もしもあの子と入れ替われたら
もしもあの子と入れ替われたら。
吐く息が白く凍る冬の朝、かじかむ手をこすり合わせながら、私は何度も考えていた。
クラスの人気者の響子さん。
綺麗な顔で、誰にでも優しく、成績も良く、いつも輪の中心にいる、そんな人。厚手のコートもマフラーも、彼女が身につけるとまるで特別な装飾品のようだった。
私は彼女を見ているつもりだったけれど、
本当は、彼女に見られていたのかもしれない。
視線が合うたびに、響子さんはいつも、少しだけ長く私を見ていた。
なんで私は彼女のようになれないのだろう。
なんでこんなにも不公平なのだろう。
そんな考えを、私は何度も繰り返していた。
次の日、目を覚まして鏡を見たときに、そこに響子さんの顔があった。
とても驚いたけれど、驚きよりも先に、喜びと納得があった。
何度も、何度も、同じことを考えていたからだ。
響子さんには申し訳ないけれど、少しの間だけこの姿を楽しませてほしい。
学校に行くと、私の体があった。
廊下の向こうで、私だったものがこちらを見ていた。
視線は合ったけど、何も起こらなかった。
私たちは、やはり入れ替わってしまったのだと分かった。
学校は、静かで思い描いた夢の中にいるようだった。
名前を呼ばれ、笑いかけられ、そこにいるだけで、居場所が用意されていた。
だけど、家に帰ると違和感が始まった。
玄関に入った瞬間に、空気が重くなる。
靴の並びは決まっていて、少しでも違うと、そのままにしておくことは許されない。
壁には紙が貼られていた。
同じ言葉が、同じ高さで、同じ間隔で並んでいる。
夕食では、箸の角度、噛む回数、視線の落としどころが決まっていた。
間違えると、食事は静かに下げられる。
空腹よりも先に、体が縮こまることを覚えた。
夜になると、私の部屋に両親が入ってくる。 そこからが、本当の地獄だった。
「今日の反省会」が始まる。
その日一日、私の笑顔が何度崩れたか、歩き方が何回乱れたか、点数が何点足りなかったか。
録画されていた映像を見せられながら、深夜まで糾弾が続く。
言葉による暴力ではない。
淡々と、機械のように「不良品であること」を指摘され続けるのだ。
眠ることは許されない。
教科書を暗記し、鏡の前で理想の表情を作る練習を何時間も繰り返す。
意識が飛びそうになっても、冷水を浴びせられてまた鏡の前に座らされる。濡れた髪と肌が、冬の夜気で痛みのように冷え切っていく。
翌朝、制服を着ると、目の下には化粧で隠しきれない隈ができている。 体が鉛のように重いのは、睡眠を与えられていないからだ。
学校では、私は相変わらず響子さんだった。
笑い、頷き、期待に応える。
昼と夜の落差が、少しずつ私の中を削っていった。
どれくらい経ったのか分からない。
学校で誰かに持て囃されようとも、それが私のものではないと分かっている分、響子さんの栄光に縋っているようで、心が苦しかった。
ただ、戻れるという考えだけが、細く残っていた。
早く元の体に戻りたい。
学校に行くと、私の席は空いていた。
昼過ぎに、屋上の話を聞いた。
落ちたのだという。
私の体が。
驚きはなかった。
納得だけがあった。
響子さんは、私の体で、普通に暮らしていた。
叱られず、縛られず、夜を恐れずに。
そして、戻らないことを選んだ。
戻ることよりも、死を選んだ。
あの体に戻るくらいなら、死んだほうがいいと思ったのだ。
私は、響子さんの家で暮らすことになった。
響子さんの名前で呼ばれ、同じ紙を見て、同じ夜を迎える。
部屋を片付けていると、ノートが見つかった。
同じ表紙のものが、何冊もある。
記録することは、ここでは咎められないらしかった。
筆跡は、途中から変わっていた。
入れ替わった記述。
元の体が死に、戻れなくなった記録。
響子という名前は、
最初から、誰かの逃げ場所だった。
最後のページに、私の名前があった。
鏡を見る。
そこに映るのは、響子さんの顔だ。
教室の隅で、
誰かが私を見ている。
かつての私と、同じ目で。
私は、その視線に気づきながら、
何も考えないふりをして、
静かに笑った。




