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三章  桜から、夏・新しい出会いへ…

利知未の懐かしい中学時代の思い出話、第三章です。この作品は、’80年代後半から’90年代初めを時代背景としたフィクションです。

先輩を卒業式で送り出し、中学二年に上がった利知未の興味は、バイクとギター。さて、利知未の行動範囲は、何処まで広がって行くのか…?

 この作品は決して、未成年の喫煙、ヤンチャ行動を推奨するものではございません。ご理解の上、お楽しみ下さい。


    三章  桜から、夏・新しい出会いへ…


         一


 桜吹雪、舞い散る、四月。

 利知未は無事に、中学二年へと進級した。


 三月の末日、利知未は卒業した櫛田が東京へ発つと聞いて、橋田・田崎らと、駅まで見送りに出掛けた。

 櫛田は気合の入ったリーゼントを角刈りにし、耳に着けていたクリップタイプのアクセサリーも外し、真面目な服装で現れた。それを見て目を丸くした利知未と、その様子をクスクスと笑いながら眺めている田崎に、櫛田は相変わらずの睨みを効かせる。橋田は一人、笑いを噛み殺して、腕を後ろに回して、直立不動だ。

「ンだぁ?!文句あンのか?」

「…いや、似合うじゃん!?」

利知未もクスクスと、笑ってしまう。

「ったりめーだ!コレから気合入れて、仕事に励もうと言う男に向かって、ケナしたりしたら、承知しネーぞ!?」

片目を細くし、片眉を器用に上げ、柄の悪い顔を見せた。

「っつーか、真面目に働こーって言うヤツが、ンな睨み効かしてて、イーのかよ!?」

利知未も負けずに言い返す。田崎はやっと笑いを収めていた。

「余計な世話だ。お前こそ今度、会う時は、もう少し女らしくなってろよ。オレがソイツを認めたら、特上の寿司でも奢ってやるぜ。」

「何で、皆して同じ様な事、言うかな…。」

利知未が、膨れっ面をした。兄や玲子の事を思い出す。最近は、そこに貴子まで入っていた。

 櫛田は、その膨れっ面を見て吹き出した。本音の部分では、可愛くも見えている。だが、そんな事は露ほども見せない。

 電車が駅に近付いて来た。橋田がやっと口を開く。

「櫛田さん、世話に成りました!お元気で。」

「おう、お前もな…頼んだぞ。」

チラリと、利知未の事を見てから言う。橋田は、その意図を汲んだ。

「うっす!」

一言、頼もしい笑顔で頷いた。田崎も声を掛ける。

「世話ンなりました!後、確り継がせて頂きます!」

「おう、任せた。」

電車が止まり、扉が開く。乗り込み掛けた櫛田に、利知未が言った。

「センパイ、色々サンキュー。その内また会おうぜ!」

「そうだな。その内な。」

軽く手を上げ、櫛田らしい笑顔を作る。ニヤ、と言う表情だ。

「じゃーな!元気で!!」

「お前もな!」

言葉を交わしたタイミングで、櫛田が乗り込んだ電車の扉が閉まった。

 橋田と田崎は、応援団式礼をして、その電車を見送った。利知未は電車の窓に、櫛田の姿が見えなくなるまで手を振った。

 それから、橋田がバイクで下宿まで、送ってくれた。勿論、無免だ。


 この年、下宿には新しい住人は入らなかった。朝美は高校三年。春休みの始め、一週間ほど戻った親元で、今後の進路の話しも、少しだけして来た。

 下宿に戻った日、利知未の部屋に来て報告してくれた。

「あたし、後二年、ここに居れそうだよ。」

ニコリと笑っていた。利知未にとっても、仲の良い相手と一年でも長く一緒に居られる事は、嬉しい事だった。

 特に利知未は、朝美が出て、もしも他の住人が入らない場合は、玲子が唯一の下宿仲間と言う事になる。玲子とは相変わらず折り合いが悪い。

 ただ喧嘩相手というのは、やはり必要だ。利知未も玲子も、文句を言い合っている割には、生き生きとしている様にも見える。利知未から見たら、優と同じような関係かもしれない。


 利知未は春休みの前半で、裕一のアパートへ二泊三日の泊りがけで出掛けてきた。その内、一泊二日の間、優も泊まりに来ていた。相変わらず二人は、喧嘩ばかりしていた。

 けれど今回の喧嘩理由は、利知未にとって本気で頭に来る事だった。

 嫌なタイミングでまた、生理が来てしまった事が発端だ。



 ソレが来たのは、裕一のアパートへ泊まった翌朝だった。

 朝、目を覚まし、トイレに向かうと、血液が便器を汚した。

『またかよ…。サイアク。』

一端トイレを出て、生理用品を持って再び個室へ入る。トイレから出たり入ったりしている利知未の様子を見ても、裕一には直ぐにピンと来なかった。当然と言えば当然だ。

「利知未、腹でも壊したのか?」

再び出て来た利知未に、裕一が気遣わしげな声を掛けた。

「…何でも無い。」

少し赤くなりながら、不機嫌そうな返事をした。

 利知未は、その汚物をどう処理するか悩んだ。男の一人暮しの部屋に、女子トイレに置いてあるような汚物入れを置くのも、嫌な気がする。だからと言ってトイレの度に外へ出掛けるのも考えモノだ。

 少し悩んで、タンクの影に紙袋を置く事にした。ゴミ出しは自分が行く事にすれば良いと、結論を出す。それで、兄に見つけられなければ、何とかなると思った。


 暫くすると優がやって来た。来た途端トイレに入った。利知未は一瞬、嫌な予感がした。そして嫌な予感と言うもの程、的中率は高いものだ。

「げ、何だよコレ!?」

トイレから、優の声が上がった。

「どうした?」

部屋から裕一が出て来た。利知未は何故か、ビクリとしてしまった。

 トイレから出て来た優が、ニヤニヤと利知未を見る。

「お前、やっとキタんだな?」

その表情と、その言葉に、利知未の頭に血が上ってしまった。

 戸惑い、恥かしさ、口惜しさ、訳の判らない悲しさ…。

 その複雑な感情に任せて、優の頬にビンタを食らわせた。

 優の頭が、その勢いで、左から右に90度近く弾かれた。

「優のバカ野郎!!」

叫んで、アパートを飛び出してしまった。

 裕一は一瞬、驚いて動きが止まる。だが、直ぐに利知未を追い掛けた。

 優は、呆気に取られていた。

 

 走っている利知未の目から、涙が出て来た。自分でも何故、泣いてるのかは判らなかった。ただ、何となく口惜しい、そして、悲しい。

 闇雲に走り続け、ひっそりとした公園を見つけた。誰もいない。その公園のブランコに腰掛ける。涙が、まだ止まらない。唇を噛む。

『なんで俺、泣いてンだよ…?どうって事、ネーじゃん?だって、仕方ないんだ。』

自問自答。

『きっとで生理の所為だ。この日は、いつも気分がイライラする……俺、何で女ナンカに生まれちゃったんだろ…?』

 里沙は、いつか女に生まれた事を、感謝出来る日が来るからと言っていた。けれど今の利知未には、そんな日が来るとは思えなかった。

 まだ初恋さえも覚えが無いのだ。好きなヤツは結構いるが、恋愛とはまた違う。男も、女も同じ好きだ。友達、仲間。そんな感じだ。

「利知未!こんな所まで、走って来たのか…。」

裕一が声を掛けながら、近付いてきた。利知未はピクリとして、泣き顔を見られ無い様に俯いてしまう。

「…知らなかったよ。…ご免な、気付いてやれなくて。」

利知未の近くまで来て、立ち止まって優しい声を掛けてくれた。また、涙の量が、ちょっとだけ増えた。

 裕一も戸惑っている。女の子の身体の事だ。男である自分が如何すれば、妹の気持ちを解してやれるのか、見当も付かない。

 母親が近くにいれば、こんな時、何とかしてくれるだろうにと思った。

「…何で、裕兄が謝るんだよ…?言わなかったんだし、知らなくて当たり前だろ…?」

小さな声で、利知未が言った。

「…そうだな。言い難いよな、きっと。…ケドな、一応、知識だけはあるよ。だから、…何て言うか……、」

言葉は中々、浮かんでこない。何て言ってやれば良いのだろう…?

 戸惑いながら、軽く曲げた右手を自分の口元に持っていき、真剣に考える裕一の姿が目に入り、利知未は少し、無理をして笑って見せた。

「良いよ、仕方ねーモン。解ンなくって当然だ。…アンマ、気にしないでくれよ?…あーあ、兄貴達にもバレちゃったし、隠してても仕方ないよな。…ゴミ箱、トイレに置いて良いかな…?」

涙を払って軽く首を傾げた利知未に、裕一は少しだけ安堵した。

「ああ、置いとこう。…お前がいない時は、ペーパーの芯でも捨てる様にすれば、構わないだろ?」

「そうしてくれよ。普通の蓋の付いてるヤツ、買って行こう?」

ブランコから立ち上がった。まだ少し戸惑っている裕一の腕に、ぶら下がるようにくっついた。

「財布、持ってるか?」

「ポケットに、入れっぱなしだ。」

お尻のポケットを、利知未がぶら下がっていない方の手で、ポンッと叩いた。

「…ンじゃ、行こっか?」

そして、来た道を引き返した。


 ゴミ箱を買ってアパートへ戻ると、外廊下の手摺に寄り掛かる様にして、優が待っていた。利知未に叩かれた頬が、まだ赤かった。

「…お帰り。」

仏頂面で言う。利知未はぷいと、横を向いてしまう。

「ただいま、…優、謝っておけよ…?」

さっさと、部屋へ入ってしまった利知未の後姿を見やって、優に言った。

「…分かってるよ。…あーあ、ったく、面倒臭―なー!」

手摺に寄り掛かり、天井を仰いで優が言う。利知未と優は、顔も体形も似ているが、性格もそっくりだ。優は、裕一に背中を押されて、玄関の戸を潜った。


 利知未は、直ぐにトイレへゴミ箱を置いた。ゴミ袋変わりに、スーパーのレジ袋をセットする。個室を出ると、優が壁に寄り掛かった姿勢で、口をへの字に曲げている。無視して、裕一のいる部屋へ向かおうとした。

「…悪かったな。」

優がムッツリと謝った。利知未は視線をチラリと優に向け、膨れっ面で部屋へ向かっていった。

 利知未は裕一よりも、優に知られる方が嫌だった。年が近いからか、喧嘩相手だからかは、自分でも良く判らない。だから、始めに優が取った態度に対する怒りは、中々、納まらなかった。


 その日、利知未は銭湯から出るまで、優と口を聞かなかった。

 優の方は、今までだったら取っ組み合いで大喧嘩をしていた妹が、口も聞かないような態度で怒り続けているのに、妙な気分だ。

 夕飯の時、利知未が作った料理を口にしながら、心の中で呟いた。

『まるで、女みたいな怒り方してンな…。』

そう思って、思い直した。利知未は元々、女だ。妹で、弟では無い。

 そう言えば何となく、雰囲気も女らしく成った様に見える。料理の腕も上がっていた。口を開けば相変わらずだが、黙っている限りでは、ちゃんと妹として見えていた。

 そして優は反省した。確かに可哀想な態度を取ってしまったかもしれない。裕一には、普通に笑顔も見せる利知未に、心の中で改めて頭を下げたのだった。行動に移せないのは、性格だ。


 裕一と優は銭湯で話しをした。利知未のいない所で、じっくりと話しが出来る、良いタイミングだ。

「なんか…、妙な気分だよな。アイツが取っ組み合い無しで怒ってんの。」

優の言葉に、裕一も少し困った表情で頷く。

「俺は正直、どうして良いか判らないよ。事が事だからな…。」

「女の身体のナゾって、ヤツだよな。…オレも判ンね。…ほっとくしかネーンじゃネーの?」

優は浴槽の縁に両腕を乗せ、顎をその上に乗せてだらけている。

「…お前は、自分で利知未を怒らせた割には、呑気だな。」

呆れてしまった。利知未と優は、本当に性格が似ている。

「兄貴は色々、気ぃ使い過ぎなんだよ。…ま、仕方ねーか。…今までが今までだモンな。」


 裕一は、父方の親戚の家でも、大叔母の家でも、また別の親戚の家でも、三兄弟の年長者として、長い間、責任を持って行動して来た。

 弟妹の面倒を良く見、生活態度にも気を付け、世話に成っている親戚の家族に対して、いつでも礼儀正しく振舞ってきた。

 その生活が、今の裕一の人柄を作った。お蔭でいつも実年齢より、四、五歳年上に見られていた。落着いた雰囲気を持っている。


「お前達が、いつも伸び伸びと笑ってるのが、一番嬉しかったんだよ。」

父親のような笑顔を見せた。優は、兄には敵わないと思う。

 兄がいてくれたから、自分も利知未も、いつも笑って過ごして来られた。

「…感謝してるぜ。」

ぼそりと呟いた優に、裕一は笑顔で答えた。


 風呂から上がると、利知未が膨れ面で二人を迎えた。

「遅いよ!湯冷めしちまう所だったぜ。」

「悪かった。久し振りに、優と話し込んでたよ。」

利知未は、面白く無さそうな顔をする。

「ふーん…。どーせ俺の悪口でも、言ってたンだろ?」

優を横目で睨む。そんな雰囲気を見ると、夕飯の時、優が利知未に感じた女の子っぽさは、また何処かへ隠れてしまう。

「ケ、悪口言われるような覚えでも、あるのかよ?!」

 いつも通りに、頭を小突こうとして止めた。反射的に首を竦めた利知未が、そろそろと、目線だけで優を見上げた。フン、とそっぽを向いている。

「気味ワリーな…。」

利知未が呟く。裕一は、その様子を見て頬が緩む。

「気味悪いって事、無いだろ?優も今日の事は反省してるんだ。そろそろ許してやったらどうだ?」

利知未は、剥れた顔をして唇を尖らせる。小さく俯いて、勢い良く腕を頭の上に振り上げ、偉そうな顔をして言った。

「しゃーネーな、許してやるよ!許してやるけど、頭撲る癖、ツイデに止めてくれよな。」

横目で優を見た。優は、そっぽを向いたままだ。

「…馬鹿になったら困るからな、止めてやるよ。」

吐き捨てる様に呟いた。利知未はまた、その言葉に反応する。

「知らネーの?俺、優兄より成績イーンだぜ!?」

「だから何だよ?」

「…別に。優兄も、もうチョイ勉強に力入れたら?」

「一言多いんだよ!お前は!」

撲るのは止めると宣言したばかりだと言うのに、優は思わず、利知未の頭を小突いてしまった。

「ってーな!舌の根も乾かない内って、言うんだぜ?コーユーの!」

「へ。」

舌を出す優に、アッカンベーと返す利知未。その様子を裕一は、苦笑しながら眺めていた。


 翌日、嵐のように騒がしかった弟妹が帰って行くと、裕一は珍しく、寂しさを感じた。

『何とか、一発で国家試験を通って、一日も早く三人で暮らせる様に…。頑張るとしよう。』

 二人の笑顔を思い出し、気持ちも新たに、四年目の大学生活を送ろうと決心したのだった。



 そして、四月。

 舞い散る桜に背中を押され、新一年生が、城西中学の正門を潜る。

 父母と連れ立ってやってくる、新品の学生服の中に、利知未は見知った親子を見つけた。

「瀬川さん!!」

新品の学生服が、大きく手を振って走ってくる。

「宏治!…久し振りだな。少しは背、伸びたか?」

「うん、あれから三センチくらいは。」

照れた様に笑う宏治の後ろから、美由紀が、ゆっくりと歩いて来た。

「お久し振りね、利知未さん。店を覗かせて欲しいって言ってから、ずっと来なかったわね。」

笑顔で、利知未に声を掛ける。

「…あれからチョイ、色々あったので…。」 

美由紀の前では、何となく何時もの調子が出なかった。利知未は無意識に、自分の母親と比べ見ている。…こんなお母さん、良いな。

 しかし、その気持ちに、自分で蓋をしている事にも気付いていない。

「おう、瀬川の後輩か?」

気合が入った団長・橋田が口を出した。


 今、正門の中では各部、勧誘活動が忙しい。応援団も一応、机を並べていた。宏治親子はやや、びっくり顔だ。

「瀬川さん、応援団なの?」

宏治が、目を丸くして聞いた。

「ウチのマネージャーだ。お前は瀬川の後輩か?」

「…違います。前、ちょっと。」

言葉を濁す宏治の変わりに、美由紀が笑顔で口を出した。

「ウチの弱っちい息子が、去年、利知未さんに助けて貰ったの。…貴方、随分、喧嘩が強そうね?良かったらウチの息子、鍛えてあげて。」

新入生の保護者に、そんな事を言われるとは思ってもいなかった。今度は橋田が驚いた。

 この春。利知未には、新しく弟分が増えたのだった。




           二


 新学年のクラス編成で、利知未は一組から四組になった。貴子も同じだ。噂では、問題児・瀬川のお目付け役として、松田が声を上げたらしい。

 担任は、国語の年配女性教師で、須加と言う。父兄からも信頼の厚い、良い教師らしい。四組は出来の良い生徒と同じ比率で、問題児と言われる生徒が編入されていた。

 二年から三年は、クラス換えをしない学校だった。このクラスメートと、二年間を過ごす事に成る。玲子は成績優秀者が多い、一組になった。


 四月の末、ゴールデンウイークがやって来た。

 利知未は、里沙の下宿に来て一年だ。その間の事を一言で表すなら、正しく『喧嘩三昧の日々』とでも、表現すれば良いのだろうか。

 月の中旬、橋田と田崎は先手を打って、川上中学へ出向き、睨みを効かせて来ていた。今年の川上中学の頭は始めから怯えており、腕っ節で片を付けるまでも無く、話し合いのみで、この一年の平穏を約束させてきた。田崎の案だったらしい。良い参謀だ。

 と言う事で、どうやら今年は、平和な日々を送らせて貰えそうだった。


 更にその後、利知未が知らない所で団議が行われていた。

 櫛田から預かった可愛い妹分、利知未を取り巻く環境整備を兼ね、新団員・九名の新入生に、団の規律を覚えさせる為だった。その新団員の列に、宏治も並んでいた。

 元々、背も小さく非力でもあるが、利知未が、宏治は見所のあるヤツだと言っていたので、特別に入団を許可された。補欠入団みたいな物だ。

 城西中学応援団部は、これまでも、その裏の仕事にも堪えられるような、気合が入ったヤツばかりを入団させてきた。スカウト制にも近いものがある。大体が入団したがる奴等からして、普通じゃないのが多い。

 そして宏治は、生傷が絶えない一年間を送る事に成る。



 ゴールデンウイークに入る直前、利知未が放課後の応援団部室に寄って行くと、団長・副団長始め、新三年の団員が四、五人と、新二年生でも腕が発つ奴二人が、集まっていた。一人は、今年の旗持ちを務める、高坂 崇史だった。利知未の新しいクラスメートでもある。

「おう、瀬川。丁度良かった。チョイ買い出し頼んで良いか?」

橋田が、利知未を見た途端に言った。

「何だよ?久し振りに顔出したってのに、買い出しかよ?」

不服そうに言った利知未の様子に、田崎が笑った。

「連休入る前に、軽く宴会でもやろうかって話しだよ。勿論、瀬川も参加すんだろ?私服になって、チョチョイッと頼むよ?」

利知未は、私服をロッカーへ入れっぱなしにしていた。橋田と田崎は、先刻承知だ。利知未は、ふ、と軽く息を吐いて頭を掻く。

「シャーネーな。金は?」

「待ってろ、徴収すっから。」

橋田が言って、その場の団員達から、金を集め出した。

 集められた、四千九百八十七円と言う、半端な金額の金を利知未に渡すと、全員揃って訓練に出て行った。団部の訓練場所は屋上だ。校庭は運動部の縄張りだ。応援する立場の者が、応援するべき相手の邪魔をしては、お話しにならない。この時期は各運動部、春季大会を控えている。五月は応援団も忙しい。


 利知未が服を着替えていると、ノックの音がして、宏治が部室へ踏み込んだ。ジーンズのファスナーはまだ上がっておらず、シャツも頭から被って、下ろし終わるかどうかのタイミングだ。宏治は慌てて戸を閉め、廊下から声を上げる。

「失礼しました!」

ン?と、利知未は思った。利知未が知っている宏治なら、ここは「ゴメンナサイ!」だろうと思う。さっさとシャツを下ろし、ジーンズを確り履いてから、利知未はガラリと戸を開けた。

「何、畏まってんだ?」

戸の横に直立不動の、宏治の姿があった。

「着替え中とは知らず、失礼致しました!」

また、気張ったような敬語を使う。

「兎に角、入れよ?」

「はい!失礼致します!!」

きっちり礼をして、利知未の後から部室に入る。利知未は変な感じだ。

 部室へ入り、椅子へ座って机に片頬杖を付き、直立不動の宏治を眺めた。やや俯いてしまっている。良く見ると顔に怪我をしていた。

「どーしたんだ?その顔。」

少し驚いて、利知未が聞いた。

「二年の先輩に、稽古付けて貰いました!」

「はぁ?稽古!?…そーか、俺にも言ってたモンな。マジに腕っ節上げたいのか?」

宏治は、頑なな様子で頷いた。利知未は小さく溜息を付く。立ち上がり、棚から救急箱を取って来た。机の上に置きながら、声を掛ける。

「座れよ。イー顔が台無しだぜ?」

宏治が顔を上げ、驚いた顔を見せた。

「…自分でやります!」

「イーから、言う事聞けって。ほら。」

宏治の肩を押して、椅子へ座らせた。自分も椅子を一脚用意して、向かい合わせに並べて手当てを始める。

「恐れ入ります。」

小さく宏治が呟いた。作業しながら、利知未が言う。

「…な、宏治。その堅苦しい言葉、何とかならネー?」

「上級生に対する礼儀も、教わってます。」

「…そりゃ、そーかも知れネーケドさ。俺は別に団部の先輩って訳じゃネーし…、ダチだと思ってたンだけどな。」

「瀬川さんには、特に礼儀正しくする様、指導受けてます。」

小さな声で、宏治が言った。利知未は少し驚く。

「何で俺に?」

「下級生一同、指導されてます。」

利知未は去年の戦争功労者として、今や全団員がその名を知っている。

 一般生徒には漏れ無い様に計らっているが、団部の新人には、その事も伝えられたと、宏治が言った。

「…ソーユー事か…。」

手当てを終えた利知未が、救急箱を棚に片付けながら呟いた。

 椅子へ掛けて、俯いてる宏治を振り向く。

「宏治は、それで俺の事どう思ったんだ?…恐いとか、思ったのか?」

宏治が顔を上げた。首を傾げる。

「そうは思わないです。瀬川さんは、おれの恩人だし、…感謝、かな…?うん、感謝してます。」

自分で自分の言葉に納得をしてから、利知未の顔を見た。

 少しだけ笑顔になった宏治を見て、利知未は少々照れ臭い気がした。感謝なんて言葉、言われた事も無い。

「…ンじゃ、学校以外では、今まで通りにしてくれよ。何か、お前にそんな態度取られたら、妙な感じがするぜ。」

椅子に、つかつかと進んで行き、ガタンと音を立てて座り直した。

 宏治は暫し考えてから、ニコリと頷いた。

「ソーします。」

そして立ち上がって、深深と礼をして言う。

「手当て、有難うございました!訓練、戻ります!!」

まだ少しタドタドしいながらも、団部式の挨拶をして、部室を出て行った。

 利知未は、それを見送ってから買出しへ出かけた。



 そんな事があって、今。ゴールデンウイークの一日目だ。

 利知未は今日、初めて宏治の母親の店『バッカス』へと、行って見ようと思っている。

 まだ午前中だ。元々は寝起きの悪い利知未だ。学校も無いので、朝も九時近くまで、呑気に惰眠を貪っていた。

 ノックがして、朝美が顔を出した。

「利知未!…って、まーだ寝てンの!?里沙が朝食の後片付け出来ないって言ってるよ。早く起きてきな!」

窓へ向かい、カーテンを思い切り良く開いてしまった。

「…ンン?眩しいなぁ…。」

利知未は寝ぼけたまま、目を擦って、のんびりと起き出した。

「…全く、あんたって子は。呆れちゃうくらいの寝ぼすけだよ!ほら、さっさと起きて!!」

布団を剥いで、利知未を引っ張った。

「分かったよ、起きればイーンだろ…?!飯食いに行けば…。」

まだまだ寝呆けながら、朝美がいるのも構わずに、服を着替え出す。

「うわ!一応、ブラ着けてたんだ!?良くサイズあったね。」

朝美の言葉に、顔を顰めた。

「ウルセーな、どーだってイーだろ?」

ぶつぶつ文句を言い始める。箪笥から優の古着を出してざっくりと着込み、ジーンズに履き替えた。着替えを終えた利知未の背中を押して、部屋を出ながら朝美が言う。

「あんた、どうせ暇でしょ?さっさとご飯終わらせて、ちょっと買い物付き合ってよ?」

「えー?!カッタリーな…。何、買うんだよ?」

「夏服。後、まだ少ないけど水着も。そろそろ目欲しいデザインが出回ってるから、参考に眺めて来ようと思って。」

「…イーケド、夕方までには終わるよな?」

欠伸をしながら、利知未が言う。

「夕方から、何か予定あンの?」

「…チョットな。」

利知未は顔を洗い出す。

「そんな遅くはならないから。」

「分かったよ。朝美、タオルくれよ。」

「待ってな。」

朝美は言いながら利知未の部屋へ入り、勝手に箪笥を開けてタオルを一本、持って来て渡してやった。

 それから利知未は階下へ降り、里沙に給仕をして貰って朝食を済ませた。再び自室へ向かうと、朝美が階段を登ってくる利知未の足音に気付いて、ドアから顔を出す。

「さっさと支度してね!」

「このままで良いじゃん。」

「そーんな、男か女か判んないカッコで、行く気?水着見てる時、嫌な思いすると思うけど?」

「じゃ、どーしろってンだよ?」

不服そうに口をへの字にした利知未を、朝美は自室へ引っ張り込んだ。


 数分後、パンツルックでも、それなりに女の子に見える服装をした利知未が、朝美に手を引かれて、下宿を出て行った。

「朝美の服、チョイ小さいと思う。」

利知未は膨れっ面だ。いつも兄のお古を着込んでいる利知未にとって、女物のピタリとした洋服は、どうも窮屈だ。元々、七分丈の袖デザインのTシャツは、どうしても小さいようなイメージに感じた。

「何言ってンのよ?それが丁度良い大きさなの!あんたなんか、横幅はSサイズでも良いくらい。」

「ソーは思えネー…。」

朝美は、今の利知未よりも五センチほど背が低い。160センチ無いくらいだ。洋服はMサイズ。それで大体、丁度良い。利知未は今、164センチ程度の長身だった。しかし胸も無い変わりに、ウエストも細い。身長に合わせれば横幅がブカブカだし、横幅に合わせれば丈が短い。どうしても優の、メンズの古着が丁度良く感じる。

 朝美に引っ張られながら、そっぽを向いて不機嫌そうな顔をしていた。


 電車に乗って、横浜まで出た。駅ビルのファッションフロアで、朝美は利知未を連れ回して、あっちこっちと忙しい。利知未の両手には、大きなショッピングバックが三つも下がっている。

「まだ買う気かよ…?」

ボトム・トップ・ワンピース・キャミソール…、それぞれ散々見て回り、全部で五着と夏のバックまで購入していた。それでもまだ飽きないで、サマーセーターの棚を物色している。利知未は呆れ顔だ。

「なに言ってンのよ?今、見てンのはあんたの服だよ。今日の荷物持ちのお駄賃なんだから。」

「イーよ、そんなの。…だったら昼飯奢ってくれよ?」

そろそろ午後一時近い。もう二時間も、ショッピングを続けていた。

「っつーか、大体、良くそんな金、あるよな。」

「アルバイトしてたもん。」

「ドコで?」

「ファーストフード屋。知らなかった?駅前で。」

「…知らネー。」

「夏迄はやってる予定だから、今度くればイーじゃん?ポテトくらいならサービスしとくよ。」

棚の物色を続けながら、ニコリと笑った。

「あ、これ、利知未に似合いそう。」

爽やかなブルーで、ザックリと編まれているサマーセーターを、棚から引っ張り出す。両手が塞がっている、利知未の着丈に合わせて見て頷く。

「このデザインなら、Mで丈は平気そうじゃん。どー?」

「どー?って言われても…。」

仏頂面だ。それでも、まぁまぁ似合っている。

「決―めた!じゃ、会計してくるから。そしたらチョットご飯食べて、八階の水着展示フロアに行こう。」

とっととレジに向かって行った。

「あーあ、一服してぇ…。」

ぼやいて、朝美をその場で待った。

「あのさ、屋上のラーメンでイイぜ?」

レジを済ませて、戻って来た朝美に言う。

「ま、あんたがそれで良いんなら、構わないけど。」

「ソーしてくれよ、…天気も良かったよな。」

「ふーン、天気ね…?」

朝美が疑わしそうな目を、利知未に向けた。利知未は視線を無視し、先に立ってエレベーターへ向かった。


 屋上に出ると、利知未は売店に背中を向ける姿勢で、売場よりもやや遠い席へと陣取った。朝美は、利知未の目的は承知だ。自分にも覚えのある事でもあるし、文句を言わずに、後へ従ってやった。席に付いた途端、パンツの尻ポケットからタバコを出し、火を着ける利知未を、少し呆れ顔で眺めた。

「先に、なんか買ってくりゃイーじゃん。」

煙を吐き出して、利知未が言った。中学二年にはまず見えはしないが、それにしても何と言うか、濃慣れている。様に成って見えるから恐ろしい。朝美は素直に席を立って、売店へ向かった。

 それからラーメンと、お好み焼きを昼食代わりに食べ、予定通りに水着の展示を眺めてから、下宿へ戻った。


「その服、最近、着て無いから、あんたに上げるよ。それと、これも持ってきな。」

部屋へ荷物を運び込んでやった利知未に、買って来たサマーセーターと、出掛けに利知未が、ここで着替えて行った洋服を一纏めにして、袋に突っ込んで渡した。

「…一応、貰っとく。サンキュ。」

「どー致しまして。もう少しニコニコしてお礼、言って貰いたいところだけど。ま、勘弁してやるか。」

腰に手を当てニコリとして、部屋を出る利知未を見送った。

 着替えをするのが面倒臭くなった利知未は、その服装のままで、再び出掛けて行った。



 夕方五時前にバッカスへ着いた。店の扉をそっと開けて、顔を出した。

「すみません、まだ、開店前で……、」

振り向いて、笑顔で言い掛けて、美由紀は驚いた顔をする。

「あら、利知未さん!店、覗きに来たの?」

さっきと、また違う笑顔で聞いた。利知未は何故か照れる。

「…はい。…邪魔しても、良いですか…?」

「どーぞ。いったい何時、顔出してくれるかと思ってたわ。」

そう言って、店内に迎え入れてくれた。

「今、準備中だから。ちょっと座って、待ってて貰える?」

「はい、失礼します。」

相変わらず、美由紀の前では、毒気が抜けてしまう利知未だった。


 店の中をキョロキョロと見回した。小さい店内で、カラオケがある訳でもない。九人掛けのL字型カウンター席と、四人掛けのボックス席が三つ。その中で、忙しげに立ち働く美由紀。

 取り敢えず、隅のカウンター席に腰掛けると、美由紀がオレンジジュースを出してくれた。利知未は、ペコリと頭を下げた。

「また、宏治がお世話になってるみたいね?有難う。」

カウンターの準備をしながら、お礼を言ってくれた。利知未は、やはり何となく照れ臭い。少し赤くなって俯いてしまう。

「…別に、タイした事してないし。」

「だんだん、宏治の顔付きが変わってきたわよ。応援団って、厳しいのよね。…思い出したわ。私も、通っていた中学なのよ。」

「そうなんですか?…昔から、団部ってあったんだ。」

「城西中学の、応援団部の歴史は古いのよ。昔から、あの学校での立場も同じ。私達の頃は、人数も、もっと多かったんだけど…。時代かしらねぇ…?段々、ああ言う気合の入ったコ達も減ってきたみたいよ。」

コロコロと笑った。

 その後三〇分ほど、美由紀から昔の応援団部の話しを聞いた。利知未は美由紀の初恋相手が、当時の応援団部員だった事を聞き、入学式の日に平然と、気合の入った橋田に声を掛けていた事を納得した。

「昔のツッパリって、格好良かったのよ?利知未さん達からは、想像できないかもしれないけど。」

「…今のヤツ等も、結構、格好良いと思う。」

「あら、そうなの?じゃ、今度、誰か連れていらっしゃい。私がじっくり、吟味してあげるから。」

美由紀は笑いながら言った。その美由紀に、利知未は益々、興味を惹かれたのだった。




            三


 六月。梅雨の季節。

 今日も朝からしとしと降り続ける雨に、利知未は思わず溜息を付く。


 今は授業中だ。最近、少しは真面目に、教室にいる事も増えて来た。

 理由としては応援団部室に行っても、仲が良かった櫛田が卒業した所為か、橋田も以前よりは部室に入り浸る事が減ってきた事がある。

 田崎は以前から、意外と真面目に授業を受けていたので、部室で顔を合わせる事が元々、少なかった。

 その代わりと言っては何だが、最近はクラスメートで団旗持ちの高坂と、丁度、去年の橋田・田崎コンビのように実力を競っている同じく二年、大野 俊平が、どうやら入り浸り気味のようだ。


 給食の時間になって高坂が教室へ戻って来た。さっさと平らげて、また教室を出て行く。暫くして廊下から声が掛かった。

「瀬川!チョイ、いーか?」

「何だよ?自分の教室で廊下に呼び出しかよ。」

「良いから、チョット来いよ。」

利知未はカッタルそうに椅子を立った。貴子が少し心配そうな顔をする。その貴子に、「ヘーキだよ」と声を掛け、廊下へ出て行く。

 廊下には、隣のクラスの大野も待っていた。

「…で、なんだよ?」

「一年の手塚、お前の知り合いだろ?」

宏治の名前が出て来たので、少し驚いた。

「それがどーした?」

「堀田高のヤツに、ボコラれたらしい。」

「マジかよ!?何時?」

 先週末、宏治が買い物に出掛けた時、その途中で行き成り襲われたと言う。どうやら、この春卒業した川中のOBが、高校でまた上手い事、どうしようもない奴等に取り入り、面白半分で城西の学ランを来た、弱そうな一年を襲ったようだった。宏治もつくづく運が無い。

「で、お礼参りに行く事にした。」

「橋田センパイや、田崎センパイは承知か?」

「ああ。さっきチョイ、報告してきた。」

黙っていた大野が答える。

「敵の人数も少ネーし、取り敢えずオレ等が出る事にしたんだよ。」

「で、手塚が絡んでるだろ?お前、どうする?」

利知未は暫く考える。確かに宏治が絡んでいるのなら、無視は出来ない。宏治は今や団部全体が公認の、利知未の弟分だ。だからこそ、この二人も利知未に声を掛けてきた。

 宏治が補欠入団のような待遇なのは、利知未の一言があったからだ。

「…何時だ?」

「今週末。明後日、土曜の昼に出る。」

「成る程。」

利知未はここの所の悪天候続きで、少々ムシャクシャしてもいた。

「相手は高校生なんだろ。平気か?」

「団長・副団、オレ等と瀬川。五人で何とかなるだろ。大体が手塚が団員って事も知ラネー潜りだぜ?」

高坂がへ、と息を吐く。自信満万だ。


 この二人、確かに今は実力高位者だが、やはり去年の団長・副団の実力には遠く及ぶ訳も無い。利知未は少々、不安も感じる。

 現団長・橋田は中々ヤル事を知っているが、田崎はパワーの点でやや、弱い所がある。頭が切れるタイプで、パワー不足は知己でカバーしていた。そして二年二人の実力が如何程の物か、把握し切ってはいない。

『ま、イーか。成るように成るだろ。』

そう心の中で呟いて、お礼参りに参加する意思を伝えた。

 その日は、真面目に授業を受け、帰宅した。


 翌日。利知未は二時間目から、久し振りに部室で時間を潰した。恐らく、こんな話しになっているのだから、橋田も今日は顔を出すのでは無いかと踏んでいた。

 三時間目になり、橋田が田崎とやって来た。

「珍しいな、瀬川。今年に入って、真面目になったンじゃなかったのか?」

田崎も珍しく、授業を抜け出してきた筈だった。

「センパイも、珍しーンじゃん?」

眺めていた雑誌を閉じる。

「高校への、お礼参りだ。色々、準備ってモンが有るんだぜ?」

田崎がニッと笑って見せる。

「高坂と大野、今日は来てネーのか?」

「朝は来てなかったぜ。どっかで気ぃ入れてンじゃネーの?」

「ソーか。まあ良い。先ずは瀬川と話しするか?」

橋田が田崎へ、軽く視線を向けた。田崎も頷く。

「そーだな。…本題、入るぜ?」

利知未にも視線を向ける。利知未も頷いて見せた。田崎が話し始める。

「敵は堀田高だったよな?…オレ、チョイ知り合いがインだよ。」

ニヤリとして見せた。知り合いツテで、今回の相手の事を少しリサーチして見たと言う。

「どうやら、他県からの入学者らしくてさ。一年のヤツなんだと。」

「で、川中OBの口車に乗ったって事か。」

利知未が呟く。田崎が一つ頷いて見せて、話しを続けた。

「中学時代、結構なヤンチャ者だったらしくてさ、入学した時から鼻息の荒いヤツだったラシーぜ?実は堀高でも目立ってて、煙たがられてるって話しだ。っつー事で、今回オレ達がお礼参りしてボコったとしても、その後、堀高の上が出て来る心配は先ず無い。」

「何人いるんだ?」

「そいつと、取り巻き二、三人。そのウチの一人が、川中出身って訳だ。」

「ンじゃ、頭数は四対五って事か。」

「ソーなるな。…丁度良い相手だ。高坂達の力、試させて貰えるよ。」

「センパイは出ネーのか?」

「先ずは後ろで控えさせて貰う。…心配すンな。ヤバそうだったら直ぐ出てやンぜ?」

少しだけ不安そうな顔色になった利知未に、田崎が頼もしい笑みを向けて言った。それで少し安心する。

「…で、瀬川。」

「なんだ?」

「お前、本当に着いてくか?」

いきなり橋田に問われて、利知未は少しびっくりする。

「俺が出てくと、なんか問題あンの?」

「…そう言う訳じゃネーよ。ただ、今回は敵も四人だからな。お前が出なくても何とかなる。」

橋田の本音は、櫛田から預かっている利知未を、余りヤバイ事へ首を突っ込ませたく無い、と言う所だ。利知未ならそう言う所に出したとしても、足手纏いになるとは思ってはいないし、返って強力な助っ人である事も事実ではある。

「今回は、俺の弟分絡みだろ?一応、ケリ着けネーと気分がワリーぜ?」

「そうか…。ま、それなら、それで構わネーよ。好きなだけ暴れろ。」

「ソーするよ。…心配してくれテンのか?サンキュー、センパイ!」

ニコリとした利知未に、少々照れ臭い気分になった。橋田は視線を窓の外へ向け、相変わらず振り続く雨を眺めた。

 利知未はその後、真面目に授業を受ける事にした。


 昼休みになって、漸く高坂が学校へ来た。

「午前、ドコ行ってたンだよ?」

「テーサツ。」

「偵察―?面倒な事ヤってンな。田崎センパイに会ったか?」

「インや、会ってネー。」

「話し、して来いよ。大野も連れてった方が良いぜ。」

「そーだな。」

そう言って、高坂は再び教室を出て行った。

 高坂と大野は、偵察兼、堀高付近の下見に出掛けていたようだった。


 放課後、利知未が部室へ顔を出すと、橋田・田崎・高坂・大野の四人が、明日の襲撃についての会議をしていた。清掃時間から続けていたらしい。

「お、来たな。明日、何処でヤツ等を待つか、決まったぜ。」

「何処だよ?」

「ヤツ等の溜まり場になってる店、確認して来たんだよ。」

大野が答えた。利知未は気の無さそうに「ふーン」と言いながら、手近な椅子に掛けて片頬杖を突いた。

「何だよ?詰まんなソーな顔して。」

高坂が聞く。利知未は、店の中で襲撃するのはポリシーに反する事だ。

「店ン中で暴れンの、ヤなんだけどな。」

高坂をチラリと見て、視線を机の端に移す。

「じゃ、誘き出すか?」

大野が提案した。

「なんか良い案、ネーかな…。」

利知未が自問する様に呟いた。橋田は以前、櫛田が良く座っていた席の椅子の背凭れに、背中を深く預けて、腕を組んで上を見ていた。田崎はその斜め前の椅子に掛け、利知未同様、机に片頬杖を突いて思案顔だ。

 元々、考えるより行動タイプの高坂は、壁に凭れ立ち腕を組んで天井を仰いでいる。端の席で、背凭れを前に椅子を跨ぐ様に座った大野も、何か案を捻り出そうと頑張っている。そのまま暫く沈黙が続く。

「…俺が、掻き回して誘き出すか。」

不意に利知未が呟いた。方法は浮かび掛けている。

 その場の四人の頭には、櫛田の事が浮かんでいた。

 今回のお礼参りは、利知未本人が『ケリを着けないと気分が悪い』と言っていた。今更、利知未の参戦に反対は無いが、必要以上に危ない事をさせるのは、また話が違う。

 部内での利知未の立場は、本人の意思とは無関係に『姐さん』なのだ。

「面白そーな事、思いついた。」

四人の意思など知らない利知未が、ニヤリと笑って見せた。



 翌日、利知未はセーラー服姿のままで、お礼参りに参加した。

 色仕掛け、と言う訳ではない。そんな物、利知未は持っていない。

 今回、敵が『城西中の学ランを着た弱そうな生徒を面白半分で襲った』と言う理由で宏治をボコったと言うなら、見た目に強そうな野郎が出て行くよりは、自分が出て行った方が上手く誘き出せるだろうと思った。

 利知未は服装を乱したツッパリではない。見た目は真面目な学生だ。ヤツ等の溜まり場になっている店は、見た目に危ないヤツ等が、屯しているような店だ。

 そこに見慣れないセーラー服姿の、真面目そうな女が入って行くだけで、目立つだろうと踏んだ。要するに短絡馬鹿の集まりだ。

 ああ言うヤツ等は、何時でも誰に対しても、自分は危険なヤツだと振れ回っていないと、落着かない。


 利知未は店に入ると、出入り口近くの席へ着いて適当にオーダーをし、タバコを出して火を着けた。目立つ上に目立つ。

 その様子を店外から窓越しに、高坂達は冷や冷やしながら監視した。

 利知未の近くに、ヤツ等の一人が近付いた。一言、二言言葉を交わして、利知未がいきなり、その顔を目掛けてグラスの水を引っ掛けた。ガタン!と音をさせて、残りのヤツ等が立ち上がる。利知未は、水を掛けてやった奴の脛を蹴り、隙を付いて店を走り出た。ヤツ等が追い掛けて飛出してくる。

 脛を蹴られた奴は、ヒョコヒョコと片足を引き摺って走っていた。

「高坂!」

道路の向こうから、利知未が声を投げた。高坂と大野も、同じ方向に向けて走り出す。計画通りに、近くの空き地を目指した。


 空き地の隅。木陰で橋田がタバコを吸い、田崎が呑気に缶珈琲を飲んでいた。先頭を走って来た利知未を見止めて、二人はヤレヤレと立ち上がる。のんびりと空き地の中ほどに向かう。

 利知未・高坂・大野が振り向いて、追い掛けてきたヤツ等を迎えた。

「このアマ!イー度胸してんじゃネーか!?」

脛を蹴られた奴が、睨みを効かせて見せる。利知未は、どーでも良い様な顔をして見せ、頭を掻いて返す。

「良く言われるぜ。」

更にジリジリとしてきた連中に、高坂が声を上げた。

「先週、ウチの後輩ボコったヤツァ、ドイツだ?!!」

「随分、律儀なヤツ等だな?今時、お礼参りとは!」

進み出てきたのは、角刈りを、そのまま伸ばしっぱなしにしたような頭をした、体格の良い男だった。そいつに体格勝ちをしているのは、利知未達の中では高坂だけだった。橋田も、それなりに良い体格をしているが、そいつに比べれば幅がやや狭い。

「お前か?!」

「だったらどーだって?」

「キッチリ、礼させて貰うぜ!!」

短気な高坂が、走り出した。

「中坊が、粋がってんじゃネーぜ!!」

ヤツも吼えて、向かって来た高坂と組み合う形になった。大野も意外と素早く、背の高い細身のヤツに向かって行く。

 利知未は後に続いて、残りの二人を相手にした。脛を蹴られた奴と、川中のOBだ。

 走り出た利知未の両側から、二人が襲い掛かった。先ずは脛を蹴られた奴の攻撃を、身を屈める様にしてかわし、回り込みながらそいつの腕を掴んで、後ろに捩じ上げる。パワーはあったが、利知未に比べればその動作は鈍い。変な悲鳴を上げる。敵の腕を捩じ上げた姿勢の利知未に、川中OBが斜め横から、飛び掛る様にして襲いかかる。

 腕を持った奴の身体を、そいつに向かって、後ろから蹴りを入れて押し出した。川中OBは仲間の身体を何とか交わした。蹴られた奴はつんのめる。転びはしなかった。数メートル先で踏鞴を踏んで止まる。利知未は、川中OBを睨みつけた。

「可愛い弟分ボコらせたの、テメーだな…?」

利知未の睨みには、迫力があった。高校生の不良が一瞬、怯むほどだった。

 後ろで乱闘を眺めていた田崎が、思わず口笛を吹く。

「瀬川、結構な迫力だな。」

呑気な様子だ。橋田は全体を眺めていた。高坂と大野が相手にしているヤツ等は、中々な腕っ節を持っていた。中二と高一だ。体格も、踏んで来たであろう場数も、桁が違う。

「おう、出るぞ。」

低く田崎に呟いて、高坂と大野の喧嘩に進み出た。二人共ボロボロだ。それでも気迫は負けていなかった。

「了解。」

田崎も呑気な見学体制から気分を変え、表情を引き締めて歩き出した。

 組み付いていた姿勢から弾き飛ばされ、高坂が転がった。直ぐに体制を立て直して向かって行こうとする。その肩を押えて、橋田が呟いた。

「良くやった。…休んでろ。」

「団長…、」

顔も身体もボロボロだが、気迫だけは、その表情にまだ残っている。

「選手交代かぁ?別にこっちは、かまわネーがぁ?」

へらりと笑った敵の顔面に、橋田の懇親の力が篭った拳が襲った!一瞬、気を抜いていたそいつは、その勢いで後ろにグラりと傾きかける。体制を整える隙も与えずに、必殺技の回し蹴りが、鳩尾に決まった!

 あっという間に、ケリが着いてしまった。

 高坂は唖然とした。そして、直ぐにへへっと笑って、呟いた。

「…やっぱ、敵わネーな…。」

 田崎は、大野を組み敷いている敵の背中に、後ろから膝を入れた。同時に大野も敵の頬を拳で張った。流石に堪った物では無かったらしい。

「体格も、力もチゲ―ンだ。悪く思うなよ?」

田崎はニヤリと笑い、崩れた敵を見下ろした。

「助かりました。」

大野が敵の身体の下から抜け出して、田崎に言った。

「後は…、」

と、振り向いた時、利知未は川中OBに、留めのボディーブローを見舞っていた。もう一人は既に、伸びて転がっていた。

「ゴシューショー様。」

横にクズ折れた敵に目もくれず、目に掛かっていた髪を払い上げる。

 そして、利知未は振り向いて、ニヤリと笑った。

「そっちも片、着いた見てーじゃネーか?」

怪我一つ負っていないその姿を、一同唖然と見つめてしまった。

 橋田が声を立てて笑い出した。ボロボロになった二年二人を、誇らしげな微笑で眺めやる。

「瀬川にゃ、敵わネーな!?」

高坂と大野も、照れ臭そうな笑みを見せた。笑った拍子に傷が痛んで、顔を顰めた。田崎も、面白そうな顔をしていた。


 二年二人は、三年二人に肩を貸されて恐縮しながら。利知未は、その後ろを呑気な様子で、のんびり歩いて堀高へ向かった。筋を通しに行ったのだ。

 今の堀高の頭に面会し、経緯を報告して「お騒がせ致しました!」と、頭を下げる。

 筋を通してきた中学生に、堀高の頭は感心した。今後は確り目を光らせる事を約束し、ボロボロな二年二人の手当てを、後輩に命じた。

 手当てをしてくれた一年が、田崎の知り合いだった。音楽仲間だ。

 兄がバンドをやっていると言う。変わった活動をしているバンドらしかった。自分の趣味と違う音楽をしているので、自分は参加してい無いんだと言っていた。



 その数日後。田崎に誘われ、利知未は『FOX』と言うバンドの見学へ行って見る事にした。あの堀高生の、兄貴のバンドだ。

 初めて入ったライブハウスの雰囲気に、利知未はワクワク、ドキドキしていた。ここは楽しい場所だ。中学生が入るのは、色々と問題がありそうだが、また来たいと思った。

 ライブの後、『FOX』のリーダーと酒を飲んだ。

 利知未がまだ中学二年の女だと聞いて、驚きながら興味を示した。

「コイツ中々、筋がイーンすよ。」

田崎にそう聞いて、改めて今度、練習スタジオへ遊びに来いと誘ってくれた。

 そしてまた、利知未の行動範囲が広がった。




            四


 六月二十三日。利知未の元に、裕一から荷物が届いた。縦長のバックで意外と大きい。

『誕生日おめでとう。優と金を出し合って買ったよ。喧嘩されるよりはまだ安心だからな。上達したら、聞かせてくれよ?』

と、書かれた手紙が入っていた。

「マジかよ!?やった!!!」

部屋で大声を上げた利知未の声に驚いて、朝美が顔を出した。

「何、届いたの?…あ、エレキギターじゃん!お兄さん?」

「ああ!まさか、本当に貰えるとは思わなかった…!」

利知未は早速、チューニングを始めた。

「あたしもアンタに、プレゼントがあるんだけど?」

朝美が渡してくれたのは、スッキリとしたデザインのサマージャケットだった。身体のラインが、綺麗に出るタイプのジャケットだ。

「良いのかよ?折角バイトして溜めた金、使って。」

「ソー言う事を気にしないの!生意気だよ?オネーサンが可愛い妹分の為に選んで来た洋服を、まさか、いらないなんて言わないよね?」

腰に手を当て言った朝美に、利知未はニコリと笑顔を見せた。

「サンキュ、貰っとく。朝美は誕生日、九月だよな?」

「九月十六日だよ。期待しておくよ。じゃーね。」

朝美はそう言って、軽く手を上げて部屋を出て行った。



 翌朝、利知未は田崎から借りっぱなしになっていたギターを持って、部室へ行った。教室に置いておく訳にはいかない。

 部室には、お礼参りの傷跡がまだ目立つ高坂と大野が入り浸っていた。

「よ、朝っぱらからサボりかよ?」

上機嫌な利知未の様子に、二人は怪我だらけの顔を見合わせる。

「何だよ、何か良い事でもあったのか?」

大野が言う。例のお礼参りから、この二年三人には妙に強い連帯感が生まれていた。

「へへ、マーな。」

取り敢えず自分のロッカーに、田崎のギターをしまった。何となくではあるが最近、利知未は一年の頃より、いくらか女らしい雰囲気も出始めてきた。普段、仲間と騒いでいる時は、まだまだ男同士の様だが、セーラー服姿でニコニコしている様子は、それなりに可愛くも見える。

「こないだ田崎センパイと、ライブ見に行って来たんだ。」

ロッカーの扉を閉めながら、利知未が話題を変えた。

「ライブ?あー、あの堀高生の兄貴がやってるバンドか?」

「ソー。中々、楽しかったぜ?高坂と大野なら、私服で行ったら高校生くらいに見えるんじゃネーか?今度、見に行かないか?」

「面白ソーだな。行くか?」

「ソーだな。」

「じゃ、今度の金曜、空いてるか?」

利知未は二人が座っている椅子の近くへ、近寄りながら聞いた。

「今ントコ、ヘーキだ。」

「オレも。」

「放課後、駅前で…、六時ごろで構わネーか?」

大野の家が、やや遠かった事を思い出した。自転車通学者だ。

「構わネーよ。私服、持ってくっから。」

「ンじゃ、決まりな?」

ニコリとした利知未に、二人声を揃えて「おう」と返事をした。

 それから利知未は教室へ行き、高坂と大野は相変わらずサボりを決め込んで、町へ繰り出して行った。


 出掛けた先で、二人が話している。高坂が言い出した。

「最近、瀬川チョイ女っぽいトコあるよな?」

「ソーだよな。…ヤバイかも知れねーぞ。」

「何が?」

「三年の一部がさ、どーも最近、怪しいんだよ。」

 学校では出来ない会話だった。二人は二年だ。三年についての噂話は、団部規律としてご法度だった。

「去年さ、瀬川が櫛田さんの女って事で、おれ等、今みたいに話し出来なかったろ?おれ達は同学年だったし、戦争ン時のアイツの活躍も目の当たりにしてたから、押さえ付けられたって、それほどストレス溜まらなかったじゃネーか?」

「マーな。確かにアイツ、ツエーし。こないだのお礼参りだって怪我一つ無かったモンな。」

頭を使うのは得意で無い高坂と、それなりに考えて行動する大野だ。そういうタイプ同士は、丁度良いバランスで繋がる。

「でさ、今の三年は、瀬川やおれ等の上級生だろ、当然。」

「当たり前だな。いくらオレでも、それ位は頭働くぜ。」

高坂の言葉に、軽く笑ってしまった。

「ソー言う事じゃネーよ。…つまりさ、今のおれ等がもし、下級生の女に、去年の一般二年が、瀬川相手に取らされてた様な態度を強制されたら、やっぱストレス溜まるとオモワネーか?」

暫く考えて、高坂が頷いた。

「ソーだな。…つまり、その憂さをハラそうって三年がいるって事か?」

「そんな気配が、一部の三年にあるんだよ。」

高坂と大野は、利知未を仲間として完全に認めている。現二年の中で、利知未と対等に会話をする事が許されているのも二人だけだ。自然、守らなければ成らないと言う意識も生まれてくる。

 どう言う思考回路で、その結論に結びついたのかは良く解らないが、高坂はキリリと表情を引き締めて呟いた。

「もうチョイ腕っ節、上げといた方が良いかもな。」

大野は、高坂の短絡意識を汲み取った。

「お前、三年敵に回して戦争でもおっぱじめる気か?」

「…そう言う事じゃネーのかよ?」

真面目な顔をして聞き返す高坂に、呆れ半分で笑ってしまった。

「短絡過ぎだ。先ずは、もうチョイ詳しいトコ確認して、団長に声掛けとく方が得策だろ?おれ等が三年敵に回してどーするよ?下級生に示しつかネーだろーが!」

「…その程度か?なんかチクリ見てーで、気―ワリーな。」

「団規だろーが。覚えてるか?」

「そんな団規、あったか?」

「団部内の抗争は是を厳しく禁ず。力は同胞を守る為に振るう物である。ってな?第二章・第一文。」

「ソーいや、あったな、そんなの。」

「一年の頃、散々やったじゃネーか?…全く、呆れる程の物覚えの悪さだな。瀬川の記憶力、チョイ分けて貰えよ?」

眉を上げて、笑いながら高坂を見た。


 橋田と田崎も、三年の一部の、やや異常な雰囲気は感じていた。

 利知未の事だ。多少の事でどうにか成るとは思ってはいなかったが、やはり最近の、利知未の雰囲気の変化に、怪しい事件を引き起こし兼ねないと思う。去年、三年の私物の中に含まれていた物がある。つまり、そう言う年頃と言う事だ。喧嘩では勝てないかもしれないが、別の暴力についてはまた、別物だ。

 去年までの利知未が相手なら、そちらの方向の心配は先ず無かった。

 最近、巷でも青少年保護法違反の事件が後を立たない。時代が危険な方向に進んで行っているのだ。

 橋田と田崎は、櫛田から利知未の事を任されている。何があっても守り通す義務が在る。そこで、参謀・田崎の思案は別の所にあった。

「瀬川、部室から遠ざけた方が、良か無いか?」

昼休みに応援団部室で、橋田と話していた。

「ン?ああ、佐伯達の事か?」

「そうだよ。アイツ等、最近ヤバ目な感じで瀬川、見てンじゃネーか。」

同い年の男の事だ。何となく、怪しげな雰囲気は感じている。

「確かにな。…最近の瀬川、タマに妙に女っぽい雰囲気出すからな。」

「オレ、姉貴がいるからさ、女の成長って身近で見てんだよ。けど女っぽくなり始めると結構、変化が早いんだよな。つい昨日までヘーキで取っ組み合いの喧嘩したりしてた癖に、いきなり『キャ!』とか黄色い声だして、階段上がる時スカート押えたりすンだよな。偶々、脱衣所で顔があったりすると、悲鳴上げてタオルとか歯ブラシとか投げてくんだぜ?別に姉貴見たって欲情しネーっての。」

田崎には二歳違いの姉がいた。田崎も中々、良い顔の持ち主だ。その姉も、外見は綺麗な顔の持ち主だ。橋田は兄がいるだけなので、田崎のそんな話を聞くと感心してしまう。

「ソー言うモンか?俺は良く解らネーケドな。」

「ソーなんだよ。で、こないだの堀田高の知り合い、覚えてンだろ?」

「ああ。兄貴がバンドやってるとか言う。」

「そのバンド兄貴、瀬川を気に入ってさ。弟ヅテで、バンドのボーカルにスカウトして来てんだよ。」

初耳だ。しかし、だから何だと言うのか、橋田はまだ考えが巡らない。

「だからさ、そっちに瀬川が参加するようになれば、団部に来る事も減るんじゃネーかと、思ったワケだ。」

「しかし、瀬川の意思はどうなるんだ?」

「だからって、アイツがもしこのまま、そう言う雰囲気が出て来た時に、狼の群れにほおり出しとく訳にも、イかネーだろ?…正直そう言う問題は、オレ達の手におえネーぜ。」

両手を軽く上げて、田崎が溜息をついた。

 確かに、危険な場所から遠ざけるのは、良い案かもしれない。事実、そういった問題は、橋田達の手にはおえそうも無い。

「ソーかも知れネーな…。そのバンドは安全なのか?」

「安全だと思うぜ?今ボーカルやってる女も普通の短大生だし。リーダーは堀高のダチの兄貴だ。ベーシストもドラマーも、オレらに比べればよっぽど安全な世界にいるヤツ等ばかりだ。」

まだ少し懸念を隠せない様子の橋田に、田崎は笑って見せた。

「ライブハウスは、オレも成るべく顔出しして様子見とくよ。」

そう言われ、橋田もその案に乗ってみる事にした。マネージャーとしての名前は返って、そのままの方が都合が良いかも知れない。

「そーだな。…後は、瀬川が何て言うかだな…。」

一応、二人の話し合いはここまでになった。暫くすると当の利知未が、部室へ顔を出した。

「入るぜ?田崎センパイ、ギター、長い事サンキュ。」

ロッカーへ向かいながら、利知未が言った。

「もう、良いのかよ?」

利知未が、へへへ、と良い笑顔を見せる。

「離れて暮してる兄貴達が、誕生日プレゼントって、エレキ送ってくれたんだ!昨日から、そっち弄ってる。」

田崎から借りていたギターを、手渡しながらそう言った。

「一応、チューニングもしてきたから、直ぐに弾けるぜ?」

「ソーか、ンじゃ返してくれる前に、何か弾いて見せてくれよ?」

利知未は、照れ臭そうな笑顔を見せて頷いた。

 そして利知未は、最近、始めた作曲作品の内の一つを、披露して見せた。歌詞はまだ着いていない。中々、良い音だった。

「やるじゃネーか!自分で作ったのか?」

やや赤くなって頷く。その様子は、セーラー服の所為もあるのだろうが、女の子として可愛い感じに見えた。田崎と橋田は、顔を見合わせて頷いた。

「お前、こないだのバンド、どう思った?」

利知未が、明るい表情を見せる。

「結構、気に入った。曲はチョイ、ポップスチックだったケド、イイ感じだったし。ボーカルの声も綺麗だったよな?」

「ソーか。…実は、あのバンドな、定期的に音楽、変えてんだよ。」

「ソーなのか?」

「ああ。二、三年に一回くらいのスパンでさ。ポップスの前は、ニューミュージック系だったかな…?で、その度にボーカルも変わってんだけどさ。次はロックやるつもりらしい。」

「へー…。面白いバンドだな!でも、メンバー全員、上手かったから、どんな音楽でもイケそうだよ。」

ニコリと笑う。さっき利知未が弾いて見せたのは、ロック調の物だった。

「で、オレ、頼まれちまったんだけど。」

「センパイが、ボーカルすんの?」

利知未は少し、嬉しそうだ。しかし田崎は、首を横に振る。

「イヤ。…瀬川、歌ってみる気無いか?声かけて見てくれって、頼まれてたんだ。」

利知未は目を丸くした。

「俺が!?だって、歌えるかどうか知らネーよ?!」

「この前、話の中でさ、アン時初めて聴いた曲覚えて、チョイ口ずさんでたろ?その歌聞いて、リーダーが感心してたンだよ。一度しか聴いてない曲を、殆ど間違い無いメロディーライン辿ってたってさ。」

利知未はまた照れる。あの時は少し酒も入っていて、確かに少し調子に乗って、歌って見せてしまった。

「それで、次のロック期のボーカル、探していた所だったらしくてさ。弟ヅテのオレヅテで、声が掛かった。…どうだ?」

利知未は照れながら、暫く考えた。やがて、言った。

「…面白ソーだけど、俺まだ中二だぜ?それに、したら、ここにアンマ来れなく成っちまうよ。この場所、結構好きなんだよな。」

田崎と橋田は、少し嬉しい気もする。

「マネージャーのまま、いればイーじゃネーか?タマには顔出したって構わネーよ。」

橋田が言って、田崎が後を引き継ぐ。

「折角、筋イーンだから勿体ネーよ。試して見たらどうだ?」

二人に勧められて、利知未は気持ちが少し動いた。

「…そーだな…。チョイ考えて見るよ。今度の金曜、また行って来るからさ、そン時、良く音を聞いてくる。」

「そーか。じゃ、ダチには一応話し通したって、伝えとくぜ?」

「ああ。」

 昼休み終了の予鈴が鳴った。利知未はギターを田崎に返して、部室を出て行った。


 橋田と田崎は、五、六時間目、珍しく部室に残って話をした。

「櫛田さん、何て言うかな…?」

田崎が、自分が計画した事だというのに、少し不安そうな顔をする。

「…ソーだな。一応、連絡しておくか。」

「一度、櫛田さんが修行してる店まで行って見ないか?」

どんな反応をされるかは判らないが、筋を通しておきたかった。

「チョク話し、した方がイイかも知れネーな。」

橋田も頷き、二人で櫛田に会いに行く計画を立て始めた。

 もう一つの問題は、佐伯達の事だ。利知未を部から遠ざける事で、その事についても半分は、片が着いた様な気もするが、悩み所はまだまだある。そして結局、放課後まで部室に篭ってしまったのだった。


 その週の金曜、利知未は高坂、大野と共にライブハウスへ行った。

「へー、中はコンな、なってんのか。」

高坂は店内に足を踏み入れると、回りを見渡しながら呟いた。

「結構、狭いだろ?俺もこの前びっくりした。」

ライブは開始する前で、店内の音もそれほど騒がしい感じはしない。

「チケット、ワンドリンク付ってなってンな。折角だ、酒飲もう。」

ニ、と、まだ怪我跡の目出つ顔で笑顔を作り、大野が言う。

「イーンじゃネー?」

利知未も頷いて、カウンターに向かった。

 店内は暗い。私服姿の三人は中二に見える事も無かった。利知未は折角だったので、朝美から誕生日プレゼントに貰ったサマージャケットを引っ掛けてきた。

 利知未のサイズは探すのが大変だったらしく、大人のレディースから選び出して来ていた。中学生が着るようなデザインでは無い。この三人組、どうやら高校一、二年生くらいでも通りそうだ。

 この手の店は、アルコールを提供するのにもガードが緩い。流石に小・中学生相手なら躊躇うかもしれないが、常連の中には高校生くらいの客も多かった。アルコールも学生服でさえなければ大体、出してしまう。

 団部で既に酒の味を覚えてしまっている三人には、まるで天国だ。


 カクテルとビールで乾杯し、カウンターの片隅で立ったまま飲み始めた。利知未はタバコまで出して、火を着ける。

「お前、タバコ吸うんだったな。」

大野が改めて驚いた。普段、制服姿では吸わないようにしている。大野達がそれを知ったのは、先日のお礼参りの時だった。

「ン?ああ。…最初は単なる反抗心ってヤツで、始めたんだけどな…?」

指に挟んだタバコの煙を見つめた。薄暗さと服装も手伝って、大人の女の様に見えた。見ていたのが田崎なら納得したかもしれない。『女の成長は、早いんだよ』と言っていたくらいだ。

「お前さ、最近、一部のセンパイに、何か言われたりしなかったか?」

「何だよ?それ。」

「…イや、何となく。」

高坂の質問に、利知未はチョットびっくり顔を見せた。大野が、その高坂の頭を軽く小突く。『直接過ぎだっつーンだよ!』と、口パク付だ。

「…別に、特に、何にもネーよ?」

利知未は、少し考えてそう答えた。

「ソーか…。」

「いきなり変な事、聞くなよ。何かあったか?」

利知未の質問返しに、高坂が慌てて笑顔を作る。

「何にもネーよ。ワリー。」

「お、始まる見たいだぜ?」

大野が、ステージを振り向いた。


 ライブの後、利知未達はステージを降りて来たFOXのメンバーと対面した。乾杯して一通りの感想を話し終えてから、リーダーが聞いた。

「で、参加する気になった?」

団部の喋りに慣れて来た利知未には、物凄く軽い喋りに聞こえた。やや戸惑う。高坂と大野は、何の話しか見当がつかない。

「…興味は、アンだけどな。」

「何かヤバイ事、あるかな?」

「学校にバレたらヤバイし…。俺、アンマ自信無いよ。」

「学校か…。確かに問題ありそうね。」

現ボーカルのアキが頷いた。リーダーは考えがあるような顔をしていた。

「ま、それに着いては、任せてくれよ?」

ニヤリと、不敵な笑みを見せたのだった。




         五


 七月も、既に中旬を過ぎた。直ぐに夏休みだ。

 利知未は週一、二回、都内の貸しスタジオへ通い始めている。

 FOXのリーダーから根気強く勧誘され、ついにバンドへの参加を承諾したのだ。高坂と大野は、利知未がボーカルとして声を掛けられていたと言う事を聞き、びっくりしていた。

 しかも、団長と副団からも言われていたと聞いて、二度びっくりだ。

 翌日、早速二人は田崎に確認を取りに言った。そこで、団長達も自分達と同じ様な事を、気にしていた事を知った。

 つまり、一部の三年団部メンバーの、怪しい雰囲気だ。

 それで高坂と大野も、利知未にバンド参加を勧めた。利知未自身は、FOXのリーダーに加えて、仲の良い四人にまで口を揃えられてしまい、半分、戸惑いながらの決定だ。

 リーダーが考えていた案と言うのは、利知未が初めて練習スタジオへ顔を出した時に、判明した。



 そのスタジオに初めて行ったのは、七月に入って直ぐの火曜だった。

 兄達から贈られたギターを担いで、スタジオへ足を踏み込むと、FOXのメンバーが全員、喜んで迎えてくれた。

「俺、アンマ人前で歌った事、無いんだけど…、本当に良いのか?」

返って、利知未の方が恐縮してしまった。

「全然、構わないよ。コレから慣れてくれれば。」

ニコリと、リーダーが言う。

「アキだって、バンドで歌ったのが人前で歌う、初体験だったモンな。」

ベーシストの秋葉 拓也が、現ボーカルの大原 亜希子に話しを振った。

「私も、自信なんて無かったモン。大体、ウチのリーダーは強引過ぎな所があるのよね。」

ドラマー、北崎 敬太を振り向く。顔を合わせて頷いた。

「なに言ってんのよ?原石、見つけんの、オレの得意技だよ?」

リーダーが、歯を見せてニンマリと笑う。


 このリーダーは、高校入学と同時にFOXを立ち上げ、つい先日、二十歳になったばかりだった。アキが今年十九歳で短大生。拓はリーダーの同級生だ。敬太は高三。早生まれで、まだ十八にもなっていなかった。そこに、まだ中学二年の利知未が入って、バンドの平均年齢は約十八才と若い。若いからこそ拘りも無く、色々なジャンルに挑戦して行けるのかもしれない。頭も柔らかく、覚えも早い時期だから、自分達の可能性がどんどん広がって行く事を実感出来るのが、楽しいのだろう。利知未を受け入れてくれたのは、そんなメンバー達だった。


「原石って言われても、良く解らないな…。」

呟くような利知未の言葉に、リーダーがまたニヤリとする。

「自分から売り込む様なタイプは、単なる鍍金の場合が多いんだよ?」

メンバー全員を、チラリと目に入れて続ける。

「ウチのメンバーは全員、オレがスカウトして来てる。アキは知り合いのツテで、一緒にカラオケ行っただけだったけどね。拓は中学時代からベースやってるの知ってたし、敬太は別のバンドから引き抜いて来た。」

「ホント、強引なんだよ。」

敬太が初めてマトモに口を聞いた。顔は笑っていた。見ているこっちまでくすぐったくなる様な、可愛い笑顔だった。年上の男にそんな感想を持ったのは、利知未は始めてだ。

「ま、兎に角、やるだけやって見る。よろしく。」

改めて、利知未も笑顔で挨拶を交わした。

「さて、参加を決めてくれた途端なんだけど、取り敢えず何でも良いから歌って見てくれない?」

リーダーに言われて、利知未は黙って頷いた。少し照れ臭かったが、好きなバンドの曲を、ギターを弾きながら1コーラスだけ歌って見せた。

 全員、表情が変わった。思った以上だ。

 利知未の声は、高い方ではなかった。どちらかと言うと、年の割に低めでハスキー掛かった、中性的な声質だ。ちょうど声代わりをし始めた少年のような歌声だった。しかし伸びは良かった。

 偶にふざけて、団部の声出し訓練を真似して、参加していた事があった。知識としての複式発声は知っている。

 歌い終わった時、メンバーが口笛を投げて寄越したり、拍手をしてくれたりして、利知未は、また少し照れた。

「イケルな。」

「ああ。」

リーダーの呟きに拓が頷き、アキが少々、気の毒そうな顔をした。

「真面目に、あれで行くの…?」

敬太は、やはり口を出さない。ただ、アキと似た表情で利知未を見ていた。

「前、学校にバレたらヤバイって話し、したよね?」

「ああ。それはマジ、ヤバイ…。俺、結構、学校から睨まれてるトコロあるから…。」

利知未はヤバイと言いながら、意外と呑気な様子で頭を掻いた。

 リーダーは成る程と、頷いて見せる。

「正体、隠してステージに立って貰いたいんだけどな?」

軽めな調子で言う。

「隠すって、具体的にどうすんだ…?」

「先ず、年齢。十六くらいにゃ、見えるよな?」

メンバーに振る。全員それぞれ、頷いて寄越した。

「それと、性別…。」

利知未は面食らう。間違われて面倒臭くなって、誤魔化し通したことはあったが、始めから偽るつもりで行動した事は、無かったつもりだ。

「身長も、それ位あったら何とか通りそうだし。」

軽めの口調に戻って、リーダーが言う。

「そんなの、…ヘーキなのか?」

頭は余り働いてこなかったが、不安だけは浮かんでくる。

 何かの拍子で、このバンドのファンにバレたりしないのだろうか…?

「オレの見た目では、誤魔化し切れると踏んだんだよね。それに年も性別も違うって事で通れば、借りに学校に知れそうになったって、その情報だけでかなり誤魔化せると思うんだけどな?」

中々、良い案だろう?と、言わんばかりの調子だ。


 確かに、あの薄暗いライブハウスの中で、1ステージ一時間程度だ。

 声質も身長も、そして全体の見た目も、バレ無いでいる事は容易いかもしれない。何しろ、真っ昼間の河原から、店の中まで一緒に行動したアダムのマスターが、利知未の事を全く男だと思い込んだまま別れたのは、まだつい一年前の事だ。

 その時も、利知未は騙そうとした訳ではない。普通にしていただけだ。


「…どーなっても、知らネーぜ?」

利知未は暫く考えてから、そう答えた。

「ヘーキだよ。責任取れなんて言わないから。」

リーダーはニヤリと、もう一度笑って見せた。

 そして一月後、FOXの新たなボーカリスト、『セガワ』が誕生した。


 夏休みに入って直ぐ、橋田と田崎は、櫛田に会いに行った。

 櫛田は、修行をしている店から徒歩五分ほどの距離にある、六帖一間の狭い部屋を借りていた。店の定休が毎週水曜と聞いていたので、橋田達は櫛田の休日に合わせた。


 狭い部屋に上がり挨拶をした後、櫛田が自ら入れてくれた緑茶を、恐縮して受け取った。

「瀬川が音楽、始めました。」

田崎が、口を切って本題に入る。櫛田は随分と落着いていた。

「そうか。ま、良いんじゃないか。アイツが楽しんでりゃ。」

雰囲気は一端の男だ。社会に出れば、自然とそんな風になるのだろうと、橋田は、何となく貫禄を増した様に見える櫛田を見ている。

「最近、どうも三年団員の様子が、危なく感じたンです。」

話しは田崎が進めて行く。利知未をバンドに繋げた自分が報告するのが、筋だと思っている。


 自分の卒業後の、可愛い妹分の変化を聞き、櫛田は忙しい毎日に忘れ勝ちになっていた、応援団時代を思い出す。頬が少し緩む。イイ男の顔になっていた。橋田は自分の実兄と比べ見て感心した。環境は男の成長に、こうも影響する物か。

「瀬川を、どう面倒見て行くかは、お前等に任せた事だ。報告は感謝する。…お蔭で久し振りに、団部時代を思い出せたぜ。」

ニ、と、春に電車へ乗り込んだ時に見せた、櫛田らしい笑顔を見せた。

「その内、瀬川も連れて来い。アイツがそんなに女っぽいトコ見せるようになったってんなら、約束通り奢ってやるって言ってな?」

櫛田が昔、良く見せていた不敵な笑顔を見て、橋田も田崎も何処かホッとした気分になった。


 その後、櫛田は遥々、電車を乗り継いでやってきてくれた後輩に、近所の店で昼飯を奢ってやった。団部時代から、後輩にとって恐れ多い相手であると同時に、イイ兄貴分でもあった。

 そして駅まで送ってくれ、別れ際に言った。

「瀬川の事は、引き続き宜しく頼むぞ。アイツは、どうしても危なっかしい感じがする。」

橋田と田崎は顔を見合わせて、面白そうな顔付きになった。

『櫛田さんは、やっぱり瀬川に惚れていたらしい。』

そう改めて感じた。利知未の話を聞いていた時の櫛田は、何とも言えない、嬉しそうな顔をしていた。ただ、その思いを告げるつもりも無さそうだった。良い思い出にしようとしているのかも知れない。

 二人も感じていた。利知未には、男女のそう言った雰囲気は合わなそうだ。何時でも無邪気な顔で、自分たちの周りをチョロチョロしている様子が、周囲に何となく幸せな気分を与えてくれる。

「分かりました。オレらが、守り通します。」

田崎が改めて、請け負った。橋田も頼もしげに頷いて見せる。

「お前等も、イイ顔になってきたじゃネーか?」

その二人に、嬉しそうな顔をして櫛田が言った。

「まだ、まだっす…飯、ご馳走様でした!」

「今度は、瀬川も連れてきます。」

「おう、よろしく言っといてくれ。じゃーな。」

「失礼します!」

キビキビとした礼をして、二人は改札へ入って行った。

 櫛田は二人を見送り、来た道を一人、引き返す。

 卒業式後、祝賀会の時に、校庭を眺めながら利知未が言った言葉を思い出した。

「…イイ女、ね。…センパイこそ、イイ寿司職人になってくれよな!?」

ニコリと笑顔で、そう返された。修行で躓き掛けた時、何時もその言葉は、櫛田を支えてくれていたのだった。



 その夏休みの利知未は、忙しかった。毎週二、三日は、バンドメンバーと練習に励む。

 三日間は、裕一のアパートにも泊まりに行った。偶には橋田のバイクを弄らせて貰いにも行ったし、宏治の喧嘩稽古にも付き合った。宿題もある。

 そして、初めてライブハウスに立ったのは、八月三週目の、金曜日だった。


 七月末、宏治が下宿へやって来た。偶々、玲子が玄関先に出た。

「今日は!瀬川さん、いますか?」

まだ幼さが残る宏治の姿には勿論、見覚えがある。利知未の後輩、応援団部の一年だ。玲子は応援団部員に対して、余り良い顔はしない。

『何でも直ぐに暴力で片付けるなんて、乱暴過ぎよ!』

と、最近の利知未との口喧嘩理由ランキング、三位だ。

「少々、お待ち下さい。」

やや冷たい様にも感じる慇懃無礼な態度で、宏治を玄関先に待たせると、利知未を起こしに行った。そろそろ十時近くにもなろうと言うのに、昨夜も遅くに帰って来た利知未は、まだ夢の中だ。口喧嘩理由ランキング、堂々の一位である。

『女子中学二年生が、夜遊びなんて、不謹慎過ぎる!』

と、言う事である。利知未が遅くなる日は、バンドの練習日だ。

 里沙は最近、喧嘩で傷を作ってくるのと、どちらがマシか思案顔だ。

 玲子に乱暴に起こされ、ぶつぶつと文句を言いながら、着替えと洗面を済ませ、利知未は階下へ降りて行った。


 喧嘩稽古と言っても、利知未が宏治に教えているのは、合気道の触りだけだ。先ずは怪我をしない事を覚えさせ、次に自分の身を守れるくらいの、受け流し方を教えている。それで充分だと思っている。

 元々、宏治は力も余り無く、身体も小さいので、どうしても攻撃力を上げるのは難しい。大体、宏治相手に喧嘩を吹っかけてくるのは、自分よりも弱そうな相手を探して歩いている、卑怯者ばかりだ。

 そんなヤツ等、マトモに相手にする事も無い。そんな相手に、障害を起こしてパクられたりしたら詰らない。

 そしてこの訓練のお蔭で、宏治の生傷は徐々に減って行ったのだった。



 八月に入り、利知未は久し振りに、橋田のバイクへ乗せて貰った。

 バイクに興味を持った利知未に、橋田の兄も好意的に接してくれた。

 橋田兄弟との交流を持つようになって、利知未は朝美と橋田兄が、クラスメートで有った事を知り、「世間は狭いな」と、まるで大人のような事を言って、橋田兄弟を笑わせた。

「トコロで、こないだ櫛田さんに、挨拶しに行って来たぜ?」

バイク整備をしながら、橋田が言った。了、団長の方だ。兄は始と言う名前だ。橋田の両親は、息子二人で子作りを射ち止めにしたらしい…。

「えー、何で声、掛けてくれなかったんだよ!?」

膨れた利知未を見て、橋田が笑う。

「最近お前、バタバタしてただろーが?よろしくって言ってたぜ。今度、店に来いってさ。」

「連れてってくれよ?俺、店の場所、知らネーモン。」

「そーだな。今度、案内してやンぜ。」

「約束だぜ!?」

橋田家の、庭先での事だった。利知未は部員名簿に書かれた住所をチェックして、いきなり電話をしてやって来た。

「おい、了!この前のガソリン代、払えよ?…ン?」

橋田兄、始が、玄関を出て来ながら声を掛けた。珍しい客を見て眉を上げる。夏の服装は身体のラインも隠れないので、利知未の性別に誤解も生まれなかった。

「兄貴だ。元・応援団部・副団、橋田 始。」

「あー、やっぱ気合入ってンな!チース、お邪魔してまっす!」

利知未は始に、応援団式礼をして見せた。

「何だよ?生意気に!彼女か?」

橋田兄弟は体格が意外と良かった。どちらかと言うと細身にも見えるが、絞まった筋肉が特徴だ。背は170センチ台と言う所か。先ず平均だ。

「チゲーよ、団部のマネージャー。」

「ケ、どっちにしたって生意気だな。俺らの時代はマネージャーなんていなかったぜ。それより金、寄越せ。約束あんだよ。」

『判ったよ』と言いながら、ポケットから財布を出して兄に金を払った。

 その日は橋田のバイクへ乗せて貰い、定休日のスーパーの、広い駐車場まで行った。そこで少し、運転を教えて貰った。



 初ステージに立つ前に、裕一のアパートへ泊まりに行った。

「ギター持ってこようと思ったんだけどさ、アンプが無いから音、出せネーンだよな。」

「普段は、如何してるんだ?」

「センパイのお古、譲って貰ったんだ。」

ニコリと笑う。態度や言葉使いは、対して変わらなかったが、微妙な部分がまた少し、少女らしく成長していた。笑顔が良い基準だ。

 利知未自身は、昔と変わらない表情を作っているつもりだが、自分でも気付かない内に、変化して来ている。

『これは、意外と早くに女らしい利知未を見る事が、出来るようになるかも知れないな…。』

裕一は、そんな風に思って微笑んだ。

 翌日から、また一泊だけ共に過ごした優とは、相変わらず喧嘩ばかりしていた。口喧嘩で、また舌を出し合う兄を見て、利知未はバンドの敬太を思い出した。ふと、真面目な顔をする。

『敬太って、優兄と同学年の筈だよな…?そーイや、橋田センパイの兄貴と、朝美も同じだ…!…何で、こんなに皆、違うんだろう?』

その利知未の表情を見て、喧嘩中だった優も、気が反れてしまう。

「なに、急にマジな顔してんだよ?」

気が抜けた優の声に、我に返った。優の皿から惣菜を奪い返した。

 喧嘩の理由は、夕飯の惣菜の奪い合いだった。

「あ!テメー!!」

再び優が叫ぶ。利知未はへへっと笑いながら、奪い返した惣菜を口に入れた。

「もう遅いぜ?大体、チャンと人数分で分けてんだ。人の分、横取りすんなよな!?」

口に、いっぱいに頬張りながら言う利知未に、裕一もつい前日に感じた希望を、打ち消される思いがする。

『まだまだ、時間掛かるか…?やっぱり。』

諦めたような笑顔を見せた。



 そして、八月・第三金曜日の夜。

 利知未は薄暗いステージの上で、ギターの最終チェックをしながら、胸のドキドキと戦っていた。

『コレが、俺の初めてのステージだ…。上手くデキンのかな…?』

自分の楽器を調節しながら、リーダーと拓が、代わる代わるに声を掛けてくれた。『大丈夫だ、心配するな』小声で囁く。

 全員の調節が終わったのを確認して、リーダーが敬太に合図を送った。

 敬太が頷いて、スティックを打ち鳴らす。

「One.Two.Three.Four!」

 そして…、闇から新しい音楽が弾けた…!




      幸せの種 第三章 了 (次回は、9月14日22時頃 更新予定です。)






三章も最後までお付き合い頂き、有り難うございました。<(__)>

利知未中学編は、ここで漸く折り返し地点です。これから先、利知未の人生を決定する大きな出来事が待っております。只今、編集中です!

宜しければ、またお付き合いをお願いいたします。

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