リスティアの森
「おい、起きろサナ、あれだ。」
私の背中にしがみつき、馬上で眠るサナに声をかける。コーンさんは4日で着くと言っていたが、結局7日以上の時間をかけて、ヴァーニィ・デイさんの作ったダンジョンにたどり着いた。
「やっと着いたのね…。なにあの大きな木は。」
私たちの眼前には広大な森林が広がり、そしてその中心には森林を突き抜ける巨大な大樹が聳えていた。
「あれが、ダンジョンだよ。サナも知っているだろう?世界の名建築ダンジョン100選にも選ばれた大樹のダンジョンだ。あの樹の中にダンジョンがあるんだ。」
「ああ、確かになんか見たことあるかも。でも、虫が多そうでいやね。」
本当に文句しか言わない女だ。可愛くなかったら引っ叩いているだろう。
「とにかく、近づいてみよう。」
そう言って私は馬を降りた。
「え、なんで降りるの?」
「この森は魔物が多いから、襲われたら馬が死んでしまうかもしれない。馬はここにおいていくよ。」
「…それもそうね。ありがとね、ポニオ」
私の馬の首を叩いてぼそりと呟く。勝手に人の馬に名前をつけないで欲しい。馬からサナを下ろして森に向かって歩き出す。
「ていうか、そんな危険な森、私も行きたくないわよ。」
「サナの魔力があれば大丈夫でしょ。信頼してるよ。」
森の中は木々の間に蔦という蔦が絡み合い、地面は苔まみれなうえに、色とりどりの葉が積み重なって歩きにくいなどというものではない。下をみれば私の胴体よりも太いような虫が這いずりまわり、上を見上げれば極彩色の巨大な怪鳥がけたゝましく鳴く。
「えーんえーん、もう帰りたいよう。」
隣ではいよいよサナが泣き出していた。しかし、ここまで私たちが無事でこれたのは襲われそうになるたび彼女が魔力で壁を作り2人を守ってくれたからである。やはり魔術の才能だけはピカイチなのだ。
不意に、サナの泣き声の奥に、地響きのような音を感じた。
「サナ、少し泣き止んで。」
「ふぇっ?」
間抜けな声を出してサナは私の方を見る。
「何か聞こえる。巨大な生き物がいるぞ。」
音の先に目をこらす。木々の間に白い脂肪の塊のような生き物が見えた。
「森鯨だ。」
森鯨は20メートルほどあるその巨体と緩慢な動きからそう呼ばれるが、見た目がクジラに似ているわけではない。白くブヨブヨとした巨体から8本の短い足がはえていて、森の中を餌を求めて歩き回る。
「なにあれ、気持ち悪い。」
サナが私にしがみつく。
「あいつの外皮は魔術も斬撃も弾くらしい。でも好戦的なわけではないはずだから、ゆっくりとここから離れよう。」
「…サナはなんでも知ってるわね。」
「詳しい情報は知らないよ。ダンジョンに関するような知識は多いかもしれないけど、まあガリ勉だったからね。」
「私はなにも知らなすぎるかもしれないわ。」
「それはまあ、そうだけど。」
今急に気にし始めることではない。まずはあの森鯨から離れなければならないのだ。
「でもサナの魔力はすごいじゃないか、今日も何回も助けられた。勉強なんてこれからしていけばいいんだから。さあ行こう。」
サナの手を引く際、チラリと森鯨の方を見るとその巨大な濁った目を視線が合った、気がする。振り返って、サナの手を引き歩き出す。
「早く離れよう。」
「好戦的じゃないんでしょ?動きも遅そうだし慌てなくて大丈夫よ。」
「いや、相手は魔物だ。遅そうに見えても私たちよりは速く走れるかもしれない。」
またちらっと振り返り、森鯨の場所を確認する。再び目が合った。今度は確実に。突如その巨体は私たちに向けてノッシノッシと加速を始めた。
「サナ、走るよ!」
サナも後ろを見て言われるまでもなく走り出していた。
「壁、作れない!?」
「走りながらじゃ…!」
サナが手を向けた地面は隆起し、森鯨の前に壁を作ったが、森鯨の巨体がぶつかると瞬時にその壁はぶち破られた。
「好戦的じゃないんでしょ〜!」
おかしい、そういう情報を確かに見たんだけど、なんであんなに私たちを追ってくるんだ。
「どこかのタイミングで木に登ろう! 大きくて丈夫そうな木があったら、私が浮遊魔法を使う!」
「リリー、前!」
完全に青ざめた顔のサナが叫ぶ。私たちの行く手にはこれまた巨大な虎のような魔物が立っていた。
よく見るとその上には背の高い女が乗っている。
「乗ってく?」
魔物の上の彼女は笑顔でそう言った。
虎のような魔獣は背中が広く、安定感があって案外乗りやすかった。彼はグングンと森鯨を突き放し、そしてそのままあの巨大樹のダンジョンまで私たちを運んだ。
「あの、ありがとうございました。助けていただいて。」
魔物に乗っていた女性は、灰色で三角の耳が頭に生えていた。恐らくは狼の獣人だ。癖のある黒髪のショートカットで、私よりも一回り背が大きい。
「森鯨は今産卵期でね、魔力の高い生き物を見るとああやって全力で走って襲ってくるんだ。ちょうど私が森にいてよかった!」
「あなたが、ヴァーニィ・デイさんですか?女性だったんですね。」
「うん? 違うよ。ヴァーニィ・デイさんは私の師匠。私はただのダンジョン製作士見習い。」
「え?そうなんですか?」
背が高く大人びた雰囲気から早とちりをしてしまった。
「サナ、サナ、こいつ私たちの同級生よ。」
「え!?」
「なんであなたたち覚えてないのよ。まあこいつは、授業サボってばっかだったから覚えてなくてもしょうがないけど。学校でも浮いてたし。」
「あ、ビーディリクか。君は覚えてる。…君も学校で浮いてなかったっけ?」
「うるさい!」
「そのくだり私と会った時もうやっただろサナ。」
虎のような魔獣、よく見ると凄い牙をしている、その魔獣から下りると、彼はすぐどこかに行ってしまった。
「え、どっか行っちゃったけどいいの?」
「ああ、あの子は森で仲良くなっただけなんだ。別に飼っているわけじゃない。オリヴィア・ビットロック。よろしくね。」
「リリー・マルルイア、よろしく。」
冷静に考えたら同級生なのだが、初対面のように握手をした。
ついてきて、とダンジョンである大樹の麓まで走る。何十メートル、いや何百メートルあるだろうか。大樹の幹は植物というより山のようである。周りを一周するだけで1日かかりそうだ。見上げると空は、一筋の光も漏れないように大樹の葉に覆われている。この樹の中に一つの宇宙が出来上がっているように感じられる。
「ダンジョンはこの樹の上だから、ついてきて。」
そう言うと彼女は大樹に絡みつく蔦をつかんで樹の幹を登り始めた。
「ま、待ってよ。それ、どこまで登るの?」
「あそこの出っ張り見える?あそこ。」
そこまでで数十メートルあるだろう。
「こっちにはこんな小さい子もいるんだよ。」
「誰が小さい子よ!」
最近サナが意外とツッコミ気質だということに気づいてしまった。
「そうそう、ここを登るやつはピルルクに狙われるから気をつけてね。」
「まずピルルクってなによ。」
「ブルノイアに似たでかい鳥だよ。」
「ブルノイアってなによ。あなた喧嘩売ってる?」
「すぐ喧嘩腰になるなサナ。私の浮遊魔法で上まで行こう。」
イラつくサナをなだめる。
「あの距離浮遊魔法で行けるのかい?」
「うん、これだけ得意なんだ。」
浮遊魔法は繊細なコントロールが求められるため、特に自分自身を浮かすのは難しいとされているが、私は魔法の中でこれだけ得意だった。なんとか外壁をよじ登らずにダンジョンの入り口まで到達する。そこには1人の男、いやトカゲ頭のリザードマンがいた。硬い鱗に全身が覆われ、黄色い目がギラギラと光っている。
「師匠、研修の子たち来たよ!」
オリヴィアがそのリザードマンに声をかける。師匠ってことはこの人がヴァーニィ・デイさんか。
「俺はてめえの師匠じゃねえって何回言わすんだ。ああ、お前らよくきたな。そろそろくる頃だと思っていたよ。」
私たちの方を見て彼はそう言った。