

大野が言い、高坂が続けた。

「所がウチの二年ときた日にゃ、根性はお前と結城がダントツだ。後の連中は、喧嘩は強くても下に対して面倒見る事も出来ネーヤツ等だろ?」

「で、現副団の権限としてだ。手塚に来年度の副団を命じたい。」

副団長命令では逆らえない。宏治に自信が有った訳では無いが、心を決めて頷いた。

「…分かりました。自分が、どれだけ出来るか判りませんが、精一杯、後、継がせて頂きます。」

高坂達三人は、ホッとした笑顔で頷きあった。

「頼んだぞ。結城はもう知ってる。明後日、譲渡式やるからな。」

「うっす!了解しました。」

宏治は椅子から立ち、団部式礼をキリッと決めて見せた。

「そー言や、朝美どうした?」

話しが纏まった所で、利知未が宏治に聞いた。

「多分、演劇部の公演、見てると思います。」

「ソーか…。さっきは良くも、逃げ出したよな…?」

利知未がニヤリとして宏治を見る。宏治はその視線を外してやや慌てた。

「…自分は、一年監視してきます!」

部室を出ようとした。利知未がすかさず確認を取る。

「高坂、宏治は今、フリーだよな…?借りてイイか?」

「ああ。別に構わないぜ?」

「…と、言う事だ。チョイ付き合えよな…?」

何となく迫力の有る利知未の様子に、高坂と大野が苦笑いをする。

『手塚のヤツ、何ヤらかしたんだ…?』

二人同時に思った。宏治は冷や汗が垂れてくる。

「…行こうか?」

利知未が椅子から立ち、自分より5、6センチは背が低い宏治の肩に、後ろからポンと片手を置いた。

 さっき宏治が自分の様子を見て、笑っていた事は怒ってはいない。ただ、モヒカン少年の事について、もう少し詳しい話を聞こうと思った。

 宏治が何となくビクついている様子が面白くて、からかっただけだ。



 外来の客や、時間を作って展示や即売を眺めている生徒達で賑わう校内を歩きながら、人気ひとけが無さそうな所を探す。その間も、ぼちぼちと話しをしていた。

「…で、結局アイツ、何処に住んでるヤツなんだ?」

やや後ろを付いて歩く宏治に、利知未が聞いた。

「都内でも東の方です。新宿・渋谷辺りのライブハウス来るなら、浅草の方が近い位だって、言ってました。」

「そんな方から、お前の家まで来たのか?電車、乗り継いで?」

「…それが、ダチに借りたって、バイクで来ました。」

「バイク!?当然、無免だろ?…アイツの交友関係どんなんだ…?!」

「音楽仲間だって言ってたけど…。メタル好きな仲間がいて、その中にバイク持ってる高校生もいるって。」

 バイクに音楽。利知未も同じ所に興味がある。そーするとアイツは、いったいどんなヤツなンだろう?と、多少、興味も沸いてくる。

 宏治はこの頃、バイクにも興味を持ち始めていた。それで、倉真とそのバイクに乗って、遊びに出掛けた。実はその時、パトカーに見咎められて軽い追いかけっこを繰り広げていた。

「…母も気に入って、『息子がもう一人増えた様だ』何て言ってました。」

付け足す様に宏治が言う。利知未は軽く目を見開く。

「美由紀さんが?…って事は、バッカスもヤバイな…。」

軽く溜息を付いた。セガワが利知未である事を知られない為には、自分の行動範囲も制限されてしまいそうだ。

「…まだ、判らないけど…。倉真は平気そうな気もする…。」

宏治が呟いた。二人は話しながら、校舎裏の人気が無い所まで来ていた。

 それにしては、美由紀に気に入られるとは…。いったいどんな態度を、美由紀に対して取っていたのだろう?と、利知未は思った。


「手塚さん!詰め所に面会の方が、お待ちです!!」

 佐々木が走って来て、息を切らしながら宏治に告げた。校内中を探し回ってくれたらしい。宏治の隣に利知未の姿を見つけ、照れて俯く。

「分かった。探し回ってたのか?悪かったな。」

先輩らしい態度になる宏治を、利知未は少し感心して眺めた。

『コレなら来年度の副団も、大丈夫そうだ。』

そう感じて微笑が浮かぶ。その表情は中々、イイ女に見える。もしも、ここに櫛田がいたら、嬉しそうな顔をして今の利知未を眺めるだろう。

「朝美さんだと思いますが、瀬川さん、どうしますか?」

宏治が聞いた。朝美の案内なら、利知未の方が良いかも知れない。

「…そーだな。でも、芝居、見た後なんだよな…。」

視線だけ拠り目気味にして空へ向けて、何とも言えない表情を見せる。

『今、朝美に会ったら、絶対、笑われるんだろうな…。』

そう思うが、宏治が笑顔で促した。

「朝美さんは、瀬川さんの姉貴分なんですよね?邪魔でなければ、おれも一緒しますから、瀬川さんが案内した方がイイと思います。」

佐々木の手前でも有る。敬語を崩さない様に注意をした。

「…シャー無い…。ソレも一理有るな。…行くよ。」

溜息を付いて、宏治と佐々木を促して詰め所へと向かった。



 翌日は文化祭の振替で、学校は休みだ。火曜になり、恒例の譲渡式が行われた。今年は部活を引退した貴子も、屋上まで見学に来た。

「私、一回でいいからコレ、間近で見たかったんだ!やっと見れた!」

そう言って喜んでいた。

 譲渡式は、やはり格好良い。団部のメンバーが、いつもの三割増くらい魅力的に見える。貴子は団長・高坂を見直した。


 今年も校外まで見学者が来ていた。その中に、川上中学の学生も少し混ざっている。例年の事で珍しい事では無いが、今年の見学者には、困ったヤツが混ざっていた。

「アレだろ?有名な、城西中学応援団部、権限譲渡式!?すっげー!!結構、迫力有るんだね!!和尚は去年、見に来たの?」

「俺は来なかったよ。今年もお前に引っ張ってこられなかったら、来るつもりも無かったからな…。」

校庭を眺めやる。丁度、新団長・副団長が、団旗を翻した新たな団旗持ち以下、下級生を引き連れて、グラウンドの端へ向けて行進をしてくる所だった。その姿、中々、勇ましい。

「…ン?…あれ…?あの先頭の一人、何か見覚えあるな。」

準一が気付いた。和泉も気付く。

「…アイツ、城西の応援団部員だったのか!?」

 二人が見つけたのは宏治だった。和泉は反射的に周りを見回す。もしや、あのモヒカンも、何処かにいやしないだろうか?と。

 和泉も、喧嘩であそこまで自分とやり合ったモヒカンに、内心、ライバル心が燃えている。セガワに付いては、撲られた事も当然の事だと、今は思っている。何よりも、あの事で借りが出来てしまった。

 そして少し、憧れに近い様な感情も芽生えている。勿論、男同士のソレである。『尊敬』と言った方が合っているかもしれない。


 宏治も、グラウンドの金網にへばり付く様にして見学している、二人の姿に気付いた。内心、『ヤバイ』とも思う。

 利知未は上級生だから、マネージャーとは言えグラウンドへ下りてくる事も無い。しかし、エール交換の対象にはなっている。瀬川と言って良い物だろうか…?考えるが、FOXのセガワは高校二年と言う事になっている。多分大丈夫だろうと思い直して、そのままエール交換を行った。

 取り敢えず、宏治の心配は懸念に終わった。

 譲渡式は無事に終了し、新団長・結城 一彦、副団・手塚 宏治の、新制応援団が発足した。




             四


 十二月。空気が急に、肌寒さを思わせる様な、冷たさへと変わる頃。

 下宿に気持ちが温まるような、来訪者が現れた。

 来訪者の名前は、葉山 修二。三年前、里沙が下宿を始める切っ掛けとなった朝美の事件で、その頃の朝美を気遣ってくれた実習先生だ。


「本当に久し振りです。この前、実習時代のノートを見つけて。あの頃の生徒と、体育祭の時に撮った写真が出て来たんです。…高田さんが、あれからどうなったのか。ちょっと気になってしまいまして…。」

香り高い紅茶を出して貰い、リビングで里沙と向かい合って話しをしている若者は、今年、二十五歳になる好青年だった。

「態々、有難うございます。朝美は、あれからこの下宿に入って、高校も無事に卒業しました。今は此処から、簿記の専門学校に通っています。」

里沙の笑顔が、何時も以上に優しげだった。

「葉山先生は…、もう先生って言うの変かしら…?」

言い掛けて、里沙はクスリと笑う。彼が実習先生として東城高校に通っていたのは、もう三年も前の、たった二週間だ。

「…はぁ、いえ…。僕は今、都内の高校で教師をしてますから、先生と言うのも間違いでは有りません。」

葉山も変わらない、誠実そうな笑顔を里沙に向けた。

「そうなんですか?…人気、有るのじゃありませんか?」

里沙の、にこやかな表情に、葉山は少し照れた顔を見せる。

「いえ、そんな事は。野沢先生は、まだ教師をされているのですか?」

「私は、ここで小さな事務所を構えて、インテリアのデザインをしています。下宿の大家、兼業ですけどね…。ちょっと、お待ち下さい。」

立ち上がり、仕事部屋へ名詞を取りに行く。

 葉山が一人、紅茶に口を付けて待っていると、リビング隣の廊下を利知未が通りかかった。来客の気配に一瞬、足を止める。

『里沙の仕事相手か?』

そう思って、チラリと来客の姿を目に入れる。

 名詞を持ってリビングへ戻った里沙が、利知未を見つけた。

「利知未、これから出掛けるの?」

十六時前。この季節では、後三十分もすれば日が暮れてしまう。

「ああ。夕飯いらないよ。」

利知未はこれから、敬太と会う約束があった。キャップと伊達眼鏡はポケットの中だ。

「…余り遅くならないでね?心配だから。」

里沙と話している利知未を、葉山が少し振り返って見る。

「分かった。十時前には戻るよ。…失礼します。」

その葉山に軽く会釈をしてから、利知未は玄関へ向かった。

 里沙は、十時前と言う利知未の言葉に、軽く溜息を付いた。

『それでも、練習日よりは早くに帰ってくれるのね。』

そう思い、やや呆れた笑顔で利知未を送り出した。


 この日の約束は、敬太のバイトが終わってからだった。利知未はこれから電車を使い、都内の敬太のバイト先へ向かう。

 敬太と会えるのは十七時頃だ。ある資料を受取る事になっていた。

 勿論、そんな受け渡しはバンドの練習日にしても良さそうな物だが、今の利知未は例え少しでも、敬太と素のままで一緒に過ごす時間が欲しいと思っている。だから、理由をつけて会いに行く。


 葉山は、朝美がバイトから戻るのを待っている。顔を見て元気な様子を確認したいと思った。葉山にとって、教師として初めて教えた生徒だ。朝美は特に、葉山にとって印象深い生徒だった。


 朝美は、それから一時間半程してから帰宅した。その間、里沙は葉山に聞かれて、今までデザインしてきたインテリアの資料を見せながら話しをしていた。勿論、懐かしい思い出話しも出て来る。

「ただいま。」

玄関からの朝美の声を聞いて、里沙は時計を確認して見た。十七時二十分。つい話し込んで、夕飯の支度がまだだった事を思い出す。

「大変。もう、こんな時間…。朝美、お客様よ?」

「誰?」

パタパタとスリッパの音をさせて、朝美がリビング隣の廊下を通りがかりながら、中を覗き込んだ。振り返った葉山の姿に驚く。

「葉山先生じゃん!?懐かしい!どーしたの?」

「どーしたのって事は無いでしょう?朝美の事を気に掛けて下さって、様子を見にいらしてくれたのよ。」

里沙が呆れた顔をした。朝美はまた驚いて、リビングへ踏み込んだ。

「えー、ソーなの!?…本当に?」

少し葉山を疑わしげに見た。…本当は、里沙に会いに来たんだったりして。等と、勘ぐって見る。

「元気そうで安心したよ。…高田さんの顔も見られたし、余り遅くなると迷惑ですね。僕は、これで失礼します。」

言った葉山を、朝美が急いで引き止めた。

「イーじゃない!折角だから、ご飯一緒に食べて行ってよ?あたしも色々、話したいし!」

「そうね、そうして頂きましょうか?どうせ利知未が夕飯いらないって言って、出掛けて行ったから、材料が余ってしまうし…。」

里沙の言葉に、葉山が恐縮して遠慮する。それをまた朝美が引き止める。

 結局、二人に言われて葉山は、その日、下宿で夕飯を戴いて行く事になった。里沙が料理をしている間、今度は朝美が葉山の相手をして盛り上がる。朝美も、葉山には感謝をしていた。


 その夕食の席で、玲子と冴史も葉山に会った。紹介を終えて玲子が言った。

「私が今この下宿にいるのも、その事件があったからと言う事に成りますね。…それなら、感謝しないとならないわ。」

玲子の小さな呟きに、里沙が小さく微笑んだ。

 玲子が初めて入居してきた年。利知未と毎日の様に繰り広げられた口喧嘩も、今の玲子にとっては、良い思い出になっている様に感じた。

「私も、この下宿に来られて、良かったと思うから…。」

冴史も小さく呟いた。

 冴史も、思う存分お話し作りが出来る今の環境を、気に入っていた。

 良いネタ提供者もいる。利知未と出会えたのは此処に入居したからだ。

「里沙さんは、ご自分の夢を実現されたんですね…。」

葉山も笑顔でそう言った。

 それから食後にまた少し話しをして、二十時前に帰宅して行った。



 利知未は十七時過ぎに、敬太に会った。敬太のバイトは飲食業の店員だった。週に三日、バンド活動の無い日はバイトだ。土日祝日が基本だ。

 それで利知未とのデートの日が、中々、取れない。毎週四日は会える事は会えるが、バンド活動中の利知未は、FOXのセガワとして少年らしく振舞っている。帰りの車の中でだけ、利知未に戻る。

「バイト先で、ってのは落着かないから、何処か適当な店を探そうか?」

そう言って街に出た。利知未はキャップと伊達眼鏡だ。指輪も外して、チェーンに通す。その様子を見て敬太が聞いた。

「それ、何時もそうやって持ってるの?」

「え?うん。…だって、敬太と二人でいる時には、着けられないから…。」

少し残念そうな笑顔を見せた。街中で会う時には、服装にも気を使う。身体のラインがハッキリするのはご法度だ。何時、何処で、ファンに見つかってしまうかも知れない。

「…もう暗いし、キャップは脱いでも平気じゃないかな…?」

敬太も本当は、そんな変装をしている利知未ではなく、そのままの利知未といたいのが本音だ。それは利知未も同じだった。

「でも、街の中は明るいよ。」

「…何か、考えようか…。」

「変装、変えるの?」

「…そうだな。返って本当に女の子らしい格好をした方が、誤魔化せないかな…?」

「…ソレって、どんな格好?」

首を傾げる利知未を見て、敬太は何かひらめいた顔をする。

「…洋服、見ようか?」

利知未の手を取り、ファッションセンタービルへ連れて行った。



 先ず洋服を見た。身体のラインが隠れない様な、セーターを選ぶ。

「どう?ソレじゃ、寒いかな…?」

試着室の中の利知未に、カーテン越しに声をかける。

「このセーター、薄いけど暖かいよ。…でも、高いな。」

「心配しないで。バイト料が入ったばかりだから。」

利知未はカーテンを開けて敬太を見た。少しびっくりした顔だ。

「敬太が、買ってくれるの…?」

軽く顔を振り向けた敬太が、ニコリと笑顔を見せる。

「もう直ぐ、クリスマスだから…。プレゼントするよ。」

「…でも、」

「今度はコッチ、着て見てよ?」

敬太が、セーターと同じ素材のミニワンピースを手渡した。何か言い掛ける利知未を、再び試着室へ押し込んだ。

「着替えたら、見せて。」

 試着室の中で、利知未は自分の姿を映す、全身鏡と対面する。少し顔が赤いと、自分でも思った。少し考えて、ワンピースを試着し始めた。

「…これ、やっぱり恥かしいな…。」

制服以外のスカートは持っていない。ワンピースなんて勿論、一着も無い。二年半前の夏、裕一と入った衣料品店で試着して見たのが、初めてだった。その時の事を思い出して、悲しくなる。

「着替え、終わった?」

カーテン越しに、敬太の声がした。

「…ウン。でも、やっぱり恥かしいよ…。」

「開けるよ?」

カーテンが開いて、敬太が鏡に映った。利知未も映り込んでいるその鏡を、敬太が笑顔で見つめた。

「似合うよ。…それにしよう。」

利知未の表情が、少し哀しげだった事は見えていた。

「金、払ってくるよ。着替えて。」

カーテンを閉める。利知未は小さく頷いて、着替え始めた。



 それからビル内を回って、スパッツとブーツと、コートまで選んだ。全部、敬太が買ってくれた。総額で二万くらいは掛かった。利知未は嬉しい反面、申し訳無い様な気持ちだ。

 一揃え買い整え、ビルの手洗い所で着替えた。着てきた服は、今、買って来た服が入っていた、ショッピングバックに押し込む。

 ワンピースは膝丈で、体のラインも隠れない。鏡に映った自分の姿を見て、利知未は凄く照れ臭かった。

 着替えて出て来た利知未を、敬太が嬉しそうな笑顔で迎えた。

「利知未、指輪は?」

「まだ、首に掛けてる。」

「見せて。」

言われて、チェーンを手繰り出す。それを敬太が受け取って、チェーンから外し、利知未の右手に嵌めた。敬太は既に身に着けている。

「これで、在るべき位置に着いた。」

ニコリとして利知未を見る。利知未は照れる。自分の顔が嬉しさで、紅潮して行くのが分かった。

「…でも、本当に大丈夫かな…?」

不安げに呟く。

「…オレは、もしも気付かれたら、その時はその時だと思ってるよ…。そんな事は気にしないで、そのままの利知未と一緒にいたいから。」

優しい笑顔で利知未を見つめる。

「…そーだね…。あたしも、本当は…。」

少し照れて視線を反らす利知未に、左腕を差し出した。その腕に、利知未は自然な感じで自分の右腕を絡めた。ショッピングバックは敬太が持ってくれた。


 ビルの最上階にあるレストラン街へ向かった。値段が手頃な感じの、イタリアンレストランへ入り、初めて恋人同士らしい雰囲気で食事を共にする事が出来た。

 幸い、FOXファンには見つからずに済んだ。


 食事をしながら、敬太が約束の資料を渡してくれた。

「一応、他校から入学してきた友達に頼んで、貰ってきたけど…。」

高校の資料だ。三、四校分あった。

「サンキュ。この中に、良い所があれば良いんだけど…。」

笑顔で受け取って、ざっと眺める。

「将来はどうするか、決まってるの?」

「…うん、一応。…裕兄の夢を、あたしが引き継ごうと思ってるから。」

「裕一さんの夢?」

「…医者に。」

敬太は初めて、利知未が考えている進路を知った。

「…そうか。それなら、理数系に強い所を選んだ方が良いね。」

少し驚きながらも、笑顔で利知未にそう言った。



 食事を終え、二十時半頃。敬太と利知未は腕を組んで、駅に向かっていた。

 途中、広い公園を突っ切って行く。そこを回り込んでは、倍近くの時間が掛かる。

 二人でいられる時間は長く欲しいが、利知未はまだ中学生だ。傍目には、その長身と大人びた外見で、高校生くらいにも見えるが、余り遅くまでは連れ歩けない。

「今日は車で来てないからな…。送って行けなくて、ごめん。」

「良いよ気にしないで。…それより、今日は散財させちゃってごめん…。」

やや俯いて歩く様子が、いじらしく見えた。

「…服、ありがとう。」

敬太の顔を、少し下から覗き込んで笑顔を見せる。その笑顔は可愛らしかった。…綺麗にも見える。敬太は改めてどきりとした。

『…何時も、こんな風にしていられたら良いのにな…。』

そう思う。その思いは、利知未も同じだ。

『本当はもっと、…もっと、敬太とこうしていたい…。こんな気持ち、初めてだ……。…敬太と…、……敬太に……。』

その先の思いは、言葉で表現するのは恥かしい。そして、その思いは。

 …悲しい記憶も呼び覚ます。

 目を閉じても、耳を塞いでも心に甦る…。辛く、そして口惜しい記憶。

 …由美と言う少女の、悲しい思い出…。

 敬太に対してのその想いが強くなるほど、…由美の想いも思い知る。


 哀しそうな、口惜しそうな利知未の表情を見て、敬太の足が止まった。利知未の足も止まる。

 敬太に身体の向きをそっと変えられ、瞳を覗き込まれる。

「…利知未、どうしたの…?」

「…どうって?」

「泣きそうな顔、してるよ…。」

利知未の瞳が揺れる。まつげが微かに震える…。眉が、哀しげな角度に歪んでいく…。唇も、何か言いたげに小さく開く…。

 涙が零れてきそうな予感に、利知未は慌てて俯いた。

『もう、敬太に泣き顔は、見られたく無い。…笑顔でいたい…。』

「…ごめん。そんな顔、してた…?」

無理に作った笑顔を、その笑顔の裏の心を、敬太は受け止めた。

「利知未…。」

抱きしめる。無理は、しないで欲しい…。責めて自分の前でだけは。

 暖かい敬太の腕に抱かれて、利知未の心が、少しずつ和らいでいく。

『…もっと…、…もっと強く、…敬太を感じたい…。』

『…利知未の、全てを…。』

 腕の中の利知未は、今、本当の、本来の姿を取り戻している。

 少女としての、…これから女へと成長をして行く、丁度その中間…。

 異性を愛しいと想う気持ちを持った少女が、その先への階段に一歩、足を踏み出した。

 …気持ちは高まる。けれど、利知未はまだ十五歳。


 二人の想いは、その距離を駆け足で縮めて行く。

 目と目を合わせ、お互いの心を確認している。

 利知未が目をそっと閉じ、敬太は、その求めに応える。


 暗い街燈の明かりが、ほのかに公園の冬枯れの樹木を照らし出す中、二人は静かに唇を重ねた。


 利知未の中で、また女の心が成長を遂げる…。

 敬太の中で、利知未を抱きたいと言う想いが強まった…。


 唇が軽く離れた。まだ、足りない。もっと近くに…。もっと、強く。

 けれど、敬太は小さく呟く。

「利知未は、まだ十五だからな…。オレも、もう少し我慢しないと…。」

その言葉の裏に秘められた想いを感じ、利知未は自分の中で疼く何かに気付いた。想いが、素直に言葉と成る。

「…あたしが、我慢、出来無いよ…。きっと…。」

敬太は堪えた。…まだ、駄目だ。彼女を傷付ける事に成ってしまう…。

「…もう少しだ…。もう少し…。」

呟いて、抱きしめる腕に力を加えた。

 敬太の優しさが歯痒くもあり、安心感にもなる。

 利知未は、力が加わったその腕に身を委ね、そして自分の腕にも力を込める。強く抱き締め合い、想いを徐々に鎮めて行った。

『大切に、してくれてるんだ…。きっと…。あたしが我が侭言っちゃ、駄目だ…。…今は、これが…。…でも、』

でも、もう一回…。…責めて、キスをして…。

 熱い想いが篭った利知未の瞳に、敬太は、もう一度応えてくれた…。


 駅までは、今まで以上に確りと、腕を絡め合い歩いた。

 敬太は途中の乗り換え線の駅で、降りて行く。もっと二人でいたい気持ちを抑えて、利知未は、笑顔を作って手を振った。


 下宿に着き、自分の服装を改めて見る。

『この格好、皆に見られたら…恥かしいな。』

そう思って、利知未は黙って玄関を入った。リビングの扉が閉まっていて、ほんの少しホッとする。

 誰にも見つからない様に注意して、急いで自室へ向かった。




         五


 冬休みが近付いた、その頃…。

 利知未は芽生えたばかりの女の心で、敬太を強く求めている自分の気持ちに、戸惑っていた。

『利知未は、まだ十五だからな…。』

そう言って強く抱き締めてくれた敬太の、その時の言葉が、頭の中から離れない…。

『…こんな気持ち…、恥かしいな…。』

勉強机の前に掛けてある、三十センチ四方程の鏡に、自分の顔を映し見ては、溜息が漏れる。

『十五って、やっぱり、マダマダなのかな…?』

何に対してマダマダなのか。その部分に考えが触れる度、利知未は恥ずかしさで、顔が赤くなってしまう。

『…誰かに、相談して見ようか…?でも、いったい誰に…?!』

貴子や鵜野には、やはり聞けない。里沙や朝美にだって、恥かしい。団部の男達になんて、それこそ聞けない…。アキも、FOXの活動中は、セガワとして男らしく振舞っている自分だ。やはり聞けない…。

『…!美由紀さん。…美由紀さんになら。』

思い立って、時計を見た。火曜の十九時を指した頃だ。今ならバッカスは開いている。

 思い付くと、居ても立ってもいられなかった。

 利知未はクローゼットから、先週の日曜に敬太が買ってくれた一揃えを出して来て、着替え始めた。それなりに、少し大人っぽく見える格好でなければ、営業中のスナックには、入り難い。

 着替えて指輪も身に着け、利知未はそっと部屋を出た。

 足音を忍ばせて玄関を出る。外はもう真っ暗だ。利知未は早足で、駅北商店街の外れへと歩き出した。



 バッカスに着き、鈴を鳴らして扉を開き、そっと覗き込んでから足を踏み入れた。客は一つのボックス席を占めている、四人だけだった。

「いらっしゃいませ!」

笑顔で振り向いた美由紀が、利知未の姿を見て少し驚いた顔をした。

「あら、利知未!…珍しい格好してるわね?」

美由紀は何時も、離れて暮している娘が帰って来た時かの様な、そんな雰囲気で利知未を迎え入れてくれる。…酒も、出してくれる。…話しの解る母親だ。

「…変かな…?今、忙しい?」

ちょっと照れた様子の利知未に、優しい顔で首を振る。

「そんな事、無いわよ。良く似合ってる。…その格好を態々、見せに来てくれた、って言う訳じゃないわよね?」

小さく頷いて見せた利知未を、笑顔で手招いてくれた。

「いらっしゃい。カウンターの方が良いわね?」

利知未が頷いて店内へ進む。先客が酔い始めのイイ感じで美由紀に聞く。

「誰が来たんだい?雑貨屋のジイ様か?」

「違うわよ。…娘が遊びに来てくれたの。」

「娘!?美由紀ちゃんは、息子二人だったよね?」

うんうんと頷き合う様子を面白そうに見て、美由紀が答える。

「最近、娘と息子が増えたのよ。さ、利知未。」

少し足を止めてしまった利知未を、もう一度、手招く。

「私の可愛い娘よ。利知未って言うの。熊さん達も可愛がってあげて。」

利知未の両肩に優しく手を置いて、常連の客に紹介した。

 熊さんと呼ばれた男性には、見覚えがある。夏の補導事件の時、宏治を美由紀と一緒に、迎えに来た男性だった。

 利知未がバッカスに顔を出すのは、何時も開店前だった。営業中に邪魔をするのは、流石に遠慮していた。半年近く前に一度、見た切りの利知未を、商店街肉屋店主・大熊は、見覚えていなかった。

 あの時は、セガワとして少年として振舞っていた。今、ワンピース姿の少女らしい利知未を見ても、ピンとは来なかったらしい。それには少し、安堵する。


 カウンターの片隅に腰掛けると、美由紀が薄い水割りを作って出してくれた。利知未は今日の相談内容を、素面で話すのは恥かしかった。素直に、その水割りに口を付けた。

「…何か、悩み事?」

グラスを半分ほど空け、やっと少し落着いた利知未の様子を見て、美由紀が優しく聞いてくれた。酔っていた訳では無かったが、そんな振りをして、利知未がポツポツと話し出す。

「…美由紀さん、あたしと同じくらいの頃、恋人っていた…?」

利知未のイメージに、余り無かった質問をいきなり投げかけられて、美由紀は一瞬だけ目を丸くする。直ぐに優しい母親の顔になる。

『そんな年頃よね…。』

自分にも覚えがある事だ。

 …利知未は今、そう言う事柄に一番、戸惑う年かもしれない。

「ソーね。いたかしら…?」

自分の記憶を甦らせて、その頃、好きだった男子生徒の事を思い出す。

「…十五歳って、やっぱり微妙なのかな…。」

利知未は小さく呟く。常連組は盛り上がっていて、利知未の呟きは届いていない。

「微妙って?」

「…、好きなヒトと、…ソーいう事したいって思うの、やっぱり変な事かな…。」

真っ赤になって俯いてしまう。やっぱり、恥かしい。

 …呆れられるかな?怒られるかな?…笑われるかな…?

 恥かしさに堪え切れなくなり、利知未は残りの水割りを一気に飲み干してしまった。…少しだけ、酔いが回った。

「そんな飲み方して…。大丈夫?」

小さく頷く。美由紀は考えて、ロックにしてお代わりを出した。

『アルコールがきつい方が、無茶飲み出来ないかもしれないわね…。』

利知未が、どうやら酒に強い体質らしい事は、何回か見て気付いていた。

 だからと言って良い事では勿論、無いが。…きっと今、利知未には必要なのかもしれない。随分恥かしいのを我慢して、話している様子だ。

「…普通の事だと思うわよ…。利知未、もう生理あるでしょ?」

聞かれて頷いて、何故そんな質問が出たのか、後付けで考える。

「…心が追い付けないの。今はまだ。…私は、そう思うわ。」

「…どう言う事…?」

「…そうね、どう言ったら良いのかしら…。」

軽く首を傾げて考える。身体の成長、心の成長。利知未はまだ十五歳…。

「…そう感じられる相手がいるって事は、本当は凄く素敵な事よ。」

相手の人柄、環境も判らない。下手な事を言うのは返っていけない。

「…敬太が、『利知未は、まだ十五だから、オレも、もう少し我慢しないと』って、そう言ってた…。」

ロックも三分の一ほど飲んで、もう少し酔いが回って来ていた。ポロリと恋人の名前を漏らしてしまう。

 けれど、美由紀には少し安心出来る情報だった。少なくとも、遊びや、不真面目な気持ちで利知未に対している相手では、無さそうだ。

「…そう。…イイ恋人ね。敬太君って言うの?」

問われて小さく頷いた。…きっとお酒の所為だ。何か、素直になれる…。

「…でも、あたしは…。」

それでも肝心な言葉にはブレーキが掛かる。…やっぱり、恥かしい…。

「やっぱり、いけない事なのかな…?こう言う気持ち。」

少女と女の狭間で揺れる、利知未の想いは良く判った。

 ただ、やはり、まだ早過ぎると思う。美由紀も人の親だ。

「いけない気持ちって事は、無いと思うわ。…でも、その敬太君が利知未の事を本気で大切に思ってくれて、そうして我慢してくれているのなら、利知未も、もう少し大人になって、落着いて考えないとね…?」

「…こう言う気持ちは、持っててもイイのかな…?」

酒で潤みかけた瞳を、美由紀に向けた。真剣なその瞳に、美由紀は優しく微笑んで見せる。

「…女だもの。当たり前の感情よ。…でも、まだ利知未は、大人に成り切れてもいないのよ。焦らず、ゆっくり。その関係を大切になさい。」

美由紀の優しい言葉に、利知未の心が少しだけ安静を取り戻す。

 ゆっくり、確りと頷いて見せた。

「敬太君って、何時か車で私達を送ってくれた、あの男の子?」

環境は確かめておかないとならない。…母親として。

 頷く利知未。再び美由紀を見たその瞳に、人を愛しく想う事を知っている者だけが持つ、柔らかい光りを宿す。

「…どんな子?優しそうな感じだったわね…。」

敬太の事を思い出しながら、美由紀が言った。

「…うん。優しくて、暖かい。…敬太と居ると、裕兄といた時みたいに安心出来る…。」

「大学生?」

「大学一年。だから、優兄と同い年なんだけど…、全然、違うよ。」

美由紀は、また少しだけ安心する。妻帯者や社会人が相手というよりは、中学三年の利知未の相手として、理解出来る範疇だ。

「今度、改めて紹介してね。私がじっくり吟味してあげるわ。」

「分かった。…でも、宏治や他の皆には、言わないで。」

落ち着きを取り戻した、利知未の照れた様な笑顔に、美由紀はやっと胸を撫で下ろす気分だ。

「そうね、私と利知未だけの秘密にしておきましょう?」

頷く利知未は、とても少女らしい雰囲気だった。美由紀は娘らしく成長をして来た利知未を見て、嬉しい気分になった。



 冬休み最初のライブは、利知未の知り合いのオン・パレードになった。

「やっと冬休みに入ったし、受験勉強の息抜きに皆で行って見ようよ!」

貴子が言い出して、高坂、大野、宏治。そしてクラスメートの、鵜野と細川カップル。それらが、連れ立ってやって来た。

 更に、偶然にも川上中学コンビ・準一&和泉が現れ、赤毛のモヒカン倉真まで、姿を表した。

 利知未は内心、また騒ぎが起こるのでは無いかと冷や冷やしていたが、倉真と和泉も前回の事は反省しており、店の中では大人しくしていた。

 セガワに、憧れと尊敬の念が芽生えてもいる。無茶をしてまた迷惑を掛ける事だけはしないようにと、そう思っていた。


 利知未はセガワとして立っている間、今まで以上に自分の少女としての想いにキツク、蓋をした。敬太はバックでドラムを叩きながら、その後姿を見つめる。…セガワの時の利知未は、益々男っぽくなっている…。

『苦しくは、無いのだろうか…?』

偶に、そんな気持ちが、ふと頭を過る。

「今年もFOXを見てくれてありがとう。次はニューイヤーライブで!」

ラストの曲が終わり、セガワがマイクに向かって締めた。

 いつものMCは、やはりリーダーがするが、何かの区切り時の挨拶は、最近はセガワがしていた。セガワファンが多いからだ。


 ステージを次のバンドに空け渡し客席に下りると、早速ファンに取り囲まれてしまう。セガワは相変わらず、イイ男っぷりを発揮している。

 カウンターの近くでは、宏治と倉真が話している。そこへ和泉が近付いて行く…。準一は少し、ワクワクした顔でついて行く。

 近寄って来た剃髪頭に気付いて、宏治が注意深い視線を向けた。その宏治の視線の先を、倉真も振り向いた。ニヤリと、不敵な笑みを漏らす。

「何だ、この前のケリでも、着け様ってのか…?」

倉真の挑戦的な態度に、宏治が構え、鋭く小さな声で言う。

「倉真。ここで騒ぎを起こすな。」

「…判ってるよ。」

本当に判っているのかと思う様な、挑戦的な睨みを和泉に向けた。

 和泉は軽く手を上げて、その倉真をいなす。

「心配するな。俺もここで、騒ぎを起こす気は無い。」

宏治に言う。そして倉真には軽く一睨み。火花が見えたような気がして、準一はワクワクと、好奇心いっぱいの目を見開く。

「…何の用だよ?」

「お前じゃない、そっちのヤツ。…お前、城西の応援団だったんだな。」

倉真の言葉を無視して宏治を見た。倉真はその態度にカチンと来る。それに気付いた宏治が、倉真を軽く見て注意を促した。

「倉真!」

「…分かってる…。」

準一は何処までも呑気に、これから先の展開に期待する。宏治は剃髪頭に視線を移し、呼びかけようとして、名前も知らなかった事に気付く。

「…悪い。お前の名前、知らなかった。おれは手塚 宏治。さっき言ってた通り、城西中学応援団・副団だ。」

平団員ではない為、そこまで自己紹介をする。近隣校に睨みを効かせなければならない立場としての、義務みたいな物だ。それも仕来りだった。

「俺は川上中学二年、萩原 和泉。こいつは、一年の渡辺 準一。」

「同じ学年だったんだな。上かと思ったよ。」

宏治の言葉に、和泉は軽い笑顔を見せた。宏治の事は特に意識している訳ではない。それ所か、尊敬するセガワの親しい知り合いの様だ。

 宏治は、面白く無さそうな顔をしている倉真の様子を気に掛けながら、川中コンビと会話を始めた。


 カウンターでは、FOXのリーダーと高坂、大野、貴子が話していた。

 鵜野が敬太の傍へ行き、細川がその近くに着いていた。

「敬太さん、ちーっす!相変わらず格好イイね!!」

言いながら、店員からコーラのグラスを受取った鵜野が、敬太の隣に座った。細川は面白く無さそうに、やけっぱちな感じで店員にビールを注文した。利知未と約束の一杯は飲んでしまっていたが、焼き餅半分の自棄酒だ。始めの一杯を飲んで時間も経っていたので、酔う事は無い。

「…利知未さんね、最近、学校で凄く可愛いんだよ?」

小声で囁く鵜野に、敬太は少し照れ臭そうな笑顔を見せる。

 夏のデートを鉢合わせした後も、鵜野は偶にライブに現れていた。

いつもは直ぐに帰っていたのが、あれ以来、ファンの相手に忙しい利知未に声を掛ける変わりに、敬太に声を掛け、少し話してから帰るようになっていた。細川も、その内の何度かは一緒に来ていた。

 その鵜野の隣に、細川がビールを飲みながら腰掛ける。そのまま三人で話しを始めた。


 その席から少し離れた、同じくカウンター席では、貴子が始めて見たライブの感動を、いつも通りの積極的な態度で、初対面のリーダーに話している。高坂と大野も、隣で楽しそうだ。拓もその輪に加わった。

「それにしても、利知…、じゃない。セガワって本当に格好良いんだ。びっくりしちゃった!初めてまともに、セガワの歌を聞いたんです。音楽の時間はサボりの常習犯だったから。」

最後は小声だ。少し周りを気にする。貴子も利知未を困らせるような事はしたくない。リーダーは、ニコニコして聞いている。

「貴子ちゃんだったよね?利知未は最近、学校でも落着いてるの?」

拓が聞いた。学校の話しをするのなら、利知未と呼んだほうが安全だ。貴子も賢く、そこを汲み取る。

「はい。夏休み前までは、まだ、ちょっと心配だったんですけど、…夏休み終った途端、なんか落着いた様子で学校に来たんです。」

ニコリと笑顔を見せる。拓もリーダーも、敬太と利知未の関係は薄々、気付いていない事も無い。へー、と言う顔をして、チラリと敬太を見る。

 敬太は、鵜野と細川の話し相手で向こうを向いており、二人の意味ありげな視線には気付かない。


 やっとファンの群れを抜けた利知未は、宏治達の所で話していた。

「お前等…。何時の間に仲良くなったんだ?」

川中コンビと宏治の様子は、平和的だった。ただ一人、倉真だけが平和的な会話に茶々を入れて行く。利知未はセガワらしく振舞いながら、呆れてその様子を眺めた。…少し面白くもあった。

 一人、浮いた感じになる倉真に、セガワが話しを振った。

「お前、倉真って言ったよな?宏治の家までバイクで来たって?」

気さくに話し掛けられて、倉真は少し感動する。柄にも無く照れる。

「セガワさんは、免許は?」

セガワさん、と来た。その様子に、宏治も軽く笑顔になる。

「今、金貯めてるんだ。貯まったら取りに行くつもりだ。」

男っぽい、セガワスマイルで返事をする。…こいつ、始めの印象よりはマシなヤツかもしれない…。そう感じた。

「けど、乗るんスよね?」

ニッと笑顔を返して、倉真が聞く。イメージではそう感じている。

「まぁな。今は弄れるバイクも無いからな。免許取ったら次はバイクだ。」

本当に男同士のような会話に、宏治はまた感心する。

「今度、ダチのバイク貸しますよ?」

「…って言うか、大事な弟分、あんまヤバイ事に巻き込むなよな?」

笑顔を見せながら釘を指した。宏治もそれを聞いて、バツの悪そうな笑顔を見せた。

 そのまま暫く話しをしてから、セガワは高坂達の席へ移動した。

「…やっぱ、イイな。…格好イイよ。」

セガワが高坂達と話しをしている後姿を見ながら、倉真が呟く。ついつられて、和泉と準一も頷いてしまった。

 目が合い、お互いに照れ臭い顔をした。宏治は取り敢えず安堵した。



 今年の正月は、裕一はいない。

 利知未は、一月二日。大叔母の墓参りにだけ、優と出掛けて行った。

 裕一の四十九日法要と、初盆の墓参り以来、久し振りの再会だ。利知未は去年、忙しい生活の中、月に一度は裕一の墓参りに出掛けていた。

 大叔母の墓石に頭を垂れて、利知未は礼を言った。

『裕兄は、雪崩に巻き込まれて死んじゃったけど…。それでも、身体があれだけ揃って帰って来れたのは、きっと、ばあちゃんのお蔭だね…。』

思うと泣きたくなる。けれど、その事だけは、やっと落着いて来た利知未の心を、僅かだけでも救ってくれる事実だ。だから、礼を言った。

『裕兄の墓参りに行くと、どうしても泣いちゃうけど…。』

人に泣き顔は見せたくなくて、いつも一人で、出掛けていた。

『けど、あたしは…。…裕兄の夢を代わりに叶えるまでは、もう二度と人に涙を見せないようにするよ…。』

そして顔を上げ、哀しげでも強い決心を秘めた瞳を墓石に向けた。

 頭を上げた利知未を後ろから見つめ、優が声を掛ける。

「…行くか。」

利知未は頷いて静かに立ち上がり、優を振り向いた。笑顔を見せる。

「次は、裕兄の一周忌だな。優兄、病気すんなよ?」

 随分、大人びてきた利知未の笑顔に、優は心の中で呟いた。

『利知未も成長してるぜ…?兄貴。ばーちゃん達も、見てるかな…?』

向きを変え、残された兄妹二人、仲良く並んで帰途に着いたのだった。




         六


 三学期。受験勉強に追いまくられるクラスメートを尻目に、利知未は相変わらずバンド活動に忙しかった。

 それでも受験生のセガワを気遣い、FOXの練習日は、この頃、漸く週三日から二日へと戻された。曜日も火曜・水曜に戻った。

 利知未も今は、歌だけに心の解放を求める事は無くなっていた。それ以外の周囲の状況が、慌しく動き出した所為もある。


 最近、倉真が益々、宏治と仲良くなり、家だけではなくバッカスにも表れる様になっていた。和泉と準一も、宏治とは因縁がある訳では無い。隣の学区内と言う近距離に生活している事も知れた今、良く宏治の家やバッカスまで、顔を出す様になっていた。

 利知未はお蔭で、登下校時にも気が休まらない。

 休日に近所へ出かけるのも、キャップと伊達眼鏡の愛用だ。思い付いて最近、登下校時にも伊達眼鏡をかけて見る事にした。


 学校での利知未は益々、可愛い感じになって来ていた。後二ヶ月と少しで卒業してしまうこの時期になって、隠れて利知未に好意を抱いていた少年達から、告白合戦を受けている。

 利知未はびっくりした。今は敬太と言う恋人を得て、利知未自身が人を好きになる感情に付いて、理解出来る様になっている。

 告白してくる少年達の大半は、どちらかと言うとファン精神や、憧れに近い感情を持って、その思いを伝えてくるのだが、利知未は冷たくあしらう事は、しなかった。

 宏治も、そんな利知未に驚いていた。つい去年の秋頃まで、利知未にはそう言う色恋沙汰に、興味が無い様な印象を持っていた。

 ところが利知未は、そう言った少年達に、相手が誰かは明かさずに『恋人がいるから』と言って断りを入れている。

 それが噂で聞こえて来て、漸く利知未の学校での様子が随分、女らしくなって来ていた事にも合点がいった。あれは去年の夏休み過ぎ頃からである。と言う事は、その頃からそう言う相手が居たと言う事かと、改めて驚かされた。

 佐々木は、その噂が聞こえて来た頃、見た目に明らかに落ち込んでいた。それでも憧れの感情が消える事も無く、相変わらず学校で利知未を見かけては、照れた様子で俯いてしまう。宏治は、その様子にも注目していた。


 二月に入り、私立の高校受験から始まった。

 高坂と大野は、親に『私立のランクが低い所でも良いから、取り敢えず、高校だけは行ってくれ』と、去年の夏から泣かれていた。

 成績もさほど差の無い二人だ。どうやら高校まで、友人関係が続いて行きそうな感じである。二人の志望校は同じだった。


 一足先に受験を追えてきた二人と、久し振りに部室で話しをした。

「どうだった、受かりそうか?」

ニコリと聞いた利知未に、二人は力の抜けた笑顔を見せる。

「まーね。併願してなきゃ、余程な理由が無い限りは入れてくれる学校だからな…。おれ等の場合、喧嘩騒ぎが漏れなきゃの話しだけどな。」

大野の言葉に、高坂も頷く。

「ま、部活の部長・副部長経験者って事で、いくらか誤魔化し効いてくれた様だったけどな…。」

「なんの部活か、聞かれなかったのか?」

「…聞かれたよ。」

「それで大丈夫なのかヨ?」

面白そうに利知未が笑う。笑い事ではないのは確かだが、笑う以外、無いのも確かだ。

 近隣の高校では、城西中学応援団部は結構な有名さだ。

「瀬川のお蔭で、テストは何とかなったから、…大丈夫だとは思うけどな…。」

片頬杖を突いて溜息をついて見せる高坂を、クスクスと笑って眺める。

「ま、合格したら、皆で集まって騒ごうぜ?」

利知未の言葉に、二人はやっと普通に笑顔を作る。

「ソーだな…。お前の方は、滑り止めも受けないで平気なのかよ?」

「誰に言ってんだよ?あたしの成績、知ってるだろ?」

ニヤリと笑って見せる。

「そりゃソーだ。釈迦に説法って言うのか?コー言うの。」

大野の言葉に、利知未が言い返す。

「チョイ違う。でも、ま、言いたい事は解った。そんな難しい事じゃなくっても、余計な心配ってンで充分だろ?」

「…それもソーだ…。受験勉強で頭クタクタだよ。おれ等はもう関係ネーし、また来週辺りのチケット売ってくれよ。気晴らしに行きたいし。」

高坂に目配せをした。高坂も頷く。

「そーだな。久し振りに行くか!?」

「毎度。じゃ、折角だから、いつもより負けてやるよ。千円でどーだ?」

「イイのかヨ?金、溜めてんだろ。」

「イーよ。今回だけな。」

 利知未は、部室にいる時だけは、昔まだ裕一が生きていた頃の様子に戻る。その様子を見ると、高坂も大野も少しホッとする。先輩から引き継がされた、利知未を守ると言う大役を、それでも何とか無事にこなしてこれたんだなぁ…。と、胸を撫で下ろす気分だ。

 利知未も、FOXの事も敬太の事も関係無く、昔の気分を取り戻す事が出来るこの場所は、大好きだった。…ここにはいつも、仲間がいる…。

 その大好きな場所とも、後、一月ちょっとでお別れだ。

 一年の頃、同じ時期に櫛田が、この場所で感慨深げに呟いていた様子を、思い出す。『珍しい』と、からかった利知未に、『タマにはこんな気分になる事だってあンだよ。』と、軽く睨みを効かされた。


 あの櫛田に対して抱いていた不思議な感情が、どうやら自分の初恋であった事は、もう気付いていた。櫛田の事を思い出す時に感じる、甘酸っぱい様な感覚は、今の利知未にはくすぐったく、何となく気恥ずかしい感じである。

 その思いでクスリと笑ってしまった利知未を見て、高坂と大野はまた、利知未の少女らしい部分を意識した。ちょっと、どきりとする。

 高坂は首を軽く振って、その感じを頭から払い落とした。

 大野は素直に、その感じを受け入れる。だからと言って、利知未に対して特別な感情を抱いているつもりはなかった。

 ただ、自分の周りを見ても、この三年間でこれ程までに急激に成長を遂げた同級生は、他に知らない。

 そう言う意味で何となく、何時までも心に残りそうなダチであるとは思っている。大野は、頭で考えるタイプだ。

「今週のチケットは売り切れてるから、来週分で構わないか?」

物思いを頭から払って、利知未は目の前にいる二人に話しを戻した。

「ああ、構わネーよ。来週って十四日だな?」

高坂に日付の確認をされて、敬太の事を思い出した。

 今年の一月四日。敬太の誕生日を、彼のバイト後に待ち合わせて祝った。その時に用意したプレゼントで、もう一つの候補と最後まで悩み通した物があった。

『バレンタインデーか…。この前、渡しそびれた方、プレゼントしようかな…?…まだ、売ってればイイけど…。』

再び、少女らしい様子で物思いに入った利知未を見て、高坂と大野は顔を見合わせて、首を傾げたのだった。



 十四日のライブ。セガワは多くの少女ファンから、プレゼント攻撃を受けた。その様子をカウンターから眺めている高坂と大野は、やや呆れた表情だ。相変わらず、凄い人気だ。

「オレ達も少し貰ったけど、やっぱアイツには敵わないな…。」

リーダーも少し呆れた顔で、その様子を眺めていた。

「リーダー、拓!敬太も。はい。一応、義理チョコ。」

アキが三人に、デパートのワゴンで山積みにされて売られている、正しく義理チョコらしいチョコレートを手渡した。そして高坂と大野には、もう少し見栄えの良い物を渡してくれる。

「コッチは、FOXの男の子ファン用。いつもありがとう。」

綺麗可愛い元FOXリードボーカル、アキからチョコを渡されて、二人は少し照れた。頭を掻いて礼を言う。

「二人共、利知未と同学年なのよね?進路は決まったの?」

学校の話しをする時は、利知未と呼んで話す。それが一番、安全だ。

「一応。昨日、学校に合格連絡が来ました。」

「そう!おめでとう。利知未とは、違う学校になるのよね。」

「そうなります。」

「そっか…。でも良かったらまた、ライブ見に来てね。」

「うっす!勿論、見に来ます。…瀬川との約束もあるし。」

大野が言った。高坂も頷いた。

 利知未との約束。由美の事件後に、真剣な目で言われた言葉。

『これからあたしが、どんな風になっていくのか、見ていてくれよ。』

そう言って、その後。

『ステージ上で少しでも女が見えたら…、その時は、必ず教えてくれ。』

そう、頼まれた。

 今までを見る限りでは、二人ともそれは感じない。しかし、本当に男女の差が現れるのは、恐らく高校生になった後だろうと思っていた。

『瀬川は、まだ贖罪を受ける必要を感じているのか?』

大野は思う。それでもダチとして、その約束は果たさなければならない。

 高坂も同じ気持ちだ。幸い、大野とは同じ高校に進む事に成る。利知未の、セガワとしての限界判定人としては、都合が良い事だった。



 ライブの後、高坂と大野には悪いが、今日は敬太の車で帰る事にした。

 バレンタインデーのプレゼントが多くて、電車で帰るのは一苦労だ。それに、利知未から敬太に渡したい物もある。

 この頃、流行っている物で、ペンダントヘッドが鍵と鍵穴に分かれている、男女のペア・ネックレスがあった。

 指輪はやはり着けていられないけれど、ペンダントなら平気だろうと思った。それで、誕生日に贈ったプレゼントと最後まで悩んだ物だ。

 それに何となく、誕生日のプレゼントは相手の欲しい物、役に立つ物を贈るのが、良いだろうと思ってもいた。

 しかし、恋人同士が気持ちを伝え交わすバレンタインデーなら、返ってこう言う、二人の絆を深めてくれそうな物が、相応しいとも感じた。

「本当は、もうちょっと違う格好の時に、渡したかったんだけど…。」

利知未は暖房の効いた車の中で、責めて男物の上着だけは脱いだ。その様子を見て、敬太は車を路肩に寄せた。

「バレンタインデーだから、チョコ、渡そうと思ったんだけど…。それだけじゃ詰らないから。…これも、受け取ってくれるかな…?」

脱いだ上着のポケットから、片手に収まってしまう小さな箱と、細長い、ラッピングされた箱を出して手渡した。

「ありがとう。開けて良いかな?」

笑顔を返してくれた。頷いた利知未を見て、包装を剥がす。箱から出して見ると、鍵形のペンダントヘッドのネックレスが出て来た。

「…指輪じゃ着けていられないから…。あたしの鍵穴と、ペアなんだ。」

身に着けていたネックレスのチェーンを手繰り出し、自分のペンダントを敬太に見せる。照れた笑顔が可愛らしかった。

「ありがとう…。そうだね。これならライブの時も身に着けられる。」

「…着けてくれるの?良かった…。…ありがとう、嬉しいよ…。」

益々、可愛らしい笑顔を見せる、利知未に頷いて見せ、その場で身に着けようとした。ネックレスの小さな繋ぎ目が、上手く通らない。それを見て、利知未が手を伸ばし繋ぎ目を止めた。

 二人でペンダントヘッドを見せ合い、微笑み交わす。そのまま暫く見つめ合い、キスを交わす。唇を合わせる度に、お互いを求める気持ちは高成って行く…。

 敬太は、また堪えた。利知未も、我慢した。

『利知未も、もう少し大人になって、落ち着いて考えないとね…?』

そう優しく諭された、美由紀の言葉を思い出す。

『…責めて、十六に成るまで…。そうしたら、あたしは……。』

…そう、心に決めていた。



 バレンタインデーから十日後。二十四日・月曜日。

 利知未は裕一の一周忌の法要に出席するため、学校を欠席した。

 一月半振りに再会した利知未の様子が、また少し大人びてきた様な気がして、優は繁々と妹を眺めた。

「…なんだよ?」

言葉は、どうやら相変わらずそうだった。

「…いや。別に…。」

優は視線を外して誤魔化した。

 優にも大学に入って、好い相手が出来ていた。

 二つ年上の女性で、裕一の死後、ショックを受けていた優の事を、色々と気に掛けて力に成ってくれた人だった。

 彼女が来年、大学を卒業するまで関係が続いていたら、結婚しようと言う約束まで交わしていた。

 まだ利知未に言えないでいる。何しろ、もし本当にそうなったのなら、優は学生結婚をする事に成る。

 ただでさえ、家族に知らせるのは照れ臭い事なのに、そんな大それた事を考えている関係など中々、口に出す事は出来ない。

「優兄、なに考えてるんだよ…?」

そっぽを向いて何か考えている様子の優に、利知未は、疑わしげな視線を横目で向けた。

「…何も考えてネーよ。お前こそ受験、大丈夫なのかよ?」

「優兄とは違うからね、心配無いよ。…心配は別の所にあるし。」

最後を小さく呟く利知未の言葉に、優はすかさず突っ込んで聞いた。

「なんだよ?心配って。」

 利知未の心配は、高校に入学してからの事だ。もし、その高校にFOXのライブを見た事がある生徒がいたら…、マズイ事に成りそうだ。

 それは吟味して、どちらかと言えば横須賀に近い立地の高校を選んでいるが、心配なのは変わらない。

 利知未が選んだ高校は、以前、裕一に聞かれて答えた通り、私服登校可能な、自由な校風の学校だ。そして実は、入試レベルの高い学校だった。利知未の成績でやっと、ほぼ合格出来るだろうと言われるレベルの高校だ。それでも利知未は、滑り止めを受けない事にした。

 そこしか受けないと決めておけば、嫌々ながら受験勉強にも力が入るだろうと、自分を追い詰める事にした。面倒臭がりな性格は中々、直らない。だから自分を追い詰めて、頑張る事にしたのだ。

「ま、優兄には関係無いよ。…そろそろ、始まる時間だよ。」

「そうだな。移動するか…。」

法要が始まるまでの、待合室代わりに設定されている寺の一室から、二人は親戚一同よりも、早めに退出して行った。

 その様子を、母が来られないと言う連絡を受け、責めて二人の助けになってやろうと、駆け付けて来た父親が、切なそうに見送っていた。



 受験を三月の始めに終え、無事、合格連絡を受け、更に約一週間後。

 三月十八日。利知未達の卒業式がやって来た。


 当日は午後から登校すれば良かったのだが、利知未は昼前に登校して来て、応援団部室に向かった。

 色々と思い出深い場所だ。式が始まる迄の僅かな時間だけでも、その場所でゆっくりと過ごしたかった。



 誰も居ない部室に入る。一年の頃から何時も座っていた、利知未の指定席に腰掛けた。

 初めて、この場所を訪れたのは、何時の事だっただろう…?


 一年の秋、櫛田に親子丼を持って行ったその前から、偶に部室を覗いていた。そこで当時の団長・都筑経一に出会い、無口な団長に、やや取っ付き難い印象を持った。

 保健室でサボっている時以外は、大体ここに居ると櫛田に聞いて、何度か授業中に遊びに来た。都筑は案外、部室に居る事が少なくて、何時もここには櫛田と、当時二年の橋田が屯していた。

 体育祭の後、名前だけマネージャーとなり、それから一年生の間は、ここで授業をサボり始めた。櫛田・橋田コンビと街中に繰り出した事も結構ある。その中で橋田からバイク、同じく当時二年の田崎からは、ギターを教えて貰った。


 櫛田が卒業してからは、ここから少しだけ足が遠のいた。

 その時には気付いていなかったが、今、思うと、その頃の自分は、この場所に櫛田が居ない事が寂しかったのだと思う。その頃から、自分は恐らく、櫛田を初恋の相手として意識していたのだ。


 二年になって直ぐのゴールデンウイーク、宏治の怪我の手当てをした。それからまた直ぐの六月には、お礼参りの相談をここでした。

 初めて自分で作曲した曲を披露したのも、ここだった。あの時、橋田と田崎は感心してくれた。それから、FOXと出会った。

 橋田に告白されたのは、ここで開かれていた祝賀会の席を脱け出した時。裕一の死後、落ち込んでいた心に始めに光が灯ったのは、あの時だ。

 …初めて人を好きに成る事に気付かせてくれた、大切な、思い出の場所…。



 物思いにふけている利知未を、高坂が呼びに来た。

「やっぱり、ここだ。…ホームルーム始まるぜ?」

その声に現実へ戻されて、利知未は顔を上げて返事をし、立ち上がった。

『サヨナラ…。あたしの、大切な中学時代…。…ありがとう…。』

部室を出る時。軽く振り返り、心の中で呟いた。

「…何してるんだ?遅れるぜ?」

「…分かった、行くよ。」

高坂に、もう一度声を掛けられて、利知未は静かに扉を閉めた。



 謝恩会まで終わらせ、利知未達は恒例通り、団部の祝賀会に向かった。

「三年間、ご苦労様でした!!」

新団長・結城一彦の号令で、在校生が一斉に唱和する。

 今年は下級生に送り出される立場だ。実感としてそう感じたのは、この瞬間だった。卒業式の間は、まだ実感が伴わなかった。


 宴会の途中、利知未は今年も脱け出して、校庭の見える階段に腰掛けた。

『三年なんて、あっという間だ。…この場所にも、思い出がある…。』

櫛田と橋田を思い出した。二人共、今は社会人として頑張っている。

『二人に、会いたいな…。』

 自分に、大切な事を教えてくれた二人のセンパイ。会えなかった間の事を、色々と聞いて貰いたい…。何よりも、二人のお蔭で人を好きになる事を知ったと言う事を。

 …言って、櫛田には初恋の話しを…。


「瀬川さん!」

 声をかけられ振り向くと、今年は宏治が現れた。何となく、可笑しな気分になる。

『ここは自分と深い関りを持った相手が、必ず現れる場所なのかな…?』


「どうした?副団。」

 笑顔を向けて、宏治に言った。

「…副団っての、まだ言われ慣れないよ…。」

少し照れ臭そうな宏治の言葉が、学校で話す時と違っている。

「…お袋が、春休み中に一度、顔を見せて欲しいって。」

今年は宏治が、櫛田、橋田の腰掛けた所へ座った。

「…そーか。分かった。行くよ。」

頷いて見せた利知未に、宏治が少し言い難そうに切り出した。

「…倉真が、後、和泉と準一も。最近、良くバッカスに顔を出すように成ったんだ…。」

「みたいだな。」

宏治が一度、顔を伏せ、小さく頷いて話し出す。

「…おれ、思うんですけど…。アイツ等には、正体がバレても平気そうな気がするんです。…だから今度、来る時にどうでしょう…?」

利知未は眉を上げる。意外な言葉に、少し驚いた。

「…宏治はアイツ等の事、そう見たのか?」

聞いた利知未に、確りと頷いて見せた。

「…辛いと思うんです。利知未さん、本当はかなり無理してませんか?」

言って、利知未の顔を確りと見つめた。小学生の頃、初めて会った時と同じ目をしている。

『宏治は、あの頃からのあたしを見てる…。…心配してくれてんだ。』

そう感じて、同時に宏治の成長も実感した。

 こいつは、ちゃんと男だ。

 男が腹を割って話している事だ。確りと答えてやら無いとならない。

「…そうだな。正直チョイ辛いよ。…けど、まだまだなんだ…。まだセガワは止められない。…あたしの心の中が、納得して無いから…。」

由美の事を思い出す。…まだ、まだまだ、まだだ…。

「…そうですか。…そう言うと思ってました。…でも、」

一瞬、言葉を切り、改めて笑顔で言った。

「…でも、もう少し楽にいられる仲間、増やしても構わないんじゃないかな…?…おれは、そう思う…。」

 弟に諭されている様な、不思議な気分になった。利知未は小さく微笑んで、宏治の事をじっと見つめた。

「…サンキュ。…良く、考えて見るから。今、直ぐには答えられない。」

真摯な光を宿した目に、宏治は利知未の強い決心と、深い思いを汲み取った。

 その思いは恐らく、由美と言う少女への贖罪。

「…分かりました。…生意気言って、済みませんでした!戻ります!」

立ち上がって、団部式礼を確り決めた宏治を、頼もしげに眺めた。

「瀬川さん、皆が待ってます。気が済んだら、戻って下さい。」

そう笑顔で言い残し、踵を返して戻って行った。

『あたしは、色んな人に支えて貰って来たんだ…。宏治にも、感謝しないといけないな…。』

 弟分に諭されて、利知未はまた一つ、成長した。


 一人で頑張っていると、思い込んではいけない。自分一人で乗り越えられるなんて、思い上がっては駄目だ。…自分を支え様としてくれている相手が、こんな近くにも存在していた。


 その事に気付いて、利知未は改めて、自分を取り巻く友人達に、感謝する事が出来た。

 …自分はもう少し、素直に成らないと駄目だな…。

 反省をした。人の心を、もっと信用しなければ。


 そしてこれが、利知未の中学時代、最後の成長だった。






      エピローグ


 幸せと言う大輪の花を咲かせる種は、あの時期に蒔かれた。花を咲かせ、実が成る迄には、これから先、幾つもの出来事を越えていく。


 あの出会いから、二人の心が繋がるまでには、まだまだ、色々な出来事が待っていた。



 中学時代に知り合った、困った弟分達との幾つもの思い出。

 下宿の妹分達は、あれから七年のうちに、四人も増えた。

 裕一の夢を引き継ぐ事を決めた、利知未が辿った大変な道程。



 利知未が、倉真と結ばれるまでの、幾つもの愛情物語。




 リビングの置時計が、綺麗なメロディーを奏で、午後三時になる事を告げた。


 長い、もの思いから、利知未の心は、今の現実へと再び戻る。

 閉じていた目を開き、自分の、少し目立ち始めた腹を優しく撫でる。


「そろそろ買い物、行って来ないとね。倉真、今日もきっと、お腹空かして帰って来るから。」

…この子は、好き嫌いとか、ない子に育って欲しいな…。

 幸せそうな微笑が、その頬へ浮かぶ。



「その内、段々と話してあげるね。」

 自分の身体の中で、今は、安らかに眠っている新しい命へ、利知未は小さく囁いた。




 死にたくなる様な思いも、経験した。

 悲しい経験を超える度、自分の中で、何かが一つずつ成長を遂げた。


 今はこうして、幸せな日々を実感できる。

 それは全て、あの街から始まり、今へと繋がってきた。


  自分が、生きているから。

  愛しい人と、知り合えたから。


 …だから、今の幸せがあるのだから…。



  この先に続くお話は、まだ、終らない。長い、長いStoryが、待っていた。






     利知未シリーズ中学編『幸せの種』   了




 利知未シリーズ中学編『幸せの種』に、最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

 この作品は、一章の前書きにもあるように、今年の春、ある出版社のコンテストに応募した作品です。書き始めたのは、今から二年と数ヶ月前になります。(早いものだ。)

 現在、・高校編・大学編・インターン編と、その後のお話で、完成したものが存在しています。


 高校編からは、利知未も大人の恋愛に進んでいってしまうので、15R指定が入ると思われます。今回も、途中で指定を入れるべきか悩んだのですが、もしも年若い読者の皆様の目に止まるのなら、敢えて、読んでみて貰うのも良いかと思いました。丁度、利知未達とあまり変わらない速度で成長していく年頃の皆様に、無茶やヤンチャを勧めるものではなく、これから先、漕ぎ出して行く事になる社会の中には、多くの危険が待っている事実を、少しだけでも考えてみてもらえる切っ掛けになればと、思ってのことです。

 保護者の皆様には、ご心配をおかけした事と思います。この場を借りて、お詫び申し上げます。


 この作品のその後ですが、読者の皆様がお付き合いくださるのなら、二週間ほどの間をいただき、10月の二週目辺りから、利知未シリーズ高校編『大地を捉えて』を、掲載させていただきたいと思います。その頃、また覗きに来てみて下さいませ。(キーワードに、「利知未シリーズ」と登録しておきます。)


 それでは、本当にここまでのお付き合い、ありがとうございます。

 また、皆様とお会い出来ることを、心から期待させていただきます。(…ズーズーしく。)


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