番外編:街角
午後の光が街を柔らかく染める頃、姫川は久しぶりに服屋を回った帰り道を歩いていた。通りのカフェや小さな雑貨店を横目に、ショッピングバッグを片手に持ち、心地よい疲労と満足感を胸に抱く。
ふと、前方に見覚えのある後ろ姿を見付ける。黒いシングルライダースの肩のライン、歩き方、短く切り揃えた髪……間違いない。佐伯だ。心臓が少し跳ねた。書道展以来、静かに交わした視線の余韻がまだ胸に残っている。
声を掛けたいけれど、人違いだったら恥ずかしい。慎重に距離を詰める姫川。
しかし、近付くにつれて、佐伯の陰にもう一つの姿が見えた。背の高い女性が佐伯を見上げ、軽く笑って話している。姫川は一瞬立ち止まった。
「あ……あの人は……」 目を凝らすと、元ギャル風の明るい雰囲気をまとった女性。
髪は肩にかかる柔らかい茶色、肌は日焼けした健康的な色合い。仲の良さそうな笑顔で、佐伯と楽しそうに会話している。
姫川は息をひそめ、少し離れた舗道の端に立つ。「誰だろう……」心の中で思いながらも、表情は自然を装う。
佐伯の様子を遠くから眺め、声を掛けるタイミングを計る。女性の声が街の雑踏の中で聞こえた。
「あーし、久しぶりに龍次郎に会えて嬉しい」
「久しぶりだな、律」
中学時代の佐伯の友人、律。呼び名だけでも、二人の長年の親しさが伝わってくる。
「でしょ? メッセで話してたけど、やっぱ会いたかったよ」
姫川はそっと距離を保ちつつ、二人のやり取りを見守る。律の軽やかで明るい声に、佐伯も少し表情を緩め、普段見せない柔らかい笑みを浮かべている。 姫川はまだ知らない一面もあるのだな、と、思った。
展示会で見た線の呼吸と同じくらい、佐伯の人柄にも自然な動きがある事を改めて感じた。 やがて、律が振り返る。
「じゃあ、あーしはそろそろ行くね。 龍次郎、またね!」
佐伯は手を軽く上げ、律を見送る。律の笑顔が通りの向こうに消えていくのを確認すると、踵を返す形で姫川の存在に気付く。 「──姫川」
「こんにちは、佐伯さん」偶然を装い姫川は挨拶をする。「このあと、予定とかありますか?」と、姫川が尋ねる。
「いや特に」
「そうですか。じゃあ、ちょっと一緒にお茶でもしませんか?」
二人は通り沿いのカフェに入り、窓際の席に腰を下ろす。午後の柔らかい光が、ガラスを通して店内を温かく照らしていた。注文を済ませ、コーヒーと軽いケーキを前にすると、言葉は特に必要ないかのように、静かな時間が流れる。
「街で偶然会うなんて、やっぱり運がいいですね」姫川が微かに笑う。
「そうだな……まぁ、こうして会えるのも悪くない」佐伯も柔らかく笑みを返す。
姫川は少し窓の外を眺めてから、言葉を選ぶように口を開く。「佐伯さんって、普段は落ち着いて見えますけど、友達と話してる時に時折見せる笑顔、柔らかいですね」
佐伯はカップを持ち上げ、軽く視線を落とす。「なんだ、見てたのか」
「はは、すみません。でも、あぁいう一面もあるんだなって、知れたのがちょっと嬉しいです」苦笑交じりに言葉を返しつつ、手元のカップに指先を添える。
沈黙が自然に流れる。店内の静かな音、遠くの通りの声、コーヒーミルの微かな唸り。それらすべてが、二人の間に柔らかく溶け込む。
「その紙袋、買い物の帰りか?」佐伯が軽く問いかける。
「はい。久しぶりに服屋を回って、ちょっと疲れましたけど、楽しかったです」姫川は笑みを浮かべる。「こうして歩いて、気分転換できるのもいいですね」
佐伯は頷き、窓の外の街並みを眺める。「たまには、こういう時間も必要だな」
姫川はそっと目を和らげ、少し肩の力を抜く。「佐伯さんとこうしてゆっくり話すのも久しぶりです」
「そうだな」佐伯も自然な笑みを浮かべる。
展示会の時とは違い、肩の力も緊張もない。唯、隣に居る事の心地よさがあった。 二人は言葉少なに、窓の外を見たり、カップを手に取りながら、ゆっくりと時間を過ごす。
時折交わす視線や、微かに笑い合う瞬間が、自然な間合いの心地よさを生む。
「そろそろ出るか」
佐伯が言うと、姫川は軽く頷く。 店を出ると、夕暮れが街を柔らかく染め、風がカフェの珈琲の香りを運んでくる。互いに自然な距離で歩きながら、偶然の再会と、
静かに重なった時間の余韻を胸に感じる二人だった。 小さな奇跡のような偶然の呼吸は、今日もまた、二人の間に静かに息づいていた。




