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レイヤー3

「アンタ、そりゃあ矛盾やお」

「むじゅん? むじゅんってなに?」

 色鉛筆でお絵描きをしていた男の子が顔を上げる。画用紙にはヘタクソな絵が描かれている。カラフルな色をした頑固そうな老年女性の絵だ。

「矛盾ゆうのはチグハグって意味やお」

「なんでチグハグなの? みんなのホントの気持ちを知りたいってダメなこと?」

「だって、アンタ。ほんなん———」



 七月十日 七時

 玄関のドアを開けて、日差しを浴びる。僕は眩しさに目を細めた。寝ぼけていた細胞たちがようやく活動を開始した気がする。

 学校へは自転車で二十分ほど。急いだら十五分くらい。朝のショートホームルームは八時三十分から。平時であれば、こんな朝早くに眠い目を擦りながら登校する必要もなかった。ベッドとマブダチ、テストなんて知ったこっちゃなく現実からランナウェイ状態で眠っている時間であるのだけど、有事とあっては仕方がない。もちろん期末試験のことではない。昨日の自分から何やら頼まれた気もするが、承知した覚えもないので忘れるとしよう。

 一つだけ早起きをして良かった事と言えば、母親が朝ご飯を作ってくれていて、久しぶりにゆっくりと食事ができた事ぐらいだ。昨日の晩ご飯はあってないようなものだったから炭水化物は体に沁み入った。やっぱりお米はいいな。味噌汁も朝に飲むと何であんなに美味しく感じるのか。これだけで三文ほどの価値にはなると思う。ああ、あと卵焼きは絶対にしょっぱい派です。

 漕ぎ始めて一分もしないうちに自転車を止める。とある大きな家の前。ご近所さんの中では一、二を争うくらいに大きい家だ。裕福な家なのだろう。表札には濱崎の文字。塀の向こう側、青々とした芝生が広がる庭に犬小屋があった。それには大きくガタガタな字で『タロ』と書かれていた。

 ヘッタクソな字だな、と素直に思った。小さな子供が一生懸命に描いたような字だった。

 きっと僕にはあれは描けない。

 少し離れた電柱の陰に自転車を置き、濱崎さん宅へと耳をそば立てながらスマホを弄るフリをする。結構時間が掛かるだろうと予想していたが案外すんなりとその声は聞こえてきた。

「————————っ! ヤダ!」

 悲鳴のような金切り声が耳に届く。濱崎さん宅へと近づくと、

「やぁだあ! がっごゔいがない! だっで、だってぇ、ダロがあ! ゔああぁぁぁ!」

 それは昨日聞いた女の子の泣き声だった。

 僕のここでの用事は終わった。

「しょうがない。時間が余ったし学校でテスト勉強でもするかな」


 七時四十分

 学校の北門から校内へと入り駐輪場に向かった。校則では自転車に乗ったまま校内を移動してはいけないのだが、そんなルールを守るのはどこぞの委員長ぐらいのもので、先生がいない時には生徒は皆好き勝手に走り回っている。かくいう僕もその暴走族の一員である。

 駐輪場はがらんとしていた。この時間に登校する生徒はほとんどいない。僕は校門に一番近い位置で自転車を置き、やや錆びついてしまっている鍵を掛けた。すると、僕が置いた自転車のすぐ隣に自転車が置かれた。

 ケツ上げ、鬼ハンのイカれた、もといイカした自転車が。

「おっす。可児くん、おはよ」

 声の主に顔を向ける。それは同じクラスの竹中くんだった。眠そうに大きな欠伸をしている竹中くんへ「おはよ」と挨拶を返す。テニス部所属の竹中くんとは一年生の時にも同じクラスだったので割と喋ったりする仲である。しかし見た目は爽やか好青年で人あたりの良さそうな雰囲気を醸し出している彼だが、その実あまり信用してはいけない人間であることを僕は以前に身をもって学んでいる。

「可児くんって案外朝早いタイプ?」

「いいや全然。今日はたまたま」

 二人して並んで教室へと歩き出す。

 竹中くんは日焼けした肌に映える白い歯を見せて、ニヤリと笑いながら訊いてきた。

「ん? あ! もしかしてアレ? 一条と朝の密会ってやつ」

「……ウウン、チガウヨ」

 動揺が伝わらないようにいつも通りの口調で答えた。

 〝朝の〟密会はしていない。だって昨日のアレは夜だったはずだ。嘘じゃない、よな。

 南校舎一階の下駄箱で上履きに履き替える。

「そうなん? 昨日一緒に飯食ってたからデキてるんかなって思ったけど、違う?」

「違う違う。あれは、なんか、犬のことについて訊かれたみたいな感じ」

「犬? 一条って犬好きなのか?」

「……好きなんじゃない?」

 竹中くんは「ふーん」なんて興味なさげだった。

 階段を上る。学年ごとに教室のあるフロアが分けられており、二年生の教室は二階にある。風景画のように静止している校舎には生徒がほぼ零で、僕たちの階段を上る音がやけに大きく聞こえた。

「まぁいいや。一条って中学の時からよく告られてるのに全然彼氏作らないらしいからさ。ついにできたのかと思ったけど、違ったか」

「へぇ……そんなに告られてんだ。何で付き合わないんだよ?」

「知らね。理想が高いんじゃね。なんか俺たちとは違うステージにいるって感じ? あと普通に美人だし。まあアレじゃん、高嶺の花ってやつ。あ、でも手を伸ばそうとして撃墜された奴らはみんな告らなきゃ良かったって言ってたな」

 なんだそりゃ。告らなきゃ良かったって振られているのだから当然だろ、と思ったがどうやらそういう話ではないらしい。

「なんか告白した側が申し訳ない気分になるらしい。振ってるはずの一条が振られた男子より苦しそうな顔するんだって。ホント変な奴だよな」

 ……それは一条さんの性格を考えると分からないではないけど、そんなになのか。

 僕は少し気になってしまった。

「気になるなら告ってみろよ。まあ、可児くんにはちょっと分の悪い勝負だろうけど、告白された時の一条の顔を拝みたいってんなら目的は達成できる」

「分の悪いってなんだよそれ」

「いやいや。この竹中信兵衛(しんべえ)の慧眼が見抜くに、一条、ありゃ年上好きだぜ。それも結構上と見た。可児くんは、うん悪くはないけど、どちらかというと年上から可愛がられるタイプだろ。ほら需要と供給が噛み合ってない。わかる? ジュヨーとキョーキュー」

 童顔だって言いたいのか。ふん。人が気にしていることをずけずけと。

「忠告どうも」

「どういたしまして。ホントに振られた時には教えてくれ」

 ははは、と笑う竹中くん。「ま、俺は彼女いるんで告らないんですけど」だって。

 最後にマウントを取られてしまった。奴は勝ち組だったらしい。

 二年一組の教室に入ると僕たちはそれぞれの机へと別れた。

 差し当たって期末試験の勉強に集中することにしよう。


    ◆


 いつも通りの綺麗な姿勢で着席している一条さんは顔をムッとさせながらこちらをみていた。なんだか怒っているような、はたまた拗ねているような表情の彼女はいつもよりあどけなく見えた。

「何か言いたいことでもある?」

 僕は手に持った、ブタのイラストが描かれているサイズの小さなヌードルを啜った。それが何かというと子供でも手が出せるお値打ち価格の駄菓子である。駄菓子であるのだが、その見た目はカップ麺そのものなので食事と言っても差し支えないだろう。文句があるのなら言ってみろってんだ。

「……可児くん。きっと可児くんは昨日の私の言葉を聞いてくれてそのカップ麺? を選択したのだと思います。それは素直に嬉しいです。ありがとう。

 でも、でもね可児くん。私が昨日言った〝ちゃんと〟に含まれているのは、ただカロリーを摂取して欲しいという事だけではないの。主食、主菜、副菜、乳製品、果物をバランスよく摂取して欲しいって意味を込めていたの。もっと詳しくいうと、摂取エネルギー割合としては炭水化物が六割、脂質が二から三割、タンパク質が一から二割。この三つが三大栄養素と呼ばれて人間を形作る基礎の基礎となります。ここに更に二つ、ビタミンとミネラルを加えると五大栄養素と呼ばれ、更に更に食物繊維を第六の栄養素とすることもあります。そして近年ではファイトケミカルなんていう七番目の栄養素も注目されていたり。ファイトケミカルは主に抗酸化作用を期待されているのだけど、ひとまずはそこまで気にしなくてもいいかな。最初は五大栄養素を気にしないと、だね。

 まずは炭水化物。これは素早くエネルギーになります。わかりやすく言うと糖分だよね。吸収される際に単糖にまで分解されて体の中では主にグルコースとして存在している。これがないと生きていけません。不足すると低血糖になったり、集中力が下がったり。もちろん摂りすぎると太っちゃうけど、適度に摂取する必要ありです。脂質はエネルギーのもとになるのはもちろん体温を保ったり、ホルモンの原料になります。一般的なイメージ通り摂りすぎるともちろん太ります。なんて言ったって、炭水化物とタンパク質がグラムあたり四キロカロリーなのに対して脂質はグラムあたり九キロカロリーだからね。凄まじいエネルギーを秘めているよ。でも必要。で、タンパク質もエネルギー源になります。あとは血や肉になります。皮膚や内臓もタンパク質でできているんだからその重要性は可児くんもわかってくれると思う。人間のタンパク質は二十種類のアミノ酸によって構成されていて、そのアミノ酸はたった四種類の塩基によって決定される。よく遺伝子とかDNAとかって単語を聞くと思うけど、それって結局はどんなタンパク質を作るのかという暗号なんだよね。ヒトの体は本当に不思議だ。

 次にビタミン。三大栄養素は全てエネルギー源になると先程伝えましたが、彼らだけではエネルギーにはなりえません。ビタミンが彼らの手助けをしないといけません。三大栄養素はクエン酸回路、電子伝達系、酸化的リン酸化を、ああグルコースに関しては解糖系もだね、それらを通してエネルギーとなるATPを産生するのだけどそこに様々なビタミンが関与してくるんだよね。あっ、話は少し逸れるけどこの解糖系という動きによって、かの悪名高い乳酸が生成されるんだ。解糖系の最終産物は好気的条件つまり酸素がある条件ではピルビン酸であり、ピルビン酸はミトコンドリアへと運ばれて続くクエン酸回路で利用される。一方、嫌気的条件つまり酸素がない条件ではピルビン酸から乳酸へと還元される。よくさ、無酸素運動をしたら乳酸が溜まるって聞いた事ない? それってこういう理由から考えられていたんだけど、最近は違う説が有力になっているみたい。結局のところクエン酸回路へと続く反応より解糖系の方が回転が早いんじゃないかって。つまりピルビン酸が順番待ち状態になってしまって仕方がないから乳酸に代わっているんじゃないかっていう説。乳酸も最終的にはエネルギーに変換されるしね。だから、乳酸自体が疲労物質ではなく、ある一定以上の負荷のかかる運動を行うと乳酸が過剰になる、らしい。体が無理をしている状態って言ったらいいのかな。と、話を戻すね。ビタミンの中でビタミンB1、B2、B6、ナイアシン、パントテン酸、ビオチン———」

 はわわわわわ。

 大変な地雷を踏み抜いてしまったようだ。つらつらと楽しげに栄養学、生物学の知識を披露している一条さんを見て———僕は、そのまま視線を手元へとずらした。

 プラスチックの小さなフォークでヌードルをチュルチュル食べながら、先生のタメになるお話を右から左へ聞き流す事にしたわけである。ううん、コンビニでお湯を入れてきたのだが、熱湯三分の商品なのでかなり麺が伸びてしまっている。次はコンビニからここまでにかかる時間も勘案しなければ。

「———ってことです。なので明日からはその辺りも意識して食事をしてください。わかりましたか?」

 どうやら先生のお話が終わったようだ。ちょっと待ってと手振りして、口の中に残っていたヌードルを飲み下す。

「なるほどね。善処するけどさ。それにしても〝ちゃんと〟にそんな壮大な意味が含まれているなんて言葉ってやっぱり難しいよな」

「難しい……。難しい、か。そうだね。でも、それは、もしかしたら……私たちが難しく考えているだけなのかもしれない。本当はもっと素直になるべきなのにね」

 複雑そうに語る一条さんに、かもね、なんて適当な相槌を打った。

 黒い狸はスヤスヤと眠っている。標的はまだ現れない。

 夕食を食べ終えて、サイダーを口に含んだ。サイダーはぬるくなっていた。結露した水滴が缶の表面にツーっと一筋の線を引く。

 スケッチブックを捲り狸のデッサン。眠る体勢はいつも同じだから面白味もなくなってきたのだけれど。

「ねえ、可児くん。少しだけ話しかけてもいい? 手は止めなくて大丈夫だから」

「いいけど」

 そんな改まって許可を取らなくてもいいんじゃないかと思った。別に大層な事をしているわけでもなし。ただのお絵描きだ。

「可児くんは、どうして絵を描いているの?」

 どうして。どうして、か。とても哲学的で難しい質問だな。……言葉が苦手だったから。でも、それは絵を描く理由じゃない。

「……きっと趣味だからじゃない?」

「そっか。そうだね」

 彼女の表情がわからない。軽く微笑んでいる筈なのに。

「じゃあ、こっちも質問」

「はい。どうぞ」

 正々堂々と。質問をしたのだから、それを返されるのは当然と言わんばかりに彼女は答える。

「一条さんはなんで走っているの?」

「それが私の義務だから」

 これまたおかしなことを言う。義務ってのはしなければならないことだ。走らなければならないなんて、親が陸上の選手とか?

 気にはなったけど、これで等価だ。これ以上質問すればこちらも質問されるのでやめておこう。

 そう思って黙っていると、

「可児くんって律儀なんだね」

 彼女はくすっと笑った。

「そうなん? 初めて言われたよ」

 沈黙が訪れる。ただ鉛筆の音が響いている。

 しばらくして、またしても彼女から話しかけられた。

「そういえば、宇田先生も昨日の女の子も足があったね」

「足? そりゃあるんじゃない。なんで?」

「えー。あれはもしかしたら幽霊なのかもしれないって可児くん言ってたでしょ」

「ああ、幽霊だったら足があるのはオカシイってやつ? 割と可愛い話を信じてるんだ」

「信じてないの?」

「うーん。元ネタを知っちゃってるしな」

「元ネタって?」

 手を止めて彼女の問いに答える。

「江戸時代の浮世絵師、円山(まるやま)応挙(おうきょ)。その絵師の幽霊画が起源らしいぜ。白装束の黒髪女性で足は描かれていない。ほら皆んなが想像する典型的なユーレイの姿だ」

「名前は、聞いたことある、ような……」

 一条さんはふむ、と記憶を辿っている様子。

「結構有名人だからね。で、そこからユーレイってのは足がないものだって思われるようになった。言わばその考え方が流行った」

「へぇ。世間の認識を変えちゃったって事だ。凄い絵師さんだね。円山さんは他の絵を描かなかったの?」

「いいや。他には国宝に指定されている雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)とか、後は子犬が描かれた朝顔狗子図杉戸(あさがおくしずすぎと)とかが有名かな。いずれにしても写生的な絵を好んだみたいだ。伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)曾我蕭白(そがしょうはく)なんかの当時の有名画家は独創的な絵にも手を出していたけど、円山応挙は自分の眼に忠実だった。見たままを写す。それを突き詰めて新しい表現や知識を取り入れた結果、当時人気を博していた狩野派の型すら打ち破った、とまで言われる事もある。そんな絵師だよ」

「なるほど。じゃあ、今の可児くんの状況って円山さんと似ているのかもね。ワンちゃんを描いているし。ユーレイ? も現れるし」

 一条さんはとんでもないことを口にする。

「……恐れ多すぎるって。あと僕には狸にしか見えないんだよなぁ」

 件の幽霊は未だに現れない。

 真っ暗な廃墟の中でランタンの淡い光が手元を照らしている。その光の中を手の影が動き回る。影の動きに合わせて音が鳴る。

 喉が渇いた。完全に常温へと戻っているサイダー缶を手にとってぐいと流し込んだ。炭酸も抜けてしまっている。不味い。サイダーはただの砂糖水に変わっていた。

 それにしたって何も起こらない。今日は出ない日なのだろうかと諦めかけた時、狸の額が強く輝き始めた。廃墟を一瞬包み込む光。カウンター奥の暗闇からは身長が百八十ほどありそうな少しだけ垂れ目の男子が現れた。鳥高の学生服を着ている。

「……新免くん」

 こちらを真っ直ぐに見据えている男子学生は新免くんだった。

 現在は二年三組。元クラスメイトの新免くん。

 彼を一言で表すなら気持ちのいい美丈夫。今風に表現すると、気のいい爽やか好青年と言ったところ。

 彼は鳥高でちょっぴり有名人だった。その女子ウケする外見に加えて剣道が凄く強かったからだ。去年の夏、彼は剣道の全国大会で一年生ながら三位入賞を果たしている。コレと言って秀でた部活がない鳥淡高校のお偉方にとってその功績はかなり喜ばしいものだったらしく、校舎にはでかでかと彼の名前の懸垂幕が吊り下げられていた。ちなみに、なんと陸上部でも一年生が見事な結果を残し懸垂幕は二つとなっていたのだけど今は関係無い話。勿論今度は優勝を、と学校の期待を一身に背負っていた筈なのだが、彼は二年生へ進級する直前に剣道部をあっさりと辞めてしまった。そして何故だか水泳部に入部した。新免くん泳げないのに。

 新免くんは別に剣道が嫌いになったわけでは無いらしい。実家の道場で毎日稽古をしてるとも聞くし。けれど、彼は剣道部を辞めた理由を語らない。

 彼のこの奇行は鳥高七不思議の一つに数えられていた。鳥高の七不思議が一体いくつあるかは定かではない。僕が聞いただけでも九つはあった。そして、万が一にもウチの愛すべき雲母(バカ)が本当に成績優秀だったとしたらアイツも七不思議のニュービーとなることだろう。学校の七不思議だって世代交代をしていくもんなのだ。

 と、また余計なことを考えてしまった。

『俺は———』

 新免くんが喋り始めた。

『俺は、一年生の頃から一条のことが好きだった』

 ……なるほど。そういうやつか。

 新免くんが喋っている。内容は一条さんのどんなところに惹かれたとか、自分の気持ちの変遷とか。聞いているこちらが小っ恥ずかしくなるような言葉。しかし、彼の表情は極めて真面目だった。それだけで彼の性格が窺い知れた。そんな彼をとても、カッコいいと感じた。

 チラリと一条さんの様子を盗み見る。僕は、ああ、と理解した。

 確かにこれはしんどいな、と。

 彼女に告白するという事は多かれ少なかれ彼女のどこかに憧れたり、魅力を感じたというわけだ。そんな好意を寄せている女の子にこんな表情をさせてしまったとしたら。ま、男としてはトラウマものだろうな。しばらくは恋愛なんてしたくなくなる。そうは言っても落ちるのが恋というものなのかもしれないけれど。

 僕は自分が告白したわけでもないのに、その表情を見てしまった事に少しだけ後ろめたさを感じてしまった。

『俺はこの気持ちを彼女に伝えるべきだろうか———』

 新免くんはそう言い残して消えてしまった。

 今回は別に暗い気持ちだったり悲しい思いだったりの吐露ではなかったけれど。やっぱり人の本音を聞いてしまった後はなんとも言えない空気になってしまう。狸は用が済んだのでお帰りになった。

「……私たちって相当趣味の悪いことしてるよね」

 一条さんは自嘲するように呟いた。

「そりゃあそうだろ。人の本音を聴こうだなんて性格がいい奴のする事じゃないし。だから、嫌ならやめたらいい」

「ううん、続ける」

「そっか。けど今日はもう終わりだ。帰ろう」

 本日の夜の密会もお開きとなった。今日も今日とて「送らなくていいよ」と断られる。一条さんの遠くなっていく背中を見送った後、僕は家へとペダルを漕ぎ始めた。


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