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墨が乾くまで  作者: 男鹿七海
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確定する仕事

 編集者がその案件を再び開いたのは、午後も遅い時間だった。

 机の上には、修正済みのデータと、佐伯の書が並んでいる。どちらも前回見た時から大きく変わってはいない。

 だが、並べた瞬間に分かる。


 ――もう、この形で成立している。


 編集者は椅子にもたれ、画面を眺めたまま暫く動かなかった。

 判断に迷っているわけではない。

 確認しているのは、通すか、止めるか、それだけだ。止める理由は見当たらなかった。線は安定している。デザインは過不足がない。どちらかが前に出過ぎる事もなく、引き過ぎてもいない。


 説明しようとすれば、いくらでも言葉は出る。

 だが、仕事に必要なのは説明ではない。

 編集者はマウスを動かし、最終チェックのフラグを外した。


 ――これでいい。

 その判断には、感情は含まれていなかった。


 含める必要がないからだ。




 ■


 夕方、二人を呼び、短い打ち合わせを設定した。

 資料は最小限。会議室も使わない。立ち話に近い形で十分だと判断した。


 先に来たのは姫川だった。資料を抱え落ち着いた顔をしていた。その様子を見て、編集者は内心で「問題ない」と判断する。

 少なくとも仕事の顔はできている。

 少し遅れて来た佐伯は、いつも通り無言だった。

 編集者は、二人を見比べることなく、すぐに話を切り出した。


「今回は、この形で通します」

 それだけだった。


 姫川が僅かに瞬きをし、佐伯は反応を示さない。


「修正は、もう必要ありません。次も同じ条件でお願いします」


 条件、という言葉に、特別な意味は含めなかった。編集者の中では、唯の業務連絡だ。


「スケジュールは、後ほど共有します」


 以上。

 それで話は終わりだった。

 姫川が何か言いかけたように見えたが、編集者は拾わない。拾う必要がない。仕事としては既に完了している。


「何かありますか?」


 形式的な確認に、姫川は首を振った。


「……大丈夫です」


 少しだけ間があった。

 だが、編集者は気に留めなかった。間は判断を変える理由にはならない。

 佐伯も短く頷くだけだった。

 打ち合わせは、五分もかからずに終わった。編集者は二人を見送らず席に戻る。もうこの案件について考える必要はない。


 仕事は、前に進む。

 それが正しい。それだけだ。


 夜、帰り支度をしながら、編集者はふと思い出す。

 最初にこの二人を組ませた時の事を──。特別な意図があったわけではない。相性が悪くないだろう、という程度の判断だった。


 だが今は、「うまくいっている案件」として、完全に整理されている。


 ――それ以上でも、それ以下でもない。


 編集者は、電気を消し事務所を出た。

 誰かの中で、何が起きているかなど、知る由もない。知ったところで、仕事の判断は変わらない。

 外の空気は、少し冷えていた。街はいつも通りに動いている。境界がどうなっているか。誰の領域か。

 そんな事は、もう議題に上がらない。

 決まったものは、決まった。

 それだけが、残った。


 



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