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墨が乾くまで  作者: 男鹿七海
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重なる配置

 午後の光が大きな窓から差し込み、テーブルの端に置かれたグラスが淡く揺れていた。店内は平日の昼下がりで客はまばら、遠くで子供の笑い声が響き、隣のテーブルのカップが僅かにぶつかる音が聞こえる。


 佐伯は椅子に腰かけ、手元のメニューを軽くめくりながらも、視線は自然に店内を巡らせていた。そこに、角を曲がるようにして姫川が現れる。まるで何も変わっていないかのように、いつもの柔らかい歩き方で、少し間を置いて席に着いた。


「久しぶりだな」佐伯は無意識にそう口に出した。


 姫川は軽く笑い、目を細めて頷く。「ですね。こんな時間に来るのも久しぶりです」


 二人の間には、かつての緊張や焦りはない。唯、同じ空間にいる“配置”だけが確かにあった。 テーブルの角に置かれた塩と胡椒の瓶、窓際の光、互いに向き合った距離感――以前に見た景色と同じ配置。

 ただし、そこに戻れるわけではない事を、二人共は無意識に感じていた。


「順調か?」佐伯が軽く訊く。


 姫川は肩をすくめる。「まあ、ぼちぼちですかね。仕事は順調でも、何かが……ちょっと違うな、って思う事もあります」


「そうか」佐伯は頷き、メニューを置いてカップに手をかける。


 姫川は目を伏せ、でも小さく笑む。「はい…まあ、やれるなりにやってます」


 会話は短く、内容も軽い。 唯、戻れない場所に立っている事も、二人は静かに知っていた。 窓の外の街路樹が風に揺れ、光が揺らめく。

 グラスの水がきらりと光を反射する。二人は唯座り、互いの存在を認めるだけ。そして、何も起こらない静寂の中で、次の何かを待つかのように、時間だけがゆっくりと流れていた。



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