十六話 最後に残ったのは? ①
―――振り返ってみると、僕はあの時子犬と一緒に死んだんだと思う。確かに身体は動いていたんだけど、生きることへの執着を失くしてしまったんだ。
だから理人くんと出会えて良かった。もっと生きたいと思えた。恋ってのがあんなにフワフワした心地いいものなんだと、最期に知れてよかった。
でもわかってる。
これは相羽 碧の人生だ。
蒼もムラサキも役目を終えたんだ。
これからのあの子の物語に、私たちが割り込んじゃいけないんだ。
「昨日、蒼から色々聞きました。ムラサキって子がいるかを確認するんですよね?」
「うむ!それだけじゃなくて、蒼さんとも今後どうするかを話し合ってもらいたいんだ、オッケー?」
「分かってます」
「心の準備はできてると」
「……はい」
「じゃあここに座ってくれたまえ!」
碧さんをソファーの真ん中に座らせ、愛理さんは事務所の奥に引っ込んでいく。裏からごそごそと何かを引きずる音が聞こえるが、何をしているのかは検討もつかない。当日のお楽しみだと言っていたが、正直言うとちゃんと話してほしい。
すると愛理さんがずずず……と穴の開いた巨大なベニヤ板を2つ引っ張ってきて、碧さんの両側にセットした。謎の威圧感に居心地が悪そうに碧さんも2つの板を交互に見ている。
「これ……なんですか?」
「碧くんが蒼さんとムラサキちゃんと話せるようになる装置!ちなみに私が夜なべして作った特製品だよー」
「は、はぁ……」
「ほらほら、穴に腕を通す」
碧さんの腕を抱えてそれぞれに空いた穴に腕を通していく。愛理さんは一体何をしているのだろうか。碧さんはなすがまま両腕をベニヤ板に通した。
「左手はこれ持って、右手はここにペンがあって、書いたら時間経過で勝手に消える。それぞれ書いた内容が正面の画面に出力されるって感じで、OK?」
「お、おっけーです」
何を言っているかわからない。
「ちょっと、説明してください」
「わかったわかった。説明するからちょっと待って」
碧さんが両手を動かすと、それぞれ左と右の画面に文字が出力される。
「えっとね、右手にはペンが、左手にはガラケーがセットしてあるの。それぞれちゃんと見なくても入力できるようになっている。左手が碧くん用で、右手がムラサキ用」
「は、はぁ……」
「準備もできたようだし手順の説明と行こうか!」
僕も碧さんも困惑しながら愛理さんに注目する。
「これからやることは『思考のマルチスレッド化』さ。碧くんの意識を並行処理できるようにして、碧・蒼・ムラサキがそれぞれ同時に思考と発話をできるようにする。これはそのための装置さ」
「はい……」
「思考をそれぞれ左手・中心・右手に分けて、それぞれにコミュニケーション可能な手段を用意する」
「それ、ほんとに機能するんですか?」
「おばあちゃんの話だと一・二回はちゃんと使えるらしい。身体が慣れてくるから繰り返すと効果が薄れてくんだって」
説明を聞いてもあまりピンとこない。とりあえず3人が同時に会話できるようにするための装置……のようだけど。
「御託はさて置き早速始めようと思うんだけど、碧くんはいいかな」
「ええ、まぁ」
「じゃあまずこれを飲んでくれたまえ」
冷蔵庫からストローつきのカクテルグラスをとりだして、碧さんにそのストローをくわえさせる。そのまま少し中の液体を吸った後、すぐに碧さんは口を外した。
「お、お酒ですか!?これ」
「うむ。このまえ飲んだドライマティーニだよ。まぁ飲みたまえ」
「うぅ……」
彼女もずびずびと音を立てて酒を飲んでいく。全部を飲み干すのを確認した後、愛理さんは満足そうに話始めた。
「うむうむ。では目を閉じて、意識を左手に集中させるんだ。頭の中を空っぽにして、左手が感じる触覚に意識を集中させるんだ」
「は、はぁ……」
碧さんは左手でガラケーをいじり、ぽちぽちと画面に文字を出力させていく。ちゃんと作動はしているようだ。
「でもどうしてお酒を飲ませるんですか?」
「意識のゆらぎを作るためだってさ。アルコールで思考の硬さが崩れてほどけやすくなる……?らしいよ」
本当に大丈夫なのだろうか……。しかし数刻の後碧さんの首が少し揺れて、すかさず愛理さんが大声を上げた。
「目を開けて!」
無言で碧さんが目を開ける。愛理さんは彼女の前に紫色の鏡を掲げる。
「なんですかそれ?」
「触媒みたいなもん。理人くんは静かに」
彼女はトロンとした目のまま紫色の鏡を見つめると、次第に意識がハッキリしてきたのか瞬きを何度かする。
「理人くん、押さえる!!」
「は、はい!?」
とりあえず碧さんの両肩をつかむと、その体が勢いよく暴れ出す。必死に押さえこむと、愛理さんが両手を前に出してどーどー、とまるで動物を落ち着かせるようなポーズをとっている。
「……?」
「目覚めたかい、ムラサキ」
「ア……?」
碧さんは身体を起こして周囲をキョロキョロしている。まるで周囲を警戒する動物のようだ。しかし彼女の左手は動いておらず、ぺちぺちとガラケーを操作する音が聞こえたかと思うと画面に一文が表示される。
『紫音なの?』
「み、ど、り……?」
『うん やっぱり紫音なんだ』
「ミドリッ!!」
碧さんの身体がガタガタと大きく揺れ、僕はあわてて彼女の身体が動かないよう必死に押さえた。ガァガァと叫びながら彼女は必死に暴れようとする。しかし僕の方が力が強いとわかると、唸りながらも大人しくなった。
「紫音と呼ばれた君、まずは大人しくしてくれないかな。私は碧くんの友人で仲間さ、敵じゃない」
『うん この人たちは大丈夫 信じていいよ』
「……」
紫音と呼ばれたそれは、何も話さない。ムラサキは実在したんだ。
「慣れない状況だと思うし、ひとまずYesなら首を縦に、Noなら首を横に振ってくれないかな」
警戒しつつも紫音は小さく首を縦に振る。
「よし、では一つずつ確認していこうか。まず君の正体は碧くんが飼っていた犬という認識で間違いないかな?」
グゥ……と一度唸り声をあげたが、碧さんの『大丈夫』という文字を見て、一度首を縦に振った。
「うむ。では本題といこうか。いったいなぜ君はイジメへの復讐をする?」
「あの子ガ、安心できるようニ」
「あの子とは誰だい?碧くんのことか?」
紫音がうなずく。発音が変なのはあまりしゃべり慣れてないからだろうか?
「では碧くん。君は復讐についてどうしてほしい?続けるべきかやめるべきか、君の意見を聞きたい」
『私は 蒼がやめてって言わないかぎり 続けてほしい』
予想外の答えに僕は彼女の文を何度も読み返した。打ち間違いはない。まさか碧さんが容認派だなんて。
「残念、蒼さんの意志はやめてほしい、だ」
紫音と碧さん、2人の動きが止まる。先に口火を切ったのは紫音の方だった。
「信用でき、なイ」
「じゃあ蒼さんにも出てきてもらおうか」
碧さんが冷蔵庫からグラスをもう一つ取り出して、紫音の前に置く。
「ではこれを飲んで右手に意識を集中してくれないかな。空いた身体の部分、ちょうどいま君がいるところに蒼の意識が入るというわけさ」
紫音は何も言わず顎を突き出して、早く飲ませろというようなポーズをとる。愛理さんが恐る恐る口に含ませるとアルコールの強さに最初は驚いていたが、蒼さんのためだと愛理さんが言うと何とか飲み切った。
碧さんの時のように少しフラフラと揺れた後、彼女が動かなくなる。右手がガクガクと動いたと思うと、彼女が再び目を覚ました。
「何この状況!?」
うん。正直僕もそう思う。肩を押さえる僕の手に気づくと蒼さんは首だけ動かして僕に問いかけた。
「ちょっと理人くん、今どうなってるの。手動かないんだけど」
すかさず愛理さんが横から入る。
「あっとえっと、とりあえずあんまり手を動かそうとしないで、身体の中心に意識を向けて」
「は、はい……」
なんだかんだ愛理さんの言うことには素直に従うところは全部碧さんなんだなと思い、僕はつい笑ってしまった。
「簡潔に状況説明をすると、今左手をコントロールしてるのが碧くん・右手を動かしてるのがムラサキであり紫音。それぞれ書く内容が前に表示されるから蒼さんは口でコミュニケーションしてくれたまえ」
「してくれたまえって言ったって……」
蒼さんがつぶやくと、左の画面に『みどりだよー』と文字が表示されて、右の画面には『ひさしぶり』とつたない文字で書かれたのが表示された。
「ほんとに2人がいるの……?」
『うん 直接話すのは久しぶりだね』
『い る』
碧さんの方は慣れてきたのか長文も難なく入力できるようになっていた。紫音もたどたどしくはあるが問題なくかけているようだった。3人の共存に愛理さんは満足げに微笑み、3人をまっすぐ見て話し続けた。
「いま私たちは、ムラサ……紫音の行っていた脅迫の是非を話し合っているところさ。碧くんは蒼さんがNGでない限り許容って感じ。でも蒼さん的には脅迫はやめてほしいんだよね?」
蒼さんは唾を一度飲み込む。アルコールが回りすぎてないか気になったが、大丈夫と一言告げ右側の画面を見た。
「まず、紫音が生きててくれて私は嬉しい。もちろん私が作り出したただの幻覚なのかもしれないけど、それでも生きることを諦めないでくれて、私は嬉しい」
『わたし も』
「それに私達の身代わりになってくれてありがとう。愛理さんから聞いたよ、高校のころからイジメの肩代わりをしてくれたんだってね」
『がんばった』
「でも復讐はだめ。私だってイジメてた人に謝罪してもらえたら嬉しい。過去のことであいつらが苦しんでるって考えたらスカッとする」
『なら』
「でもこれは私達の人生じゃないんだ、紫音。行き過ぎた行動の反動は私達じゃなくて碧に行く。わかるかな」
紫音の右手が止まる。碧さんの左手が紫音の代わりに返事をする。
『ごめん そこまで考えてなかった』
「でしょ。だから―――」
『まって』
蒼さんの発言を紫音が制止する。
『あなたは 生きて いい』
紫音が言う。その言葉の意味をかみ砕く前に、紫音はさらに右手を動かした。
『あなたの ために がんばった あなたは 幸せに なって』
「いや、私は十分生きたよ」
彼女の言葉で僕は核心を得た。今ここで止めないと取り返しのつかないことになる。
「蒼さん」
「なんだい?」
「やっぱり、あなたが元の人格だったんですね」




