2行動目 初めての部活
テスト終了を知らせるチャイムが鳴ると、教室内は普段の活気を一気に取り戻した。
英コミュと論理・表現の難易度の差に文句を言うクラスメイトをよそに、そそくさと帰り支度を済ませる。事件直後は数件LINEのやり取りがあったが、それから新舞さんとは特に言葉を交わすこともなく、普段通りの生活を送っていた。
時刻は12時30分。テストも終わったことだ。さっさと帰って、新しいランニングコースの開拓に勤しもう……。
登校時よりも軽くなったバッグを背負い、教室を出ようとしたその時、
「葉山さんですか?」
突然背後から声をかけられた。俺の名前を知っているだと?
名前を呼ばれたことにに動揺し、慌てて振り返る。そこには、かなり背が高い女子生徒が立っていた。メガネが曇りきっていてどんな表情をしているのか分からないが、コイツに声をかけられたらしい。前見えてんのかそれ。背が高いのも相まって、かなりのプレッシャーを感じる。
思わずたじろぐ俺を気遣ってか、彼女は優しい表情を向ける。
「心配しないでください。このガラケーは連絡用です。生物部のことで話があるんですが。」
そう言って彼女は、左手に持っていたガラケーをひらひらと見せびらかしてきた。入部してから約2ヶ月、一回も行ったことがない。何なら生物室の場所すら分からないのだが……。
てか話って今から?腹減ってるんだけど……。
目元は見えないが、彼女は真剣な面持ちでこちらに顔を向ける。何だろう、退部勧告だろうか。部活強制入部のルールに従って渋々入ったものの、活動日に顔を出さなくともお咎めなしだったため、割と気に入っていたところだ。退部となると面倒だな……。サッカー部が人手不足ということで部員を募集していたが、このままだと放課後はボールを追いかける羽目になるのだろうか。
俺は何とかして話を逸らそうと、彼女のガラケーに食いつく。
「え、えーと……スマホは持ってないの?」
「私をバカにしてるんですか?」
え怖。なんか怒られた。あからさまに舌打ちをされた後、彼女はバッグからスマホを取り出し、スマホの画面を俺に見せてきた。YouTubeやTwitter、幼児用のゲームなどが入っている。下の子用だろうか。
彼女がスマホのホーム画面を次々にスワイプしていく中で、俺はある違和感に気づく。スマホにはかなりの量のアプリがインストールされているが、Twitterを覗いて連絡用のアプリが無い。
「あれ。LINEとか入れてないの。」
「話聞いてたんですか?連絡はガラケーで十分です。LINEやインスタはそれなりの容量がかかりますからね。そんなのよりも『お姉ちゃんキッチン2』を優先すべきでしょう。もう少しストレージに余裕があったら、入れていたのですが……。」
そう言って、彼女は『お姉ちゃんキッチン1』と書かれたアプリを開く。これも幼児用のゲームで、「孤児」「トロール」「雪男」「スキンヘッド」から1人選び、料理を振る舞うというものだ。中々クセのあるメンツだな。このゲームも下の子用に入れているのだろうか。
発言する度にディスられているのが気になるが、聞いてみるか。妹がいれば多少なりとも話が合うだろうし。
「そんな感じのゲームがかなり入ってるみたいだね。もしかして、弟か妹いる?」
「私は一人っ子です。」
はい?
「え、じゃあそのゲームは」
「『お姉ちゃんキッチン1』のことですか?ふふ、面白そうでしょう。一見簡単そうに見えますが、かなりの技量がいるんですよ。あなたには向いてなさそうです。」
彼女はメガネをくいとあげて、話を続ける。
「昨日はこのゲームに8時間費やしたので、今日のテストは寝不足で受けることになりました。やり込み要素が幼児向けとは思えないくらいの量なんですよね。昨日なんて、丼ものの解放にかなり時間がかかってしまって……話聞いてます?」
「え?あ、ああうん。」
俺は軽く、いやかなり引いていた。つまり、この『お姉ちゃんキッチン』も含めた幼児向けアプリをプレイするのは、今目の前にいるメガネの女だというのだ。偏った趣味だな。もっと面白いゲームあるぞ。
偏食家の女は興味深そうに『エッグベネディクト丼』と書かれた料理を「孤児」の口に運ぶ。そのゲーム、そんな凝った料理も作れるんだな。
時計を見つつ今日の昼ごはんを考えていると、彼女はハッとしたように話しはじめた。
「それで、本題に戻りましょう。あなた、1回も活動に参加してませんね。やる気あるんですか?」
ないです。とは言えず、俺は言葉を濁した。
「生物部は好きです。ただ、学校にあんま慣れてなくて。もう少し落ち着いてから行こうと思ってました。」
「ここまで信ぴょう性のない『好き』は初めて聞きましたね。」
ごもっともです。
「とにかく!今日は活動日ですので。ついてきてもらいますね。」
そう言って、俺の腕を強引に引っ張り始めた。痛い。細いのに力あるな。
話を聞いている感じ、退部勧告ではないようで安心だ。ただ、実際に行くとなると面倒だな……。虫とか触れないんだけど。
「活動って何するの?虫とりとか?あと手離してくれる?」
「気持ち悪い。虫苦手なんですよ。金輪際私の前で虫の話をしないでください。」
とりあえず、一言目で必ずディスるのをやめてください。そして俺の要求は無視された。
俺は質問を続ける。
「じゃあ、解剖とか?解剖といえばカエルが有名だけど、最近の高校では授業でやらないんだよね。部活なら全然ありそうだけど。」
「生物部は全員爬虫類が苦手なので、そんなモノはやりません。何しろカエルさんが可哀想です。」
今すぐ「生物部」の看板を下ろしてはどうだろうか。ますます何をするか分からなくなったぞ……。
「我々生物部は、活動日ごとに『活動テーマ』を掲げています。今回のテーマは『沈黙』です。」
「はあ。」
沈黙……?座禅の類だろうか。「生物」とは一体。
「……なんかつまんなそうだね。」
「一度も来てないアナタが言わないでください。」
すみません。
「部員は私を含めて2人です。」
「部活として成立してるの?それ」
「ギリギリです。入学直後におこなった学力テストで、私は成績優秀者として表彰されました。そのため、先生方は私を気遣って、本来廃部となるところを見逃してくれているみたいです。」
そうなのか。何となく知的なイメージはしていたけど。口が悪すぎて気にならなかったぞ。
「表彰か〜……。すごいね。」
「アナタには無縁の世界みたいです。」
その通り……ではないぞ。実は今回の中間テスト、割と自信はある方なんだ。その口調はいつまで持つかな。
「ただ、それも長くは続かないでしょう。少しでも部員を増やせば、部としての存在意義も確立するのではないかと思って。手始めに、名簿に名前があったアナタをつれていくことにしました。」
名簿に名前があるんだからそれでよくないか。
俺が行けば、とりあえずは3人になるのか。
「君の他にもう1人いるんだ。」
「ええ。とっても可愛いんですよ。動物で例えるならハムスターというか。何でも与えたくなるというか……とにかく可愛いんです。」
おっ、なんだ。百合展開か?少し楽しみになってきたぞ。動物で例えるとハムスターか...俺も何か持ってくればよかったな。
「何ニヤニヤしてるんですか?アナタが想像するような活動はしませんよ。」
いかん、表情に出ていたか。
「いや、ずっと腕を掴まれると、周りの目が気になってしまって」
「ふえ!?」
彼女は慌てて俺の腕を振り払った。だから痛い。
「突然変なこと言い出さないでください。」
彼女はコホンと咳払いをして、平然と俺の前を歩き出した。なんだったんだ今の。
「さあ、着きましたよ。」
顔を上げると、目の前には「生物部」と書かれた教室が。ここが活動場所のようだ。
彼女はドアを開ける。
「おつかれさま。今日は『新入』部員を連れてきた。中々クセのあるやつだぞ。仲良くしてやって欲しい。」
お前が言うな。教室の中を見ると、見覚えのある生徒がそこにいた。
「こんにちは!いやあこの間はどーもどーも。私のコト覚えてる?」
「ああ……うん。そりゃあ。テストお疲れ様。」
生物室にいたのは───クラスメイトの新舞さん。
カップ塩焼きそばをズルズルと啜りながら、俺に近寄ってくる。横に『飲食禁止』の張り紙があるぞ……。
「改めてようこそ生物部へ。部長の新舞です。」
そう言うと、彼女は俺に深々とお辞儀をしてきた。焼きそば食いながらお辞儀するなよ。
「新舞さんが部長なんだ。」
「そうだよ!ユイは書記で、キミは副部長。ねぇ?」
「ああ」
それを聞いて、相変わらずメガネが曇っている生徒は頷く。「ユイ」という名前らしい。
ところで俺が副部長なのか。2ヶ月も来てない副部長ってどうなんだ。さっき『新入部員』って言われてたし。
「焼きそば食べたら甘いもの食べたくなってきたなぁ。ユイちゃん、羊羹持ってない?」
「ここに。」
ユイは制服の胸ポケットから駄菓子の焼き芋ようかんを取り出した。なんで持ってるの?
「流石ワタシのユイちゃん!頼りになります〜♡」
そう言って、彼女は焼き芋ようかんをモニュモニュと食べ始めた。口元だけでなく目元も緩んでいて可愛い。
横を見ると、ユイは新舞さんに背を向け、口元を手で隠している。顔が赤いぞ。今の新舞さんの一言が効いたのだろう。
目の前の百合ワールドを無表情で堪能していると、早くも焼き芋ようかんを平らげた新舞さんは、右腕を天高く突き出した。
「ワタシの腹ごしらえも済んだことだし、みんな席ついて。」
その言葉を合図に、2人は各々違う方向に歩き始め、新舞さんはソファに、ユイは各テーブルに用意されている椅子に座った。
「ほら、葉山くんも早く。好きなとこ座っていいよ。」
「わ、わかった。」
急に口調が変わったことに動揺した俺は、あわてて教室を見回し、教卓を今日の活動場所に選んだ。1回座ってみたかったんだ。教卓から見る景色はこんな感じなんだな...。
「ほいじゃあ、今日の活動を始めまあす。」
そう言って、新舞さんはバッグからムササビのぬいぐるみを取りだし、にらめっこを始める。
……困惑してユイの方を見ると、彼女はスマホと真剣に見つめ合っていた。
え何やってるのこれ。部活は?
俺は2人が何をしているのか理解できず、目の前のテーブルに座っているユイに声をかけた。
「あの、活動は」
彼女は無言で「お姉ちゃんキッチン」の画面を見せてきた。さっき見たわ。
「いや、今活動始めるって」
「話聞いてたんですか?今日のテーマは沈黙だとお伝えしたはずです。その名の通り、今は黙々と自分の時間を堪能する時間です。」
なるほど。話を聞いてなかった俺が悪かった。帰っていいか?
「お腹すいたんで帰りますね。」
「えなんで!?まだ2分も経ってないよ!」
新舞さんが抗議をする。
「ちなみになんだけど、これ何時くらいまでやるつもりなの?」
「うーんいつもは大体4時頃までかなあ。」
「帰ります。」
「えうそお!?」
付き合ってられるか。
「昼ごはん食べてないんですよ、テスト終わったあとだし疲れちゃって。」
「うーん確かに……。でも〜」
粘り強い新舞さんにユイが声をかける。
「まあいいじゃないか。幽霊部員を初めて活動場所に来させたんだ。今日は目標達成だ。」
「たしかにい……。」
新舞さんは渋々ながら納得してくれたようだ。生まれて初めてユイに感謝を伝えたくなったぞ。初めて喋って1時間くらいしか経ってないけど。
「待ってください。」
早速生物室から出ようとしていると、ユイがそれを止めてきた。俺と話す時に敬語になるのは嫌われているからだろうか。
「はい?」
「これから、活動日には私から連絡を入れることにします。電話番号を教えてほしいのですが。」
「LINEじゃだめ?」
「教室での会話をもう忘れたのですか?」
こいつLINEやってないんだった。
電話番号を教えるって、なんか新鮮だな……。
彼女は小さいメモ帳に俺の電話番号をでかでかと書き記した。個人情報なんだけど。
「ありがとうございます。では、また連絡しますので。本日は帰って大丈夫です。お疲れ様でした。」
「あ、ああはい。お疲れ様です。」
あんだけディスられたあとに、素直に見送られるとなんか調子狂うな。
手を振る新舞さんに会釈をして、生物室をあとにした。
……昼飯は丼ものにしよう。