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レイスバース.異世界編  作者: 弥生いつか


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1/1

花人の聖女と龍の第二王子


 王国アエテリア、聖暦四二七一年春。


 王都エルドリアの大聖堂は、赤いバラと白いのユリで埋め尽くされていた。天井まで届くステンドグラスから差し込む陽光が、床に散りばめられた花びらを美しく輝かせる。今日は王国第一位の婚約者発表の儀。出席者は半神と鬼人の貴族ばかりだ。


 祭壇の前に立つのは、花人の聖女リリア・ブルーム。淡い金髪に青の瞳、肌は花びらのように白く柔らかい。髪飾りの様に花が咲く花人は歌と踊りで草花を育てる種族で、女は聖女、男は聖人として教会に囲われ、上級貴族の伴侶となるのが定めだった。


 リリアは頭に高貴な青い薔薇を咲かせる花人で、六歳で王太子の婚約者に選ばれ、成人するまで妃教育を受けてきた。


 向かい合うのは、龍の半神たる王太子カイゼル・ドラコニア。漆黒の髪に紅い瞳、背に畳まれた黒い翼が威圧を放つ。隣には、今日突然呼び出された兎の半神、伯爵令嬢セレス・ラビット。銀髪に赤い目、華奢な体に白い兎耳が揺れる。


 大司教が祝福の言葉を述べようとした瞬間、カイゼルが手を上げた。


「待て。この婚約は破棄する」


 ざわめきが大聖堂を満たす。リリアの指が微かに震えた。

カイゼルはセレスの手を取り、高らかに宣言した。


「私はセレス・ラビットを妃とする。花人ごときが、龍の血を継ぐ王太子の伴侶に相応しいはずがない」


 セレスが勝ち誇った笑みを浮かべる。


「当然ですわ。半神同士の婚姻こそが、真に尊いもの。花人はただの飾りですもの」


 リリアは静かに頭を下げた。国母が簡単に感情を表に出すことを禁じられている。幼少期から妃教育で叩き込まれた教えだ。


「…承知いたしました。お幸せに」


 彼女は裾を握りしめ、ゆっくりと会場を後にしようとする。その背中に、冷たい視線が突き刺さる。嘲笑の声が聞こえた気がした。


「待て」


 低い、しかし通る声が響いた。第二王子、レイヴン・ドラコニアだ。兄と同じく龍の半神だが、銀髪に蒼い瞳、黒い翼はより細く、表情は常に穏やかで寡黙だった。兄の影に隠れ、ほとんど表舞台に出ない男。


 レイヴンは大股でリリアの前に立ち、静かに言った。


「兄上が破棄するなら、私が貰う」


 どよめきがさらに大きくなる。カイゼルが目を見開いた。


「レイヴン、貴様何を―――」

「花人を軽んじるなど、愚かなことだ。リリアは三年間、この国の花を美しく保ち続け、作物をたわわに実らせた。その功績を、誰もが知っている」


 レイヴンはリリアの手を取り、彼女の緑の瞳を真っすぐに見つめた。


「私の妃になってくれ。強制はしない。だが、私は本気だ」


 リリアは聖女になってから初めて、誰かの温かい手の感触を味わった。教会の冷たい石の床とは違う、確かな体温。


「…はい。喜んで」


 その日から、リリアの世界は一変した。


 レイヴンは寡黙だったが、愛情深かった。朝はリリアが歌うと庭の花が一斉に咲き誇り、彼は無言でその横に座り、時折髪を撫でた。


 夜は「無理をするな」と短く言い、彼女の手を握って眠る。花人の体は華奢で、過度の労働に向かない。彼はそれを知り尽くしていた。


「歌は、お前の好きな時だけでいい」

「踊りも、私が頼んだ時だけでいい」


 そんな言葉を、彼は何度も繰り返した。


 結婚から一年後、リリアは双子を授かった。


 男の子は黒い翼を持つ龍の半神の特徴を、女の子は淡い金髪に青の瞳と、白い初花が咲く花人の特徴を受け継いでいた。レイヴンは初めて、はっきりと笑った。


「美しい。お前と私の、大切な子どもたちだ」


 王都の外れにある第二王子の館は、花で埋め尽くされた。リリアの歌で薔薇が壁を覆い、ユリが窓辺に揺れ、子どもたちは笑いながらその中を駆け回った。レイヴンは公務の合間に必ず戻り、双子を抱き上げ、リリアの肩に頭を寄せた。


「お前がいてくれて、よかった」


 その言葉だけで、リリアは十分だった。


 一方、王太子カイゼルとセレスの婚姻は華やかに執り行われた。半神同士の結びつきとして、貴族たちからも祝福された。セレスは高慢に振る舞い、「花人などすぐに忘れられる」と公言した。


 しかし、妊娠が判明した頃から、様子がおかしくなり始めた。


 セレスの食欲は異常に増し、肉を生のまま欲しがるようになった。侍女たちが「お体に障ります」と諫めても、彼女は聞き入れない。出産の日、王宮の奥深くで激しい叫び声が上がった。


 生まれたのは、小さな男児だった。龍の半神の血を濃く受け継ぎ、すでに小さな翼の芽が背中に見えた。


 だが、産後のセレスは蒼白で、瞳が濁っていた。体力を激しく消耗し、意識が朦朧とする中、彼女はふと、我が子の首筋に顔を寄せた。

甘い、鉄の匂い。


「…お腹が、空いた………」


 次の瞬間、セレスの口が子どもの柔らかな喉に食らいついた。骨の砕ける音、血が飛び散る音。


 侍女たちの悲鳴が廊下を駆け巡る。セレスは我が子を貪り食い、血にまみれた顔で笑った。体が急速に膨れ上がり、兎耳が裂け、爪が伸び、瞳が完全に獣のものへと変わっていく。


「もっと…もっと…!」


 怪物と化したセレスは、駆けつけた騎士たちを薙ぎ倒し、血の海を作り出した。


 カイゼルが部屋に飛び込んだ時、そこにはすでに、かつての美しい伯爵令嬢の面影はなかった。血と肉片の中で、歪んだ姿の怪物が、残骸を噛み締めているだけだった。


 カイゼルは呆然と立ち尽くした。膝から力が抜け、剣が床に落ちる音だけが響く。


「セレス……なぜ……」


 国王ドラコ・ドラコニアが重い足取りで現れた。老いた龍の半神は、惨状を一瞥しただけで、静かに口を開いた。


「半神や鬼人同士で婚姻をすると、必ず起きてしまうことだ。お前は何を学んでいたのだ」


 カイゼルの顔が青ざめる。


「父上…?」

「半神同士、鬼人同士が子供を産むのは古代から伝わる禁忌だ。花人を伴侶に選べば、血が薄まり、この厄を避けられる。だからこそ、花人の聖女・聖人を教会が育て、上級貴族に下げ渡してきたのだ」


 国王の声は冷たく、容赦なかった。


「お前はそれを知らず、あるいは知りながら、花人を捨てた。王の資格なし。廃嫡する。この先、塔に幽閉せよ」


 カイゼルは叫んだ。


「待ってください! 私は!!」

「黙れ。第二王子レイヴンを、次期国王とする」


 その日のうちに、カイゼルは黒い鎖で手足を繋がれ、王宮最奥の塔へ連行された。窓のない石室。光も、風も、ほとんど届かない場所。


 一方、レイヴンは王宮に召され、正式に王位継承者として宣言された。リリアは双子を連れて彼の隣に立ち、静かに微笑んだ。


 王都の人々は、第二王子夫妻の穏やかな統治を歓迎した。リリアの歌が王宮の庭に響けば、枯れた花さえ蘇り、病む者の心を癒した。双子はすくすくと育ち、兄は龍の力を、妹は花を操る力を、それぞれ自然に発揮した。


 塔の中で、カイゼルは時折、遠い歌声を聞いた気がした。花人の聖女が、かつての婚約者の為に歌うことはなかった。彼女はもう、自分の幸せな家族のためにだけ、歌っていた。


 数年後、レイヴンは正式に即位した。戴冠式の日、リリアは美しい花冠を戴き、双子と共に彼の隣に並んだ。


 国王レイヴンは、短く、しかし力強く宣言した。


「この国を、花と共に豊かに育てよう」


 リリアは彼の手を握り返した。寡黙な夫の掌は、相変わらず温かかった。


 塔の最奥で、廃嫡された元王太子は、永遠に沈黙の中に閉ざされた。


 そして王国アエテリアは、花人の聖女と龍の王が治める、穏やかな春を迎えたのだった。

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