過去の回廊
薄暗く、ぼやけている天井は、私の家の風景。
視線が動かない、全身が鉛のように重たくて、ピクリとも動かない。
すこしの間、天井を見上げていると、薄暗い天井に赤い色が加わる。
絵の具?と思ったが、違う……これは、私の血液だ。
微かに横に見える鏡に、今の状態を明確にする姿が映っている。
後頭部から血を流して、畳に横たわっている私と、知らない誰か。
その知らない誰かは、片手にパンの生地でも伸ばすつもりなのか、長く太い木の棒を握っている。
頭が霞んでいく……思考能力の低下しているのだろうと、私は勝手に理解する。
多分、私はこの知らない誰かに殺されたんだろう。でも、なぜ殺されたんだろう?
私には、殺される覚えがなかった。なら、簡単だ。これは『通り魔』だ。
でも、不思議と痛覚を感じない。頭を殴られたのだから、普通なら頭痛がするモノではないのかと、内心で文句を言う。
だけど、コレは多分、私が昔から望んでいた事……何も感じない世界、死の世界なのだ。
風景が消えて、無明の世界が眼前に広がる。
何もない世界には、『私』という存在すらない。
ここで、私はこの何もない世界が嫌になった。『死』は全てから開放されるモノではなく、捨てられる事なのだ。
伽藍の世界は、要らない――
そう思うと、目が覚めた。生温い液体が、背中を濡らしている。
そこは、誰も居ない夕暮れの私の部屋で、生温い液体は、私の体から流れ出た血液だった。
風に遊ばれているカーテンを片手で掴んで、視線を鏡に逸らす。
顔半分を血で濡らした私をただ映している鏡の傍の床には、一つだけ短剣を象ったピアスが、ポツンと置かれている。
そのピアスに、私は見覚えがなかった。
部屋の出入り口である引き戸が開かれた。買い物から帰ってきた模様の母親が部屋の出入り口の前に佇んでいる。
母親は口をポカンと開いて、持っていた買い物袋を床に落として、呆気にとられている。
それもそうだ。顔半分を赤い血で濡らしている娘の姿を母親としては、正しい反応だ。
私は顔だけ母親に向けると小さく、
「私、誰かに、棒で頭を殴られた、でも、痛く、ない」
母親にはその呟きは聞こえない……
12歳の夏の初旬の出来事だった……