二章 センパイ
利知未の、中学時代の懐かしい思い出話、第二章です。中一の夏休み最後に、利知未は長兄・裕一が一人暮らすアパートで、次兄・優と三人で、楽しい一日を過ごしてきたばかりです。さて、二学期。今度はどんな出来事が、利知未を待っているのでしょうか…?
この話は、決して未成年の喫煙、ヤンチャ行動を推奨するものではありません。
ご理解の上、お楽しみ下さい。
二章 センパイ
一
楽しかった夏休みは終わり、二学期が始まっていた。保健室で利知未は、授業のサボり仲間と話している。
「お前、最近、川中の奴等と揉めてんだって?」
「耳が早いじゃん?別に、俺から突っかかってんじゃねーよ?」
「アイツ等、タチワリーからな…。何かあったら声かけろよ?加勢してやるぜ。」
「サンキュー。でも、今んトコ、ヘーキだよ。」
「…だろーな。」
三年の、顔役グループのナンバー2だった。名を、櫛田 猛と言う。名前通りの乱暴者だ。
利知未は、櫛田と大喧嘩をした事がある。転校して来て、まだ一ヶ月も経っていない頃の事だった。
最近は、少しは真面目に学校へも来る様になった利知未だが、その頃は良く、授業を無断で抜け出して、私服で街をブラブラしていた。
櫛田とは、商店街の小さなゲームセンターで会った。
「おい、お前!」
いきなり呼び止められて、振り向いた。
「一年に転校して来た、瀬川じゃねーか?」
「ソーだけど。あんた、誰?」
「オレの事を知らねーとは。…クラスのヤツから、教わんなかったか!?」
「知らねー。で、誰なんだよ?」
タチの悪そうな顔立ちをしていた。カツアゲでもする気なのかと思い、利知未は最初から、挑戦的な態度を取っていた。
「噂通り、良い根性した女だな。…少々、生意気だから、シドーしてくれってな、一年から言われてンだよ?」
面倒臭い事になったと思った。取り敢えず、店の中で暴れるのは、利知未のポリシーに反する事だった。
「ナシ付けよーってンなら、外に出よーぜ…?」
睨みを効かせて、誘い出した。
「良いだろう。」
場所を変え、路地裏に出た。
「で、何が気に入らネーって?その一年。」
「お前に痛い目、見せられたって話しだ。」
「…何てヤツだよ?」
一人、思い当たる相手がいた。しかし、そいつは本当にどうしようもない奴だった。痛い目に合う事になった理由は…。
実は、利知未に振られたのだ。
利知未は、中世的な、綺麗な顔立ちをしていた。ただ、年の平均より高い身長と、細身の体、普段の言動は、どう見ても少年のようだった。この夏、河原で知り合ったアダムのマスターが、その性別を正しく把握できないままで、数時間を過ごしたのは、まだ二ヶ月前の事だ。
転校して来て直ぐ、利知未は男女問わず、その容姿から妙な人気が出てしまっていた。制服姿でいれば、中々、綺麗な女の子だ。体育の時ジャージ姿になれば、今度は格好良い男の子に見える。
中学一年と言えば、そろそろ徐々に色気も出てくる年頃だ。女の子は勿論、早熟だし、男の子も小学生時代から変わり、男女の差と言うモノに興味を示し始める。それが、原因だ。
数日前、ちょっと突っ張った感じに見せていた、隣のクラスの男子から、利知未は体育館裏に呼び出された。そこで告白された。利知未は面食らった。そんな事は始めてだった。更にそいつは、かなり早熟だった。
告白方がなってなかった。いきなりキスをしようと迫ってきたのだ。
利知未は容赦無く投げ飛ばした。
「名前は言えねぇな…。後輩の名誉に関る事だ。」
「…ソーかよ?どう聞いてきたか知らね―けど、こっちの者同士、拳で決めよーぜ?」
構えた利知未に、櫛田はへへっと笑って見せた。
「話が早えーじゃねーか。気に入った!望み通り、拳で決めてやる!」
飛びかかってきた櫛田をさらりと避けて、後ろからトンっと押してやった。櫛田は姿勢を崩して、ゴミバケツに突っ込んだ。
しかし直ぐに立ち上がり、蹴りを放つ。利知未はそれも軽く避けて、同じ方向へ力を流す様に、蹴りで返した。櫛田はまたバランスを崩す。今度は転ばずに踏ん張って、振り向いて言った。
「妙な技、使うヤツだな。何処で覚えた?」
「昔、ちょっとね。」
利知未はワクワクし始めた。戦い涯があるヤツだと思った。
「そろそろ決めてやるよ!」
身体ごと突っ込むようにして、ストレートパンチを放ってきた。身を屈めて拳を避け、利知未は自分の拳を、そいつの鳩尾に入れた。
ボディーブローだ。利知未の力だけならば、大した衝撃も無かっただろうが、そいつは自分が突っ込んで行った勢いで、倍以上の衝撃を受けてしまった。膝が折れる。利知未はくるりと体を回転させて、首筋裏の急所に手刀を放った。…それで、勝負は着いた。
利知未は怪我一つしていない。一対一の喧嘩で、利知未を傷付ける事は、先ず不可能だった。
合気道の技だけではない。利知未の素早さと、常に相手の隙を見抜く目は、通常の相手に喧嘩で負けると言う事を、知らなかった。
昔から、四歳も年上の優と、兄弟喧嘩を繰り返して来た経験もある。ただ、優相手の喧嘩なら、三回に二回は負けてしまうのだが……。
しかし利知未は、この櫛田と言う先輩を気に入った。
後輩の名前は出さずに、真っ向から自分と喧嘩をし、少しは持ち堪える事の出来る腕もある。ゴミバケツから素早く復活した身のこなしも、感心出来る。
ハンカチを水に浸してきて、ゴミバケツへ突っ込んだ時に出来た、頬の傷を拭ってやった。傷に凍みて、櫛田が目を覚ました。
「…お前、」
「何だよ?蹴りは着いたよな、まだやるのか?」
「…いや、いい。…潔いんだよ、オレは。」
「言葉は、使い様だな。」
笑った利知未に、櫛田は、照れ臭そうな笑顔で答えた。
「…あのさ、苅谷ってヤツじゃネーの?その一年。」
「…それは、言えねーな。」
利知未はまた、櫛田を見直す。
「ま、良いよ。じゃー、思い当たる事の、理由だけ言わせてくれよ?」
「…。」
「体育館裏でさ、いきなりキス迫って来たヤツがいてさ。…思わず投げ飛ばしちまったよ。」
櫛田が、びっくりした顔をする。これは、正しい理由を聞かされていなかったんだと、利知未は判断した。
「…ソーユー事。」
「…アイツ……!」
「…って事でさ、これから仲良くしてくれよ?センパイ!」
右手を出して、櫛田の右手を、握手の様に握った。そのまま、立ち上がらせようと引っ張る。櫛田は左手を地面に着いて、素直に立ち上がった。
それが、五月中旬の事だった。今は九月。二学期が始まって、まだ一週間も経っていない。
「貴方達!随分、元気な様ね?もう授業に戻れるんじゃない?」
ベッドの周りに掛かっているカーテンを、バサッと勢い良く開いて、養護教員の佐渡 容子が、仁王立ちしていた。
「ア、イタタタタタ!まだ頭が…。」
櫛田が、態とらしく腹を押えた。
「センパイ、そこは腹だよ?」
利知未が軽く吹き出して、突っ込んだ。
「そーね。瀬川さんも、もう熱は下がったんじゃないの…?」
額に手を当てる。やっぱり、と言う顔をした。
利知未は、体温計を布団で擦って温度を上げると言う、良く、小学生がずる休みをする時に使うような、チンケな方法でベッドを借りていた。
大体が、佐渡がカーテンを開けた瞬間、ベッドの端に腰掛けて、足をブラブラさせていたのだから、バレない訳がなかった。
利知未は軽く舌を出して、笑って言う。
「ア、やっぱバレた?」
佐渡は手をこまねいて、困った顔で利知未を眺める。どうも、この子の笑顔は憎めない。
ヤンチャな小学生が、間違えて、お姉さんのセーラー服を着て、中学校に来てしまった様な、そんな雰囲気の笑顔を見せるのだ。
それに、テストの成績も頗る良い。転校をして来て一週間程は、何の問題も起こさず、大人しくしていた。無断欠席、遅刻、早退をしていたのは、五月に入ってから七月の始め迄の、約二ヶ月だった。
その頃に担任から言われて、何度かカウンセリングを行った事がある。
その時は、行動事態には、確かに問題がある生徒ではあるが、気持ちの芯の部分は、それほど酷く病んではいない様な印象を受けた。
丁度、保健室友達になった櫛田にも、同じ様な印象がある。ただし、櫛田は成績も悪い。
「バレた?じゃ、ないでしょう。健康な生徒に開放するベッドは、生憎、ここには無いのよ。早く教室に戻りなさい!」
利知未は首を竦めて、ベッドから飛び降りた。
「ヨーコさんが恐いから、俺は戻るよ。じゃーな、センパイ!」
佐渡は両手を腰に当て、元気に歩く利知未を見ていた。利知未が出入り口で、振り返った。
「ヨーコさん、」
「なに?瀬川さん。」
ニヤリ、として利知未が言った。
「アンマ恐い顔してると、小皺が増えるよ?」
「余計なお世話です!」
飛んできた枕をヒョイっと避けて、利知未は保健室を逃げ出した。
後ろから、櫛田の笑い声が飛んで来た。
それから利知未は、残りの授業を真面目に受け、給食を確り平らげ、五時間目の体育で大活躍をした。担任の松田は呆れ顔だ。
「瀬川。お前、三時間目、頭が痛いって、保健室へ行っていたんじゃなかったのか?」
走り幅跳びで四メートル近くの距離を出し、五十メートル走で六秒代後半の高記録を叩き出した利知未に、松田は呆れて言った。
「エ?もー治ったぜ?健康そのモノだろ?!」
「言葉!」
「煩せーな…。モー治リマシタ!センセイ!ゴ心配カケテ申シ訳アリマセン!」
「良し!次!」
利知未は舌を出し、順番を終えて大人しく並んでいる生徒の列についた。
「ね、ね、利知未!陸上部、入りなさいよ?!」
体育座りをし、詰らなそうに、膝に頬杖をついている利知未の脇へ、斎藤 貴子が寄って来た。彼女は、利知未が転校して来た時、始めの席順で前にいた生徒だ。利知未と違って背が低く、可愛らしい感じの少女だった。しかし、気が強い。積極的でもあった。
初登校の日。やや異質な雰囲気で、全体から遠巻きに見られていた利知未に、初めて声を掛けたのも貴子だった。
授業中にくるりと振り向き、「教科書、持ってる?」と、聞いた。首を振る利知未を見て、その隣の席の男子に意見した。
「見せてあげなさいよ!…うわ、すっごい落書き!!」
男子生徒の教科書を覗き込んだ。手を上げ、教師に言う。
「先生!瀬川さん、武田の教科書じゃ勉強、出来なさそうだから、あたし、武田と席、変わって良いですか?」
窓際の席だった。右隣しかいない。それで、ぶつぶつ文句を言う武田を、蹴っ飛ばすような勢いで、隣の席へ移動してきた。
その後、利知未が妙な人気者になって行き、学校で何かと注目されるのが煩くて、無断欠席、遅刻、早退をし始めた後も、貴子は相変わらずの態度で、利知未と仲良くしてくれていた。
気が強く積極的な背の低い少女は、それから利知未の、クラスで数少ない友人となった。貴子の所属は陸上部だった。
「運動部なんてカッタリーじゃん?皆、良くヤルよな。」
「勿体無いよ。運動神経、良いのに。あたしなんか、速いの足だけだもん。もうちょっと背が伸びれば、良いんだけどな。」
剥れた顔をする。彼女は長距離の選手だ。マラソンなら一年女子の中で、誰にも負けない。
「走ってて、楽しいか?」
利知未と同じ様に、膝に頬杖をついていた顔を、ニッコリとさせる。
「楽しいよ。」
「ふーん。」
号令が掛かった。そろそろ五時間目も終わりだ。六時間目は数学だ。
『カッタリーな…。サボっちゃおうかな…。』
思いながら立ち上がり、たらたら走って、集合して行った。
結局、六時間目は貴子の監視で、サボる事が出来なかった。仕方なく、真面目に授業へ出た。本人にとっては迷惑な話しだが、良い友人である。
貴子は今日こそ、利知未を陸上部に引っ張って行こうと思っている。
利知未は放課後の清掃時間、ゴミ捨てに行くと理由をつけてサボり、適当な時間を計って、戻る事にした。
その時、正門の外から校内を監視している、川上中学のイカレたブレザー姿を見つけた。
誰も巻き込むつもりはない。教室へ戻り鞄を持って、ホームルームを蹴って、正門へ向かった。
「瀬川はどうした!?」
帰りのホームルーム開始時、松田が生徒に聞いた。
「知りませーん!さっき鞄持って、出て行きました。」
立花 勇樹。クラスでも、お調子者の部類に入る男子だった。意外と利知未とは仲が良い。貴子繋がりだ。
「ちょっと、ユーキ!何で止めなかったのよ!?」
貴子が、近くの席から声を上げた。
「一応、声掛けたんだけど、無視された。」
「今日こそ、部活に連れてこうと思ってたのに!」
口惜しそうに、貴子が言った。
「ったく、アイツは…。まー良い。とにかく連絡だけしてしまう。」
松田がぼやいて、連絡事項を伝えると、急いで教室を出て行った。
ホームルームの時間。教室以外の校内は、静かだった。利知未は堂々と一人、正門へ向かって行った。
門を出た途端、川上中学のイカレたグループが、利知未を取り巻く。
人数は五人。その内二人は女だ。剃刀を使うのは、女の一人だった。
「毎度、毎度…。態々お迎え、ゴクロオさん。」
ニヤリと笑い、塀を後ろにしたまま、五人を均等に視界へ入れた。
男三人が前列、女二人が後列でニヤニヤしている。前列の真ん中にいるのが、以前、河原で、宏治を相手にカツ上げをしていた、身長170センチ程の、柄の悪い奴だ。
「この前は三人だったのに、新しいお友達まで、連れてきたのか…。」
利知未が、呟くように言って、軽く溜息をついた。
「どーしてもオレのダチが、お前に挨拶したいって言うモンでよ?」
真ん中の男が言う。ジリジリと、輪を狭めてきた。
『場所が悪りーな…。』
心の中で呟く。五人対一人の喧嘩なら、横幅が狭く、自分の後ろに、もう少し余裕があるような場所が良い。
『コイツ等も、一応バカじゃないって事か…。』
もう一度、溜息をついた瞬間、新しく加わった体格の良い男が、飛びかかってきた。利知未は左に避けて、その攻撃をかわした。男は塀にぶつかりそうになり、拳を開いてバン!と音を立てて止まった。
「成る程…。すばしっこいヤツだ。」
ニヤリとして、利知未を睨んだ。利知未も睨み返す。ニヤリとし返して、輪の外へ出ようと、向きを変えた。
そこに剃刀を振りかぶって、女が襲いかかる。利知未は、その剃刀を持った腕の手首に、自分の左拳をぶち当てた。手を返して、女の手首を掴む。
脇を抜けるようにして後ろへ回りながら、その腕を捩じり上げた。塀に女の手をぶつけて、凶器を落とす。
「痛ってーー!!!!」
悲鳴の様な女の声が上がる。その動きの間、3秒から5秒と言う所だ。そのまま女を転がした。変な体重の置かれ方になっているのだから、バランスを崩しやすい方へ引っ張ってやれば良い。道が出来た。
利知未は走り出す。兎に角こんな動き難い所では、埒が明かない。
「テメー!逃げるのか!?」
直ぐに残りの四人が追い掛けてきた。利知未の足に追いつく奴が、果たして何人いる事か…。
利知未は四人を、公園まで誘き寄せた。公衆トイレの裏側に、丁度良いスペースがある。遊び場では、小さな子供達に被害が及んでしまう。
利知未の足に、追い付いて来た奴はいなかった。利知未はゆっくりと、息を整える時間を確保できた。
「…テメー。…なんつー…足の、速さ、だ…。」
追い付いてきた奴が、喘ぎながらヨロヨロと構えた。
「♪もしもし亀よ、亀さんよ、…タバコの吸い過ぎじゃネーの?」
節をつけて少し歌い、ニヤリとして見せた。
「上等だ!!」
息が上がった相手に、利知未が負ける筈は無かった。しかも公園には、足の速い順に追いついて来る。
三十分後。公園のトイレ裏に伸びている奴らを見つけた子供が、大声で泣き出した。慌てて親が走り寄り、その惨状に目を丸くした。
……利知未の姿は、既に無かった。
二
朝、利知未は、酷い腹痛に襲われて、目を覚ました。
起き上がろうとして、クラリとする。
『何何だ…?いったい…。』
やっとでベッドから這い出し、トイレへ向かった。パジャマのズボンが、何となく気持ち悪い感じがしている。
個室に入り、下着を脱いで唖然とした。
「これ…!?……ついに、キチャッタって事か………?」
キョロキョロと中を見回して、朝美が棚の上に置きっぱなしにしていた生理用品を取り、使用方法をじっくりと読んで見る。
『…下着も替えなきゃ…。』
取り敢えず二つ貰い、一つを使用し、残りを持ってトイレを出た。
「なんか、ガサガサして変な感じだ…。」
ぼやいて見た。
部屋へ戻り、改めて下着を履き替えて、処置し直す。ついでに着替えも済ませて、ベッドを確認して見た。
「漏れては、いなかったんだ。」
ホッとする。下着とパジャマのズボンだけ、洗えば済む。
部屋を出て、階下へ向かった。
階段を下りて来た足音に、朝食の準備をしていた里沙が気付いた。まだ六時半。誰が下りてくるにしても、早過ぎる時間だ。
気になって、足音がしていた方へ顔を出した。利知未が浮かない顔をして、脱衣所のある方向へ、向かって行く所だった。
「あら、珍しい!もう制服に着替えたの?」
利知未は、手に持っていた汚れ物を、反射的に後ろに隠した。
「なに?今、隠したの。」
「…何でもない!洗濯機、これから回すんだよな?」
何時もと様子が違う利知未。気になった。近付いて行き、後ろに隠している物を覗き込んだ。利知未は、今度は前に抱え持つようにする。
チラリと見えたのは、パジャマのズボンの様だった。首を傾げる。パジャマを洗うのなら、上着もある筈だ。
「ちょっと、見せてね?」
利知未の手から、それを取り上げた。
「あら…。血液汚れじゃない!」
里沙は思い当たって、笑顔になる。
「返せよ!」
慌てて取り戻した利知未が、赤くなっていた。
「おめでとう。…お赤飯、炊かなきゃ?」
「イーよ!そんなの!……恥かしいから。大体、何でおめでとうなのか意味分からねーよ。こんなの、面倒臭いだけじゃないか。」
利知未らしいと思った。里沙は優しく、言って聞かせる。
「子供を産める身体になるって事は、素晴らしい事よ?貴女が今ここにいるのだって、お母様が初潮を迎えて成長して、お父様と知り合い、愛し合った、その結果なのだから。」
利知未は俯いたまま、ふて腐れたような顔をしている。
「私もそう。私のお母様が初潮を迎えて、成長してお父様と知り合い、愛し合って、その結果として私が生まれて来たの。…女性に生理が無ければ、私も貴女もどうやって生まれてこられる…?それに、私達の未来の赤ちゃんも。」
「…俺は、自分の子供に辛い思い、させたりするくらいなら、赤ちゃんなんて欲しくないよ。」
呟くように吐き捨てる。里沙は、利知未の家庭の事情を思い出した。
「何を決めつけているの?…利知未が将来、どんなお母さんになるか何て解からないでしょう。…子供に辛い思い何かさせない、貴女の理想のお母さんになれば良いんじゃない。」
「…話し、違うよ。」
「違わないわよ?…その内に、解る様になれるわ、貴女なら。」
里沙は、この夏に裕一と、夕食を共にしていた時の利知未を思い出していた。
「…いつか、大切な人が出来て、その人との赤ちゃんが、欲しいと思えるようになったらね?…今は、面倒臭いかもしれないけど、きっといつか、女に生まれた事を感謝出来る様になれるから。」
「そんなの、解からないじゃないか!…洗ってくる。」
ふて腐れたように言い捨て、早足で脱衣所へ向かって行く、利知未の後姿に、気遣わしげな瞳を向けた。
利知未は脱衣所で、洗面台に水を張って、汚れ物を自分で洗った。血液汚れには馴染み深い。水洗いの必要と、石鹸を使うと良く落ちる事等は、喧嘩で作った血液汚れを落とす時と、同じ様な物だと思った。固く絞ってから、これから洗う服が入った洗濯機の中に、ほおり込む。
それから、何となくキッチンへ向かった。
四人分の朝食を作っている里沙の元へ行き、手伝い始める。面倒臭い事が嫌いな利知未だが、この夏に裕一のアパートへ泊まりに行ってから、良く料理を手伝うようになっていた。いつも、朝食の準備時間などには、起きて来られない。だから、夕食準備の手伝い専門だ。
「あら、助かるわ。」
里沙は何も聞かず、変に探りを入れる事もせずに、素直に、その利知未の手伝いに感謝をして見せてくれた。
その朝、利知未は、何時もより早くに下宿を出た。
数日前、利知未は学校で川上中の奴らの待ち伏せを受け、そして公園で、そいつ等を伸したばかりだった。まだ五日も経っていない。
起きた時からの体調の悪さで、機嫌も頗る悪くなっていた。しかし、何より困るのは、この貧血だ。
今日、もしもまたアイツ等がやって来た時、体調の悪さが仇にならない事だけを祈って、待ち伏せの危険が少ない、早い時間に出て来たのだ。登校路は、大丈夫だった。
教室で、利知未はボーっとして過ごした。日直よりも早い時間だ。保健室も、まだ養護教員の佐渡はいない時間だろう。
何よりも、今まで経験が無い酷い貧血で、頭さえ働かない。ショックもあった。その内に、ウトウトしてしまった様だった。
「うわ!瀬川がいる!?」
男子生徒の声で目が覚めた。ゆっくりと顔を上げて、頭を巡らせた。
「…細居か。…日直なのか?」
「…ソーだけど、お前、なんか凄い顔色してんな?具合、悪いのか…?」
細居 直哉は、貴子と仲の良い、立花勇樹と仲が良い。
と言うより、立花が、そのお調子者の性格で、クラスの中でも比較的人気者なのだ。立花の将来の夢の一つに、お笑い芸人と言うのがあるらしい。
心配そうに顔色を見ている細居に、利知未は無理に口の端を上げるような笑顔を見せた。
「何でも、ねーよ。」
「保健室、行ったほうが良いんじゃないか?」
「まだ、ヨーコさん来てないんじゃないか。」
「どーかな?」
細居は、自分の机に鞄を置いた。
「朝練、無かったのか?」
「あったよ。早抜け。」
「ふーん。」
確かサッカー部だ。立花も同じ筈だった。利知未は、再び机に突っ伏した。細居がまた、言った。
「やっぱ保健室、行った方がイイよ。…ついてってやるか?」
優しい性格の持ち主だった。三人の弟妹がいる兄貴だと、聞いた事があった。面倒見が良いのだろう。
「…いーよ。適当に時間見て、自分で行くから…。暫くほっといてくれ…。」
「…分かったよ。ンじゃ、日直の仕事するかぁ。」
やや、面倒臭そうな声を上げ、窓を開けたり黒板消しを叩いたり、そういった仕事をし始める。偶に、チラリ、チラリと利知未の様子を見て、気にしてくれていた。
利知未は、ホームルームの始まる前に、保健室へ向かった。教室にはあれから五、六人の生徒が増えていた。
保健室に姿を現すと、佐渡が驚いた顔をする。いつも健康で、授業をサボりに現れる利知未が、真っ青な顔色で、軽く腹を抑える様にして入って来たのだ。演技ではなく、本当に辛そうにしている。
「また、凄い顔色ね…。」
椅子に座った利知未の顔色を、覗き込む。
「今日はサボりじゃねーよ?本当に辛いから、来た。」
「そんなの、顔見れば解かるわよ。…貧血?」
顔に手を伸ばし、瞼の下を裏返して見る。真っ白だった。
「…後、腹痛…。」
「瀬川さん、生理まだだったわよね?」
「……。」
俯いてしまう。その様子で、解かったようだった。
「来たの?」
俯くように、頷いた。
「おめでとう。…やっと女の子になったのね。」
「まただ…。俺には、おめでたいなんて思えねーよ…。」
クスリと、笑われた。ふて腐れた様子が、小学校低学年の男の子のようだった。セーラー服を着ていなかったら、判らないかもしれない。
「説明は、小学校四、五年生で受けてきたわよね?」
頷く。その時も、そんな面倒臭そうな物は、一生いらないと思った。
「じゃ、改めて説明もしないけど…。生理痛、酷そうね?薬上げるから、飲んで暫く休んでいなさい。担任には私から伝えておくから。」
利知未は、目を剥く様にして顔を上げる。
「松田に、言うの!?」
「言わなきゃ仕方ないでしょう。」
「だって……。」
また、俯いてしまった。佐渡は小さく笑って、優しく言って聞かせる。
「恥かしいかもしれないけど、大丈夫よ。松田先生は保健体育の先生なんだし、高校生になるお嬢さんだって、いらっしゃるんだから。」
「…そー言う問題かよ…?」
「そう言う問題じゃ無いかしら?…とにかく、薬飲んで。」
立ち上がり、棚から薬を出して手渡してくれた。水を汲んでくる。
「朝食は、食べてきてるわね?」
頷いて、水を受け取り、薬を飲んだ
ベッドへ横になると、ほんの二、三〇分ほどで眠ってしまった……。
次に目を覚ましたのは、どうやら二時間目と三時間目の、間の休み時間らしかった。閉められたカーテンの向こうから、聞き覚えのある声が、佐渡と話をしている。
「瀬川さんの様子は、どうですか?」
貴子の声だった。休み時間に、様子を見に来てくれた様だった。
「良く眠ってるわ。起きて大丈夫そうだったら、授業に出るか、お家へ帰るか、本人に確認して連絡します。」
「分かりました。…起こしちゃったら可哀想だから、私、このまま教室に戻ります。」
「そうね。来てくれた事、伝えておくわ。」
「はい。お願いします。失礼しました。」
戸の開く音がして、また新しい声が聞こえて来た。
「キャ!ごめんなさい!」
「おっと、ヘーキか?…お前、瀬川のクラスメートだな?」
今度は、櫛田の声だった。貴子を呼び止めている。
学校でも有名なグループの、中でも有名な上級生に聞かれて、貴子は恐る恐る答えた。
「…はい、そうですけど…。」
「瀬川、大丈夫なのか?」
その言葉を聞いて、驚いた。
「え!?…ええ、はい。まだ、良く眠ってるって…。」
「そーか…。引き止めて悪かったな。」
「…いえ。」
素直に廊下を歩き出し掛けて、貴子は意を決し、振り向いた。
「あの、利知未…、瀬川さんと、どう言う……?」
保健室に入りかけていた上級生が、顔を向けた。左右の眉が、互い違いに上下していた。…恐い顔だ。
しかし元々、気の強い貴子は、やや怯みながらも視線を外さない。
次の瞬間、貴子はまたびっくりする。その恐い顔が、余り、作り馴れて無さそうな、不器用な笑顔を作ったのだ。
「ダチだよ。心配すんな。じゃーな。」
そう言って、保健室に入って行った。貴子は唖然と見送った。
「ヨーコちゃん!瀬川、まだ居るって?」
気安く名前にちゃん付けで呼ばれて、机に向かっていた佐渡が振り向く。
「まだベッドは空かないわよ。タマには真面目に授業受けなさい。」
直ぐ机に向かい直した。櫛田はノウノウと、隣の椅子に掛ける。背凭れを前に腕を乗せ、その上に頭を乗せる。
「これでも仲間内じゃ真面目なホーだぜ?オレ。」
「比べるレベルが低過ぎるのよ。まだ瀬川さんと比べてくれた方がマシね。」
「ヒッデー事ユーよな。ヨーコちゃんはさ。」
櫛田は、こんな事くらいで素直に教室へ戻るタマでは無い。授業開始のチャイムが鳴った。
「ほら、三時間目が始まったわ。戻りなさい。」
「ここ出たって、オレが素直に教室行く訳ネーじゃん?」
「だから?」
「そのままフケて、街で補導されるよりは、マシなんじゃねーの?」
佐渡は溜息をついた。確かにそれもあるので、こう行った生徒を保健室から無理矢理に追い出すような事は、余りしない。彼等はまだ義務教育中の身だ。
「ダチの事が心配なんだけど?」
「…勝手になさい。」
「サンキュー。」
櫛田は椅子を立って、利知未の寝ているベッド回りのカーテンを開け、隣のベッドの端へ座った。
利知未は目を開いていた。腹の痛みは治まっていたが、頭はまだクラクラするようで、起き上がる事は出来なかった。
「目、覚めてたのか?…珍しーな、瀬川が本気で具合ワリーって?」
ベッドの上で、仰向けになったまま、利知未が言う。
「だって、初めてだよ。」
「だろーな。…川中の奴ら、またお前、襲ったって?」
声を潜める。佐渡に聞かれると拙い。
「…五日くらい前にね。…また、ゾロゾロお友達つれて来やがった。」
「お前、ソロソロ、ヤバイんじゃねーの?」
「…かもね。あれ以上増えられたら、厄介だ。」
小さな溜息をつく。その様子に、櫛田が言った。
「リーダーとナシつけてきた。…戦争だ。」
利知未が驚いた。
顔役ナンバー1の名前は確か、都筑 経一。利知未とも櫛田繋がりで顔見知りだ。無口で、良く分からない男だった。
利知未は余り好かれていないような気がして、なるべく自分からは近付かない様にしていた。
「マジかよ?だってあの人…、」
「実は意外と瀬川の事、気に入ってる見たいだぜ?…あーゆーヒトだからな、解らねーかも知れねーけど。…それにヤツ等、最近こっちのシマ荒らし過ぎだ。都筑も切れ掛けてんだよ。」
「…そうなのか?」
「ああ。ウチの生徒も最近、被害受けてるのが多いんだ。」
「…俺がアイツ、伸した所為かな…?」
不安になった。腹いせに同じ学校の生徒を狙う事だって、有得る。
「…って、ユー訳でもねーよ。今年入ってから目立ってたンだよ…。向こうの前の頭が卒業しちまってから、押さえが効かなくなってるらしーぜ?」
「…なぁ。」
「なんだ?」
「その戦争、俺も連れてってくれよ…?」
「…そー来ると思ったぜ。…一応、そのつもりだったんだけどな。」
「いつだ?」
「来週。こっちもメンバー集める必要あるからな。」
「そっか、分かった。」
来週なら、自分の体調も回復している筈だ。利知未は少しホッとした。
「…ところで、今日はかなりマズそうじゃねーか?」
櫛田が話しを変える。利知未は素直に頷いた。
「チョイね、マズイ。」
櫛田がニヤリとして言った。
「ボディーガード、いらねーか?」
「…?」
「オレが無料で引き受けてやるぜ?」
利知未は小さく笑う。やっぱ、面白れーセンパイだ。そう思う。素直に、櫛田の申し出を受ける事にした。
「今週いっぱい、頼もーかな。」
「任せな。」
櫛田はそう言って、軽くそっぽを向いて、付け足した。
「兵隊守るのも、隊長の勤めだからな…。」
利知未は気が付かない。櫛田が別の意味で、少し照れている事に…。
「サンキュー、隊長。」
具合の悪いまま、少しだけ無理をして、笑って見せた。
三
櫛田は、あれから本当に一週間、利知未のボディーガードとして、下校時に付き添った。朝は、恐らく奴等も行動を起こさないだろうと言う事で、毎日放課後、保健室で待ち合わせた。
その間、奴等が現れたのは、一度だけだった。
利知未が保健室で休んだのは、木曜の事だった。その日は何事も無かった。仕掛けて来たのは、土曜の事だ。利知未は、まだ少し調子が戻ってこない。櫛田の喧嘩の実力は、中々の物だった。怪我も多いが、相手には倍から、三倍はヤリ返す。
利知未が合気道の技を駆使して戦うのに対して、櫛田の喧嘩は、そのもの、喧嘩だ。撲る、蹴る、張り倒す……。
利知未はいつも奴等と蔓んで来る女二人と、弱そうな奴、一人、二人を相手にすれば良かった。二人で八人の川中グループを倒した。
櫛田が、利知未と一対一の時に負けたのは、女だと思って見縊っていた所為もあったようだ。
本人に言わせると、その見縊っていたと言う所から、自分の実力不足なんだと言う事になるらしい。だからあの時、潔く負けを認めた。
その日は櫛田を下宿に上げて、傷の手当てをしてから帰って貰った。玲子は部屋におり、その姿を見なかった。里沙は不在だ。買い物に行くと言う旨の、メモが貼ってあった。
朝美が偶々、帰宅してきた時間と重なり、目を丸くして言った。
「何よ?随分、気合入った彼氏、連れてんじゃない?」
「彼氏とかじゃねーよ。学校のセンパイ。」
手当てをしながら、利知未が言った。櫛田はバツの悪そうな顔をして、視線を天井に向けている。
「へー、そう?ま、イーけど。里沙が見たら卒倒しちゃうかもね?」
「買い物中だってさ。」
「成る程、成る程。ま、ごゆっくり!」
部屋に向かって行く。利知未は小さな声で吐き捨てた。
「何が、成る程、だよ。」
櫛田は何も言わなかった。
水曜の帰り道、櫛田が言った。
「時間、決めたぜ。」
「いつ、何処でヤルんだ?」
「土曜、十四時。廃工場跡。」
「ハイコージョー?そんなの何処にあった?」
「ウチの学校のもうチョイ西。メンバーはオレやお前入れて、二十人弱って所か。」
二人は、河原沿いの道を歩いていた。
「ヤツ等、何人くらい集まンだろ…?」
「さーな。二、三十人って所じゃねーか?」
「向こうのが多いのか?」
「ソーユー連中の比率が、ウチより多いんだよ。」
櫛田の言葉に、利知未は少し、不安になる。比率が多いと言う事は、その中で伸し上がってくる実力の持ち主とは、どの程度の力量なのか…?そして、城西メンバーの、実力は…?
櫛田が、ニヤリと笑う。外見は本当に柄が悪く見える。普通の笑顔を作る事など、無さそうなタイプだ。
「心配すんな。こっちの実力は折り紙付だ。オレも中々ヤルと思わなかったか?」
確かに、言葉通りの実力はある。これでナンバー2と言うのだから、都筑は更にヤルのだろう。
「城西が結構、平和なのは、オレらグループが、代々かなりの実力を持って来てるからなんだぜ?…外の連中は、手を出せない。」
この辺りの中学は、危ない学校が多かった。利知未達が通う城西中学は、それでも比較的安全な学校だ。だが、その裏事情は知らなかった。
「ま、見てろよ。どの程度ヤルのか…。」
拳を手に当てて、パンと頼もしげな音を上げた。
それから二日間、櫛田は、もう大丈夫だと言う、利知未の言葉を無視して、問題の戦争の日まで、ボディーガードを続けた。
「ウチの重要戦力だからな。」
そう言っていた。
土曜日。学校は半日で終わる。
利知未は授業後、櫛田達のグループが集まる学校の駐輪場に向かった。
体育館の隣にある、使用頻度が少ないトイレで、ジーンズ姿に着替えてきていた。セーラー服の、やや短いスカートでは動き難い。
「よ、来たな!切り込み部隊!!」
櫛田の次ぐらいに、利知未と良く言葉を交わすナンバー4が、最初に声を掛けて来た。田崎 真と言う、二年だ。
「俺は、切り込み部隊なのか?」
「櫛田と一緒に、始めに撲り込んでもらいたい。」
都筑が、重々しく告げる。
「何人になった?」
「二十三人。結構、猛者揃いだぜ。」
ナンバー3、やはり二年の橋田 了だ。
「心配すンな。オレが付いてるぜ。」
櫛田が、やっと声を掛けてくれた。利知未は少しホッとする。櫛田の、本当の強さを知ったからだ。確かに、強い。自分が勝てたのは、奇跡だったのかも知れないと思っている。
その内にゾロゾロと、城西メンバーが集まって来た。柔道着姿の体格の良いヤツや、普段は顔役グループの影に隠れてしまうような、チンピラ紛いの格好をした奴もいる。女は利知未一人だった。一年生から三年生まで揃っている。その中に、苅谷の姿は無い。
苅谷は、利知未に投げ飛ばされ、櫛田に嘘がバレてから、大人しくなっていた。どうやら、キツイお仕置きを戴いたらしかった。
利知未は知らない。その時、櫛田が言い切った事を。
「瀬川はオレが惚れた女だ。二度と手ぇ出すんじゃねー!」
そんな事を、言われていたとは。
「ソロソロ、時間だな。」
都筑が呟いて、立ち上がった。
「テメーら!!気合入れていけ!!特に二年!!!今日の功労者に来年おれの跡を任すぞ!!!」
都筑の言葉に、全員が気勢を上げた。利知未は、こんな世界を見た事は無かった。圧倒されてしまった。
後ろから背中を軽く押され、振り向いた。
「勇ましいだろ?」
櫛田がニヤリと、囁いた。
全員でゾロゾロと、十分ほど西へ向かった所に、廃工場が在った。
利知未はこの町に来て、まだ半年にもならない。この方向に来た事は無かった。川上メンバーが既に到着していた。
「良く逃げ出さなかったじゃねーか!?城西!!」
今の頭と思われる、ひょろひょろと身長が高い男が甲高い声を出す。
利知未はその声が気に入らなった。地面につばを吐く。
「それはこっちの台詞だ!またぞろ、随分、引き連れて来たモンだな!?」
櫛田が答える。都筑はどっしりと構えている。
『迫力負けだな、川中。』
利知未は心の中でそう思う。
確かに、三十人どころか、四十人以上もの頭数があるが、勢いは断然、城西が上だった。個人個人の実力も、格が違うような感じを受ける。一人ノルマ敵二人だ。問題は無さそうだった。
「川上!これは戦争だ!!負けたら二度とウチのシマ、荒らすんじゃねーぞ…!?」
低い、良く響く声で都筑が言った。向こうの頭は、既にやや及び腰だ。
「城西!テメーらが負けたら、大人しくシマー譲れよ?!」
「良いだろう。」
都筑の言葉に、櫛田が続けた。
「テメーらが負けたら、シマ譲れとは言わねーが…、二度とウチの生徒に手ぇー出すんじゃねーぞ!」
「良いだろう。」
暫く沈黙が続く。櫛田が軽く利知未に合図を寄越して、声を上げた。
「…ソロソロ、おっぱじめよーぜ!!!」
「望む所だ!!」
相手の言葉が終わるか終わらないかの内に、利知未が飛出して行った。櫛田も直ぐに続く。川中の連中は、いきなり飛出してきた利知未に虚を付かれた。見た目は、他の城西メンバーの中では小さく、細い。非力そうにも見える。しかし、素早い。
利知未と櫛田が連中の中に飛び込み、利知未が慌てて襲ってくる奴等を合気道の技で交わしながら、倒して行く。櫛田は相変わらず、喧嘩拳で暴れまわる。櫛田の拳で一人目が吹っ飛んだのを合図に、城西メンバーが踊り出した!
雑魚がボロボロとヤラれて行く中、川中の頭が逃げ腰になった。
利知未が一早く、それに気付いた。
「櫛田センパイ!!!奴等の頭が!」
声を投げた。利知未よりも、その近くにいた櫛田が気付く。
「テメー!!逃がすか!!」
怒鳴って、丁度、櫛田に襲い掛かって来た奴の凶器、木刀を蹴り上げた!逃げ掛ける奴の足元に丁度良く飛んで行き、前の地面にぐさりと刺さった。変な悲鳴を上げて、そいつの腰が引ける。
「ヤルじゃん!」
襲い掛かる奴の攻撃を避け、受け流しながら利知未が言った。
「当然だ!!」
櫛田も、木刀を蹴り飛ばされた奴の首筋を、組んだ両手で撲りつける。巨体が崩れる。腰が引けていた川中リーダーの脇に、何時の間にか城西二年ナンバー3、橋田が回り込んでいた。
「ゴシューショー様!!」
叫んで、回し蹴りを奴の腹に叩き込んだ!…奴はあっけなく、崩れた。
「勝負あり!!」
都筑が叫ぶ。城西メンバーは、その時、自分に襲いかかって来ていたヤツ等を一撃、二撃で倒すと、引き上げの体制になる。川中メンバーの生き残りは、ホウホウの体で逃げ出した。
結局、城西の大将が出て行く必要も無く、戦争はあっけなく終わった。
都筑は殆ど動かず、どうにかこうにか乱闘を抜けて近付いてきた、腕に覚えがあるような連中を、蝿を払う様に軽くいなして終わった。
全体の所用時間、一時間弱。恐らく、四十分ほど。
城西メンバーは、殆ど大きな怪我も無く、大体平均一人で二人ずつを倒してしまった。櫛田と利知未は二人で合計十二人程度は引き受けた。
櫛田が七人、利知未が五人。因みに二年ナンバー3・4は合計で七人。
その戦争後、利知身の回りにも、一応の平和が訪れた。
顔役メンバーとも全体的に親しくなり、二年の田崎の影響でギターを始め、橋田の影響でバイクに興味を持ち始めた。
櫛田が利知未の事を、そう言う意味で気に入っている事には、全く気が付かなかった。まだまだ、恋愛には興味を持てない利知未だった。
櫛田も敢えて、そんな雰囲気を利知未に求め様とはしなかった。普段はやっぱり弟分、否、妹分としての利知未を見守る、いい兄貴だ。
「センパイ!今度、美味い珈琲、飲ませる店、連れてってやるよ。」
相変わらず保健室で二人、サボり仲間だ。
「お前、珈琲党か?生意気だな。」
隣のベッドで、両腕枕をした櫛田が言った。
「生意気って事、ねーだろ?これでも味には煩いんだぜ?」
利知未も隣のベッドで、寝転がっていた。
「じゃー今度、何か作って持って来いよ。調理実習やってんだろ?」
「いーぜ。こう見えても中々ヤルんだ。吼え面かかせてやるよ。」
「へー、そいつは楽しみだ。ヨーコちゃんに胃薬用意して貰わねーと?」
利知未が膨れた。
「何だよ、それ!失礼なヤツだな。」
「上級生に向かって『失礼なヤツ』って事、あるかぁ?普通。」
「どーせ、俺は普通じゃネ―からな。」
アッカンベーと、舌を出した利知未の顔を、楽しげに眺めていた。
「二人とも!相変わらず、元気にしてるわね…?」
カーテンを勢い良く開け、仁王立ちをする佐渡養護教員、登場だ。
二人は同時に首を竦め、揃って舌を小さく出した。
「瀬川さん、随分と貧血も良くなった様ね?授業、戻れそうかしら…?」
三日間、言われ続けている。
十月。利知未はまた、めでたく?大体、一月の間隔で持って、二度目の生理がやって来ていた。先月、初めて来た時に比べて、随分と楽になっていた。それでも貧血は襲ってくる。
「まだ無理でーす。」
全く無理そうに見えなかった。だが、佐渡も段々と、この状況に慣れ始めてしまった。校外で補導されるよりはマシなのも確かだ。
「…そう。で、櫛田君はまだ、お腹痛いのかしら…?」
「死にそー。」
「随分顔色の良い、病人ね?…あなた達、いい加減にしなさい!」
櫛田の布団を剥いでしまった。
「あなた達っての、酷くねー?ヨーコさん。一応、俺は貧血してんだぜ?」
「あら、そうだったわね?じゃ、栄養バランスについて、もう一回説明してあげるわ。」
「げ、またぁー!?」
「瀬川さんが確りと納得して、自分の体のコントロールがちゃんと出来る様になるまで、何度だってしてあげるわよ…?」
ニッコリと、笑った。利知未は元気に飛び起きた。
「ア、良くなったよ!ありがと、ヨーコさん!俺、教室戻れそうだ!」
さっさとベッドを下りて、カーテンを大きく開いた。
「じゃ、センパイ、お大事に!」
軽く手を上げ、歩いて行く。
「おー。またな!」
櫛田も両腕枕の片腕を外して、軽く手を上げて見送った。
「さー、櫛田君には何の説明が良いかしら…?」
佐渡が、ベッドの櫛田をニッコリとして見下ろした。
「…オレも、タマには真面目にジュギョー受けに行くかな?!」
櫛田も飛び起き、少し慌てて保健室から逃げ出した。
勝ち誇った笑顔の佐渡が、後姿を見送った。
その週の調理実習で、親子丼と吸い物を作った。利知未は用意の水筒と、弁当箱に一人分を詰めていた。
「誰に持ってくの?」
貴子が覗き込む。利知未はさらりと答えた。
「上級生にダチがいるんだよ。」
貴子は先月、保健室の外で擦れ違った、強面の先輩を思い出す。
「…ね、利知未…。もしかして、目がこーんな垂れた、眉毛を細くしてるリーゼントで短い学生服、着てる人の事…?」
「良く知ってるな。ソーだよ。」
「…持ってく時、あたしも一緒に行って見て良い…?」
恐る恐る聞いて来た。利知未は、意外と言う顔をする。
「恐くねーのか?」
「恐いけど、興味もあるんだもん!」
軽く笑ってしまう。
「いーよ。でも放課後だぜ?」
「良いよ。チョットくらい部活遅れたって!」
「分かった。」
そう言う事で、その日の放課後、あのグループの溜まり場になっている、怪しげな応援団部室に、二人で尋ねて行った。
「応援団の人だったの?!」
「それ以外に何が出来るよ?」
「…ソーかも。」
ノックもしないでガラリと、ドアを開けた。
「よ!櫛田センパイいるか?」
二年の田崎が振り向いて、笑顔を見せた。実は、彼はこのメンバーの中では意外と良い顔の持ち主だった。貴子が一瞬、見とれてしまった。
「奥にいるぜ。何、持って来たんだよ?」
「調理実習で作った親子丼。人の味覚信用してなかったから、思い知らせてやろうと思ったんだ。」
「あ、成る程。呼んでやるよ。」
田崎が奥に声を掛けると、櫛田がのそりと現れた。
「持って来てやったぜ?」
「待ってたぜ。胃薬もアンのか?」
櫛田がニヤリと笑う。
「そう言う事いうんなら、別のヤツに食わせても構わないぜ?」
「膨れるなよ?じゃ、味見してやるか!」
強面の顔が、やや嬉しそうな顔になる。利知未も自信いっぱいに笑った。
ストックしてあった割り箸を、口と片手で割って、親子丼を食った。
意外と美味かった。吸い物も口にする。
「どーだよ?まだ胃薬、いるかよ?」
利知未は腕を組んで、自慢げに胸を反らした。
「意外な特技だな…。…悪かったな。見直したぜ?」
見た事の無い笑顔を見せられて、利知未も少し照れ臭かった。
田崎はクスクスと、笑いを噛み殺していた。櫛田の問題発言は、応援団部の中では全員が知っていた。
貴子は黙ったまま、田崎を見ていた。一目ぼれだった。
暫らくして、貴子は利知未に声を掛けられて、慌てて部活へ向かった。
利知未はそのまま部室に居残って、メンバーが集まるまで、田崎からギターを教わり、一応の活動が始まった頃に、帰る事にした。
声を出す訓練と、旗持ちの訓練が主だ。見ていても詰らない。
帰り際に軽く手を振るようにして挨拶をすると、櫛田が軽く手を上げて答えてくれたのだった。
四
十一月に入った。学校では、十月に体育祭も終わっており、月末から始まる期末テストにも、まだ間がある。ある意味、呑気な空気が流れている時期だ。
その呑気な空気の中、文化発表会と言う、利知未にとってはただ、ただ、面倒臭いだけの恒例行事が行われた。
体育祭後の利知未は、その運動神経の良さが校内にバレて、運動部からの勧誘攻撃を受けてしまった。
その隠れ蓑として、応援団部のマネージャーと言う立場に、名前だけ登録した。だからと言って何をする訳でも無い。強いて言うなら買出し部隊だ。掃除や洗濯などは一年団員の仕事だった。
とは言え、この応援団部と言うのは、何かの大会前しか真面目に活動をする事は無い。基本的には二年三年の、実力者数名の溜まり場だ。
櫛田などは、保健室にいない時は大体、ここで授業をサボっている。
前日に校内発表を終えた、文化発表会の本番。
今日は父兄や、近隣の住人達が、学校に招待されている。
城西中学では、毎年バザーも行っており、各家庭から贈答品などで頂いた不用品や、生徒が作った袋物や雑巾等も即売している。
教室は臨時の展示室になっており、発表の無い生徒も全員が、部活単位やクラスのグループ単位で、何らかの係りを持っていた。
応援団部は毎年この日、校内警備の役目を仰せつかっている。
したがって、利知未も一応、部室に入り浸っていた。
何となく暇で、机に頬杖を付いていた。思いついて利知未が言った。
「田崎センパイ、ギター貸してくれよ?」
部室で、マッタリと寛いでいる田崎に声を掛ける。
「イーぜ。チョイ待ってな。」
ダラリと座っていた椅子から立ち上がり、田崎が自分のロッカーから、一本のギターを出して来た。利知未に渡してくれる。
「サンキュ!」
受け取り、バンドを肩から掛けて、ちょっと弾いて見た。
「中々、様に成ってきたじゃん?簡単な曲なら弾けるんじゃねーの。」
「やって見た事、無いよ?まだコードを覚えたくらいだ。」
顔を上げて、利知未が言う。
「コード覚えてりゃ弾けるよ。試しにこれ、やってみな?」
そう言って田崎は、二枚の楽譜を貸してくれた。利知未は早速、チャレンジして見る。
何回か突っかかりながらも、利知未は三十分も掛けて、その曲を弾けるようになった。簡単な物だったが、どうやら飲み込みが早い様だった。
「お前、イー勘してんな!?」
少年誌を手に取り、眺めながら聞いていた田崎が、目を上げた。
「そーか…?自分じゃ良く解ンねーよ?」
「タイしたモンだよ。その楽譜、やるよ。」
「貰ってっても、ギター持ってねーよ。」
田崎がニコリとした。
「そのギター、貸しといてやるよ。」
「いーのか!?」
利知未が目を丸くして驚く。
「実は、新しいの買ったんだよ。暫くそっち使うから、好きなだけ練習して来いよ。」
「マジ!?」
「大マジ。」
「ヤッタ!」
喜んで、ライブ中のギタリストよろしく飛び上がってギターを鳴らした。
「お、決まった!」
田崎も面白そうに、口笛を吹いて寄越す。部室の戸が開く。
「何、遊んでんだ!?田崎、見回り時間だぞ!」
櫛田だった。
「ウイーっす!一年、正門横っすか?」
「そうだ。大川と野田、連れて一周して来い。」
「了解!瀬川、どうする、ついて来てみるか?」
「イイ。ギター弾いてる。」
「ソーか?」
チラリと、櫛田を見た。櫛田が両眉を上下にして、軽く睨みを効かせた。
肩を竦めて、田崎は部室を出て行った。
『櫛田さん、マジなのかな…?』
利知未を惚れた女だと言って、苅谷に制裁を加えた時の事を思った。
その時、部室にはナンバー1から4までの実力者と、二人の三年がいた。部室の外では、一年から二年までの部員が勢揃いして、聞き耳を立てて様子を伺っていた。それで、部内では暗黙の了解が生まれていた。
即ち、【瀬川に手を出すな!他のヤツ等にも手を出させるな!】だ。
そのお蔭で、どうしても校内で目立ちがちの利知未が、大した面倒も感じずに、平穏な生活が出来ている。しかし、利知未本人は知らない筈だ。
『ま、良いけどな。…したら来年、オレ達が睨み効かせないと…。』
来年度、副団長ほぼ確定の現実力ナンバー4としては、気を引き締めて掛からなければならない仕事になりそうだった。
部室では、利知未が楽譜に集中している様子を、櫛田が机に片頬杖を付いて眺めていた。
「…お前、橋田からはバイク、弄らせて貰ってるんだって?」
「ああ。バイクも面白いよ。センパイは興味ネーの?」
楽譜から顔を上げずに、利知未が答える。
「オレかぁ?…オレは、バイクより喧嘩だな。」
「ハハハ!らしーじゃん!?」
顔を上げて笑う。その笑顔を眺めるのは、楽しい事だった。
利知未に女を感じる事は、先ず殆ど無い。苅谷の一件で言った言葉は、どの程度のものかと言えば、気に入った後輩の今後を、平和に過ごさせてやりたいと言う思いが、強いくらいだった。
では今、どう思っているかと言えば…。櫛田自身、微妙な感じだった。
可愛いヤツとは、思う。保護してやらなきゃならない相手だとも思う。
しかし、自分は来年の春には卒業してしまう。その後の事も心配だ。
偶には、利知未を見てどきりとする事もある。保健室で本気で弱っていた利知未を見た時や、何かに不安を感じている時の利知未。怪我の手当ての時、間近にその顔を見る事に成った時。
近くで見ると、利知未は綺麗な顔をしていた。ちゃんと女の子らしく見える綺麗さだ。普段は、その表情や言動から、どうしても少年っぽく見られ易いが、意外と美味い飯を作ることが出来ると言う、女の子らしい特技も持っていたりする。
『飽きない女だ。』
最近は、そんな風に思っている。無邪気な様子も、彼女の事を知るほど、可愛らしく見えてくる。
『やっぱ、マジ惚れなのか…?』
最近、櫛田はそんな風に感じ始めていた。
利知未が曲を完奏した。ニコリと、快心の笑みを見せた。
櫛田は眉を上げ、その器用さに感心した。
利知未はその後、曲を完全に覚えるまで繰り返し練習した。
田崎が見回りを終えて戻って来るまで、約二時間。戻った途端、完璧に演奏をして見せた利知未に、本気で驚き、新しい楽譜をくれた。
「今度はチョイ、時間掛かりそうだ。」
ニコリとして、嬉しそうに楽譜を鞄へ仕舞う。その利知未に櫛田が聞く。
「もう今日は、やらねーのか?」
「根詰め過ぎると、楽しい事も楽しく無くなっちまうだろ?だから今日は終わり!田崎センパイ、橋田センパイ何処にいるんだ?」
「さっきは、正門横で一年監視してたけど?」
「サンキュー。チョイ、行って来る!」
ギターと鞄を部室へ置いたまま、楽しそうに部屋を出て行った。
「忙しいヤツだ…。」
見送った櫛田が呟いた。
正門横で、一年の団員に声をかけた。
「あれ、橋田センパイは?」
下端団員が椅子から立ち、姿勢を正して答えた。
「例の、駐輪所っす!」
「ソーか…。サンキュ。」
軽く笑顔を作って、手を上げて利知未が正門を出て行った。利知未が門の影に消えるまで、団員は直立不動だ。
何故そうなるのか、本当の理由を利知未は知らない。学年順、九月の戦争功績者順で、部内で格付けされている、と言う事になっていた。
本当の理由は『実力ナンバー2・副団長の女』と意識付けられているからだ。利知未と馴れ馴れしく口を聞く事を許されているのは、部内では実力者四人と、三年生だけとなっていた。
田崎の来年度の懸念は、その辺りにあった。今の二年が、櫛田が卒業した後に、どう言った態度を取るのかが不安要素だ。
利知未は、そんな事は全く知らない…。
例の駐輪所というのは、学校の駐輪所ではなく、近所にある学習ホールの駐輪所の事だ。
ここは中学校だ。どんな理由があろうとも、そこの駐輪所にバイクを止められる筈が無い。そんな物が見つかったら、途端に没収だ。
下手をすれば警察沙汰になる。
「橋田センパイ!バイク見せてくれよ?」
いきなり後ろから現れた利知未に、橋田は一瞬驚いた。
「…何だ、瀬川か…。先公が来たかと思った。」
「そんなん、トックにバレてンじゃネーの?」
笑いながら、利知未が言う。
「証拠掴まれなきゃ、問題ネーだろ?」
「ソーなのか?」
「ソーなんだよ。で、整備、見に来たのか?」
「ああ。バイクの構造って、面白レーよな!」
「イーぜ、勝手に見てな。…先公が来たら言えよ?」
「了解!」
無邪気な顔をして、橋田の作業を見学し始めた。途中途中で質問が入り、橋田は作業を続けながら、説明をしてくれる。利知未は物覚えが良く、一度聞いた事は大体覚えている。最近はもっと突っ込んだ質問も飛出してくるので、橋田は自分でも勉強を始めた。
「俺は将来、レースのパドックに入りたいんだ。」
そんな事を言っていたくらい、バイクが好きな橋田だった。
利知未の質問に答える為に、勉強を始めたくらいだ。邪魔者扱いする事は無い。返って感謝しているくらいだった。
一通りの整備を終え、バイクに跨ってエンジンを回した。そのまま、利知未を振り向いて聞いた。
「瀬川は乗らネーのか?」
「興味はあるけど、無免だろ!?」
「そんなん言ったら、俺だって無免じゃねーか?」
「それもソーだ。」
「背、あるから足もつくだろ?ここでチョイ乗って見ないか?」
駐車場は広く、今は止めてある車も殆ど無かった。
「面白そーだな…、」
利知未の呟きを聞き逃さないで、橋田が言った。
「教えてやるぜ?」
暫し考えて、ニヤリと笑った。
「じゃ、教えてくれよ。」
「任せな!」
橋田は免許を取りに行くと最初に教えられる、バイクの引き回しからやらせた。非力そうに見える利知未が、どの程度、出来そうか判断する為だ。利知未は何をするにも飲み込みが早く、引き回し、引起しを直ぐに覚えてしまった。バイクのサイズは二〇〇だ。
教習所で中型二輪の教習に使うのは四〇〇なので、いくらか軽いには軽いが、中学一年女子が引回すのは、やや骨が折れる筈だった。
橋田自身は体格も意外と良く、背も170センチ近い。筋肉もそこそこ付いている。利知未の細い体からは、思いも寄らない強い力を見て取り、口笛を吹いた。
「中々、ヤルじゃネーか?そんくらい出来りゃ、エンジン回しても平気そうだな。」
納得して、利知未を運転席に座らせてくれた。始めはスタンドを掛け、タイヤが浮いた状態でエンジン始動、ギアチェンジ、ブレーキの掛け方を説明した。利知未はそれも直ぐに飲み込んでしまった。
「教習所行っても、この順番で覚えるんだぜ?兄貴がやってたンだ。」
「兄貴がいるのか?」
「ああ。東城高校にいるぜ。今二年。」
東城高校と言えば、朝美が通う高校だった。学年も同じらしい。帰ったら朝美に聞いて見ようと思い、興味を持った。
「やっぱ、気合入ってンのか?」
「応援団のOBだ。」
「マジ!?」
「元副団。俺の喧嘩は兄貴仕込みだ。」
軽く片目を瞑って見せる。
橋田は一重瞼で、やや細い釣り目で、眉無しだ。元々は濃い眉の持ち主で、箔を付ける為、自分で剃り落として入学をして来たぐらいの奴だった。頭にも剃りが入っている。ウインク等すると、少し異質な雰囲気になる。…気はイイ奴だ。
「チョイ、走らせるか?」
「出来ンのかな…?」
少し不安そうな利知未に、気のイイ笑顔を見せた。
「ローギアからセカンドくらいまで回して、止めてみな。あっちの端まで大体三十メートルくらいあるから、スピード十〜二十キロで走らせれば、平気だよ。ブレーキ踏んで、速度が落ちたら、左のクラッチな?」
利知未は小声で反復し、スタンドを掛けたまま、もう一度、動作を確認した。
「やって見る。」
自分で納得して、スタンドを外した。イザ、スタート!
始めは、恐る恐るアクセルを回す。バランスを取るのは直ぐに慣れた。言われた通りセカンドまで上げながら、速度は二十キロ以下で走らせた。
たった、それだけだ。直ぐに止めてエンストを起こしてしまったが、物凄く興奮し、そして気持ち良かった。
この瞬間から、利知未はバイクのファンになったのだった。
「エンスト起こしちまった!」
アチャー、と言うような利知未の表情に、笑ってしまう。
「ヘーキだよ!そんくらいで壊れやシネーから!」
笑いながら、大声で言った。
「笑う事ネーだろ!?」
利知未の剥れ声が飛んで来た。更に笑ってしまった。
「そっちから走らせて来い!無理しネーで、降りて向き変えろよ!?」
「分かった!!」
元気に答えて、引回しで向きを変えたバイクに乗り直し、利知未がこちらに戻ってくる。その表情は、生き生きしていた。
『俺が、瀬川のこんな顔見たって言ったら、櫛田さんに張り倒されるかぁ?!』
橋田は笑いながら、心の中ではそう思っていた。
現実力ナンバー3と言う事は、このまま行けば来年度の団長は、自分が勤める事になる。ややプレッシャーもあるが、名誉な事だ。
来年の団長・副団長に課せられるだろう仕事の中、利知未を取り巻く環境整備は、橋田にとっても少々、悩み所だった。
しかし橋田と田崎は、利知未の事は気に入っている。
自分達の影響で、ギターとバイクを始めた後輩だ。喧嘩も強い。変な話しだが、校内仕切り屋としての、仕事の足手纏いになる心配だけは無さそうな女だ。無邪気な様子も、可愛いと言えない事は無い。
城西中・応援団の仕来りとして、団長・副団長の女は、それが下級生ならキッチリと守って行く事も、一つの決まり事だった。過去にも、こういう例は二、三回あった事だった…、らしい。
橋田も、伝え聞いた事なので、定かとは言い難いが。
それならそれで、気合を入れ直そうと、橋田は思っていた。
橋田が一年の時、その兄貴に良く面倒を見て貰っていたと言う事で、櫛田は義理堅く、弟である了の面倒も、良く見てくれた。その恩返しの意味もある。
『ま、義理はハタサネーと、男が廃るよな。』
バイクに跨り、無邪気な笑顔を見せている利知未を眺め見て、改めて心の中で呟いていた。
この年の文化祭は、応援団部員が隅々まで目を光らせていた事が効を奏して、無事に終わる事が出来た。
部活の三年は、ここで引退と言う事になる。応援団部も一応、形はそうなるが、影の仕事の部分では、現三年も卒業までは引退できない。
部活動としての権限譲渡のみ、翌週の頭に行われた。
団長、副団長の鉢巻と白手・派手な襷を、新団長・副団長が譲り受ける。
城西中・応援団の旗持ちは、毎年二年の仕事だ。その為に、一年の時から、その候補には、肉体訓練と、練習が義務付けられて来た。
その譲渡式は伝統となっており、その中の行事として、三年から後輩へ、新団長率いる新応援団から三年への、エール交換を行う。
これが、広い運動場の端と端とで行われる物で、旗持ちなどは式典場所である屋上から延々、重い団旗を掲げ歩く事になる。
運動部の生徒も、この恒例行事は楽しみにしているのだった。
新団長・副団長は、予定通りに団長・橋田了、副団・田崎真で決定した。利知未もマネージャーとして、譲渡式に参加した。そして、この応援団の、格好良い所を見つける事が出来た。
その時、・都筑・櫛田・橋田・田崎の四人を、改めて見直したのだった。
五
十一月末から、十二月頭に掛けての期末テストも、無事終わった。
利知未は二学期、あれだけのサボりとヤンチャを繰り返して来たにも関わらず、相変わらず学年トップクラスの成績を収めていた。
医科大学に通う秀才の長兄・裕一が、昔から良く利知未の勉強を見てくれていた事、利知未本人が意外と物覚えが良く、しかも何をやっても器用にこなす性格であった事が、今の利知未の成績を培った。
その分、やや面倒臭がりな性格に、育ってしまっている。
当時の通知表の評価は、偏差値判定が主だった。為、教師から見れば、本当だったら成績が余り良くなくても、真面目に頑張る生徒に良い数字を与えてあげたい所だが、涙を飲んで、利知未の様な生徒に、五段階評価の5をつける事に成ってしまう。
利知未の成績は、そんな訳で意外と良い。ただ、美術や家庭科など、提出された作品を評価する事で数字をつける教科は、いつも、1〜2の最低ラインをさ迷う事になる。
調理実習は良くても、裁縫実習で、割烹着やパジャマを作ったりするのは大嫌いだ。美術も彩色をいい加減に仕上げ、作品を未完成のまま、提出してしまう。期末テストには、その教科もペーパーテストがあるが、基本的に、テストの点数は、参考までにしか評価されない。
一学期に引き続き、里沙は、利知未の成績表を見て呆れる。利知未の性格が何て良く現れている数字の並びだ。判り易い…。
更に学校からの通信欄も、頭が痛い内容だった。
終業式の日。
相変わらず応援団部室は、溜まり場になっていた。
利知未はその日も、櫛田や都筑、新団長・橋田、副団長・田崎などと適当に遊んで、夕方四時頃に帰宅した。
帰宅した途端、里沙に呼ばれてリビングへ入った。
ソファに向かい合って座った里沙が、小さな溜息を漏らす。
「…あなたって子は…。」
「何だよ、落としてネーじゃん?」
肘掛に片頬杖を突き、そっぽを向いている利知未が、惚けた顔をしている。
「そう言う問題じゃありません!…通信欄、読んでいるわよね?」
滅多に怒らない里沙も、流石に頭を抱えてしまっている。
「何々?『非常に元気が良く、一部の生徒から良く慕われている様ですが、授業への出席率に問題があります。』成る程『生活態度も一学期に比べ、改善されてきましたが…、』松田、誉めてくれてンじゃん?」
「その先を、良く読んで貰えるかしら…?」
里沙の笑顔が引き攣っている。珍しい。しかし、利知未には面白い。
「えー、『危険と思われる行動も多く、怪我も多いようです。言葉使い等もう少し改善し、落着いた行動が出来るよう、ご家庭でも指導をお願い致します…。』だってさ。タイした事、書かれてネーじゃん。」
「貴女の事を、良―く見て下さっている様ね…?文章は柔らかくなっているけど、『危険と思われる行動も多く、怪我も多いようです。』太字で下線まで入っているわ…。どう言う事か、想像できない貴女じゃないでしょう…?」
九月の戦争は、学校にも知れ渡っている事だった。メンバーも大体、把握されているらしい。通報者がいたのだ。恐らく、川中のどいつかが腹癒せでやった事だろうと、応援団の有力者達も言っていた。
「だから?」
利知未は、『我、関せず』と云わんばかりの呑気な態度だ。
「ご家族に、何て説明を差し上げれば良いの…?」
里沙も肘掛に、軽く頬杖を付いてしまった。また、溜息一つ。
「イーよ。何にも言わなくて。」
サラリと言い切る。
「そー言う事で、手紙もいらないから。ンじゃ。」
通知表をテーブルの上から持ち上げ、鞄に仕舞った。そしてソファから立ち上がり、さっさとリビングを出て行ってしまう。
その、他人事の様な態度に呆れ、里沙はつい、そのまま利知未を見送ってしまった。
年末の二十九日から、年明け一月三日までの、五泊六日。利知未は、裕一のアパートへ行く事になっていた。
その前後は、裕一のアルバイトが入っている。優も今回は三十一日から一月三日の三泊四日で泊まりに来る事になっていた。嬉しいが反面、一つ気懸かりもあった。
十二月に入ってからの生理が、まだ来ていなかった。一週間以上遅れている。初潮を迎えたばかりの時期には、良くある事だと佐渡が言っていたが、もし裕一の所への宿泊中に来たら、やはり嫌な感じだ。
『遅れツイデに来年まで来なきゃイーのに…。』
利知未は今、そんな事を思っていた。
二十九日までの、およそ五日間。利知未は休み明けに提出物がある教科の、全体から三分の二程の勉強を、さっさと終わらせてしまった。
裕一の所でゆっくりと過ごしたい為だ。その間、偶にはアダムにも顔を出したりしていた。
二十九日、朝。下宿を出た利知未は、裕一のアパートへ向かう電車の中で、急に貧血に襲われた。
『…ヤナ予感するな…。』
つり革に体重を預け、上半身を折るようにして立つ。近くの席は空いていたが、座ると返って、拙い事になりそうだと思って立っていた。そして下車予定駅の一つ前の駅で、一度トイレに降りた。
個室に入り、確認した。まだ汚れてはいない。それには安心する。
『…やっぱ、面倒臭。…アレ、使おう。』
顰めていた顔が、何かひらめいたような表情に変わる。
バックの底の方をごそごそと探り、ある物を出した。
『こっちの方が、まだマシだ。』
そう思う。前回、三回目の生理が来た時に、初めて使って見た。元々、じっとしている事が少ない利知未にとっては、丁度良い道具だった。
始めはやはり戸惑ったが、慣れて来ると調子が良い。ズレて漏れてしまう心配も無いし、風呂にも入れる。トイレの度に換えなくても良いので、荷物もコンパクトに納まる。
慣れた様子で処置を済ませ、バッグの底に仕舞い直して、トイレを出た。次の電車に乗って、裕一のアパートへ向かって行った。
この夏、裕一の所へ泊まりに行った時には、まだ初潮も無く、素直に無邪気なままで、兄と一組の布団に入り、眠った。
里沙も、保健室の佐渡も、『子供を作る事が出来る身体に成った事は、良い事だけど、今まで以上に気を付けなければいけない事が出来たのだから、これからは責任を持って、注意して行動しなければいけない。』と、口を揃えて言っていた。
何かがある訳は絶対無いが、今夜、夏の様に一組の布団に入るのは、やはり何となく、してはいけない事のような気がして来ていた。
利知未の表情は、再び浮かない物になっていた。
『…あーあ…。女って、面倒臭…。』
溜息をついた時、電車が下車予定の駅に、タイミング良く到着した。
裕一は今日も、駅まで利知未を迎えに来てくれていた。
「お前、顔色悪いな。大丈夫か?」
開口一番、気遣わしげな言葉を掛けられ、利知未は無理に笑顔を作る。
「そーか?元気だぜ。裕兄こそ、何か疲れてんじゃネーの?」
「気の所為だよ。…さてと、お前が、どのくらい料理、出来るようになって来たか、楽しみだ。今夜は何を作ってくれるんだ?」
裕一も笑顔を作り、話しながら歩き出した。
「優兄が来たら、鍋やりたいんだよな。どうせ、お節料理なんかはまだ作れネーし。…来年もまだ無理かな…?」
自分が覚えてきた料理のレパートリーと、それを覚えるまでの期間を考え合わせ、呟いた。
「お節料理かぁ…。おばあさん、毎年作ってくれたな…。」
「うん、そーだった。でもさ、何でお節って甘いの多いんだ?俺、煮物や数の子くらいしか、美味いって思わなかったぜ?」
ちょっと、不服そうな顔をする利知未に笑えた。利知未と話しをしていると、いつも笑わせて貰える。
素直なのか、捻くれ者なのか?子供なのか、大人なのか…?利知未は、様々な両極端な性質を併せ持っている。ある意味、凄く個性的な性格だ。
「俺も良く解らない。どうしてだろーな?」
「寒露煮くらいなら食えるンだけどな…。今夜の飯、酢豚とか食いたく無い?裕兄。」
話しをクルリと戻して、利知未が裕一の顔を見る。反応を見たい。
「作れるようになったのか?!」
嬉しいのと、驚いたのと、両方ない混ぜになった様な顔をした。利知未はやや満足そうに、へへっと笑う。
「里沙に教わって来た。裕兄、好物だったよな?」
「ああ。…優は、苦手みたいだったな。」
「だから、今夜か明日って思った。大晦日は蕎麦作るだろ?で、優兄が来たら、正月は鍋も良いかなって、思ったんだ。」
「良いな。楽しみだよ。」
嬉しそうな笑顔で、利知未を見る。利知未は少し照れた。顔を前に向けて、照れ臭い表情を隠す。
「明日は、調理実習でやった親子丼でも作るよ。」
そう言えば、と、櫛田の事を思い出した。
『見直したって言われたよな。あン時…。』
また、少し照れ臭いような気分が増した。
櫛田の事は、裕一とも、優とも、また違ったタイプの良い兄貴だと思っている。応援団部の実力者達の前では、兄貴といる様な気分になってつい、実兄達の前にいる時と同じ、素の自分に戻ってしまう。それはそれで楽しい。
最近は学校に行くのも、前ほど詰らなく無くなっていた。
裕一は、何かを思い出した様な妹の横顔に、夏に会った時より、やや大人びた雰囲気を感じた。ちゃんと女の子らしく、成長して来ているような気がする。喜ばしい事ではある。…言葉使いは、相変わらずだが…。
アパートへ着き、昼食を簡単に済ませ、裕一は利知未の通知表を見せて貰った。本当は余り見せたくなかったが、ここでは裕一が親替りだ。渋々とバックから出して来た、妹の様子を見て、少し頬が緩む。ざっと目を通して、裕一が言った。
「随分、出し難そうにしていたから、てっきり成績が落ちたのかと思ったよ。…相変わらずな数字だな。」
口角を下げ気味にして、情けないような笑顔を見せる。
「通信欄も相変わらずだな。けど、授業への出席率に問題があるって、お前、学校で何してるんだ?」
「…遊んでたりして。」
利知未は、目線を天井に反らして、小さく舌を出している。
実際、最近は保健室へ行くよりも、応援団部室で時間を潰している事の方が多いくらいだった。そこに行けば、誰かしらがいた。
特に良く顔を合わせるのは、櫛田と橋田だった。この二人、応援団の先輩・後輩関係の中でも、特に仲が良い。
そこから偶に、学校を抜け出して、橋田のバイクに乗せて貰ったり、櫛田と三人でつるんで、街中へ出掛けたりしている。そんな時、利知未は必ず私服に着替えていた。団部の二人は、揃って短い学ランのまま、気にもしないで出掛けて行く。
適当に遊んでから部室へ戻り、制服に着替え直して、午後の授業だけ受けに行ったりもしていた。
「…まぁ、問題行動が多いのは、昔からだったけどな…。」
裕一は呆れて、里沙ご同様に溜息をついた。
「それより裕兄。買い物、行こうよ!…それとも、勉強してるか?」
「店、解るのか?」
「こないだ来た時に、大体覚えたよ?だから、金だけくれたら、俺が買い物済ませてくるけど?」
説教に入る前に、逃げ出すつもりだ。裕一に勉強をする時間をあげたいのも本音だ。トイレにも行きたかった。
「折角だから、そうして貰おうか?…続きは夜に、たっぷり話しをしようか?」
逃げたがっている事など、直ぐに感付く。ニッコリと言った裕一の笑顔を、利知未は冷や汗を流しながら見た。…裕兄には敵わない…。
裕一から金を受け取り、急いでアパートを出て行った。
利知未が買い物へ出掛け、少し時間を潰してから戻り、夕食の準備をしている間、裕一は、休み明けに提出期限が来るレポートを纏めていた。
妹の心遣いは有難い。実際、冬休み中のバイトがない日を、弟妹との時間に充てており、レポートを書く時間は、睡眠時間を削って作っていた。利知未の『疲れてんじゃネーの?』の一言は、的を射ていた。
夕食を作り終え、利知未が、裕一の様子を覗きに来た。
「裕兄、切り良かったら、飯にしよーぜ?」
「ン?ああ、出来たのか?…良い匂いがするな…。楽しみだ。」
振り向いてニコリと、笑顔を作った。
『利知未のお蔭で、今夜はちゃんと眠れそうだ…。』
心の中で呟いた。立ち上がって、座卓を用意した。
食事の途中で、利知未が箸を口の端に咥えて、呟く様に聞く。
「な、布団、二組、敷けるよな?」
「座卓、片付ければ平気だよ。」
裕一は、利知未がまた、同じ布団に入りたがるのでは無いかと思っていた。
夏も、ちゃんと二組出そうと思ったが、利知未本人が、『昔みたいに一緒に寝たら駄目か?』と、幼い頃のような不安げな顔で言った。それで、そのまま一組しか出さなかった。
利知未は、ホッとした顔をした。
「だよな。…裕兄、飯、お代わり注ぐよ。」
笑顔で手を出す。裕一は最後、一口だけ残っていた飯を口に入れた。
「頼む。美味いよ、飯が進む。」
「だろ?里沙にも誉められたよ。覚えが早いってさ!」
裕一のお代わりを注ぎながら、ニコリと笑った。
銭湯から戻った後、裕一は通知表についての説教を再開した。利知未は嫌々ながら、大人しく聞いていた。
話が終わってから、利知未が自分で二組の布団を用意し、就寝準備を始めた。裕一は少し驚いたが、何も言わないで置いた。
そろそろ、そう言う年頃なんだろうと納得し、利知未の様子を眺めた。
翌日も、利知未は我が侭に裕一を連れ回したりせず、大人しく自分の勉強をしながら過ごした。食事の準備は、全て引き受けた。
勉強に飽きてくると、適当に散歩に行ったり、買い物に出掛けたりした。お蔭で裕一のレポートも、かなり進める事が出来た。
利知未としては、勿論、裕一の邪魔をしたくないという思いもあった。それと生理中の貧血で、元気に活動する事が少々億劫な気分でもあった。
翌日は大晦日。優が裕一のアパートへやって来た。勉強もレポートも一区切り付いた二人に、大掃除を手伝わされた。
夜、テレビで歌番組を眺めながら、年越し蕎麦を食べる。優が蕎麦を啜りながら、ぼやいた。
「…ったく。着いた途端に雑巾、渡されるとは思わなかったぜ。」
「仕方ないだろ?一応、ここが俺達の、実家代わりなんだから。」
利知未が同じく、蕎麦を啜りながら答える。
「悪かったよ。けど、気持ち良いじゃないか?綺麗な部屋で年を越した方が。助かったよ。」
裕一も笑いながら言った。優は小さく肩を竦め、また、ぼやく。
「ま、そーだろーけど。」
「…けど、早いよな。去年の今日だよ。…ばあちゃんが倒れちゃったの。」
利知未が、寂しげに呟いた。裕一も頷く。
「…そうだったな。」
「二日、墓参り行こうぜ。」
蕎麦を食い終わり汁まで平らげた優が、後ろ手を着いた姿勢で言う。
「命日か。」
「ああ。」
裕一が思い出し、優が肯定した。利知未も蕎麦を食い終えて言う。
「行こうぜ?」
「そうだな。」
微かな笑顔で、裕一がもう一度、頷いた。
午前〇時まであと三十分を残す頃、利知未が思い付いた。
「な、二年参り行こうよ。近くに神社あったじゃん?」
大叔母の話しで、暗くなりがちだった兄達が、顔を見合わせた。
「…行くか!去年は、それドコじゃなかったモンな。」
「じゃ、二年分のお祈りでも、してこよう。」
裕一も明るい笑顔を取り戻した。利知未はニコリと頷いた。
近所の神社で初詣を済ませ、振舞いのお屠蘇と汁粉を貰う。利知未は甘い物が嫌いだ。裕一のお屠蘇と、自分の汁粉を取り替えてしまう。
「お前、何、生意気な事してんだよ?」
優が、自分のお屠蘇を飲み干して、利知未を小突いた。
「ってーな!直ぐ頭ぶつ癖、止めろよな?!」
利知未も、お屠蘇を飲み干していた。裕一は呆れて眺め、甘い汁粉を口にする。その様子を見ていた年配のオジさんが、裕一に新しいお屠蘇を渡してくれた。
「元気なボーズ達だな。アンちゃんも大変だねぇ。」
「あ、済みません…。一人は、妹なんですけどね。」
困った様に笑って見せた。オジさんは驚いた後、笑い出した。
「そりゃ、済まなかったね。元気な嬢ちゃんだ!」
豪快に笑う。利知未と優は新年早々、口喧嘩を始めていた…。
「こら、二人とも!新年早々、神様の前で喧嘩するな。」
裕一は、お屠蘇を飲み干してから、二人の仲裁に歩いて行った。
二日、約束通りに大叔母の墓参りへ出掛け、夜、三人で鍋を囲んだ。
三日の昼過ぎ、優と利知未は帰って行った。帰り道も二人は、賑やかな口喧嘩をしていた。裕一は、苦笑いして、元気な弟妹を見送った。
六
三学期が始まっていた。
まだ正月気分が抜け切れないでいる生徒達の目の前に、中間テストがぶら下がっている。
各教科のテスト範囲が発表され、ワタワタと慌てふためくクラスメートを尻目に、利知未は応援団部室で、サボり続けていた。
「お前も、相変わらずイイ根性してンな…。」
櫛田が、呆れ顔で言った。
「センパイこそ、ンな所でサボっててイイのかよ。進路決まったのか?」
呑気な様子で、部室に置いてあった、少年誌を眺めている。
「言ってなかったか?オレの進路は、東京の寿司屋で職人修業だ。」
雑誌から目を上げて、びっくりした顔をする。
「聞いてないぜ?センパイ、寿司なんか握れンの?!」
「握れネーから、修行すんだよ。」
「…、そう言う事か。ま、確かに、勉強よりも向いてそうだよな?」
ニコリと、櫛田の進路に、肯定の意志表示をする。
「…まーな、その内、握れるようになったら、食わせてやるぜ。」
「楽しみだな、期待しとくよ。」
「まぁ、任せとけ。」
ニッと、笑って見せた。櫛田は変わらず、利知未の事を気にしてはいた。
二学期の終わり頃、橋田と二人でこの部室でサボっていた時、瀬川の面倒を見てやってくれと、後輩に頭を下げていた。
「うっす!キッチリ、面倒見させて頂きます!」
と、現・団長の橋田は、胸を叩いて請け負ってくれた。
テスト期間中に、利知未は以前から言っていた、『美味い珈琲を飲ませる店』に、櫛田を連れて行った。勿論『アダム』の事だ。
「また、お前は。とんでもないダチ、連れてきたな…。」
マスターは、目を丸くして驚いた。
「世話に成ってるセンパイなんだよ。卒業したら寿司職人になるって話しだから、味覚をテストしてやろーと思って、連れて来た。」
カウンター席へ腰掛けながら、利知未が言った。
「お前、そーゆーつもりで案内して来たのか?なんつー、生意気な。」
櫛田も呆れ顔だ。その言葉に、マスターが反応した。
「利知未は、手が掛かるだろ?俺も随分、手を焼かされた。」
「何だよ、それ?最近は大人しくしてんだろ?!」
「良いストレス発散口を見つけた様だからな。で、何時もので良いのか?そっちの気合入ったお客さんは、何に致しますか?」
櫛田は利知未の隣の席で、腕を組んで、少し仰け反るような姿勢をして、利知未とマスターを眺めていた。
「センパイ、腹減ってんだろ?何か食ってみろよ。この店、珈琲も美味いけど、飯も中々イケるンだぜ?」
「…そーだな、…何か適当に食わせて貰えるっすか?」
何となく何時もの様子と違う櫛田に、利知未はクスクスと笑っていた。
応援団は、上下関係に厳しい。正しい敬語は中々使わないが、目上に対しては、そこそこ、礼儀を弁えた態度を取る。櫛田は最上級生として、利知未の前に現れたのだから、今、目上のマスターに対する言葉使いも、その態度も、利知未の目からはチグハクな感じに見えていた。
「では、ランチタイムですので、Bセットを、お出ししましょう。」
マスターは店主として、この気合が入った利知未の先輩にも、それなりの態度で接してくれた。数分後、カツカレーの大盛りが出て来たのだった。
中間テストも、利知未の成績は頗る良かった。中学校の三学期、次の行事はマラソン大会である。
マラソン大会は、真面目に参加した。貴子に無理矢理、引っ張っていかれながら、スタートラインに並んだ。一緒に走ろう等とは言わない。
「あたしは絶対、優勝して見せるんだから。利知未も、せめて完走して見せてよね?」
と、言われたので、面倒臭いながらも、たらたらと走り出した。
貴子は予告通り、一年女子の部優勝。しかも、校内新記録のタイムを叩き出して見せたのだった。陸上部でも長距離の、期待のホープである。
三学期はテストだらけだ。その分、利知未が応援団部室にいる時間もいくらか減る。次は、実力テスト。その少し後には学年末テストだ。
普段の授業は、相変わらずサボりの常習犯だった。
実力テストの後、利知未は担任から呼び出しを受けた。
「お前、学校へは来るようになったが、授業の参加率は相変わらずだな。」
呆れ顔で、テストの成績通知表を眺めている。
「勉強はキッチリヤってンぜ?」
「言葉!」
「ウィーす…。勉強ハ、真面目ニヤッテイマスガ?」
言葉を注意されれば、直ぐに敬語には直すが、その度に、感情も何も無い、ロボットが喋っている様な棒読みになる。その様子に、また松田は呆れた。
今回は、他の生徒へテストの成績通知表を渡した、ホームルームの時間、教室にいなかった瀬川を呼び出していた。利知未は、その日、久し振りに保健室にいた。
大体月一回、三日間ぐらいは、保健室の常連をしていた。
つまり、あの日だ。仮病ではなくベッドを借りに来る生徒を、佐渡も追い出す訳にはいかない。三日目になり、顔色が良くなってから、またニコリとして栄養バランスの説明されたプリントを持ち、ベッドの隣に立てば良い。それで利知未は逃げ出す。
「まぁ、兎に角だ。学校と言うのは、勉強をする為だけに来るのではなく、集団行動の基本を確りと身に付ける為にも来る場所である訳だから…、」
毎度お馴染みの説教が始まり、利知未は耳に蓋をした。
意識を、全く別の所へ持って行った。松田の言葉は、右から左だ。
利知未が視線を向けた先に、怪我だらけの橋田が、教師の前に立たされているのが見えた。アレ?と思い、暫く観察した。
「…また、喧嘩か?お前達は…。全くどう言うつもりなんだ?」
説教をしているのは、応援団部の顧問になっている、社会科の担当教師、住野だった。
「城西の生徒を守るのも、我、応援団部の義務でありまっす!!」
職員室中に響く声で、団長・橋田が答える。
その時、職員室にいた誰もが、その大声に注目していた。
松田も説教を止めた。そちらに注目する。
「何だよ、面白ソーな事、ヤってンな!」
思わず、声を上げてしまった。松田が利知未を見る。
「何が、面白そうだ!?お前は…。」
利知未は思い付いた。橋田と同じ様に、両足を肩幅に広げ、腕を後ろに回し、やや胸を反らすような姿勢に直して、元気に言った。
「指導、有難うございまっす!以後、気を付けまっす!!部活動の時間なので、失礼致しまっす!!」
応援団式で礼をし、クルリと向きを変えて、職員室の出口へ向かう。
途中で、『あ!』という顔をして、呆気に取られていた松田の席に取って返し、机の上のテスト成績通知表を、ひょいっと、摘み持った。我に返った松田に腕を捕まえられる前に、駆け足で職員室を出て行った。
職員室の注目は利知未に集まり、橋田に説教をしていた住野の言葉も止まっていた。橋田は、吹き出しそうな顔をして、必至に笑いを押えた。
直ぐに、学年末テストの時期だ。
その頃には、三年の団部メンバーの、進路も決まっていた。
「しかし…、何だな…。」
机の上へ足を投げだし、椅子の背凭れに背中を預けた、行儀の悪い姿勢で、櫛田がぼそりと呟いた。
「…何だよ?」
利知未は相変わらず、片頬杖で、マンガ雑誌を眺めている。
「…早ぇもんだな。後、一ヶ月で卒業だとはな…。」
櫛田のぼやきに、目だけを上げて、利知未が言う。
「何だよ、センパイ。感慨深げに呟いたりして?柄じゃネーじゃん。」
「煩せー。タマには、こんな気分になる時だってアンだよ。」
頭だけ起こして、利知未を軽く睨み見た。利知未は眉を上げ、軽く肩を竦めて小さく笑う。
「喧嘩した時、以来だ。センパイに睨まれたの。」
「そーだったか?」
再び、頭を寝かす。頭は後ろの低い棚に、枕を置いて乗せていた。
櫛田は良く、こんなバランスの悪い格好で、昼寝をしていた。冬には、南向きの窓から柔らかい日差しが差し込んで、暖かい部屋だ。
「そーだよ。…でも、確かに早―よな。あれから九ヶ月も経ったんだ。」
利知未はマンガを閉じ、両頬杖を突いて、ダラけた姿勢の櫛田を眺めた。
最近、妙な噂が、利知未の耳に入っていた。
「三年の応援団元副団が、一年のマネージャー瀬川と、付き合っているらしい。だから、瀬川に手を出せば、応援団員に制裁を加えられる。」
そんな噂だ。
貴子がその噂を聞くと、『友達だって、本人が言ってたんだから、そんな事は無い。』と、訂正してくれているらしい。
利知未は、その手の噂話には耳を貸さない事にしていた。面倒臭いのは嫌いだ。ムキになって否定したって、無駄な労力の消費だ。そんな風に思っている。だから、どんな噂が流れ様とも、自分にとってのパラダイス・応援団部室から、離れるような事も無い。
「あのさ、センパイ。面白い事、言われたンだけど。」
何となく、話題に乗せて見ようと思った。櫛田は姿勢を変えずに聞いた。
「何だ?」
「俺、センパイの女なのか?」
ガタン!と音を立てて、櫛田が椅子のバランスを崩し、転げ落ちそうになる。無様に転がる事だけは、何とか免れた。
「…誰がンな事、言ってた?」
姿勢を直しながら、櫛田が聞く。利知未は、ややびっくり顔だった。
「誰って、そんな噂が流れてるらしいって、クラスの女子が。」
櫛田は、小さく息を吐いた。
「…何だ、噂か。…で、お前は何つったんだ?」
「知らなかったって、言っといたよ。…っつーか、そー言うの、マトモに相手してたって、疲れるだけじゃん。」
櫛田が鼻で笑う。…コーユー奴だ、コイツは。
「それで良いんじゃネーか。オレが卒業しちまえば、ンな噂は消えるぜ。」
「だよな。…別に、構わネーケドな。お蔭で面倒な事無くて済んでるし。」
どうでも良さそうな顔をして、利知未は再び、雑誌を開いた。櫛田はなんとも言えない笑顔で、その様子を眺めていた…。
更に二週間の時が流れ、学年末テストも、無事に終わった。この三学期、後は、卒業式を残すのみだ。
城西中学では、卒業式の式典中、応援団が指揮って、全校生徒でのエール交換を行う。
上級生側からは元団長、副団長と、団部三年メンバーが代表で進み出、下級生側からは現団長、副団長、一、二年の団部メンバーが進み出る。
その為、テストが終わってからの約二週間、応援団部は珍しく活動をしていた。訓練だ。
利知未は、マネージャーと言う立場なので、当日は大人しくクラスの自分の席で、待機している事になる。
その練習の活動期間は、時間潰しも兼ねて、応援団部室の整理整頓を手伝いながら、一応、真面目に部活動へ参加していた。
「げ、これ、三年の私物じゃん!?どーすんだ?」
棚を片付けていて、色々な物を見つけてしまった。
利知未がこの部室に出入りするようになって、慌てて隠し場所に設定した棚から、青年誌・エロ雑誌を始め、実に様々な物が出て来た。
「これ!?どこで使ってたンだ!?」
何故か避妊具まで出てくる。良く解らない…。男だらけの応援団で、何故こんな物が必要になるというのか?しかも開封済みで、使いかけだ。
ガラリと、扉が開いて、三年の応援団部員が一人、入って来た。
「うわ!瀬川!!何でお前がそんなモン見つけちまったんだ!?」
二年の頃、旗持ちをしていた鶴川 淳二と言う先輩だった。
「鶴川センパイ、丁度良い所に来たよ。これ、三年の私物だろ?持って帰るか、捨てるかしてくれよ?」
顔を顰めた利知未から、視線を反らしながら顎を掻く。
「ワリー、持ってくよ。」
利知未が、その様子を見て、疑わしそうな顔つきをする。
「…もしかしてコレ、センパイの…?」
「エ?いやぁ…、誰のだ!?こんなモン、ここに在っても仕方ないから、おれが処分しておくよ、うん。」
避妊具を、ズボンのポケットに仕舞い込んだ。利知未は益々、怪しそうな顔をした。鶴川は他にも、ライターや扇子、懐かしのベーゴマやモデルガンなど、一纏めにして抱え込んだ。
「こっちの雑誌は?センパイのじゃネーの?」
「ン?ああ、それは櫛田のだよ。」
「櫛田センパイ、青年誌読んでたんだ。…俺が、ここにいる時には見てなかった見たいだったけどな。」
パラパラと捲り、怪しげなシーンを見つけてしまった。慌てて閉じる。
「ハハ、そりゃ、女の前じゃ読めねーよ。」
笑いながら利知未を見た。利知未は、少し照れながらも、先ほどの怪しいシーンのページを、また、ちょっと開いて見る。興味本位だ。
「おーい、止めとけって。そんなトコ櫛田が見たら、怒鳴られんぞ?」
「…うわ、エゲツな…。何がイーンだ?こんなの…。」
タイミングと言うのは、悪い時には徹底的に悪い物だ。次に部室へ入って来たのは、櫛田だった。
「…ン?おいコラ!!瀬川!!お前、何見てんだ?!!」
流石は元副団だ。その大声で棚が揺れた。利知未と鶴川は首を竦めた。
つかつかと利知未の隣へ歩いて来て、雑誌を取り上げた。
「…ったく、お前は…。」
ぶつぶつ文句を言う。
「ンな事、言ったって、部室の片付けしてたら出て来たんだ。ショーがネーだろ?大体、こんなモン、隠しておく方が悪いんだ。」
腕を組んで、そっぽを向く。少し顔が赤い。櫛田はつい笑えてしまった。
「男見てーな態度ばっか取っても、やっぱ女だな。何、赤くなってんだ?」
雑誌を丸めて、ポコンと利知未の頭を撲った。利知未は、撲られた頭に両手を上げ、アッカンベーをしてやった。
時間が経つのが、コレほど早く感じた事は無かった。
櫛田と、応援団の仲間達と過ごして来た、ほんの数ヶ月が、卒業式という一区切りの日を迎えた。
利知未は珍しく、朝から気分が沈んでいる。中学の卒業式は、午後一時半から始まる。午前中は、同じ学区内の小学校で、卒業式が行われているのだ。宏治も、きっと今頃は、新品の学ランを来て、式に出席している頃だろう。
卒業生は午後から登校し、一度教室に集まり、最後のホームルームを受けてから、並んで体育館へ向かう。下級生は既に、席に着いている。
「卒業生入場!」
号令で、三年一組から順に行進してきた。都筑は二組、櫛田は四組、後二人は、三組の生徒だった。相変わらず団部メンバーは、気合いの入った制服を着ている。しかし、この城西中学が比較的、平和な学校でいる事に、応援団の乱暴者達が一役買っている事は、周知の事実だ。眉を顰める保護者は少ない。
挨拶から国歌・校歌斉唱、卒業証書授与、来賓挨拶、送辞・答辞と進み、応援団指揮の元、エール交換が行われ、それから、式歌斉唱で卒業生退場だ。エール交換は、この学校ならではの名物行事であり、それを毎年楽しみにしている来賓もいる。
「諸先輩方のーっ!!前途を祝しーっ!!三・三・七拍子―っ!!」
と、在校生が一斉に手を叩く。その後、エールを送る。
エールを送られた後、卒業生から元団長が声を上げる。
「我母校―っ!!城西中学校のーっ!!益々の発展を祈りーっ!!エールを送―るっ!!フレーッ!!フレーッ!!城西!!!」
そして、卒業生が元団長指揮の元で、一斉にエールを送る。
中々、見ごたえのある行事だった。応援団旗も、新二年生が翻す。父兄の中には、毎年このタイミングで泣き出す人がいる。
利知未も、このタイミングでジーンと来てしまった。
そして卒業式が終わり、応援団部室でも、祝賀の席を用意する。
謝恩会まで終わらせて顔を出した三年を、部室のあるクラブハウスの廊下に、ずらりと並んだ下級生が迎えた。
今年の祝賀会は、やや豪華だ。利知未が貴子に手伝って貰いながら、二、三品の肴を作ってやった。
この部員達は、隠れて酒も飲んでいたのだ。利知未も何度か相伴させて貰って来ていた。
料理を手伝って貰った貴子も招待した。貴子は恐れながらも、田崎に会えると思ったので、利知未に引っ張られるままに参加した。
「三年間、ご苦労様でした!!」
「ご苦労様でした!!」
下級生に迎え入れられ、宴会が始まる。一年は控えめに飲み、二年は三年の接待に忙しい。宴会が進み暫くした頃、利知未は櫛田が呼んでいるからと田崎に言われ、部室を出て行った。
「何だよ、酔っ払ったのか?」
学ランを肩に掛け、校庭の階段に座っている櫛田に、後ろから声をかけた。櫛田が気付いて、軽く振り返る。
「おう、ワリーな。摘み作ってくれたって?美味かったぜ。」
「そんな事か。俺はまた、酔っ払ったから介抱しろとでも、言われるかと思ったよ。…良い腕、してんだろ?」
隣に座り、ニコリとして見せた。櫛田も頬を緩めて言う。
「ああ、感心したぜ。…瀬川、」
「なんだ?」
「…いや、何でもネー。……イイ女になれよ。」
それが、櫛田から利知未に送られた、中学最後の言葉になった。
幸せの種 第二章 了 (次回は、9月7日 更新予定です。)
二章も最後までのお付き合い、ありがとうございます。三章より、利知未・中学二年生時代に突入です。
ヤンチャ者の利知未の行動範囲が、また、広がっていきます。来週金曜日、夜10時頃までには、確実にお届け出来るよう、只今、編集中です。
宜しかったらまた、お付き合い下さいませ<(__)> ペコリ




