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「ただいま~」
春祭についての話し合いで遅くなったあたしが帰宅したのは、辺りがどっぷりと夕闇に包まれている時間だった。
「おかえりなさい、香紀、笑ちゃん。遅かったのね。ご飯食べるから、着替えたらすぐに下りてきなさいよ」
「わかったですの~」
笑ちゃんは、もうすっかりうちの家族の一員となっていた。
「は~い。あ……今日はハンバーグなのね!」
「ぶっぶ~、残念。餃子でした~!」
「あちゃ~、また間違えちゃった♪」
毎度恒例のメニュー当てクイズも、あたしはいつもどおりに間違える。
「だからあんたは、ほんとどういう鼻してるんだか」
洗面所で手を洗ってきたのだろう、お姉ちゃんが通りがかりに軽くツッコミを入れると、そのままキッチンへと入っていった。
ごく一般的な広さであるあたしの家。キッチンは、食事をするスペースも一体のダイニングキッチンとなっている。
そのキッチンにあるテーブルには、夕飯がすでに準備されているようで、もくもくと湯気を立ち昇らせているのが見える。
どうやらお父さんも帰ってきているらしく、テーブルに着く後ろ姿が確認できた。
あたしは急いで部屋に向かうと制服から部屋着に着替え、ドタドタと階段を下りる。
「いただきま~す!」
素早く席に着き、笑ちゃんと声を揃えて手を合わせると、あたしは夕飯を食べ始めた。
帰宅時間がこんなに遅くなると、さすがにおなかもペコペコで、自然と食も進む。
食が進むと、ついついお喋りのほうも同じように増えてしまうのが、うちの家族の特徴でもあった。
ただ、今日は学校での話し合いで精神的に疲れていたこともあり、少々おとなしく感じられたのだろう、お母さんが心配の声をかけてきた。
「香紀、どうしたの? 帰ってくるのも随分遅かったけど……」
「うん、実は今度の春祭でね、笑ちゃんとふたりでお笑いライブをやることになったの。それで――」
そこまで言ってから、はっと口をつぐむ。
しまった! 黙っておくつもりだったのに……!
されど、時すでに遅し。目をキラキラと輝かせたお母さんからの質問攻めタイムが開始されてしまった。
「ねぇねぇ、どんなことやるの? ……ようかい喫茶? まぁ、面白そう! でも、それとお笑いって、どんな関係があるの? あっ、笑ちゃんとのコンビだからなのね!」
「そうなんですの! ボクも、楽しみにしてますの!」
笑ちゃんも一緒になって大はしゃぎ。
帰り際、今回のことは家族には絶対内緒だと、笑ちゃんに強く言い聞かせておいた。
それなのに、あたし自ら話してしまうなんて。大失態だわ。
「絶対見に行かなくっちゃ~!」
「来なくていい!」
歓喜の声を上げるお母さんに、あたしは断固拒絶の言葉を返す。
もちろん、そんなのが無駄な抵抗だっていうのは、百も承知だった。
「ふふふ、こりゃ、行くっきゃないわよね~!」
お姉ちゃんも乗り気になっているようだ。
「ぼくのカメラも、素敵な被写体を得られて喜んでるよ!」
お父さんまでもが上機嫌でカメラを構えていた。食卓になにを持ち込んでるんだか。
そんな盛り上がった家族を、あたしひとりの抵抗で止められるはずなんてないのだった。
☆☆☆☆☆
次の日。
あたしが学校に行く準備を終えて階段を下りると、寝間着のままのお母さんがふらふらした足取りでこちらに歩いてきた。
「ごめんなさい、香紀。ごほごほっ。ちょっと風邪をひいちゃったみたい」
「えっ、そうなの? お母さん、大丈夫?」
あたしは心配になって駆け寄る。お母さんの額に手を当ててみると、確かに熱があるみたいだった。
「ええ、そんなにひどくはないのよ。でも、今日は寝ておくわ。朝食はお姉ちゃんが作ってくれてるから。それと、今日の帰り、お買い物してきてほしいの」
熱はあっても、どうやら思考はしっかりしているらしい。
重い風邪ではなさそうで、あたしはほっと胸を撫で下ろす。
「え~? お姉ちゃんに頼めばいいじゃない」
安心したからか、ついいつもの癖で、聞き分けのない娘といった受け答えをしてしまったのだけど。
エプロン姿のお姉ちゃんが、キッチンのほうから文句を返してくる。
「わたしは今日、委員会の仕事で遅いのよ。たぶん帰りは九時過ぎになっちゃう。あんたも春祭の準備とかあって大変かもしれないけど、わたしよりは早いはずだから」
「そういうわけなの。お願いね。ごほごほっ」
お母さんは頭痛もあるようで、少々歪んだ様子の笑顔を向けながら、手を合わせて願いポーズを見せる。と同時に咳き込んでいた。
「もう、無理しないで。ほら、早く部屋に戻って休んでなよ。買い物は行ってくるからさ」
ふらふらしているお母さんを支えながら、あたしは布製の買い物袋を受け取り、カバンに詰め込んだ。
「ありがとう。中にメモを入れておいたから、書いてあるのを買ってきてね。お金も袋の中に入ってるから。ごほごほっ」
「はいはい、わかったから。早く部屋まで行こう」
あたしはお母さんを部屋まで連れていき、布団に寝かせる。
熱もあるようだったので、水に濡らしたタオルも用意してきて、額に乗せてあげた。
冷たくて気持ちいいと、お母さんは微笑んでくれた。
「それじゃあ、ゆっくり休んでね」
静かな声で言い残してキッチンに向かうと、お姉ちゃんの準備していた朝食も出来上がっていた。
「どう? わたしの作った料理は」
箸を進めるあたしに、お姉ちゃんが得意満面な笑顔で訊いてくる。
作ってもらっておいて不味いなんて言えないけど、美味しいと素直に答えるのも、なんかシャクだ。
「ん、まあまあね」
そっけなく答える。
「……本心では、とっても美味しいと言ってますの」
あたしの頭にそっと手を触れ、笑ちゃんがそう言うと、お姉ちゃんはさらにこぼれ落ちそうなほどの笑顔を溢れさせる。
「そうでしょう、そうでしょう。うふふふ♪」
お姉さんらしいことができるとき、必要以上に張りきる智織お姉ちゃん。
幼い容姿によるコンプレックスもあってか、こういうことがあると、とっても嬉しそうなのだ。
そんな様子を見ていると、こっちまでほのぼのとした気分に包まれる。
「って、ほのぼのしてる場合じゃない! 遅刻しちゃう!」
「まったくあんたは。もっと余裕を持って生活しなきゃ」
あたしは素早く朝食を終えると、洗面所で軽く口だけゆすぎ、忙しなくカバンを引っつかみ、文字どおり家を飛び出す。
と、お姉ちゃんが玄関の外まで見送りに出てくれていた。
「そういえば、お姉ちゃんは大丈夫なの? このあと、朝ご飯の片付けとかもしてたら、絶対遅刻じゃない?」
「一時間目が休講になってるから大丈夫なのよ。ホームルームくらいだったら、理由を言えば許してもらえるだろうしね」
どうやらお姉ちゃんの高校では、インターネットで授業の確認などもできるらしい。
ケータイで学校のサイトにアクセスして、確認してあったということなのだろう。
お姉ちゃん、今日はゆっくりでいいのか~。む~、なんか、ずるい!
などと少しずれた考えを抱きながら、あたしは全速力で学校へと向かった。




