14行動目 同窓会へ(呼ばれてないけど)行こう
「兄さん、今日はどこに?」
「ん?海浜幕張駅近くの公園で走ろうと思って」
「こんなに暑いのにですか……?」
7月最終日となると、暑さとセミの鳴き声がより一層増している。妹の咲良にとって、この酷暑の中で走る俺が理解できないのも当然だ。
「暑い中走ったあとのスポドリが最高なんだ」
「本当に熱中症には気をつけてくださいね……」
咲良は心配そうな面持ちで俺を見つめてくる。今日は35度にもなるらしい。市内には熱中症アラートが発令され、部活動は中止となっている。夏休みはずっとこんな調子だ。部活動は果たして機能するのかと思ったが、生物部の俺がそんなことを考えたところで無粋というものだろう。
多少の小銭をポーチに含み、ジッパー付きのポケットに入れる。水筒などを持っていくとただただ邪魔になるだけだから、向こうで買ってその場で消費するんだ。ワイヤレスイヤホンも装着して服装は完璧。
準備運動をして家から出ようとすると、イヤホン越しに鳴る着信音。スマホの画面には『ヒナリ』と表示されている。
まだ抵抗はあるが、無視という訳にはもういかない。
『あ、葉山さん!こんにちはぁ』
電話に出ると、ヒナリの甘ったるい声が聞こえてくる。どうも慣れない。
「どうした?急に電話って」
『声が聞きたくなったんですが、ダメでした?』
……まずい、表情に出ていたか。咲良がすごい顔でコチラを見つめてくる。イヤホンで電話をしているからその内容を咲良が知ることは無いが、俺の顔面が見るに堪えないモノだったのだろう。
『……っていうのは冗談で』
「うん?」
なんだ、冗談か……
『かなりシリアスな頼み事があるんです。どうしても葉山さんに引き受けていただきたく』
「頼みごと?」
『はい。私が住んでる市では、夏にお祭りをやることになってるんです。ただ、年々参加人数が減っていまして』
「辛いね」
『あ、参加人数とはただお祭りに来る人のことではありません。「運営側」のことです。親や高校生以上の子供が運営として参加するのですが……』
「お祭りできないじゃん」
『そうなんです。今年は受験を控えているお子さんを持つご家庭も多くて』
子供に配慮して参加しない選択を取る親も多いようだ。
『そこで!葉山さんにお電話しました!お祭りをやるのは一日だけですから、出店の一日店長になって欲しくって!』
「断る」
だからといって、俺が手を貸す理由にはならない。
『即答ですか〜……?理由はありますか?』
「愛想振りまくの難しい」
『……学校ではずっと1人でゲームですもんね』
核心を突くな。
「ていうかなんで俺なの?他にもっと人いただろ」
『委員長は部活との兼ね合いが難しい様子なのでお見送りとさせていただきました』
委員長とは、俺と同じく生物部員のカイのことである。アイツ、夏休みも他の部活に助っ人参戦か。カイのことだから、熱中症アラートもお構い無しに動き回るんだろうな。
『お釣りの計算が色々大変なんです』
「クラスの他の子はどうなんだ?」
『私と生物部の方以外、おバカさんしかいないじゃないですか。数Ⅰの平均点14点ってなんですかね』
私以外……?
「え、ヒナリさんってクラス何位だった?」
『2位でした。葉山さん、ユイさんと同率です』
コイツ、頭いいんだ。男を食い尽くす魔女のイメージが強すぎた。
『もちろん、協力していただいた場合の報酬も用意しています』
「具体的にどんなの?」
『アニメ「ティラミス少女パウダー」の2022年製廃盤フィギュアセットです』
「なっ……!」
『ティラミス少女パウダー』は俺が愛してやまない金8のアニメだ。必ずリアタイで視聴し、録画を残して何周もしている。2022年は中1の俺がこの番組にハマりだした年で、同時に俺の推し『パウダー』の激カワフィギュアが多く発売された年でもある。未だに追い求め続けるファンは多い。もうそろそろアニメ3期が放送されるということで、界隈は賑わいをみせているところだ。
『写真送りました。』
見ると、パウダーのフィギュアが少なくとも15体は写っている。しかも全部未開封。その他にも、ラバストやアクスタなど、多彩なグッズが並べられている。
「これいいの?売ったら相当な値段になると思うけど」
『全部タダで差し上げます。もちろん、協力していただけたらの話ですけど』
「やります」
突然飛び込んできたチャンスに、コレクターとしての血が騒ぐ。こうなったら祭りもとことん楽しんでやるつもりだ。
『即答!!!詳細は後日お送りしますね!』
夏は嫌いだ。咲良に強がって「スポドリが美味い」なんて言ったものの、そこらじゅうに散らばる無惨な姿のセミ、突然上空から襲いかかってくるセミ、近づいた瞬間暴れ出すセミなど、実際は走る上での障害が多い。
技術進歩の賜物・ワイヤレスイヤホンのおかげで鳴き声を遮断することはできるが、野生のセミとの戦闘は避けられない。セミを駆逐するために国が税金を増やすのであれば大歓迎だ。『セミ税』みたいな。
セミ税を導入するための政権公約を考えていると、また目の前にセミが現れる。もう動きが鈍いから、そのままお陀仏だろう。今回ばかりは見逃してやるぞ。
イヤホンを外し、刺激しないようにそっとセミの横を通り過ぎようとする。すると後ろから突然「あ!」と叫ばれたので、死に際のセミが襲いかかってきた。俺は張り手でセミを打ち落として、声の方向に振り向く。
「やっぱり!葉山くんだ。久しぶりやね〜」
「あ、どうも」
コイツは俺の同中、七瀬だ。中2・3で同じクラスだった。公立高校受験の際は左斜め前の席にいて、そのまま俺と同じ高校に進学したと聞いたが……1学期は会わなかったな。
「ねぇねぇ聞いたよ?成績めっちゃいいんやってね」
「あぁ……うん。」
カタコトの関西弁は彼女の『キャラ』である。生まれも育ちも完全に千葉県だ。
「てかめっちゃ汗かいてない?またランニング?」
「うん」
「この辺よく走ってるの見かけるよ〜!イヤホンしてるから声掛けにくかったんやけど、今日は付けてないんだ」
「そこにセミがいたから、イヤホン外して物音立てないように歩いてた」
「へぇそうなんだ……虫苦手だもんね」
「あまり思い出すな」
嫌な思い出が蘇る……!早く走り去りたい。
「今から同窓会行くんだけど、早く出過ぎちゃったから少しお話しようよ」
「同窓会?小学校の?」
「ううん、中学の。」
もう一度言うが、俺とこの女は同中である。七瀬は何かに気づいたようだ。
「……あれ、葉山くん呼ばれてたっけ。」
「俺の格好を見てみろ」
「あー……うん、ごめん」
汗だくのTシャツを見て、これ以上詮索するのはやめたらしい七瀬は俺の横に立つ。
「ところで今日はどこまで行くの?」
「海浜幕張」
「えっそうなんだ。実は同窓会も海浜幕張でやるんだよね」
おし、帰るか。
「てゆか来る?チケット一枚余ってるんだけど」
そう言ってバッグからオレンジ色のチケットを2枚取り出す。汗だくの服装、しかも半袖短パンで行ったら、逆に面白いかもしれないな。あとは行動に移す度胸をつけるのみだ。
「やめとくよ。みんな俺のこと覚えてないだろうし」
「そっかー……残念。」
ところでコイツ、服装からしてかなりの気合いを感じる。確か中学では野球部の部長と付き合っていたな。学校1のラブラブカップルということで有名だったはずだが。
「そういえば、彼氏とはどう?仲、よかったよね」
「浮気されたので別れました」
しまった、地雷を踏んだかもしれない。
「アイツ私立単願だったんよ〜……私が公立に向けて勉強してるあいだ、同じクラスの女とイチャイチャしとったみたいで」
なんともグロい話だ。受験によって引き裂かれるカップルの話はよく聞くが、いちばん最悪なのがこの「浮気」パターンである。片方が忙しいのを利用して、もう片方が他のヤツと親密に……万死に値する。
「……で、私今困ってることあって」
「ん?新しい彼氏ができないとか?」
「違っ!……いやまあそうっちゃそうなんやけど」
急に勢いを失うな。
「アイツ、その女を彼女として今日連れてくるみたいで、周りは私たちが別れとったこと知らんのね」
「はあ」
「これって……私だけが惨めな感じにならない?」
「うん」
「ほぉらやっぱり!うわもう行かんとこかな」
そう言って頭を抱える七瀬。これは行かんといた方がいい。
「帰ったら?」
「軽いなァ……それはそれで『あ、アイツ彼氏に振られたのが原因で来なかったんだ〜笑笑』とか思われるやん?第一、同窓会に顔を出さないなんてどんな」
そこまで言いかけて、ハッとした表情で俺を見る。「どんな」、なんだよ。
「気にするな。そもそも、誘われないような存在感しか残してない俺が悪いから。」
平謝りをする七瀬を横目に時間を確認する。14:30。コンビニでも寄って一休みといこうか。
「じゃあ、俺はこれで」
「えちょっと待って!私の話聞いてた?」
「聞いてた。同窓会に来ないやつは人間じゃない的な話だった」
「そうじゃなくて……てかめっちゃ根に持ってる!ごめんよ〜」
クネクネと絡みついてくる七瀬を振り払うと、さっき叩き落としたはずのセミがまたもや近づいてくる。懲りないやつだ。
「ありゃ、この子もう死んじゃうね」
わざわざしゃがんでセミの様子を確認する七瀬にならって、俺も因縁の相手を凝視する。
灼熱を帯びるコンクリの上でノロノロと歩みを進めるヤツは、たちまち動かなくなった。
「……この子、もしかして誰かに看取って欲しかったのかな」
セミを見つめる七瀬から、静かにすすり泣く声が聞こえる。見ると、ハンカチで目元を抑えていた。
「……お前、優しいな。」
「全然。埋めてあげなきゃね。」
「そこら中に落ちてるセミもか?」
「私の前で亡くなった子だけだよ」
そう言って七瀬はセミに手を伸ばす。コイツ、手づかみか!?急いで七瀬の腕を掴むと、きょとんとした表情で俺を見つめてくる。
「え、て、手繋ぎたくなったの?」
「ちが、そうじゃなくて。お前今から同窓会なんだろ?セミなんて触っちゃ」
「そゆことか。お気になさらず。」
再び七瀬がセミを掴もうとすると、さっきまで動かなかったヤツは突然「ジッッ!!!」と鳴き声をあげ、住宅街へと飛び去っていった。
「……死んでなかったな。良かったじゃん」
「アタシの涙返せ!!!」
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「だから、私の彼氏のフリをして同窓会に来て欲しいの」
近くのコンビニのイートインコーナー。休憩がてらホットスナックを食べようとしたら、七瀬もついてきた。
そして今、こうして口説かれているわけだが……
「断る」
「えーなんで!その格好で行ったら絶対おもろいやん!」
白の無地のTシャツに、紺の短パン。靴下には有名なメーカーのチーターが印刷されている。おまけに俺の汗がぐっしょり。
対して七瀬は……うん、なんかすごそうな服で武装している。普段オシャレとかしないから、今コイツが身につけているものの名称が分からない。
「ダメだ。俺が行ったら浮く。」
「私が『彼女』として傍にいるから大丈夫だって」
「話に入れないのもそうだが、こんな格好の彼氏を持っているんだと、お前が思われるのも嫌なんだよ」
「唐突なイケメン発言!彼女できるで!」
さっきセミの死で泣いていたのが信じられないくらい陽気である。
「てか、ずっと気になってたんやけど」
「ん、何」
「白の無地のせいで、肌透けてるで」
「!?」
前面は大丈夫そうだが……背中の様子は確認できない。くそ、俺としたことが。
「一旦帰って着替えたら?」
「着替えさせて同窓会に行かせるつもりだろ。」
「そりゃあ連れていきたいけど……まあ、この際全然私1人でもいいかな。」
クリスピーチキンを頬張った七瀬とコンビニを出ようとすると、レジ前のある広告が目につく。『ティラミス少女パウダー 一番くじ!!』と書かれており、読み終わる前に体が動いていた。
「お、それ好きなの?」
「ああ、もうずっと」
まさかこんなものが。アニメ放送前の準備期間ということで油断していた。1回800円か……最低限のお金しか入れてこなかった数時間前の俺を殴りたい。
「やらないの?」
「うん、今お金ないし」
「800円なら、私余分にいくらか持ってきてるからやったげるよ」
そう言って、店員さんに「3枚ください」と伝える七瀬。
「な、何してるんだ?一気に三枚もやるのか?」
「こうやって徳を積んどくと彼氏ができるって聞いたんだ。後でお金返してね」
「ああ、もちろん……ありがとう」
ここはご厚意に乗るのが礼儀というものだ。そのウワサの信ぴょう性は定かではないが、本人が信じているなら全てよしである。しばらくして、店員さんが少し大きめのボックスを持ってくる。中には大量のくじ引き券が入っていた。
「どれが欲しいの?」
「えーと……A賞の20分の1スケール・『パウダー』フィギュアか、B賞の『パウダー』抱き枕……C賞のタペストリーもいいな」
「つまり、上から欲しいってことね」
ガサゴソと箱の中を漁り出す七瀬は、いつになく真剣な表情だ。
20秒ほどして一気に3枚取り出すと、お金を払って全て俺に押し付けてきた。
「開けなよ。自信あるで!」
「いいのか?めくる瞬間が醍醐味でもあるんだが」
「こういうのはやりたい人がやるもんだよ。ほら、早く早く!」
七瀬に急かされて、まず一枚目。灰色の文字で「A」と書かれている。
「え、これ、は?」
「本当に当てよった!」
A賞。細部まで精巧に表現された、俺の推し『パウダー』のフィギュアだ。
「やばい、泣きそう」
「早い早い!もう他の2枚いらないんじゃない?」
「いや、引かせてもらう。」
「引くんかい」
興奮する手を抑えて2枚目をめくると、「D」の文字。
「今度はD賞!?どんだけ引き強いんだ」
「さすが私!D賞は……何あれ、Tシャツ?」
胸元に『ティラミス少女パウダー』のロゴが印刷されているTシャツだ。何枚か残っている。
「部屋で着てみたら?」
「割とありだ」
「ありなんかい」
二人とも興奮で声が少し震えている。A、Dときたのだ。無欲ってすごい。
「私に感謝してね。3枚目もいっちゃお」
「ああ」
心做しか店員さんも少しワクワクしている様子だ。勝手に3人分の思いを込めて、俺はくじを剥がした……
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20分の1スケールフィギュアを丁重に部屋に飾ってから、ロゴ入りTシャツに袖を通して家を出る。ドアを開けた瞬間、俺の顔にむわっと被さる熱気には思わずたじろぐ。
「おお〜いいじゃない。君、白似合うね」
「……本当にこれで行くのか?」
「もっちろん!私も同じの着てるし怖くないって」
俺の家はリビングの窓を開けると、入口の横に広がる庭に繋がる。人工芝がひかれている上に置かれたベンチで、七瀬はくつろいでいた。……俺と同じ、ロゴ入りTシャツを着て。
そう、興奮冷めやらぬ手で引いた3枚目のくじには、なんと2枚目と同じく「D」と書かれていた。
俺に抱えられた3つの景品を見て、七瀬は「2人でこのTシャツを着てけばええんやない?同窓会に。」と言った。
……流石に断れなかった。Tシャツとフィギュアを当ててもらって、これ以上俺の要望を通す訳にはいかなかったからだ。
「てかいつ着替えたんだ?」
「葉山くんが家に入ってる間。」
「どこで?」
「ここで」
俺は何も言わないことにした。さっきの気合いの入ったスカートはそのままのようだ。
歩きで海浜幕張まで行くと1時間かかるので、電車を使うことにした。駅までは徒歩だったが、特にこれといった話題もなく、お互いの近況について話したくらいだった。
「そっか〜生物部って頭いい子多いんだね」
「七瀬は何部なんだ?」
「ダンス部だよ、活動着見る?」
駅前の歩道橋をおりたタイミングで、スマホのフォルダから写真を取り出して俺に見せつけてくる。紫と白が基調の、独自の解釈で作られたデザインだ。正直すごくダサいが、今俺はこの女に下手なことを言えない。フィギュアを当ててくれた恩は少なくとも今週いっぱい残り続けるのだ。
「すごくかっこいいね。動きやすそう」
「え、ほんと?これみんなダサいって言うんだよね。私もダサいと思う。独特なファッションセンスだね、君。」
ダサいと思った俺に少なくとも最低限のファッションセンスはあるようだ。
水曜日の昼過ぎということもあり、駅は閑散としている。階段を上がってホームに出たが、俺たち以外に人は見当たらない。セミの鳴き声、駅の演出としての鳥のさえずりが聞こえるのみだ。
「そこのミスターマックスで何か買えばよかったかな。喉乾いちゃった」
「さっきのお金返すから、それで飲み物でも買えば?」
「名案!」
今七瀬が着ているTシャツ分のお金はいらないということで、俺のTシャツとフィギュアの分、あわせて1600円を渡すと、すぐさま自販機に向かう七瀬。
「うーん、いいのないな」
「そんなに急がなくても……うん、本当にびみょいね。」
お茶と水が並ぶばかりで、俺達の興味をそそるものは一つもなかった。ちょうど電車が来るアナウンスが鳴ったので、ここでは何も買わないことにした。
電車に乗ると、当然席はガラガラ。夏休みの16時台なんてこんなものだ。
10分ほどかけて海浜幕張駅に到着。去年の冬、広場に埋められている半球がド派手に光っているとの情報を聞きつけ、咲良と二人で見に行ったことを思い出す。イルミネーションの下、カップルがうじゃうじゃいる中で俺たち兄妹はひっそりとその光景を楽しんでいた。
「ホテルのビュッフェに行くんだ。みんな変わってるかな〜」
七瀬の楽しみな様子が、彼女の軽い足取りから伝わる。そういえば、中学のメンツとは約5か月ぶりの再会だ。
中3のころ、七瀬は教室で夢を語っていた。もっとも、『いい大学に入って、玉の輿に乗る』『シゴデキエリートの男と結婚する』など中学生の可愛げが微塵も感じられないものが大半であった。俺はそれを環境音として聞き流しつつ、窓際の席でずっと本を読んでいたから、特筆すべき思い出も、親友と呼べる友達も作れなかった。
「そういえば、ウチらの代で1番いい高校いったよね、私たち。」
「確かね」
合格を告げた時は先生が飛んで喜んでいた。あの学校の教え方じゃ学力が伸びることはないからといって早めに見切りをつけておいたはずだったのに、家庭環境もあっていつしか学校を居場所とした俺は、先生が素直に褒めてくれたのを見て珍しく涙を流した。
「先生も嬉しそうで、めっちゃ泣いとったよね」
「ああ、うん」
「あれだけのことがあったのに、なんで1学期全く話さなかったんや?あ、着いたよ」
荘厳な雰囲気のホテル。ついこの前高校生になったばかりの子供がここで食事会をするらしいが、そもそも本当に入れるのだろうか。
ホテルに入ると、エントランスは外国っぽい音楽が流れている。ダメだ、慣れなさすぎて語彙力が壊滅的なまでに弱体化している。
「すごいとこだね〜……あ、受付はあそこかな」
茶色い受付台の内側には、スーツとサングラスを身につけた屈強な男が仁王立ちしている。怖い。
そんな男にも物怖じしない七瀬は、堂々と受付台に向かって男に話しかける。
「すみません、今日ここで開かれる同窓会に参加するものなんですが」
「学校名を教えてください。」
「オトハ市立奏鳴中学です。」
音楽に強そうな中学名だが、実際本当に強い。すごそうな賞を何度も受賞している。
「……確認が取れました。恐れ入りますが、個人チケットを確認してもよろしいでしょうか。」
「はいは〜い。」
軽い調子で返事をした七瀬はバッグを漁り出す。直に入れるなよ。そんなことしてると落とすぞ。
……
……
……長くないか?
「どうした?」
「……」
「お、おい、七瀬?」
「いや、大丈夫。急かさんといて」
明らかに七瀬の顔色が悪い。もしやと思って、俺はスーツの男に軽く会釈をし、七瀬を端の方に誘導する。
「……ないのか?」
七瀬は無言で首を振る。焦っているのか、息が少し荒い。
「本当に持ってきたのか?」
「…………」
いや、持ってきてはいたな。俺に来ないかと誘った時、オレンジ色のチケットをひらひらと見せびらかしていたはずだ。
「ごめん。確か七瀬、俺と会ってすぐにチケットを見せてきたよな。」
「……確か」
「……じゃあどこかに」
「それ以上は、言わないで」
七瀬は俺の発言を遮るようにして強く言い切る。焦っている相手を更にもたつかせるような言動は厳禁だ。
なにか口を滑らしてしまってもまずいから、俺は無言で七瀬の様子を見守る。カバンのサイドポケット、内ポケット、財布の中。もちろんスマホカバーにも挟んでいない。
「……一旦、ここで待ってて欲しい」
七瀬は顔を上げると、普段通りの調子を装ってにこりと微笑む。俺が何を言えばいいか迷っている間に、突然七瀬は走り出し、あっという間にホテルから出ていってしまった。




