第二話 碧の棺 ②
僕らが依頼に対して前向きだったのに対して意外だったのは、みどりさんの方からハンコを押すのに待ったをかけた事だった。
「じゅうよん、まん……」
みどりさんの顔には明らかな動揺の色が現れている。たしかに大学生からしたら少なくない金額だ。人を動かすというのは中々どうして金がかかると、学生の身では想像もつかなかったのだろう。
「見積もりの詳細も書いてあるから、気になる点があれば言ってほしいな」
「そんなっ……、その、あの」
諦めきれないけど解決もできない、そういった表情だ。つられて僕も胸が痛くなってくる。いたたまれなくなって愛理さんの方に目を向けると愛理さんも同じ考えなようで、仕方なさそうに肩をすくめて頷いた。
「……僕らとしてもみどりさんを助けたくないわけじゃないんだ。ちょっと待っててくれるかな」
見積もりから諸経費を抜いて、僕の分の人件費の計算を0にする。諸経費の欄もマジックで塗りつぶす。これで結構な額が減らせるはずだ。
「こんな感じだったら、どうかな」
何かと理由をつけ半額強まで割引した見積書を渡す。みどりさんは頭を抱えながら「ゔ~~~」とすこし唸ったが、そのまま書類にサインをした。愛理さんがすぐに書類を取り上げて書類棚にしまう。
「これで契約成立!支払いとかはおいおいと言うことで、早速調査の打ち合わせと行こうじゃないか」
「は、はい!よろしくお願いします」
僕の左隣、みどりさんとちょうど相対する席に愛理さんが腰掛けると、慣れた手つきで手帳とペンをくるくると取り出した。
「じゃあまず、改めてみどりくんの依頼を宣言してくれ」
「身体を乗っ取ってる犯人を見つけてそれを消すこと、です」
「犯人の候補は?」
「イマジナリーフレンドだった……蒼だと思います」
「うむ。じゃあまず乗っ取り班のパーソナリティを確認して本当に蒼さんか確認しようか」
愛理さんがすらすらと手帳にメモを進めていく。仕事モードに入ったのだろう、普段のおちゃらけた雰囲気はなく真剣な眼差しでみどりさんを見つめている。
「乗っ取りの単位は1日丸ごと乗っ取られる感じ?たとえば授業中に居眠りして気づいたら次の日、みたいなことはなかったかい?」
「ありません。布団で寝たら明後日、といった感じです」
「ふむー。ちなみに乗っ取りは不定期?周期や次の乗っ取りの目安はある?」
「……わかりません。でも同じ週に2回乗っ取りが起きたことはないので、頻度はそのぐらい…?でしょうか」
すらすらとペンを動かす彼女の手が、すっと止まる。
「これはどっちでも良いんだけど、蒼さんってのはみどりくんの記憶を共有していると考えていいかい?」
それまではすらすらと返事をしていたみどりさんが返答に詰まり、シーリングファンの駆動音がぶおんぶおんと室内を覆いつくす。3分は経っただろうか、みどりさんは言葉を選ぶように口を開いた。
「部分的には持ってると思いますが、全部を共有してるわけではないと思います。当時は普段通り学校生活を送ることもできてたようですが、知り合いと会う約束をすっぽかしたりもするので……」
「そうなると、ここで話した内容についての記憶もある前提で考えてた方がいいかな。」
「えっ」
不意を突かれたようにみどりさんが固まる。
「みどりくん」
空気がピンと鋭く張り詰める。愛理さんはソファーに深々と座り直し、つられてみどりさんも姿勢を正した。
「私はこれを主人格と副人格の生存競争だと思ってるんだ。先日依頼をしにきたのは蒼さんからすると事実上の宣戦布告とも解釈できるんだ、わかるかい」
「……」
無言でみどりさんが頷く。僕は病院に行かなかったことを理由に彼女を怪しいと思ったことを、今更ながら後悔した。報復を考えれば病院にいけないのは当然だ。
「だけど安心してほしい。これからは私たちがあなたの味方だ。依頼の解決のために全力を尽くすと約束する」
「……はい!」
「で、だ」
盛り上がりそうな空気が愛理さんの一言で再びぎゅっと引き締まる。
「みどりくんはまずは毎朝起きたら理人くんに電話をかけてほしい。2コールくらい鳴らしたら、そのまま通話を切って通話履歴を削除。それで記憶を共有しているか確認しようと思う」
「でも記憶の共有があるんだったら、私と同じように電話をかけられるんじゃないでしょうか」
「まぁね。でも仮に記憶の共有がなかったらこれで確定するし、今はひとまず判断するための情報を集めたいんだよね」
愛理さんはパタンと手帳を閉じてチラッと僕を横目で見たあと、みどりさんに顔を向けた。
「記憶を共有してるかアテがつくまでは、みどりくんに内緒で動くこともあると思う。仮に記憶の共有が確定したらもっと内緒で動くことになると思う。依頼を達成するうえでそれだけは我慢してほしいかな」
「わかりました、大丈夫です」
みどりさんも依頼がどういうものなのか改めて理解したのか、ぐっと握りこぶしを作った。
「他に調査について何か質問は?」
「えーっと……もし連絡するのが難しい場合は、前日に連絡すれば良いでしょうか?」
「うん、それで大丈夫。逆に私たちも何か別件が入ったら連絡するし、そこは臨機応変に行こう」
「はい、よろしくお願いします」
そう言うとみどりさんは頭を下げ、僕らと蒼さんの生存競争の火蓋が切られた。