表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

賽の河原

烏賊の馳走

作者: ユーザー

召集令状が届いた、あの日の烏賊を忘れることはなかった。

思い返すと、どうしてあれほど新鮮な烏賊が用意できたのかはよく分からない。ともかく、あの烏賊は戦争が始まって以来唯一の贅沢であった。人間魚雷の乗組員にならなければ、こんな贅沢は有り得なかったであろう。


僅か数日の訓練の後、正式に実戦作戦へと任命された。

戦地へ向かう輸送船にて、一人が甲板から飛び降りた。少し前から気が狂っていたことは明らかであったので、驚く者はいなかった。皆で彼を嗤った。

戦地にて待機中、不快な警報音が船内に響き渡る。その意味を知る者として、躊躇は無かった。


魚雷の中へ入り、潜望鏡から外を眺める。

遠くの方で戦艦が停泊している。手順の通り射角を設定し、予測時間を測定する。潜望鏡をしまうと推進機を起動させた。

発射からしばらくは順調に潜行していたが、海溝の上を通過する際に計器が異常を知らせた。魚雷が制御不能な急降下を始めている。僅か数日の訓練しか行っていないが故に、また乗っているのが魚雷であるが故に、何の抵抗もできないまま海溝へと引きずり込まれていった。

数分経って急降下から解放されたときには、深海に一人ぽつんと浮かんでいた。

推進機を一度止め、潜望鏡から外を眺めたが、何も見えない。浮上するために推進機をかけ直したが、かからない。想定を超える水圧によって故障したのか、急降下に抗っている間に燃料を殆ど使い果たしていたのか。

計器さえも沈黙している。

灯油の臭いが鼻を突く。息が苦しい。空気はもう残されていないらしい。

国の為でも、家族の為でも、自分の為でもない無意義な死。潜望鏡から望む世界にも意義は見当たらない。

ぼうっと潜望鏡から深海を眺めていたとき、一匹の発光海月が見えた。海月は泳ぐように、流されている。まるでこの魚雷のようだ、と思った。

海月を眺めて、私は思い出した。海には潮流がある。

計器をもう一度見ると、この魚雷も僅かに動いているのがわかった。操舵輪に触れる。舵は動かせる。

この潮流は陸地まで流れているのかもしれない。生きて帰れるとは思わない。しかし死ぬまでは生きていたい。

もはや故郷への愛などなかった。家族の顔は浮かばない。自分自身にすら興味はなかった。

私は力の限り舵を動かし、潮流に魚雷を乗せた。


少しずつ浮上しているのか、潜望鏡の視界はさっきよりも僅かに明るく見える。気付けば辺りには奇怪な海月たちが漂っていた。

海月に囲まれながら流されていると、進行方向の先に、一つの影が見えた。影は徐々に大きくなり、その輪郭が定まっていく。

「烏賊だ。」

この魚雷と同じ程の巨大な烏賊が、脚を広げ構えている。潮の流れは烏賊へと向かう。



脚が魚雷に絡みつき、潜望鏡に嘴が触れたとき、信管は音も無く爆ぜた。

私はあの烏賊の馳走を、思い出していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ