第一話 碧の棺 ①
この作品はフィクションです。
実在の人物や団体、事件などとは一切関係ありません。
また作中で描かれている病気やは創作上のものであり、医学的な正確性や治療効果を保証するものではありません。
実際の症状や治療については、必ず専門の医師にご相談ください。
「仕事がないよー」
我らが探偵がだらけた姿勢で天井に向かって呆けた声を上げる。
「誰のせいだと思ってるんですかー……」
依頼募集の掲示板を見ながら、僕はメールが来ていないか確かめるため受信ボタンを連打した。案の定更新はない。というのも先ほど愚痴っていた愛理さんのせいで今この探偵事務所のネット上での評価は地に落ちているためだ。
「あれは私じゃなくて人の話を聞かないあの客が悪いんですー」
「はいはいそうですねー」
ここ四方探偵事務所は、彼女と僕の二人で切り盛りする個人の探偵事務所だ。
今ソファーにすっぽりおさまっている全身黒スーツの女性が我らが事務所唯一の探偵、四方 愛理。僕、阿形 理人は事務所唯一の助手で主に事務作業や顧客とのやり取りを行っている。
彼女の祖母の明美さんから受け継いだこの事務所は「人の不幸につながること以外何でもやる」をモットーにしていて、クリーンな探偵事務所を売りにしている。浮気調査や知人のあら捜しの尾行など、依頼の内容によっては費用の相談に入る前に断ることすらある。
しかし探偵への依頼なんて基本的に表立って調査できない後ろ暗いものがほとんどで、人の不幸につながらないトラブルはだいたい当事者間で解決できるものだ。
要するにもともと仕事が少ない癖にさらに選り好みをしているわけで、来月の支払いをどうするかで僕の頭は常にいっぱいだった。
さらに悪いことにレビューサイトに依頼を一方的に断られた事を書き込まれ、さらにさらに悪いことに愛理さんがそれに子供じみた反論をして軽く炎上騒ぎになってしまった。祖母の明美さんから受けついでたった1年で、探偵事務所の看板に泥をつけることとなったのだ。
「あーつーいー」
「誰かさんのせいで来月の支払いもままならないですからねー」
「あ゛あ゛あ゛~~聞こえな~~い」
愛理さんはソファーから移動し壁にかけられた扇風機の前を独占している。
彼女のクリーム色のショートボブは汗と風で乱れ、せっかく整えただろうスーツも型が崩れてしまっていた。
彼女のスーツもそろそろクリーニングに頼らず僕で直さないといけないかもしれない。ダメ元で更新したメールボックスは相変わらず匿名の誹謗中傷の言葉に染まっていて、ため息をつくとカーテン越しに西日が差し込んでいた。
そろそろ帰ろうかと帰り支度を始めたとき、ガチャっとドアの手すりが回る音が鳴った。思わず玄関の方をみるとドアの隙間から声が聞こえてくる。
「こんにちはー……」
ドアの隙間から覗き込むように女性が顔を出し、我に帰った僕らは慌てて接客の準備を始めた。
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「あの、えっと、ここ、探偵事務所で、あってますよね……?」
依頼人の女性は不安そうに話す。明美さんの趣味の調度品が雑多に置かれている事務所はオカルティックな雰囲気を醸し出しており、確かに初見の人には気色悪さを感じるだろう。
なんとか安心させようと僕は頬の筋肉に力を精いっぱい込めた。
「はい。四方探偵事務所であっております。それで本日はどういった内容のご相談でしょうか?」
「あ、その……っと」
相談に来た女性が言葉に詰まる。
訪問者の印象は一言でいえば小動物だった。
ぼさっとした髪の毛に服の色も全体的にグレーを基調としていて、全身を丸める姿はまるでハリネズミのようだ。身長は160cmぐらいはあるようになのに小柄の愛理さんよりもずっと小さく見える。
「まぁ落ち着いて、こちらはサービスですので」
麦茶を差し出す。机にグラスを置くと、氷が崩れてカランと音が鳴った。
不安そうな目をしていたので自分も麦茶を口に入れる。彼女もそっとグラスに手を付ける。
どうやらこういう場所には慣れてないらしい。こくこくとお茶が喉を通る音が鳴ると少し落ち着いたのか、彼女は不安そうな顔で口を開いた。
「えっと、すごく変な相談なのですが……」
「かまいませんよ」
一瞬の間の後、彼女は息を大きく吸い込んだ。
「イマジナリーフレンドを、殺したいんです」
「は、はい?」
彼女の言葉を飲み込むのに、少し時間が必要だった。
「イマジナリーフレンドってのは、そのー……お客様の、であってます?」
「あっえっと、私のことはみどりと呼んでいただいて大丈夫です。それに、敬語も大丈夫です。歳上そうですし…」
まだ一応大学生なんだけど、そんなに老けて見えるかなぁ。
「じゃあお客様がそういうなら。もう一回確認だけど、みどりさんのイマジナリーフレンドを消してほしい、って意味だよね?」
「……はい。その、少し前からそれに身体を乗っ取られてるんです」
「ちょっとその話、詳しく聞かせてもらっていいかな」
愛理さんが僕の隣にぽさっと腰かけると、どうぞどうぞと豆菓子をみどりさんに差し出す。みどりさんも少しずつ場に慣れてきたのか、軽く礼をして一つ手に取った。
「乗っ取ってるっていうのは、みどりさんの身体を操っているって意味であってるかい?」
普段より幾分か張ったをあげながら愛理さんが身を乗り出す。ポーカーフェイスを装ってはいるが、その目は好奇の光を隠しきれていないようだった。
「多分そう、です。目が覚めたら二日経ってたことがあって疲れてて一日寝過ごしちゃったのかなぁって思ってたんですが、前日の授業のレジュメが取ってあったんです。それから不定期に何回かそういうことがあってちょっとこれは普通じゃないかも、と」
みどりさんは目を伏せながら、両手で抱えたグラスをぎゅっと握った。ゾンビグラスのなかで氷がくるくると麦茶に溶けていく。緊張で喉が渇いていたのか、もう半分も残っていない。
「ふむ…。ところでイマジナリーフレンドを消したいってことは、乗っ取りとその友人に関係があるってことだよね?」
そこは僕も気になっていたところだ。誰かに乗っ取られているからイマジナリーフレンドを消してくれ、というのは少し論理に飛躍がある。ということはみどりさんの中で乗っ取りの犯人に既に心当たりがあるのだろう。
僕がそう思慮を巡らせていると、みどりさんはお茶をくっと飲み干して口を開いた。
「ちょっと恥ずかしい話なのですが、イマジナリーフレンドの名前は『蒼』っていう名前で……といっても最初は部屋にあった人形を見立ててただけでした。高校生になってからは部屋から出て頭の中で会話をするようになって……大学生の途中で突然いなくなったんです。それと連動するように、何者かによる乗っ取りが始まったんです」
「蒼さんが消えたタイミングで乗っ取られるようになったから、犯人が蒼さんだと考えたわけだね」
少し荒い気もするが、確かに話の筋は通っている。
「はい。朝起きると何故か頭が痛かったり、財布からお金も結構減っていて、何に使っているかもわからなくて…」
そういうとみどりさんは下を向く。今にも泣き出しそうな様子で、僕は理由もないのに申し訳なく感じてしまった。いっぽう愛理さんの方はそんなことなど全く気にしていない様子で、目を輝かせながら手帳にメモを取っている。
「その、頭痛というのは―――」
と愛理さんが言いかけた瞬間、ぼぉーん、ぼぉーん、と時計が鳴った。時刻は8時を示している。太陽もすっかり息をひそめ、代わりに街頭の光が窓から差し込んでいた。
「大体事情は分かったかな。費用の見積もりや書類の準備をする必要だし、ひとまず今日は連絡先の交換だけにしておきたいんだけど、急ぎだったりするかな」
彼女はふるふると小さく首を振ると、会員登録の用紙ににさらさらと連絡先を書く。美しいというより丁寧な文字には彼女の性格が現れているようだった。
本人確認の身分証も受け取る。相羽 みどり 21歳、大学2年か3年あたりだろうか。簡単に情報の登録を済ませた後、みどりさんと次の予定を確認、3日後の土曜日に詳しく話を聞く約束をして解散した。それまでに僕らは依頼を受けるかを決めなければならない。
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片付けも終わりソファーにもたれかかるように深く腰かける。久しぶりの来客で思ったより神経を使ったようで、立つのも面倒だ。一息ついて天井のシーリングファンをぼーっと見ていると、愛理さんがのぞき込んでくる。その目は喜びと期待で輝いている。
「理人くん!依頼受けよう!!」
そう言うだろうな、とはなんとなく思っていた。
「あんまり受けたくないと思ってる派です」
「なんで〜〜〜〜受けようよ〜」
「だって怪しくないところがないじゃないですか。そもそも探偵じゃなく医者に相談するべきだし、解決方法も彼女の感じに対して攻撃的すぎるというか…」
「まぁねー。医者に行けないのは、ちょっと分かるけどねぇ」
「えっ」
僕が訳を聞く前に愛理さんが隣に座る。ぽすっとソファーの空気が抜ける音がし、ふわっと甘い香りが鼻孔をくすぐる。白梅の香だっけ。愛理さんが好きだと昔話していたような気がする。
「でもさ、これで来月の支払いも大丈夫になるんじゃない?」
それに関しては実際彼女の言うとおりだ。今月分の支払いを考えると、僕個人の貯金を崩すか日雇いのバイトを何件かハシゴして食いつなぐしかない。でもそんなこと言い出したら愛理さんはどんな顔をするだろうか。
「ねぇ、理人くん、頼むよ」
右半身に体重がかかり香りがさらに近くなる。彼女のささやくような声で思わず心拍数が上がる。この人は僕の弱点を良く知っているようだ。
「じゃあ何か問題が起きそうならその場で打ち切る……これが前提なら」
「やった」
愛理さんに言いくるめられたような気がするけど、話を聞いてしまった以上みどりさんを放ってもおけないのも事実だ。それに本音を言えば僕だってこういう類の依頼は受けたい。結局ちゃんとした決心もつかないまま、僕の意識は牡丹の花の香りの中に溶けていった。