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墨が乾くまで  作者: 男鹿七海
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静かなる承認

 姫川は机の前に座り込み、最後の仕上げに集中していた。数日前から練り上げてきた表紙デザインも、いよいよ最終段階だ。色味のバランス、挿絵の細かな線のニュアンスまで、一つひとつ確認しながら、微調整を重ねていく。


「ここ……もう少し光を柔らかくして」


 ペンを置き、モニターに映る完成イメージと印刷した見本を交互に見比べる。光の加減で微妙に印象が変わる部分は、姫川にとってこだわりのポイントだった。

 手を止めて深呼吸すると、心の中に小さな達成感が広がった。長い間温めてきた構想が、やっと形になろうとしている。 姫川はノートパソコンに完成データを保存し、念の為紙に印刷した見本も用意した。これで佐伯に見せる準備は整った。




 ■


 午後、姫川は佐伯の仕事場へ向かった。仕事場兼自宅はいつも静かで、墨と煙草の匂いが混ざり合っている。ドアを開けると、佐伯は書類に目を通していたが、視線を上げて姫川を認めた。 姫川は印刷した完成見本を差し出す。


「表紙、完成しました」


 佐伯は紙を受け取り、黙って目を通す。指で挿絵の陰影や色の濃淡をなぞりながら、思案する時間が続いた。姫川はその沈黙に少し緊張したが、すぐに佐伯は簡潔に言った。


「悪くない」


 その言葉で肩の力が抜ける。佐伯は淡々としているが、その評価はいつも的確だ。姫川は心の中で小さくほっとした。


「ここだけ、少し調整すれば更に良くなる」


 佐伯は挿絵の一部と色の濃淡を指し示す。姫川はメモを取りながら、修正プランを頭の中で整理した。


「判りました。提出時に反映させます」


 佐伯は頷き、手元の書類を整理しながら淡々と告げた。「これで提出の準備は整うな」


 姫川は微笑み、少し照れくさそうに頭を下げた。完成稿はまだ提出しない。今は、佐伯に確認してもらえた喜びを噛みしめる時間だ。

 仕事場の空気は静かだが、僅かな緊張感が漂う。姫川は机に残り、完成した表紙をじっと眺めた。佐伯の指摘で、さらに精度を上げられる事が分かる。


「ここまで来るのに、随分時間がかかった……」


 努力と達成感が胸の奥でじんわり広がる。細部までこだわった自分の仕事を、佐伯が認めてくれた事は何よりの励みだ。


 ──提出までに、もっと完璧にして渡さないと


 その決意を心に刻みながらも、今は一瞬だけ肩の力を抜く。表紙は完成した。次の提出までの期間も、じっくりと向き合う時間になる。 佐伯は姫川の完成稿を手に取り、静かに眺める。微笑みはせずとも、評価の眼差しが伝わる。


「読者には響くだろ」


 簡潔な言葉に、姫川の胸は少し熱くなる。努力や迷いが、この瞬間に報われた気がした。


「ありがとうございます」 姫川は小さく頭を下げる。


 提出の際には更に全力を出そうと、心の中で決意する。 短い雑談の後、姫川は仕事場を後にする。

 肩の力は少し抜けたが、心は次の挑戦に向けて満ちている。次の一歩は、完成稿の提出だ。それを思うと、胸の奥が僅少に高鳴る。





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