黄金林檎は恋の味②
ガトー・ショコラ、チーズケーキ、苺のムース、プティング……。
“コレットの菓子工房”の飾り棚には、今日も色とりどりの菓子が並んでいる。
「ヴィル! ねぇ、起きて。ちょっと店番頼んでもいい? 出かけてきたいんだけど」
「んん? いいよ。どこにいくんだ?」
「ちょっとそこまで。お昼までにはもどるわ」
「おー」
開店準備を済ませ、ヴィルフレッドを起こしたコレットは、小袋を片手に出かけていった。
「店放り出して、どうしたんだ、あいつ……」
寝起きのヴィルフレッドは、二階の窓を開けてコレットを見送る。そして、「くあぁ」とあくびを一つするると、料理人服を片手に店に降りて行った。
次の日も、その次の日も、コレットは出かけて行った。
出かけるといっても、そう長い時間ではない。開店してすぐに出かけ、昼には戻ってくる。
「なぁ、毎日どこ行ってんの?」
戻って早々、前掛けをしてカフェテーブルを拭いたり花瓶の角度を直したりときびきびと働くコレットに、飾り棚に頬杖をついてぼけっと店番をしていたヴィルフレッドが言う。
「ん、ちょっとね」
コレットはにこっと微笑むと、水差しを持って外に出ようとする。店の前にある植え込みに水をやるようだ。
「もしかして、俺に隠れてクラウスと会ってるとか」
「くすっ、何言ってるの。クラウス様はお仕事でお忙しいでしょう」
「本当に?」
「本当よ。それよりヴィル、もうクラウス様に変な物食べさせないでね。この間孤児院の子どもたちが会えなくて残念がってたんだからね」
カララン。
コレットがドアを開ける。直接差し込んできた陽の光にヴィルフレッドが目を細めている間に、コレットは外に出て水やりをはじめてしまった。
「……残念がってたのはおまえじゃないの」
ぼそっともらされたつぶやきは、コレットに届くことはなかった。
次の日、同じように店番を頼んで出かけようとするコレットに、ヴィルフレッドは渋い顔をする。
「俺だってやりたいことがあるんだ。この店はおまえの店だろう? 毎日俺にまかせるなよ」
「ヴィル……。ごめんなさい、それもそうね。
あの、でも今日で最後だから。今日だけ、お願い。ね?」
コックコートの裾をつんと引いて懇願され、ヴィルフレッドは「うっ」と息をつめる。
「仕方ないな。ただし、どこに行ってるかくらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「それは……。あの、お菓子の新作を作ってるの。それで、ある人に試食してもらってるんだけど、この時間じゃないとだめなのよ」
「試食? 分隊長じゃないのか?」
「う、うん……」
「ふぅん。わかった。気を付けて行って来いよ」
「ありがとう。行ってきます」
カラランとドアベルが軽快な音を立てるのを聞きながら、ヴィルフレッドはコレットを見送る。
そうして、コレットが並べて行った品物を確認したり、ちらほらとやってくる客の応対をしたりしているうちに、店の扉に大きな影が映った。クラウスだ。
「よぉ。コレットは?」
「?」
ヴィルフレッドがさりげない風で聞いてみるが、心当たりはない様子だ。
「……本当に一緒じゃないのか」
「何の話だ」
「コレットがさぁ、最近毎日でかけてるんだよ。誰かに会ってるみたいなんだけど」
ヴィルフレッドに言われて、クラウスは店内を見渡す。そしてコレットの気配がないことを確かめると、ふむ、とうなずいた。
「菓子の試食をしてもらってるらしいよ?
あんた以外の誰かに」
「そうか」
「そうかって、あんたね」
クラウスが何かしらの反応をするのではと思っていたヴィルフレッドは、あまりにあっさりした返答に溜息をつく。
「いいの? 相手が女とは限らないんだぜ?」
「……」
クラウスは、だからなんだというようにヴィルフレッドを一瞥し、手にした紙袋を差し出した。
「麝香果の乾物だ」
市場で売っていたので、菓子に使ってみてはどうかということらしい。
「あぁ、ありがとさん」
袋を受け取りながら、ヴィルフレッドは首をかしげる。
クラウスが妹に好意を抱いていると思ったのは、勘違いだったのだろうか。
「なんか食ってく?」
「いや」
品物を届けに寄っただけだと言って、クラウスは帰って行った。また一人になってしまったヴィルフレッドは、溜息を一つついて、コレットが戻るのを待つことにした。
クラウスが“コレットの菓子工房”に寄りつつ朝の見回りを終えて戻ると、隊舎全体がやけにざわざわと騒がしかった。
「クラウス分隊長!」
何かあったのかと足早に分隊室に行こうとしたところで、研修期間を延長したマリーニが息せき切って駆けてきた。
「サン・クール寺院の朝の礼拝の時間に暴漢が乱入して、人質とって立てこもってるそうっす!
十八分隊には召集かかってませんが、なんか、コレットさんが人質の中にいるとかって」
「!」
「今、補佐官が確認に行ってるっす。とりあえず僕、えっと、あの、クラウス分隊長が戻ったら、伝えろって言われてて……。すみません、くわしいことはわからないんすけど。あの、でも、補佐官がとにかくそれだけ言えって……」
クラウスは、無意識のうちにきつく眉根を寄せていたらしい。強面の分隊長に睨まれたマリーニは、だんだんと声が小さくなっていく。
そんなマリーニの様子に気づいたクラウスは、見習いの肩をぽんと叩いて「わかった」とうなずく。そしてほっとした表情になったマリーニを労うと、自席を温めることなくサン・クール寺院の方角へと駆け出した。
「分隊長」
サン・クール寺院に着くと、すぐにエメリッヒが人ごみをかきわけてやってきた。
「状況は」
「第四師団が出張ってます。
暴漢は三人。要求は金。
一刻ほどまえから立てこもりをはじめて、ついさっき子どもたちとビアンカ嬢を解放しました。今、中にいるのは、賊三人とホープ司祭、守門のフェッロという男、そして……コレットさんです」
「……」
「団長、副団長が先程到着して、あっちで第四師団のシャルデニー師団長と分隊長たちが集まって対策を練っています。
解放された子どもたちは、この場から離した方がいいだろうということで、これからグラッツィア施療院に搬送するそうです。
他の隊には、街の治安維持のため巡回命令が出ています」
「そうか」
ならば、十八分隊も市中見回りに出なければなるまい。けれど、コレットが人質になっていると聞いて、何もせずにいられるものか。
いつもは命令第一のクラウスが珍しく判断に迷っていると、寺院を取り囲む騎士団と野次馬たちの向こうから、子どもの泣き声が聞こえてきた。
「うああぁぁぁんっ」
「やだ! やだやだっ 司祭さまやお姉ちゃんが捕まってるんだ! ぼくたちだけ逃げるなんてやだ!」
「うえぇ……。ビアンカお姉ちゃん! 司祭さま、大丈夫かな……」
「うっ、ひっく、フェッロ、けがしてたよ。ぼくのこと、かばって……」
見れば、月に一度の訪問で親しくなった子どもたちが、ビアンカにすがって泣いていた。その周りを、グラッツィア施療院に搬送するよう命じられた騎士たちが、困り顔で取り囲んでいる。
「みんな、泣かないで。司祭様もフェッロも、コレットさんも大丈夫よ。
騎士様たちが助けてくださるわ。心配なのはわかるけど、ここにいてもお邪魔になってしまうもの。施療院に行きましょう」
「やだ! やだやだ!」
「ふぇ……。司祭さまのこと待ってる」
「みんな、お願い。言うことを聞いて? 私だって心配だけど、まずはみんなが無事に逃げて司祭様たちを安心させてあげましょう?」
ビアンカは、子どもたちを必死になだめる。ビアンカとて、この場にいたい思いは同じだった。けれども、まずは子どもたちを安全な場所に移動させなければならない。
「じゃぁお姉ちゃんだけ行けばいいじゃないっ
私は残るっ」
「ぼくだって、残るよ! 司祭さまたちだけおいていけないもん」
「みんな……」
どうしても施療院にはいかないとごねる子どもたちを前にビアンカが困り果てていると、一人の子がふと背後を振り向いて声をあげた。
「あ! タイチョー!」
「え?」
「タイチョー!」
「タイチョーだ!」
「タイチョー! 司祭さまを助けて! コレットお姉ちゃんを助けて!」
クラウスに気付いた子どもたちが、わぁっと駆けて行く。
人ごみをかき分けてビアンカと子どもたちのところへ行こうとしていたクラウスは、膝をついて両手を広げ、自分に駆け寄ってくる子どもたちを抱き留めた。
「タイチョー!」
「タイチョー、あのね」
「わたしたち、みんなでおいのりしてたのよ」
「そしたら、きゅうにこわい人たちがきて」
子どもたちは、口々に寺院内でのことを話す。クラウスは、そんな子どもたちの話をじっと聞いてやる。
子どもたちが言うには、朝の礼拝のためビアンカと孤児院の子どもたちが寺院にいたところ、三人の男たちが突然怒鳴り込んできたそうだ。どうやら男たちは大通りの噴水の清掃に関わった者らしく、賃金が正当に支払われない、金を寄越せと訴えているらしい。
ティル・ナ・ノーグの象徴ともいうべき街の中心にある噴水は、観光の名所でもある。ニーヴをはじめとする妖精の彫刻に向かって硬貨を投げ、硬貨が彫刻に乗れば願いが叶うと言われている。その硬貨は、月に一度集められ、サン・クール寺院やグラッツィア施療院の運営費として寄付されていた。
清掃にあたるのは寺院や施療院の職員、もしくはティル・ナ・ノーグ天馬騎士団の騎士たちだが、まれに罪を犯して収監されたものの奉仕作業として割り当てられることもある。今回、寺院に押し入った男たちは、そういった奉仕の一環として噴水の清掃をした者たちのようだ。
奉仕作業であるから賃金は支払われなくて当然なのだが(そのかわり罰が軽減されたり、態度が優良であれば早く釈放されたりする)、男たちは集まった寄付金の多さに目がくらみ、余計な頭を回したものらしい。
「コレットお姉ちゃんもいるんだよ」
「お姉ちゃんはフェッロに会いにきたの」
「フェッロはね、フェッロは、ぼくのことかばってけがしちゃって……ぼくのせいで……。
う……うわああぁぁぁぁん」
一人の子どもが、そのときのことを思い出したのか、激しく泣きだした。
「イルジー。あなたのせいじゃないのよ。悪いのはあの人たちなんだから」
イルジーと呼ばれた子どもに、ビアンカが寄り添う。クラウスもイルジーの頭を撫でながら、子どもたちの話を頭の中で整理していた。
(“フェッロ”……。コレットはそいつに会いにきていたのか)
クラウスは、幾度か顔を合わせたことのある守門を思い浮かべる。職業柄、人の顔は極力覚えるようにしていたため、すぐにどの人物かわかった。
(歳は、二十代前半くらいだったか。孤児院に差し入れをするうちに知り合ったのか)
クラウスの胸の奥が、きしりと音を立てて痛む。
ヴィルフレッドとコレットとの関係を勘違いした一件以来、コレットへの好意を自覚したクラウスであったが、それ以降も何も変わらぬふりをしてコレットに接していた。
コレットは二十歳を過ぎたばかりの、新進気鋭の菓子職人。明るく朗らかで、いつも笑顔を絶やさない。菓子の味はもちろんだが、その人柄に惹かれて立ち寄る客も多い。また、菓子の装飾や店の内装、ちょっとした小物などに見られるセンスの良さも、女性客から好まれている。
かたやクラウスは十以上も年上で、無口で無愛想。職務以外のことは、自慢できることなど一つもない。人並み外れた長身や鍛え上げられた肉体は、戦場では役に立つが、日常生活では必要以上に威圧感を与えてしまうだけだった。
こんな自分が、女性に好かれるわけがない。事実、コレットと出会うまでは、クラウスとまともに会話する女性は皆無だった。コレットとて、菓子という共通の話題がなかったら、クラウスに近付こうとはしなかっただろう。
コレットは、クラウスにとって、貴重な女性の友人。
そばに居られるだけでいい。想いを秘すことで、これまでと同じ関係を保つ。
それが、クラウスが出した結論であった。
今はクラウスを頼ることの多いコレットだが、そのうちティル・ナ・ノーグにも慣れ、今以上に人間関係が広がるだろう。その中で、例えコレットが想いを寄せる相手が現れたとしても、温かく見守ろう。そう思ったのだが。
フェッロという守門は、あまり覇気の感じられない凡庸な男だと記憶していた。あんなのがいいのかと思ってしまう、自らの狭量さと意志の弱さに嫌気がさす。
「タイチョー?」
クラウスが自分の思いにふけっていると、イルジーにつんと袖を引かれた。ハッと我に返ったクラウスは、今はそれどころではなかったと自分を戒める。
「タイチョー、司祭さまたちを助けて」
「わるいやつらをやっつけて!」
クラウスという絶大な信頼を置く存在を得た子どもたちは、すっかり泣き止んで口々に切実な気持ちをうったえてきた。
「あ、あぁ……」
けれども、クラウスはあいまいな返事しか返してやれない。子どもたちの願いを自らの手で叶えたいのはやまやまだが、十八分隊には市中の巡回令が出ている。たとえ巡回を分隊員にまかせたとしても、他の師団が出張っている中にクラウス一人割り込むわけにはいかない。
クラウスが、自分は他の仕事に行ってしまうが、別の騎士たちが必ず暴漢を捕え司祭たちを救う、と子どもたちに説明しようとしたところで、視界の端に鉄紺の甲冑が映った。
「アルムスター分隊長。その子らとは知り合いか」
「シャルデニー師団長!」
そこにいたのは、この場を任されている第四師団の師団長、テオドール=シャルデニーであった。全身を覆い尽くす板金鎧を装着し、長い黒髪をゆるく後ろで結わえている。二十代後半という若さで師団長に就任した彼は、中性的な顔立ちと優雅な立ち居振る舞いもあいまって、武骨な男ばかりの騎士団の中でも特に目立つ人物であった。しかし、普段はあまり人前に出たがらない為、こうして対面することは珍しい。
「申し訳ありません。すぐ分隊に戻りま……」
「知り合いか、と聞いている」
直立不動で敬礼をしたクラウスに、若き師団長は、得意とする槍同様の鋭い口調で問い直した。
「は。分隊の月例慰問でこちらに参っておりましたので」
不動の姿勢のまま答えるクラウスの足元では、子どもたちが「タイチョー! どこか行っちゃうの?」「司祭さまたちを助けてよ」「この人だれ? なんで偉そうなの」「タイチョーをいじめるな」など、騒いでいる。
そんな子どもたちを一瞥したテオドールは、
「ならば好都合。貴殿に、子どもらからの聞き取りと本件への協力を要請する」
と言った。
「……は」
師団長からの“要請”といえば、ほぼ命令と同義である。拒否することなどできないが、そもそも断るはずがない。それどころか、あまりに望み通りの命令にクラウスは耳を疑う。
「第六師団の師団長には、後ほど私から話をしておく。後方に本部を設置した。中の状況が分かり次第、報告せよ」
「承知しました」
クラウスが答えるのにうなずいてみせたテオドールは、クラウスの足元に隠れて様子を伺う子どもたちにちらりと目線を送ってから、本部があるという方向に去って行った。
そんなテオドールの背中に、子どもの一人が「べぇっ」と舌を出す。
「こらっ、だめよ、ハヴェル」
「だって、あいつムカつくんだもん。俺らのタイチョーに偉そうにしてさ」
「師団長様だもの。偉い方なのよ」
「そうなの?」
きょとんとした顔をしてビアンカを見上げるハヴェルに、隣に立つクラウスは苦笑する。年齢や見た目で判断しがちな子どもにとって、騎士団の組織などを話したところで、すぐには理解できないだろう。
子どもたちはクラウスが来たことによって落ち着きを取り戻し、ビアンカと護衛の騎士たちと共にグラッツィア施療院に大人しく向かうことになった。
「司祭さまたちをよろしくね」
「絶対助けてね」
「コレットお姉ちゃんも、きっとタイチョーのこと待ってるよ!」
手を振る子どもに、クラウスも片手を挙げて応える。
子どもたちを見送ったクラウスもまた、子どもたちの話とビアンカの話を報告すべく本部へと向かった。途中、クラウスを待っていたエメリッヒに、分隊員たちへの指示とヴィルフレッドへの伝言を託す。
「わかりました。分隊長もお気をつけて」
「あぁ」
走り去るエメリッヒの足音を聞きながら、クラウスはふとサン・クール寺院を見上げた。
あの中に、コレットがいる。ホープ司祭は、言ってはなんだが、戦闘向きではないと思われる。フェッロという守門は、ビアンカによるとそれなりの使い手のようだが、怪我をしたと聞く。そんな状況で、彼女はどんな思いをしていることか。
何か、したい。彼女のために。
(コレット……。今、行く。無事でいてくれ)
クラウスはきつく拳を握ると、焦る気持ちを抑えて人ごみをかきわけた。