第七話 蒼の影 ②
山岸から「16時ごろ サークル棟の201で」と連絡があり、僕はSF件のサークル室に向かった。
「こいつが俺の元同級生の阿形 理人。今は休学して別の仕事してる。んでこっちが平野 翔子さん。相羽さんと高校時代からの知り合いで、話を聞くなら適任かと」
「よろしくお願いします」
「どうもー」
グレーが基調でハリネズミのようなみどりさんとは裏腹に紹介された女性は露出の多い服に派手目の色使いで、髪の毛もライオンのような明るい色をしている。第一印象だけで見ればみどりさんと友人だとはとても思えなかった。
「いきなり本題に入るのもあれだし、まずはサークルの紹介でもしたら?」
「そっすねー。じゃあ阿形さん!こちらを読んでもらえますかー」
賞状を渡すときのように両手で持ち、平野さんが一冊の冊子を渡してくる。僕が合わせて両手で受け取ると、山岸は次の講義があるからとそそくさと立ち去って行った。
受け取った冊子の表紙にはSF研 64期1号と書いてある。
「これはサークルの会誌?」
「そす。ウチら読むだけじゃなくて自分たちでも書いてて、そいでみんなで作ったんす」
言われるがまま会誌をパラパラとめくる。復讐するため時空を移動する話、宇宙からの未知のエネルギーを巡って戦争をする国の話、少年と人工知能のボーイミーツ・ガール……薄い冊子の中にいくつもの重厚な世界が広がっていた。
滑るように眺めていた僕の目を一つの文字が引き止める。ブルー・ローズ。作者は相羽 みどり。
無実の罪でベガの星に幽閉されたウサギの少女が主人公。年に一度だけ認められた外出中に出会った狼の青年に恋をして、彼の住むアルタイルを目指す。
彼女は自身の無実を消滅するため三人の従者と奮闘し、そして―――
「あれ、これ」
「そ。未完なんです、それ」
物語は途中で途切れていた。平野さんは窓の方を向いていて表情は見えないが、そのから少しだけ寂しさを感じた。
「それじゃみどりさんは普段サークルで続きを書いてるってこと?」
「んーーーまぁそーなんすけど、ちょっと滞ってるっていうか、励起エネルギー足りない的な律速段階みたいな?」
平野さんは振り返ってはにかんだ。確かに、蒼さんが勝手に動くかもと考えたら手もつかないだろう。
「えっと、スランプで書けてないって事かな」
「そすそす。何故かわかんないけど最近みどりってばカチオンっていうよりアニオンな感じで。ついにこっちにも顔出さなくなっちゃったし」
「……ちょっと前までは元気だったけど最近は心ここに在らずみたいな意味?」
「おー阿形さん意外とわかる系っすね〜〜、もしかしてコッチ系?ウチのも読める?」
平野さんの書いた小説は、宇宙人の落とした未知の物質を科捜研の主人公がありとあらゆる分析を使ってどの星からもたらされたのかを調べるミステリーで、小説というよりかは論文を読んでいる気分になる。
「うーん、ちょっと難しいかも…」
「お〜!ちょっとならやっぱコッチ系なんすねーー」
以前愛理さんが人の書く文にはその性分が出ると言っていたが、それはあながち間違いじゃなさそうだ。
「それで本題に入りたいんだけど、いいかな」
「うーん、その前にちょっと確認したいんすけど」
スマホを鼻に当てながら、平野さんが覗き込むように僕を見る。
「おにーさん、マスコミとかテレビとかそっち系の人す?」
予想外の言葉に僕は次の言葉を失った。
「え?」
「だーかーらーメディア系の人かってこと」
「あいや、そういうのじゃない、です」
「んーーじゃ良いか。それじゃみどりの知り合い?もしかして元カレとか?」
ピンと張り詰めた空気が綻ぶのを感じ、肩の力が抜ける。外はもう日が沈みかけていて、オレンジ色のスクリーンが彼女の金髪を照らしている。
「いやいやそんなんじゃないよ、ただの知り合いみたいな感じ」
「んー……まいいや。んでみどりの何を聞きたいの?」
「最近みどりさんが落ち込んでるって言ってたけど、だいたいいつ頃からとか心当たりあるかな。少なくともこの『ブルー・ローズ』を書いてた頃は元気があったんだよね?」
「んー、なるほど。そす。でも心当たりはわかんないす。なんか気づいたらエンタルピーしょぼしょぼだったし」
背表紙の発行年月日を見る。発行は約半年前の冬、この頃はまだ元気だったというわけだ。
「他にはー?」
「んじゃさ、あればで良いんだけど、高校の頃の出来事でそういう落ち込みに繋がることってあったかな。たとえばそれがフラッシュバックしちゃったとか」
―――高校のころ。その言葉を聞いた途端、飄々としていた平野さんに表情がすっと影が落ちた。視線を左にそらし、気まずそうに僕と顔を合わせないようにしている。
「んーーー、そこはちょっとプライバシーでお願い出来ないすかね。ちょーっと私の口からは話しづらいもんで」
「ごめん。あんまり触れない方がいい感じかな」
「あんまりどころか絶対触れないでほしいぐらいっす。本人に聞くのもやめてくださいね。まぁ阿形さんは不用意そういうことするような人には見えませんけど」
その声色は僕をほめるというより絶対すんなよと釘をさすような感じだった。太陽がだんだんと西に沈み、逆光して彼女の表情が影に隠れる。
「でも流石にかわいそうなので、ちょっとだけヒントあげちゃいます」
「ヒント?」
「うぃー。あの『ブルーローズ』すけど、構想自体は高校のころからあったんす。ヒントはそれだけ。残りの証明過程は阿形さん次第ってことで」
「ありがとう、もう少し考えてみる」
正直つかみどころは全くないけど、それでも今は貴重な手がかりだ。僕は軽く礼をして会誌を受け取って部室をあとにした。
平野さんは『ブルーローズ』が高校の頃から書き始めたと言っていた。蒼さんが書いた可能性だってあるわけだ。そう思って読み直すと敵に対して慈悲を与えない描写など、少し勧善懲悪の度が過ぎる描写が気になった。
そうやって何度も頭の中で反芻しているうちに、事務所にたどり着いていた。愛理さんはまだ帰ってきてはいないようで、まるで廃墟のような静けさだった。