第五話 碧の棺 ⑤
次の日事務所に愛理さんを迎えに行くと、彼女は頭を抱えて唸っていた。
「何か困ったことになったんですか」
「聞いてくれよ理人く~~ん、みどりくんから昨日の記憶がないって連絡があって、でも私たち朝乗っ取りは起きてないって判断しちゃったじゃんかぁ」
枕に頭を埋め、もうダメだと叫んでいる。そういえば今朝は彼女はみどりさんだと判定して解散したんだった。
「助けてくれよ理人く〜〜〜〜〜ん」
愛理さんが僕の足にすがりついてくる。自信満々に二人の違いがわかると言っていた彼女だったが、そうそうにその自信は打ち砕かれたようだった。昨日のこともあり心臓がぎゅっとつかまれたような痛みが走った。
「昨日みどりさんが何してたか知ってますよ」
「うぇっ!?」
素っ頓狂なをあげ、愛理さんが顔を上げて近づいてくる。
「うそうそうそうそ、理人くんは別人だって気づいてたって事?」
「いえ、最初は気づいてはなかったんですけど、図書館棟で調べものしてる時に見かけて」
「……もうちょっと詳しく聞かせて」
それから昨日のことを部分的に説明した。
学校ではみどりさんのように振る舞っていたこと。そこから出ると体を動かして遊んだり居酒屋に行くなど、普段のみどりさんとは異なる振る舞いが多かったこと。危ない所に行ったり怪しい行動はしてなかったこと。
でも僕が蒼さんと話したことや一緒に遊んだことは説明できなかった。そのことを話そうとすると昨日のもう一人の僕の視線を感じたからだ。首筋がチリチリと痛み、それは僕の誠実さを試すようにこびりついた。
それを聞く愛理さんの姿勢はいたって真剣で、手帳の上ですらすらとペンを走らせている。
「大体わかった、ありがとう。にしてもそんな変化にすら注目できるなんて、理人くんのことちょっと見直したよ」
「いえ、本当にたまたまというか……。みどりさんに声をかけようと思ったら気づかれもしなかったのでちょっと気になったぐらいです。」
「そんなことないさ。小さなことに気づくのは立派な探偵の才能だよ。現に私は全然気づけなかったし……」
愛理さんが自虐的に笑い、僕の首筋がチリチリ痛む。違います、僕は嘘をついています、そう言えるのならどれだけ楽になれるだろうか。言うべきだ、このひずみは後を引く。でも蒼さんとの約束はどうなる。
「あ、みどりくん来るってさ。交代人格がどういう様子だったか詳しく聞きたいって」
それみたことかと言わんばかりに、首のチリチリが痛みを増した。
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相羽 みどりは連絡があってから間もなく事務所に来た。駅から事務所まで走りっぱなしだったのか、到着したときには肩で息をしていた。
前と同じようにゾンビグラスに麦茶を注ぎ机に置く。しかし彼女はお茶に目もくれず僕らの報告を今か今かと待っているようだった。
「それで蒼はどんな様子でしたか?」
「理人くん、話してあげて」
二人の視線が僕に集まる。
「話すっていっても……普段のみどりさんに近かったと思う」
「普段のわたし?」
「うん。猫背やおどおどした感じも、サコッシュをつかむ癖まで似てた。ぱっと見では正直区別つかなかったよ」
――――白々しい。
「……きっと、私の真似をしていたんだと思います。私の知っている蒼は、もっと男勝りで、所作の一つ一つに余裕がある感じといいますか……」
「王子様タイプなんだね」
愛理さんがくすくす笑う。
「はい。当たらずとも遠からず、という感じです。……恥ずかしいですが、私の子供の頃の考える大人像みたいなイメージかと思います」
「なるほど。やけに行く場所が子供っぽいなと思っていたけど、子供のみどりさんの体験がべースと考えたら納得だね」
愛理さん唇にペンの頭を当てがいながら、手帳を見てつぶやくように話す。一瞬僕の方を見てサラサラと何かを書いた。
「それより、他にはどんな様子だったんですか?たとえば図書館で何をしてたかとか、他の人と話したりはしてませんでしたか?」
「えっと、普通に勉強してたんだと思う。周りの目もあってじろじろ見るわけにはいかなかったから、あんまり自信はないかな。ごめんなさい」
「いえいえ、ありがとうございます…」
ふと何か思いついたかのように、愛理さんが顔を上げた。
「みどりくんを拘束するのはどうだろう?毎朝ぐるぐる巻きにして寝てもらって、蒼さんだって分かった瞬間にがばっ!と」
「愛理さん……」
「それは……最終手段にしたいですね、えへへ」
「いい案だと思うんだけどなぁ~」
みどりさんの方を見ると、チリチリと罪悪感が胸を締め付けて吐き気がこみ上げてくる。
「すみません、気分がちょっと良くないのでお手洗いに行ってきます」
「りょーかい、キツそうだったら上がってもいいから、無理しないでね」
作戦を相談する二人をよそに逃げるように僕はトイレに駆け込んだ。鏡越しに自分の顔を見る。大丈夫。愛理さんと会う前の冴えない自分じゃない。
―――嘘つきなのは昔から変わってないけどな。
もう一人の自分がしみったれた顔つきで背中から話しかけてくる。大丈夫、自然界の生存競争にだって共存共栄の関係もあるし、まだ蒼さんを殺さなきゃいけないとは決まったわけではない。
トイレから戻ると2人はもう相談を終え雑談に入っていた。共通の少女向けの雑誌を購読していたようで、その後の展開について熱心に語り合っていた。
「お、理人くん大丈夫かい?みどりくんはそろそろ授業があるらしく今日はもう休んで後日レポートでまとめてくれても大丈夫って話だけど、それでいいかな」
「いえ、少し良くなったので今日はまだ残ります。レポートについては後でまとめてメールで送りますね」
「はい、楽しみにしています」
みどりさんはそう話すと学校があるのでと事務所から出ていく。それを見届けると愛理さんはソファに座り、僕に隣に座るよう手で促した。
「理人くん、ちょっと座りなよ」
「なんですか……ってうわっ」
愛理さんが僕の身体を横に倒す。結果、僕が彼女に膝枕される形になる。スーツ越しに彼女の足の感触が伝わり、緊張で僕は考えがまとまらなくなった。反射的に起き上がろうとするのを愛理さんの手が撫でるように制止する。
「こういうのは愛理さんらしくないですよ」
「そう緊張しないの、今日は理人くんのお陰で助かったからご褒美」
彼女の手が僕の髪の毛を梳かす。布一枚隔てても伝わる彼女の体温が、僕の首の痛みをゆっくりとほどいていく。
「これでも結構恥ずかしいんだよー。だから素直に受け取っときなさいって」
「そのー……本題に入ってほしいのですが」
「もう、せっかくのご褒美だってのに理人くんはせっかちだね」
僕の髪の毛に触れていた手がを滑り、指先で産毛をくすぐる。
「じゃあ本題に入るけどさ」
「はい」
「私に隠し事してるでしょ。主にさっきの報告回りで」
心拍数が再び上昇を始める。僕の緊張は彼女にも伝わったのだろう、彼女はふふんと鼻で笑う。
「降参です。どこで気づいたんですか」
「理人くんが普段のみどりくんと違うって言ってたとこ。私達って普段のみどりくんのことそんな知らないじゃん。つまり誰かからそれを聞いたってことだよね」
「すみません、実は―――」
頬の上を踊っていた人差し指が僕の唇を押さえて口の動きを止める。
「本題はまだ終わってないよ。本題その2は、報告するのタイミングは理人くんの自由でいいよって事」
「一応理由を聞いてもいいですか」
「理人くんはいつも間違えないから」
「……意味がよく分かりません」
「意味も何も言葉の通りだよ。私が迷うとき理人くんは常に正しい選択をする。だから君が隠してることも君のタイミングで話すのが正解だと私は思ってる」
恥ずかしくなり頬をかくと、愛理さんの指が僕の指に絡めて離さない。
「理人くんは後ろめたいみたいな事は感じなくていいし、私は理人くんのことを信じてる。これが本題その3」
「もし僕が隠してることが愛理さんを裏切ることだったらどうするんですか」
「それでも肯定する。裏切ったほうが正解だったって解釈する。だから私にとってそれは裏切りにはならないさ」
彼女の指の興味が僕の耳たぶに移る。耳まで真っ赤なのもバレバレなのだろう。首のチリチリはそれどころじゃないというように既に無くなっていた。
「そろそろ恥ずかしいので、起き上がってもいいですか」
「うん。でもこっち向かないでね」
そう言われると急に今の状況が恥ずかしくなって言葉をつづけられなかった。でも彼女のおかげで僕の覚悟は決まった。