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墨が乾くまで  作者: 男鹿七海
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線と線が交わる場所

▼登場人物


佐伯龍次郎

35歳。187cm

煙草:ヘビースモーカー。酒:ざる

職業:書道家。雅号:佐伯龍次

幾つか賞を取った事がある。幼少期から習字を習っていて、そのまま書道の世界へ。

左手首に刺青が彫られている。

恋愛に関しては朴念仁。元不良


姫川虎太郎

25歳。170cm

煙草:適度に吸う。酒:酒豪ではないがそれなりに

職業:デザイナー(本の表紙)。本が好きでデザイナーに。

 会場に足を踏み入れた瞬間、佐伯龍次郎は僅かに眉をひそめた。

 墨の匂いがする。嫌いではない。寧ろ慣れきった匂いだが、こうして他人の作品が並ぶ空間で嗅ぐと、少し勝手が違った。


 壁一面に掛けられた作品を、順に眺めていく。

 力強い線、整いすぎた文字、意味よりも形を主張するもの。評価は自然と厳しくなる。

 自分でも嫌になる程だが、長年この世界にいれば仕方がないとも思っている。


 今日は自分の作品を見に来たわけではなかった。知人に頼まれて顔を出しただけだ。そうでなければ、わざわざ煙草も吸えない場所に長居する理由はない。


 一枚の作品の前で、ふと足が止まった。

 荒い線だが、嫌な荒さではない。整えようとした形跡もないのに、妙に目を引く。理由を言葉にしようとして、佐伯はやめた。

 説明できないものほど、往々にして正しい。


「これ、面白いですね」

 背後から声がした。若い男の声だった。


 振り返ると、二十代半ばだろうか、少し気だるげな表情の男が立っている。ラフな服装だが、場違いな感じはしない。


「面白い、ですか」佐伯はそう返した。


 自分でも少し棘のある言い方だと思ったが、男は気にした様子もなく頷いた。


「文字の意味は分からないですけど、線が……こう、呼吸してる感じがして」


 呼吸──。

 思わぬ言葉に、佐伯は一瞬だけ視線を作品に戻した。確かに、そう言われればそんな気もする。


「貴方は、書道家ですか?」


 唐突な質問だった。

 何故分かったのかと問う程でもない。長くやっていれば、雰囲気に滲む。


「……えぇ。貴方は?」


「デザイナーです。本の表紙とか」

 そう言って、男は少し照れたように笑った。


 佐伯は名乗らなかった。相手もそれ以上は訊いてこない。唯並んで作品を眺め、短い感想を交わす。それだけの時間だった。


 会話が途切れ、男は別の作品に視線を移した。

「じゃあ、そろそろ」

 それだけ言って、男は会場の奥へ歩いていく。


 引き留める理由はない。名前も知らない。唯、それでも妙に印象に残った。

 暫くして、佐伯も会場を後にした。

 外に出ると、漸く煙草が吸える。火を点け、一息ついたところで、先程の男の言葉を思い出す。


 ――線が、呼吸してる。

 悪くない感想だ、と遅れて思った。




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