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読み切り短編集

無職の王様は元王妃に愛を捧げる

作者: ルーク猫

 昔々ある国に、結婚したばかりの王様と王妃様がいました。

 王様は美しく、国民を思いやる優しい人でした。

 病人がたくさん出る土地にはお医者さんを遣わし、

 大雨で被害が出ると自分で出かけていって、必要なものを取り寄せます。

 いつも民のためにと働く王様を、王妃様はとても愛していました。


 でもある日、とても大きな魔獣があらわれて、国中を荒らし回ったのです。




「まじゅう……ってなあに?」

 幼いルシアンは、ベッドの上で薄布にくるまりながら尋ねた。

「魔獣は、人の悪い心から生まれてくる獣だと言われているわ」

 ロザムンドは考えながら答える。

「人のわるい心から?」

「ええ、そうよ」

 まだ五歳の子どもには難しかったかしらと思いながら、ロザムンドは続けた。

「誰かのものが欲しいとか、この人は嫌いという気持ちが、魔獣を生み出すのだそうよ」

「そうなんだ」

 ルシアンは怯えた顔で、自分の胸を押さえました。




 魔獣はとても強く、たくさんの人が殺されてしまったそうです。

 王様の軍隊は一生懸命に戦いました。

 そしてようやく魔獣を退治することができたのです。

 でも、魔獣の瘴気が国中に広がってしまいました。




「しょうきってなに?」

 ルシアンはまた尋ねた。

「瘴気は、魔獣が放つ、悪い空気のことよ」

「悪い空気?」

「ええ、悪い空気は人を病気にしたり、作物を育たなくしたりするの」




 たくさんの人々が病気になり、作物は育ちません。

 瘴気のせいでした。

 このままだと、病気で死んだり、食べ物がなくて死んだりする人が出るでしょう。

 女神様の言葉を聞くことのできる神官が、言いました。

 魔獣の瘴気を払う聖女を召喚するように神託を受けたと。




「特別な力を持つ人を、魔法で呼び出すことを、しょうかんって言うの」

 ロザムンドは、難しい言葉が出てくるたびに、丁寧に説明する。




 王様は、神官の言葉に従い、国中から強い魔術師をたくさん集めました。

 魔術師たちは魔方陣を描き、呪文を唱えます。

 魔方陣の中に召喚されたのは、黒髪に黒い瞳の聖女でした。




「せいじょは、どこからきたの?」

「ニホンっていう遠い国からですって」

 ロザムンドは、神官と魔術師たちに囲まれて泣いていた聖女の姿を思い出す。

 彼女の着ていた服は血塗れだった。

 事故で死んで、女神様に救われたのだと彼女は語った。


「ニホンはとても平和で、魔獣もいなくて、魔法もない国だそうよ。誰もが勉強ばかりしていて、つまらなかったって聖女様は言っていたわ」

「つまらなかったの?」

 ルシアンは不思議そうに言う。

「勉強は、楽しいのに」


「そうね、ルシアンは勉強が好きだから」

 ロザムンドは微笑んだ。

 金の糸のようなルシアンの髪を撫でながら、同じ髪をしていた人のことを思い出す。


 あの人もとても真面目で、勉強が好きだった。

 国のためにと、ずっと努力していた。

 異世界の話を聖女から聞いて、役に立つ知識をこの国のために取り入れようともしていた。

 福祉や教育、政治の仕組みについての改革が、聖女の助言によって急速に進んでいく。

 選挙、という耳慣れない制度の話を、特に熱心に話し合っていた。

 だから、彼と聖女の邪魔になるわけにはいかなかった。




 聖女は魔獣の瘴気を払うために、神官たちと共に国中を巡りました。

 病気の人々を癒やし、作物を育てる土地の力を取り戻していったのです。

 聖女によって国は再び平和になりました。

 王様も人々も毎日、女神様に感謝の祈りを捧げます。

 そして、聖女様にも──。




「良かったね、平和になって」

 幼いルシアンは、碧い目をロザムンドに向けた。

「せいじょはお家に帰れた?」

 ルシアンがロザムンドに、話を促した。

 金色をした睫毛は長く、時々眠そうに瞬く。


 聖女はいつも悲しく、寂しい目をしていた。

 遠い故郷を想って、よく泣いていた。

 帰りたいけれど、帰れない……彼女は死んで、ここにやってきたのだから。

 大勢の人が彼女の寂しさを癒やそうとし、国王もできるだけ聖女の傍に留まった。


 やがて聖女は、悲しい目をしなくなった。

 国王に向ける彼女の視線は、喜びに満ちていた。

 彼女は、優しく美しい国王に恋をしていたのだ。

 国王は彼女に優しい視線を向け、彼女の言葉にじっと耳を傾ける。

 仲睦まじい二人の様子を、ロザムンドは思い出した。

 時々王妃の方を振り返っては勝ち誇ったように微笑む、聖女の顔も──。


 ロザムンドの緑色の瞳が、悲しげに揺れる。

「いいえ。聖女はね……」

 落ちて来た赤毛を掻き上げてから、彼女は先を続けた。




 王様は聖女に尋ねました。

「聖女様、あなたの力で国は救われました。どうか、あなたの望むものを教えてください」

 聖女は微笑んで、答えます。

「私は、この世界ではひとりぼっちです。とても寂しいので、家族が欲しいです、王様。私をあなたの妻にしてください」


 聖女は美しくてとても優しい王様が、大好きになっていたのです。

「少し考えさせてください」

 と王様は言いました。


 聖女を妻にするということは、王妃様とはお別れするということです。

 優しい王様は、王妃様が悲しい思いをすることを知っていたので、なかなかお別れの言葉を口にできません。

 ある日、聖女はこっそりと王妃様に会いに行って、言いました。

「あの方が愛しているのは私。国に必要なのは、あなたではなく、私なのです。役立たずのくせに、いつまで居座るつもりですか?」


 その通りだということを、王妃様は知っていました。

 瘴気を払ったのは、王妃様ではなくて、聖女ですから。

『とても好きな人ができました。その方のもとへ参ります。私は死んだものとして扱ってください』

 嘘の手紙を残して、王妃様は城から姿を消したのでした。




「そんなのはひどい」

 とルシアンは怒った。

「どうして聖女は、王妃様から王様をとっちゃったの?」

「……とったんじゃないのよ。聖女様は、一生懸命国を救ってくれたでしょう? だから王妃様も、彼女の望みを叶えてあげたかったの」

 ロザムンドは、悲しげな微笑みを浮かべた。


「王妃様はどうなったの?」

 ルシアンは心配そうに尋ねた。

「大丈夫よ」

 ロザムンドは金の髪を撫でながら言う。

「きっとどこかで、小さな幸せを見つけて生きているわ」


 ルシアンは、長い間考えているようだった。もう寝てしまったのかと思うぐらい、長い沈黙が続いた。

「僕は、誰かに呼び出されてもどこにも行かないよ……」

 ようやく口を開いたルシアンは、半ば眠りながら言った。

「ずっとお母さんと一緒にいるからね」


「ありがとう……」

 スースーと寝息を立てるルシアンの寝顔を見ながら、ロザムンドは幸せな気持ちになった。

 ここでルシアンと二人なら、ずっと幸せに暮らしていけるだろうと思った。




 ロザムンドが移り住んだ島は、王都からずっと離れた南にあった。

 そこでは瘴気の影響もなく、魔獣もいない。

 暖かい気候で、豊かな自然に囲まれ、人々も親切だった。

 ロザムンドはこの島でルシアンを産んで、島の人たちに助けられながら幸せに暮らしていた。


 小高い丘の上にある家から見る夕焼けの色は、とても赤く、美しくて、見るたびに心洗われるようだ。

 島の真っ白い砂浜に行くと、足下でたくさんの生物が飛び跳ねるので、ルシアンは大喜びした。

 ロザムンドは毎朝漁港まで出ては、猟師の妻たちの仕事を手伝った。


 猟師たちが獲ってきた魚を選別し、加工して、商品にする。

 ルシアンも手伝って、魚の大きさを選んで、箱に分け入れた。

「とっても頼りになるわねぇ」

 そう言って、猟師の妻たちはルシアンを可愛がってくれた。


 お給料の他に、魚のお裾分けがあるので、二人は食べるものに困ることはなかった。

 ロザムンドはルシアンを一人前に育てるため、自分が教師となって勉強を教えた。

 ルシアンは頭が良く、読み書きも算数もすぐに覚えた。


 唯一の問題は、豊かな環境により生き物の全てが大型で、虫が特に大きいことだ。

 ロザムンドは家の中で巨大な虫と遭遇すると、悲鳴を上げて固まった。

 ルシアンはそんな母のために、小さな守護者となって虫を追い払うのが日課となった。


 野菜は、家の畑で自給自足していた。

 ロザムンドは、畑仕事は得意だが、土の間から顔を覗かせたり、宙を飛んだりする虫たちは苦手だった。

 彼女が悲鳴を上げるたびにルシアンが走ってきて、果敢に立ち向かった。

 種を蒔いたり、肥料を撒いたり、収穫したりする時には、二人で力を合わせた。

 川から水を汲んでくるのも重くて大変な仕事だが、ルシアンは頑張った。

 たくさんの野菜が採れると、猟師の妻たちにお裾分けする。

 そんな幸せな日々が続いた。






 ある日、一人の老女が島にやってきた。

 彼女は誰にも案内されることなく、ロザムンドの家を目指した。

 もうじき嵐が来そうな天候で、ルシアンとロザムンドは畑を見回っているところだった。

 ゴロゴロと、遠くで雷鳴が聞こえた。


 白く美しいドレスを着て、たくさんの宝石を身に着けた老女は、数人の従者に支えられながら坂を登ってきた。

 従者たちは皆、白色と金色の神官服を着ていた。


「ようやく見つけた」

 老女は憎々しげに言った。

 半ば顔にかかったベールから覗く目は、真っ白に曇っていて、見えていないことがわかった。

 それなのに彼女は、はっきりと、ロザムンドの方を指さした。

 ロザムンドを守るように、ルシアンが立ちはだかる。

 老女の潰れた声が、言った。

「お前。せっかく追い出したのに、ずっと聞こえている。お前の泣き声が、ずっと遠くまで響いてくる。本当に、未練がましいことだ。その泣き声を、私は追ってきた」


「あの……どちら様でしょうか」

 ロザムンドが、おそるおそる尋ねた。

 その問いに老女は、まともに答えようとはしない。

 神官たちは、後ろで恭しく控えている。


「五年……」

 老女はブツブツと呟いていた。

「五年近くもかかった。朔の日ごとに私は一つ、年を取る。時間がない……時間が」

 老女の周囲の空気が、黒く歪んでいく。

 これが瘴気かと、見ただけですぐにルシアンにはわかった。

 神官たちが怯えた様子で、老女から離れた。


「ヴァルディス様と私の結婚式の時、女神様が現れて言った。罪を償えと。聖女が人を不幸にすることは許さぬと」

 老女の言葉に、ロザムンドは息をのんだ。

「まさか……聖女様……?」

「お前が不幸を嘆いて泣き続ける限り私は、人の何倍もの早さで年を取る」

 怒った声で、老女は言う。

 ロザムンドは目を瞠った。

「私は……泣いてなど……」


「お前が私のヴァルディス様を想って泣くから、私はこんな姿になったのだ」

 黒い渦が、老女に纏わり付いて、その形を変えていく。

「お前が死ねば、呪いはなくなる」


 神官の一人が彼女の前に跪いた。

「聖女様! お気を確かに……!」

 目に見えない力に弾かれたかのように、神官が後ろに吹き飛んでいって、畑に尻餅をついた。


 老女の手が毛深くなり、爪が伸び始める。

 ロザムンドはルシアンを抱き締めて、後ずさりした。


 四つん這いになって吠える声は、まるで獣のようだ。

 老女の頬肉は欠け、牙が飛び出す。

 巨大な魔獣がそこにいた。

 神官たちが恐怖の声を上げて、逃げ出す。


 ルシアンは思わず、ロザムンドに縋り付いた。

 今にも飛びかかろうと、魔獣が身を屈める。

 ロザムンドがルシアンを抱え、背中を丸めて地面に伏す。

 どうかこの子だけは、と祈る声をルシアンは聞いた。


 女神様。私はいいんです。聖女様の望み通りにしてください。

 でも、どうかこの子だけは。

 お願いです。

 この子だけは、助けて──!


 ロザムンドの祈りに応えるかのように、雷鳴が轟いた。

 それは、暫く耳が聞こえなくなるほどの、大きな音だった。

 辺りは真っ白になり、何も見えない。

 ルシアンは、ロザムンドの下からそっとのぞき見る。


 光が消えたあとには、地面に倒れている黒い姿があった。

 それは、黒衣を着た若い女性のようだった。

 最初は老女で、さっきは魔獣だったはずなのにと、ルシアンは驚いた。


『…………ヴァルディス様……』

 彼女が、ルシアンを見てそう呟く。

 雷のせいで耳がよく聞こえなくなっていたので、ひどく遠くからの声のように響いた。

 異界から来た聖女の身体は、まるで溶けるように、黒い塵になっていく。

 その直後、大粒の雨が叩き付けるように降り出し、塵を押し流していった。






 意気消沈した様子で帰っていった神官たちから、ロザムンドの居所が伝わったのだろう。

 その後しばらくして、一人の男が島にやってきた。


 彼が猟師の妻の一人に案内されてロザムンドの家まで向かう間、道行く人はみな振り返った。

 かつて太陽の光を浴びて輝いていた金の髪は、今は手入れもされず、くすんでいた。

 碧い目はくぼんで愁いに沈み、虚ろだった。

 その整った顔立ちは、ルシアンにうり二つだ。

 誰もが彼を見て、ルシアンの父親だと気づいた。


「……ロザムンド」

 畑にいたロザムンドは、猟師の妻の声に振り返った。

 そして、彼女の後ろに立つ男を見て、笑顔を凍りつかせた。


「すまないねぇ」

 猟師の妻は申し訳なさそうに言った。

「こちらの方が、ロザムンドの旦那さんだって言い張るので、仕方なく連れてきちゃったのよ」

 だって、ルシアンにそっくりなんだもの。

 おそらくそう言いたかったに違いない。

 男は、やつれた顔をやや歪めて、ロザムンドをひたすら見つめていた。

 ロザムンドも、言葉を失ったままその男を見ていた。


 猟師の妻は付け加えた。

「助けが必要なら、いつでもうちに来るんだよ?」

 そう言われてようやくロザムンドは、頷いた。

「はい……ありがとうございます」


「ロザムンド……やっと見つけた」

 猟師の妻が去ると、男は震える声で彼は言った

「……すまなかった」


「謝らないでください」

 ロザムンドは言った。

「陛下は何一つ、悪いことはなさってはおりません」


 なぜ彼がショックを受けたような顔をしたのか、ロザムンドにはわからなかった。

 泣きそうな顔をしながら、男は言った。

「もう、ヴァルディスとは呼んでくれないのか」


 ヴァルディス様。

 そう呼ぶ聖女の甘い声が、今も耳に残っている。

 国のためには聖女の存在が必要だとわかっていながら、いつもヴァルディスの傍にいる彼女の姿に、ロザムンドは苦しんだ。


 ヴァルディスも、まだ十代の若い彼女に心酔しているように見えた。

 仲良く肩を並べて、熱心に話していた二人の姿を思い出す。

 二人が結婚することを知った時、みっともなく縋り付くよりはと、潔く去ったのに。


 他の女性に心を奪われた男を、しかも国王を、名前で呼べるはずなどない。

「恐れ多いことでございます、陛下」

 ロザムンドは恭しく頭を下げた。

「私は大丈夫でございますので……どうか王都へ」

 お帰りください、と言おうとしたのに、喉が締め付けられるようになって言葉が出てこない。

 まだこんなにも、私はこの方のことが好きなのね、とロザムンドは思った。


「私にはもう、帰る場所はないよ」

 ヴァルディスは微かに微笑んだ。

「私は君の傍にいたくて、全てをなげうってここにきた」


「陛下……?」

 ロザムンドは言葉の意味が理解できず、戸惑って彼を見る。

「でも私は……陛下から逃げ出した身ですので」

 好きな相手ができた、と書き置きして身を隠したのだから、当然離婚になっただろう。


「……陛下は聖女様とご結婚されたのでしょう?」

 聖女はもういないのに、ロザムンドの心は閉ざされたままだ。

 永遠の嫉妬に苦しむ自分もまた、魔獣に姿を変えるかも知れないと、ロザムンドは恐れた。


「聖女との結婚は、式の途中で中止になった」

 ヴァルディスの言葉に、ロザムンドは思い出す。

 女神様が現れて、聖女が人を不幸にすることは許さぬと言ったという。


「聖女が途中で逃げ出したんだ。私たちには見えなかったが、女神様が降臨されて聖女に呪いをかけたそうだ」

 ヴァルディスは、悲しげな声で説明する。

「私は聖女と結婚するつもりなどなかった。人の心を褒美にすることなどできないと断ったのに、彼女は君を騙して追い出した。そして、落ち込んでいる私を慰めるふりをして、君に成り代わろうとしたのだ。聖女はそう懺悔し、君を探す旅に出た。その結末は、君も見た通りだ」


 すぐに信じることなどできなかった。

 ロザムンドは、ひどくやつれた様子のヴァルディスを悲しげに見返した。

 自分が彼を、立派だった国王をこんな風にしてしまったのだろうか?

 けれど、家出した元王妃が王宮に戻るなんて、できるわけがない。

 事実はどうあれ、浮気をした王妃がお咎めなく戻ってきたりしたら、王室から人心が離れてしまって、政治が立ちゆかなくなる。

「……もう私たちは夫婦には戻れないのです。どうか私のことはお捨て置きください、陛下」


「私はもう、”陛下”ではない」

 ヴァルディスは寂しそうに微笑んだ。

 全てをなげうってここにきた、という彼の言葉と関係がありそうだが、ロザムンドには理解できない。

「どういう意味なのでしょうか……?」


「ニホンという異世界の政治を真似て、議会というものを作った。今国を動かしているのは私ではなくて、選挙で選ばれた国民の代表たちだ」

「議会……?」

 ロザムンドは驚いた。

「そうだ。私は」

 ヴァルディスは両腕を広げた。

「もう国王ではない。何も持たない、一人の男としてここにきた」


「そんな……」

 ロザムンドは言葉を失った。

 あれだけ熱心に国に尽くしきたヴァルディスが、もう国王ではない……?

 長い王国の歴史を考えれば、たった数年で国の成り立ちをそっくり変えてしまうなんて、簡単ではないはずだ。

 ロザムンドには、とても信じられない話だった。

 いったい、どうやって……?


(まさか)

 ロザムンドは自分の大きな勘違いに気づいた。

(彼があれだけ熱心に聖女と話していたのは、愛しているからではなく、本当に、異世界の制度を学ぶためだったの……?)

 誤解から彼の元を去り、ルシアンから父親を奪うという罪を犯してしまった。

「私……私は」

 彼女は真っ青になって、立ち尽くした。


「ロザムンド」

 ヴァルディスが近づいてくる。

 ロザムンドは混乱しながら、後退った。


 あの日、ロザムンドが逃げずにヴァルディスと向き合って話していれば、こんなことにはならなかったのだろうか。

 すべては、自分の嫉妬に満ちたみにくい心が引き起こしたことだったのだ。

「私は、許されないことをしてしまいました」

 ロザムンドは涙を流した。

「愛するあなたを信じなかった。勝手に逃げ出したりして……」


「いや。私がいけないのだ。異世界の話が興味深くてついのめり込み、君に寂しい想いをさせてしまった」

「いえ、私が悪いのです」

 私が悪い、いえ私がと、二人は何度も繰り返した。


「では」

 ヴァルディスはロザムンドの手を取り、言った。

「お互いに非を認めて、責任を取ろうではないか」

「責任を……?」

 涙に濡れた目を、ロザムンドは彼に向ける。


「私は、あなたに誤解をさせてしまったことの責任を取って、これからは毎日、たくさんの愛の言葉を捧げよう。そしてロザムンドは」

「……私は?」

「無職になった私を、養ってはくれないか?」

「えっ……?」


 ロザムンドは驚いて、ヴァルディスを見つめた。

 ヴァルディスも、悪戯っぽい目でロザムンドを見つめている。

 やがてどちらからともなく、ふふ、ふふふと、笑い声が漏れ始める。

「もちろんですわ、ヴァルディス様」

 ロザムンドは笑顔で答えた。

「あなたはもう、充分にお国のために働きました。これからはご自分のために……そして、息子のために生きてください」


「息子……?」

 ヴァルディスは驚いたように言った。

「ええ」

 ロザムンドは彼の手を握り返すと、家の方を振り返った。

「ルシアン、出ておいで」


 ロザムンドの声に、家の中からそっと二人の様子を窺っていた小さな少年が、姿を現した。

「おお」

 そう言ったきり、ヴァルディスは自分にそっくりのルシアンを見つめている。

「ルシアン、あなたのお父様よ」

 そっと近づいてきたルシアンの前に、ヴァルディスが膝を折った。

 何か言おうとしたのか、口を開いたが、言葉が出てこない。

「お父様……?」

 そう呼んだルシアンは、抱き上げられて、気がつけば両親の間に挟まっていた。


「ありがとう」

 ヴァルディスは二人を抱き締めて、言った。

 ロザムンドも、彼とルシアン二人を抱き返す。

「……ありがとう」

 いつまでも、同じ言葉を何度も繰り返して、涙を流しているヴァルディスを、ルシアンは不思議そうに見ていた。






 それから、無職になった元王様は、愛する元王妃様と子どもと一緒に、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 おしまい。




 そう言って、ルシアンは物語を終えた。

「ずるい、お兄様」

 リーリアは、ルシアンの話を聞き終わると、ふくれっ面で言った。

「私が出てこないじゃない」


「仕方がないよ。リーリアはまだ生まれていなかったから」

 ルシアンは笑いながら答えた。

「いつまでも幸せに暮らしました、のところに私もいるのに!」

「そうだね。ちゃんとお昼寝ができたら、次のお話には出してあげようかな」

「お昼寝なんて、しないもん」


 母親そっくりの目を瞬かせながら、リーリアは顔を背けた。

 口は達者だがまだ四歳のリーリアは、昼寝をしないと疲れて機嫌がいっそう悪くなる。

「よしよし」

 ルシアンはリーリアの赤毛の髪を撫でる。


「聖女様は、どうして悪い人になったの?」

 しばらくして、リーリアが眠そうに尋ねる。

「王様が好きだったからかな」

 ルシアンは、聖女に会った時のことを思い出す。

「好きという気持ちは、時々みにくい心にもなるんだ」

「そうなの……? よくわかんない……」


 しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。

「おやすみ、リーリア」

 ほっとして、ルシアンはそっと妹のそばを離れようとする。


「うわぁ!」

 外の畑の方から大きな声が聞こえた。

 動きを止めて、ルシアンは妹の様子をうかがうが、幸いリーリアは目を覚まさなかった。


「ルシアン!」

 声の主は、ルシアンの父親、ヴァルディスだ。

「助けてくれ! 蜂だ!」


「大きな声を出さないでください。リーリアが目を覚まします」

 ルシアンは外に出ると、声を潜めて文句を言う。

 母のロザムンドは、港にある学校で子どもたちに勉強を教える日なので留守にしていた。


 学校制度や政治制度を作った立て役者が、籠を背負った姿で剪定バサミを構えながら、ルシアンを振り返る。

 昔は長く美しかったという金髪は短くなり、白い肌は日に焼けて健康的に見える。

 日よけの帽子は少し破れていた。

「ルシアン! 蜂が!」

「その蜂は、花弁の蜜を吸いに来ただけなので襲ってきたりはしませんよ」

「さっきから私を追ってくるんだ!」

 整った顔に、恐怖が滲んでいる。


「それは多分、籠に入っている果物のせいでしょうね」

 元王様にそう言いながら、ルシアンは苦笑いを浮かべる。

 リーリアに語り聞かせる物語の最後を、少し修正しなくちゃいけないな、と思いながら──。




 それから、無職になった元王様は、愛する元王妃様と、愛する子ども二人と一緒に、いつまでも幸せに暮らしました。

 元王様も元王妃様も、時々苦手な虫から逃げ回らなくてはなりませんでしたが。

 子どもたちが追い払ってくれたので、そんなことは全然たいしたことじゃありませんでした。

 ……ですよね?


 おしまい。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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