9行動目 借りは返す
ユイとの一件から、ちょうど2週間が経った。
あれから勉強会は順調に進んでいる。むしろ俺が新舞さんに教わるほどだ。初回の復習がとてつもなく効いたらしい。
カイは毎日サッカー部の練習に励んでいて、本所属ではないのに、誰よりも熱量があると聞いた。部員はもっと頑張った方がいい。
今、目の前では新舞さんが数学のワークを解き進め、俺の隣ではユイが古典の暗記に取り組んでいる。
「昔、日本では『妻問婚』と呼ばれる婚姻形態があったそうです。葉山さん、知っていました?」
そんなの古典でやったっけ。
「知らない……」
「お教えしましょう。今でこそ夫婦で同居するのが一般的ですが、昔はそうではなく。夜、男が妻の家に通うカタチで関係を維持していたそうです。」
「へえ〜……それがどうしたの」
「カップルって、ずっと一緒にいると将来的に必ず倦怠期に入るんです。それが破局への亀裂を生みかねないんですね。だから現代にも妻問婚を復活させた方がいいかなって」
全然共感できない……
「なんかさぁ〜……」
新舞さんは口を尖らせて不機嫌そうに唸る。
「どうした?」
「2人、距離近くない?ここ最近ずっとベタベタしてるじゃん。今だって隣に座ってるし。前までそんなだった?」
「ああ。」
「いや嘘つけ!」
ユイの返事に即答でツッコむ新舞さん。ユイは相変わらず、俺と新舞さんで口調を使い分けている。
「もっと当たり強かったでしょ!?」
うん。一言目はほぼ確で罵倒だったな。
ユイは知らんぷりの様子だ。
「とにかく!あんまりイチャつかれると勉強にも支障が出るから!」
「私は十分頭に入ってるけど」
「こっちがダメなの!」
ユイと新舞さんは睨み合う。怖い怖い……
「俺、もし邪魔なんだったら帰ろっか」
「「ダメです!」」
なんなんだこいつら……息ぴったりじゃないか。
とりあえずユイ、俺の太ももをスリスリするのやめてもらおうか。
2人をなだめたところで、俺は英語の参考書を開いた────
30分ほど経った頃、また新舞さんが話し出す。
「ところで、テストが終わったらすぐ夏休みじゃん」
テスト後は、1週間ほど集会や講演会があり、それを越えると夏休みが始まる。
空白だらけの夏休み。小一から数えて記念すべき10年目の今年は、40kmに及ぶランニング計画を遂行する絶好のチャンスである。フフ……楽しみになってきた。
「何ニヤニヤしてるの」
ジト目の新舞さんが俺の方を見つめてくる。
「ごめん、なんでもない」
「ふーん……ところで、夏休み中って生物部の活動はどうするの?」
へ?
「活動……?」
「何それって顔しないで」
だってやること無くないか……夏休みも勉強会ってのはごめんだぞ。俺は1人で走りたい。
「私たち、生物室でウーパールーパー飼ってるじゃん」
「飼ってるけど」
「餌やりどうするの?」
……あ。
「え、今まで餌やりなんてしてたっけ。てかアイツら餌食うの?」
「当たり前よ!葉山くん全然来ないから、私とユイで当番制にしてたんだよ!」
「へー」
「『へー』じゃないって……私予定あるし、ユイとのお泊まり会も控えてるから」
そうなんだ。お泊まりついでに学校に行ったらどうだ。
「8月の2週目、お願いしたいです」
2週目か……うーんまあいいか。
「仕方ないな……その1週間だけね。」
「うわほんとありがとう!ガチ神!」
新舞さんはご満悦の表情だ。
「てかお泊まり会か。ココでやるの?」
「んーん。鴨川の旅館を予約してあるんだ。海も見えるよ」
鴨川……懐かしいな。
「いいよね。俺も小さい頃は、家族旅行で毎年夏に行ったよ。」
「最近は行ってないの?」
「親の仲が悪くなってからは、行かなくなったな」
「あ、なんか言いにくいこと聞いちゃった?」
「大丈夫。砂浜をずっと歩くと、岩がたくさんあって。そこにカニとかヤドカリが住みついてるんだ。」
「お、さすが詳しいね〜」
「茶碗の破片が多いから、歩く時はサンダルを履いた方がいいぞ。」
「ふむふむ……」
うーん……話してると行きたくなってきたな。
「また、行きたいって思わないんですか?」
横で静かに話を聞いていたユイが口を開く。図星ですわ。
「行きたいけど……暑いしね。俺は家でゴロゴロしてるよ」
「そうですか……」
ユイは肩を落とす。
「2人で楽しんどいで」
今日の勉強会も21:30に終わった。新舞さんと別れて、俺はユイと2人で駅に向かう。
「あの……さっき、ご両親の仲が悪いって言ってましたよね」
「ああ、うん。」
「葉山さんは、ご家族の中ではどういう立ち位置なんでしょうか。」
立ち位置……?難しいな。
「うーん……親同士で話すと喧嘩しちゃうから、俺は2人の仲介役。」
「いつからそんな感じなんですか……?」
「有名私立を推す母親と、近くの公立を推す父親で意見が合わなくて。そっからだなあ。俺は結局どっちにも行かなかったけど。」
親の仲が悪いと、リビングから怒鳴り声が聞こえたりして辛いんだ。受験勉強よりも、そっちの方が辛かったな……
「そうなんですね……その、何か助けられることがあったら言ってくださいね。借りがあるので。」
「ああ、ありがとう。とは言っても家庭内の事情だから……」
ズボンに入れているスマホが振動する。取り出すと、妹からの着信だった。
「ごめん、ちょっと電話していい?」
「了解です。」
俺は電話に出る。
「もしもし?」
『あ……兄さん?今どこにいますか?』
「今高校の最寄り駅に向かってる。どうした?」
『父さんと母さんが大喧嘩中で。今家に入ってこない方がいいと思います。』
俺とユイは顔を見合わせる。
「マジか……理由は?」
『分かりません。そちらで時間をつぶしてきたらどうでしょうか』
「うーん。と言っても、もう10時だしなあ……夕飯食べた?」
『リビングに行けないので、部屋に貯めておいた菓子パンで凌ぎました。』
「何か買ってきてやるからな。何がいい?」
「コンビニの豚ラーメンがいいです。」
ゴツいな。食欲旺盛でいいことだ。
「わかった。帰り買ってくな。」
「お気をつけて」
別れを告げて電話を切る。
「……葉山さん、この後どうするんですか?」
「ん?んー……適当にファミレスでも入るかな」
「私もご一緒させてください!」
俺の言葉を聞いたユイは、即座に手を掴んでくる。
「え、えーと、なんで?」
「1人で夜のファミレスなんて、可哀想だと思ったからです。それに、私色々とアナタに借りがありますから。」
そうか、可哀想なのか。俺もう1人で何回もファミレス行ってるんだよな。
「いや、何時に帰るかわかんないし、夜遅いと危ないから。」
「…………2位。」
「へ?」
「私、中間はクラス2位でしたよね」
「え?うん。」
「アナタは何位でしたか?」
「……3位」
コイツ。
「私の方が上です。黙って連れてってください。」
そこ、『着いてこい』じゃないんだ……
俺の携帯でマップアプリを開き、近くのファミレスを探す。高校の最寄り駅にいくつかあるようだ。
「今猛烈にチーズINハンバーグが食べたいんだけど。」
「私もです。」
「奇遇だね。」
お互い見つめあうと、2人とも笑ってしまった。
「じゃあ、ここにしよっか」
「楽しみです。」
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ファミレスに着くと、俺たちは勉強や学校の話で盛り上がってしまい、本来の目的だったご飯はいつの間にかオマケのようなものになってしまった。
時刻は23時30分。客は残すところ俺たちだけのようだ。
「遅くなってきたね。そろそろ帰ろうか。」
「ですね〜」
ユイは伸びをする。チーズINハンバーグ2個とティラミスをおさめたそのお腹は、制服越しでもわかるくらいパンパンだ。
代金を確認しようと伝票を探すが、ない。
「ごめん、伝票知らない?」
「ああ、もう店員さんに渡しましたよ」
店員さんに渡した……?
「え、もしかしてもう払ったの?」
「そうです!」
ユイは得意げに胸を張る。同時に腹も出ているのは置いといて、普通に申し訳ないんだけど……
「流石に悪いよ。俺いくらだった?」
「わすれました。100円くらいだったと思いますよ。」
「あんな美味いのが100円なわけないだろ」
「さっきも言ったじゃないですか。借りがあるんですよ。少しは返させてください。ちなみに私は2850円でした。」
借りってほどのモノを与えた覚えはないが……
ユイの目は決意に満ち溢れている。どうやら説得は難しそうだ。
「じゃあ、今日はお言葉に甘えさせていただきます」
「はい。是非是非」
ファミレスを出ると、外は真っ暗闇。人気のない路地裏からは、今にもなにか飛び出してきそうな、怪しい雰囲気が漂っていた。
「うーん、苦しくて歩けません」
ユイは苦しそうにのろのろと歩く。2850円分の食が、この腹に詰まっているらしい。普通に考えてファミレスでチーズINハンバーグ×2はだいぶイカれてる。もっと他にあるだろ。
「もう帰りますか?」
「うん、流石にこんな時間までケンカはしてないだろうし。」
「名残惜しいですね……」
そういうの直接言うのね。
「駅までは一緒に行こうか」
「あ!じゃあ1つお願いがあって」
なんだ?まだなにか食うのか……?
「まあさっき奢ってもらったし。なんでも聞くぞ。」
「腕を下ろしたまま、右の手のひらを広げてください」
手のひら……?
俺は言われた通り広げる。
「そのまま。」
……!!
「どうですか?これ、恋人繋ぎって言うんです。駅までこれでお願いしますね!」
ユイはいたずらっぽく、俺の横で笑う。と思いきや、腕をグイグイ引っ張って俺を駅の方向に引きずり出した。
「い、痛!もっとゆっくり!」
「あれ……?手繋ぐことには抵抗ないんですね」
「さっきのお返しと思えば」
「ふーん……」
ユイは更に強く握ってくる。
ん、これは……
「ユイって、もしかして左利きなの?」
「そうです。どうしてですか?」
「いや、中指のとこがふくれてるから。」
ユイの中指には、びっくりするくらい大きいペンだこがあった。手を繋いでみて初めて気づくとは驚きだが、一体どうやったらこんな風になるんだろうか……
「……大きいでしょう?全ては学年1位をとるため。日々頑張ってるんですよ。」
「学年1位ってことは、カイに勝つってことか」
「ええ、そうです。」
「……ふーんそっか。あんま上ばっか見てると、足元すくわれるんじゃないか?」
俺はユイを軽く挑発する。
「アナタこそ、マイの追い上げようをみて、悠長にしていられませんよ。」
新舞さんには負けたくないあ……
意地悪い挑発合戦を繰り広げていると、駅に着いた。ユイとはここでお別れだ。
「じゃあ、またね。」
俺は手を離そうとするが───ユイがそうさせてくれない。
「……あと、5分だけいいですか?」
特に言葉を交わすこともなく、流れ続けたその5分間。列車到着のアナウンスが2人を現実へと引き戻す。
「やば、行かなきゃ。またね。」
「ええ、また明日。」
たった一言、二言で、長い1日を締めくくる。手をゆっくりと離すと、俺たちは別々のホームへと向かった。
ちょうど到着した電車に乗りこむと、荷物をおろして席に座り、今日を振り返る。
……俺、手繋いだんだよな。
奢ってもらった『お返し』とばかり考えていて実感がわかなかったが、俺は今日、人生で初めて異性と手を繋いだのだ。やっば、手洗いたくない。
家に着くまでの約30分間、何も考えずに右手をぼんやりと眺め続けた。
妹に頼まれた『豚ラーメン』を買い忘れたのに気づくのは、翌朝のことである。




