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『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました  作者: 皇 翼


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30/43

29.

クレイヴ先生が学院に戻ってきてから、私の日々はとても充実していた。

先生は相変わらず厳しいながらも優しくて、それでいてなんだかんだ面倒見が良くて、時々私とマーカスをからかうと笑いながら反論してきて、説教されるのが楽しかった。

マーカスも以前よりよく話すようになり、授業以外の時間や昼休みや中休み、放課後でも、一緒にいるのが当たり前のようになっていた。そこにはコリアンナもいる。

ずっと一人が楽で一人でいたはずの時間だったが、いつの間にか周囲には気の置けない人たちが増えていた。その変化を私は歓迎していた。


以前の私だと拒否していただろうが……それだけ私も変化したということだろう。


前の自分は「婚約者として相応しくあるべき」、「完璧な人間であるべき」と、問題を起こしそうな人間や他人の足を引っ張る人間――とにかく全ての人間を遠ざけ、自分を縛っていた気がする。損しかしないと分かっている人間と関わることを面倒がったということもあるが。


でも今は違う。

私は私らしくいてもいいんだ、と、そう思えるようになった。なんだか今の方が生きやすい。生きているという実感がある。

それを母様に話したら、声からでも分かるくらいに嬉しそうにしてくれたから、私も嬉しかった。以前だったら考えられない会話だ。


……ただ、そんな日常の中で、ひとつだけ気になることがあった。

――オーランド様の視線。


彼はいつも遠くから、じっと私を見ているのだ。いや、見ていたというよりも、睨んでいると言った方が正しいだろうか。

特に、マーカスと話しているときや、クレイヴ先生と一緒にいるときは、その視線が刺さるように強くなる。

少し、怖かった。


オーランド様がこんな風に人を睨むことなんてこれまでなかったからだ。だからこそ、その行動の不気味さは際立っていた。彼はいつでも私になんて興味がなさそうに別のことをしていたり、私の方なんて見ていなかったのだ。私が何をしようとも一切関知しない。興味を持たない。

私が何かに誘えば、たまについてくる。形だけの婚約者。それが私と彼の関係性。


けれど今は彼の周囲の空気が、どこか重苦しい。

あまり関わらない方がいい、そんな風にさえ直感してしまうほどに――。

しかし近付かないというその行動は長くは持たなかった。


「君は、とんだ阿婆擦れだな」


ある日の放課後、私は学院の廊下を歩いていた。

そのとき、不意に聞き慣れた低い声が背後から響いたのだ。


「リーシャ」


呼び止められて、振り向くと――オーランド様がいた。


表情は険しく、眉間には深い皺が寄っている。

その瞳は、冷たい怒りに満ちていた。


「オーランド、様?」


声をかけると、彼は見せつけるように溜め息を吐く。

怒っている、機嫌が悪いということを主張するように。子供っぽい行動だ。


「君は婚約者がいるにも拘わらず、男と一緒につるんで、いちゃついて……とんだ阿婆擦れだなと言ったんだ。聞こえていなかったのか?」


――は?

思考が一瞬止まった。


何を、言っているの?


「……今、何とおっしゃいましたか?」


聞き返すと、オーランド様はさらに表情を険しくした。


「何度も何度も言わせないでくれ。君は婚約者がいながら、男とつるんで恥ずかしくないのかと言っている」

「つるんで……? 恥ずかしい?」


あまりの怒りに唇が震えた。

貴方がそれを言うのかと罵倒してしまいそうになる。私は腐っても彼の婚約者だ。彼の噂はそれなりに今も私の耳に入ってくる。


「まさか、マーカスやクレイヴ先生のことを言っているのですか?」

「他に誰がいる」


即答だった。

私は呆れて、笑ってしまいそうになる。何をくだらないことを言っているのか。


「……馬鹿らしい」

「何?」

「馬鹿らしいって言ったのですよ、オーランド様」


オーランド様の目が細められる。


「君は何か勘違いをしているようだな。婚約者である俺を差し置いて、他の男と楽しそうに過ごしているのが、どれだけ異常なことか理解していないのか?あんな笑顔まで見せて」

「異常?」


一方的に異常だと言い放ち、断罪しようとする彼に対して、呆れに似た感情が湧いてくる。

何故私は今こんなにも責められているのか、意味が分からなかった。だからこそ、はっきりと包み隠さず思ったことを口から出してしまう。


「オーランド様、あなたは私の婚約者でしたよね?それなのに、あなたは私がどんなに話しかけても、まともに相手をしてくれたことがありましたか?」

「それは――」

「私は、オーランド様に嫌われているのだと思います。婚約が決まったばかりの頃は、何度も誘ったのに、いつも冷たく突き放されて――」


彼の表情が少し揺らいだ。申し訳ないが、いい気味だと思ってしまう。


「それは……君が嫌いだったからではない」

「では、何故でしょうか?他の方には普通に接していますよね」

「……俺は、ただ……」


彼は言葉を濁した。さっきまで元気に人を断罪しようとしていたのに。

それを見て、私はさらに言葉を重ねた。


「どうして、私はあなたと一緒にいるときに笑えなかったのか、分かりますか?」


何も言わなくなってしまったオーランド様に対して、先ほど出していた疑問に答えてあげようと話題を出す。

彼の手が、ぎゅっと拳を握るのが見えた。何も言えなくなっている怒りを堪えているのだろう。


「……」

「オーランド様、あなたは何も知らないでしょう?私がどんな人間かも、なにを考えているのかも、今まで私が苦しんでいたことすら知らなかったのでしょう」


彼が息を呑んだのが分かった。

私は今まで彼にこんなことを吐き出したことがない。見たことのない態度に驚いていることが分かった。


「……それは、でも、今はその問題も解決して――」

「ええ、自分で解決しました。貴方は私を守るどころか、突き放した。覚えていますか?」

「……」

「『俺にかまってばかりいないで、自分の趣味でも見つけたらどうだ』」


私の言動の度に、彼の顔がさらに驚愕に染まる。

今までは彼の一挙手一投足を気にしていたのに、今は何を思われようとどうでもよかった。母様もこの婚約についてはもう、なんとも思っていないようだし。維持し続ける意義を感じない。


「……オーランド様にそう言われたとき、私は、ああ、この人は私と関わりたくないんだなって思いました」


オーランド様の口が開きかけたが、言葉が出てこない。


「だから私は、あなたの言葉通りにしました。もうあなたにはかまわない。もう、関わらないようにする。そして自分の好きになれることも見つけた。それなのに……」


私は目を細め、彼を真っ直ぐ見つめた。


「今さらになって、私が楽しそうに他の人と仲良くしていたら怒るのですか?」


彼は何かを言いたげに唇を開きかけたが、結局、何も言わなかった。

私は、あまりに彼の変わりように笑いそうになり、ふっと息を吐いた。


「言っておきますが、この学院が共学な時点で他の生徒――もちろん男子生徒とも関わるのは当然のことです。オーランド様も他の女子生徒と話したり、授業で組んだり、昼食を一緒にとったりしていますよね?」

「……っそれは!!生徒会の仕事で――違うんだ、リーシャ」

「それに、知っていますよ。少し前にも貴方に生徒会室に呼び出されたと、女生徒たちが自慢しに来ましたから。『アンタは用済みみたいね』って楽しそうに笑っていましたよ。新たな婚約者になるとどの女生徒も息巻いていましたが……とっても派手な遊びですね」


そう。

少し前に私に対して授業やそれ以外の時間でも散々絡んできた厄介な女子生徒たち。

彼女らは私と彼が決別したとみるや、私のことをさらに見下し始めた。そして『用済み』発言だ。そんな派手な遊びをしておいて、特にそういう関係性を持っていないかつ学生らしく学問を学んでいる私に対して彼は『阿婆擦れ』という言葉と共に、行動を制限するようなことを言ってきたのだ。

あまりにも自分勝手である。


「もし男子生徒や教師と関わるな、親交を深めるなと言うのであれば、それは不可能です。私のことがそんなにも気に食わないのであれば婚約を破談にしていただいても結構ですから」


オーランドの瞳が、大きく揺れた。


「オーランド=レッドグルール……だから、邪魔しないでください」


もう、どうでもいい。様なんてつけたくないくらいに嫌いだ。

私が怒りに任せてそう告げると、オーランドはまるで何かに殴られたような顔をした。少し意外だった。彼が私なんかの言葉で傷ついていることが。でもよく分からない。興味がないはずの婚約者が急に生き生きし始めたから、ちょっかいを掛けたくなったとかだろうか。

彼は、何も言わなかった。ただ、拳を握りしめ、ゆっくりと私を見つめていた。


しかし、その瞳に、苦しみとも悲しみともつかない感情が浮かんでいたのを私は見てしまった。


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