1行動目 出会う
「高校生活を送るうえで、心配なものは?」
新聞部の新刊が廊下の掲示板に張り出されていた。4月の入学式からGW手前まで行なわれた、1年生へのインタビュー結果のようだ。
『友達作り 24.5%』
クラスの様子を見る限り、その心配は杞憂だったようだな。俺を除いて。
『部活 10.5%』
わが校は部活強制参加なため、プレッシャーを感じている生徒も多いようだ。サッカー部や野球部といった部活が人気なようだが、もちろん俺はそんな陽キャの集まりには目もくれず、真っ先に「生物部」へと入部した。1回も行ってないけど。
新入生歓迎会のパフォーマンスをぼんやりと思い出しながら新聞を眺めていると、ある項目に目がとまった。
『テスト 30.0%』
テストと、「30」という数字。この2つは、切っても切り離せないほど、密接に関わり合い、高校生を恐怖に陥れようとするらしい。明日には高校生初の中間テストを控えている。こんなところで油を売っている場合ではない。
我が校は県内でもトップレベルの進学校だ。それゆえ、学習環境も整っている。常設の自習室は生徒でいっぱいだ。本当はあそこで勉強したいところだが、人が多すぎて逆に集中できないことは明白である。ここは大人しく自宅で勉強しよう…。
電車に乗り、単語帳を出すためにバッグを開くと、テスト範囲表がないことに気づいた。どうやら、帰りのHRでバッグから出したあと、間違えて机の中に入れてしまったようだ。常人ならここで友達に範囲表の写真を送ってもらうところだが、あいにく「友達」などといった高尚な存在は持ち合わせていない。仕方ない、取りに戻ろうか…。
不満顔があらわになっていることに気づきつつ、重い足取りで学校へ戻った。テスト前日だというのに、北グラウンドからは小気味のいいバットの音が聞こえてくる。テスト前って部活禁止じゃなかったっけ。部活に入っていなくてよかった。
1Eの教室は4階にある。階段を上がっていると、いくつかの教室の電気が点いているのが見える。教室に残って勉強している生徒も多いらしく、カップルの話し声も聞こえてくる。切実に破局を願いたい。
リア充の爆発シーンを脳内でシミュレーションしているうちに、1Eの教室の前へと着いた。電気は点いているが、シャーペンを走らせる音も、ページをめくる音も、話し声も聞こえない。何をしているのだろうか・・・?
何をしていようと邪魔をするのは悪いと思い、そっとドアに手を伸ばす。俺は約1ヶ月の高校生活で、存在感を極限まで下げることを覚えた。つまり、音を消して動くことが得意なのだ。もちろんドアだって無音で開けることができるぞ。全く誇れない特技なのは気にするな。気づかれないうちに範囲表を取って帰るとしよう。
ドアをゆっくりと開け教室内の様子を覗くと、中には一人の女子生徒がいるのが見えた。遅くまで残って勉強・・・しているわけではなく、何かに顔をうずめている。謎の物体。キャラクターのぬいぐるみだろうか。テスト前日の放課後に何をしているんだ。しかも何かボソボソと呟いている。中から何も聞こえなかったのは、これが理由というわけだ。幸い俺がドアを開けたことに気づいていないようだ。俺の席は彼女が今すわっている席の後ろにある。さっさと目標を達成してしまおう。
泥棒なみの足さばきで教室に入り、自分の席に近づく。机の中を覗くと、求めていた範囲表の姿があった。もし無かったら幼児退行するところだったぞ。
範囲表を持って教室から立ち去ろうとした瞬間、
「ぷはぁ!くぅ〜♡やっぱ新作のもちねこぬいぐるみはたまらないなぁ♡この柔らかさが愛いんだよね〜♡ほらもっとおいでね♡よしよしいい子いい子♡」
なんだ今の!?急に甘い声が聞こえて驚いてしまった俺は、途端に情けない声を漏らす。すると、それに気づいた女子生徒はホラーゲームのモンスター並の速度でこちらに振り向いてきた。また声出た。
いや・・・しかしまずいな。彼女は震える腕をおさえながらこちらを指さす。流石の俺も初対面の子に中指でさされるとは思わなかった。
「え、い、いつから、え?」
3分前からです──そう言えばいいものを、女子免疫がないせいで口が空振る。俺は口をパクパクさせながら答えた。
「あ、え、えと・・・っ!さ、さ、さん、うっ!ぷん!まえ、まえです。」
な、何とか言えたぞ・・・!今ので1日分のエネルギーを使ったことは間違いない。明日のテストへの自信がなくなってきたな。
「30分前って、ゆった?全部、見てたの?」
取り乱しすぎるがあまり、「3分前」の3文字すらまともに聞き取れなかったようだ。うん、俺は悪くない。
心の中で護身のための言い訳を並べながら、言い直そうと口を開く。すると顔を真っ赤にした女子生徒は、イスから飛び出し目に涙を浮かべながらこちらへ突っ込んできた。武力行使というわけか、なるほど面白い。気づいたころには、俺は叫び声をあげながら逃げ出していた。情けなさと恐怖が混じった声が出ているのがわかる。普段から走っていて良かった。俺は全速力で階段をかけおり、下駄箱で崩れ落ちる。恐怖と突然の運動で足が震えている。捕まったら何をされるか分からなかった。生命の危機を感じると、人は全ての力を発揮するのだ。
過呼吸気味の自分を落ち着かせ、靴を履き替えようとする。その時、両手が空いていることに気づいた。どこかで範囲表を落としたらしい。お前マジでやってる・・・困ったものだ。教室には戻りたくないな。戻ればあのバケモノに襲われるのだから。
人外に襲われたときの対処法を考えながら、範囲表を探そうと歩き出した、その時。
「葉山くん」
なんだ今の声。背後から名前を呼ばれた気がする。背後に回られた!? ・・・いや、幻聴だろう。何せ、同学年に俺の名前を知っているやつは中学の友人2人しかいないはずなのだ。友達いないから。
息を整え、もう一度歩きだそうとすると、またもや背後から名前を呼ぶ声が聞こえた。かなり可愛い声。恐る恐る振り返ると、そこには先程の女子生徒が、上目遣いでこちらを見ていた。片手に俺の範囲表をもって。
「あ・・・やっと気づいた。これ、さっき落としたでしょ・・・?すごい声だったけど、大丈夫?」
どうやら彼女は俺のことを心配してくれているようだ。すみません、あなたが元凶なんです。
差し出しされた範囲表を手に取り、お礼を言って軽く会釈をすると、彼女は手を合わせて頭を下げてきた。
「お願いします!初対面でこんな事言うのもなんだけど、さっきの秘密にしてくれませんか!何でもします!」
髪が揺れ、ふわりとフローラルな香りが漂う。これが女子の匂いか・・・と考えていて、何も聞いてなかった。
「えっと・・・ごめん、なんて言った?」
「聞いてなかったの!?」
すみません。彼女は軽くため息をつき、もういちど話し始めた。
「だから、さっきのこと全部秘密にして欲しいんです!その・・・ぬいぐるみに話しかけたとことか、ぬいぐるみと一緒にキャッチボールしてたとことか!」
キャッチボールは見てないですね。
彼女、本当に俺が30分いたものだと思っている。説明するのも面倒だし、このままでいいか・・・
俺は彼女に話しかける。
「大丈夫です。というかそもそも、話す相手もいませんし。」
「あ、そうなんだ・・・私としては嬉しいけど、なんだか悲しくなってきたね。」
同情しないでください。1番惨めになるんです。
まあ、範囲表も取り戻せたし、ひとまず一件落着ということで。かなり時間がかかってしまったが、このまま家に帰ってしまおう。
俺はもう一度礼を言い、外履きに履き替える。すると、彼女は急に「あ!」と言って走り出した。
「ちょっと待ってて!」
どうした急に・・・。そういえば、彼女はうちのクラスメイトだったな。名前忘れたけど。なんだか忙しないヤツだが、そういうところが人気なのだろうか。彼女の周りにはいつも生徒や先生がいて、楽しくおしゃべりをしている。休み時間は決まってソシャゲに打ち込む俺とは大違いだ。
名前を思い出そうと頭をフル回転させているうちに、彼女は荷物を持って階段から降りてきた。俺の前に駆け寄ってくると、何やら赤いカードのようなものを見せてくる。
・・・それは!
「これ、葉山くんの席に落ちてたんだあ。なんだか可愛い女の子が描かれてるけど、これ君の?最近のキャラクターって、ずいぶん露出してるんだね。」
そう言って俺の前でカードを裏返した。それは、俺が愛してやまないアニメの『最推し』が印刷されているトレカだった。昨日寝る前に拝んでから行方が分からなくなっていたが、今朝寝ぼけてバッグの中に入れてしまったのだろうか。
一瞬安堵したが、それはすぐに恐怖で上書きされた。彼女が言った通り、俺の『最推し』は露出度が非常に高い。そしてそれをクラスメイトに見られてしまったのだ。しかも女子に。だいぶオブラートに包んでくれたが、心の中では俺に対する罵詈雑言でいっぱいに違いない。もしこのカードのことを他の生徒にバラされた瞬間、俺の高校生活は終わりを告げる。
俺は無言でトレカを受け取り、丁重にファイルに挟んでバッグにしまうと、俺はバッグを投げ捨て彼女に対して土下座をした。
「あ、あの!こ、このカードのこと、誰にも言わないで欲しいです!学校に持ってきてしまったのは事故です!何でもします許してください!」
「え、今度は君がお願いする番なの?というかすごい必死・・・。」
なんと思われようが構わない。俺の平穏な高校生活を守るためなら、恥だって捨ててみせる。
「いや、全然大丈夫だよ。ていうか、そんなひどいことする人いるの?」
彼女はかなりの聖人らしい。危なかった・・・もしこれが俺の中学だったら、1時間も経たずに学年中の話題となっていただろう。
「あ、助かります・・・。」
俺は体を起こして彼女にお辞儀をする。
正真正銘一件落着のようだ。もう外も暗くなってしまった。こんなことがあって集中できるか分からないが、早く帰って明日のテストに向けての準備をしよう...。
俺は彼女にもう一度お辞儀をして別れの挨拶を述べる。
「色々とお騒がせしました。明日のテスト頑張りましょうね。さよなら。」
「え、待ってせっかくだし一緒にかえろ?」
はい?
思いもよらぬ一言に俺は目を見開いた。心臓が一瞬飛び出すかと思った。今「一緒に帰ろう」って言ったのか?15年間生きてきて、女子にことごとく避けられてきたこの俺が?
「え、えーと・・・なんで?」
「なんでって(笑) ちょうどもう帰ろうと思ってたとこだし?話したことなかったから、せっかくなら色々聞きながら帰りたいな。だめ?」
彼女はもう一度上目遣いでこちらを見つめてくる。なんだその顔・・・!耐えられるわけがなく、思わず目をそらした。断ったら俺は「つれないヤツ」のレッテルを貼り付けられる可能性がある。ここは大人しく誘いにのるとしようか。
「あ、うん・・・全然いいよ。何も面白いことはないけど。」
「やった!じゃ、行こっか!」
彼女は満面の笑みをこちらに向けると、靴を履き替えて玄関を出る。。整った顔から見せる可愛らしい表情はなんとも言葉に言い表せない。これは男子からの人気が高いのも当然である。
彼女に続いて玄関を出てから駅に着くまで、俺は彼女の質問攻めを受け続けた。
「家族構成は?」「趣味は?」「お家どこ?」「最寄り駅は?」「得意教科は?」「嫌いな先生いる?」「勉強得意?」「何点目標?」「彼女っているの?」「明日って何時に来る?」「LINE教えてよ」「好きな食べ物とかある?」「うどんと蕎麦どっちが好き?私はそうめん」「豚骨ラーメン美味しいよね?」「ひやむぎについてどう思う?」「流しそうめんとかやりたいよね」「焼きそばは塩焼きそば一択だよ」etc...さりげなくLINEを交換した気がする。高校生になって初めてのLINE交換で思わずテンションが上がった。「彼女いる?」の質問には速攻で「いません。」とだけ回答しておいた。そして、後半は食べ物、主に麺類の話しかしてなかったが、お腹がすいていたのだろうか。
「じゃーね〜また明日!」
彼女は元気よく俺に手を振る。俺はぎこちない動きで手を振り返すと、彼女は笑って俺とは別のホームに歩き出した。
電車がちょうど来ていたので、俺は階段を駆け上がって電車に飛び乗った。息を整えていると、スマホの通知が鳴った。ああそうだ、彼女は「新舞」というんだったな。
『今日はおつかれさまでした!明日がんばろうね』
そのメッセージの下には、『焼きそば食べたい』と書かれたソース焼きそばのスタンプが。塩焼きそば一択じゃなかったのか。
一言『おつかれさま』とだけ返してスマホをポケットに入れ、今日の出来事を振り返る。中々に濃い1日、いや、放課後だったな...
自宅に着き、風呂と夕飯を済ませて学習机に向かったが、初めて新舞さんに話しかけた時に1日ぶんのエネルギーを使ったことは事実らしく、全く集中できなかった。軽く歴史総合の単語を確認した俺は、アラームを設定して仕方なく寝床につくのだった。