赤い0
朝起きたら、人の頭の上に数字が見えるようになっていた。
「おはようシュナ。パンを運んでくれる?」
母さんが台所から顔を覗かせて、焼きたてのパンが入ったバスケットを手渡してくる。
母さんの頭の上には『赤い0』が浮かんでいる。
「母さん?」
「なに?」
「それ何?」
「何って?朝から変な子ね」
何度目を擦っても、やはり母さんの頭の上の数字は浮かんでいた。首を捻りながら、焼きたてのパンを食卓に持っていくと、今度は父さんと隣に座る妹のネネにもやはり『赤い0』が浮かんでいる。
「なにこれ」
わたしの目はどうかしてしまったのだろうか。
慌てて洗面所に向かい、まじまじと鏡を覗いてみが、そこに映るのはいつもと変わらない13歳のわたし。
肩まで伸びた琥珀色の髪と、同じ琥珀色の目。
美人ではないけれど不美人でもない平凡な顔立ち。
13歳にしては少し身長が低いがそれも愛嬌のうち。
至って変わらぬいつもの自分。
「頭の上に数字なんかひとつも見えやしない」
解けない謎に首を傾げながら食卓に戻ると、3人は既に席に揃っていてシュナの戻りを待っていた。ネネが「早く食べようよ」と急かすので慌てて席につく。
「ねぇ、わたしの頭の上に何か見える?」
「なにが?」
「数字とか」
「なんにも見えないよ。変なおねぇちゃん」
「熱でもあるのかしら?」
額に当たる母さんの手は冷たくて気持ちよかったけれど、熱なんか少しもなかった。とにかくこの不思議な数字はシュナにしか見えていないらしいことだけはわかった。
「母さん達は今日納品しにアドマリンに行かないといけないの。夕方までには帰るけど、帰ってきたら洗濯物を取り込んでおいてくれる?」
「わかった」
両親はこのキリコの町で薬師をして、たまにこうやって大きな街まで薬を納品しに行く。ネネまだ小さいのでいつも両親と一緒に納品に行くことが出来るので、少しだけズルいと思っていることは秘密だ。
「お土産を買ってくるよ。シュナの好きな鈴蘭亭で新しいピアスでも買ってこようか?」
「父さん大好き!ムーンストーンのピアスが欲しいな!」
「わかったわかった。その代わり留守番と洗濯物を頼んだよ」
この国では幼い頃からお守りとしてピアスをつける風習がある。シュナのそっけない返事に隠していた嫉妬が垣間見えてしまったのか、父は気を利かせて土産を買ってきてくれる約束をしてくれた。
突然数字が見え始めたことは謎のままだったけれど、夢中でお土産の話をしていたら学校に遅れそうなってしまった。
シュナは数字のことなど忘れて慌てて家を出た。
予鈴ギリギリに学校に着くと、ヴィヴィアンが机に突っ伏して眠たげに目を擦っている。きっとまた夜更かしして図書館で借りた本を読んでいたに違いない。
「おはようヴィヴィアンまた夜更かし?」
「おはようシュナ。ようやく借りられた薔薇の園シリーズの最新刊よ!寝ている間だって読んでいたいわ」
「その熱意があれば、そのうち寝ていても読めるようになると思うよ」
彼女の頭の上の数字は『18235』
彼女だけではなく、クラスメイト全員の頭の上に数字が見える。大体は5桁でたまに4桁がチラホラ。
何を意味するのかさっぱりわからない。
推理小説をもっと読んでおくべきだったかも、とシュナは首を傾げた。
午前最後の4時限目は『洗礼式』についての説明だった。
このキルフェ国では1月1日になると、13歳になった子どもたちは『洗礼式』を受けることが義務付けられている。
魔道具師が加工した水晶に手をかざすだけで神様から与えられたギフトがわかるなんともお手軽な儀式だ。
「来月はとうとう洗礼式を迎えるが、ギフトは将来に影響するので家族とよく相談するように」
「先生ー!うち鍛冶屋なんだけど、料理のギフトが出たらどうすればいいんですかー!」
「ギフトが全てではないが、適職なのは料理人だな。かと言って鍛冶屋になれないわけではないから、その辺を親御さんとよく相談するように」
基本的に庶民に与えられるギフトは基本的に調理や洋裁、鍛冶、狩猟だったりと生活一般に関わるものが多い。
「俺、騎士がいい!カッコいいじゃん!」
「騎士はレアギフトだから、そうそういないが…もしそうだったら国立学校へ進学だな」
お調子者の男子生徒は「騎士出ますようにー!」と祈る真似をして皆を笑わせる。
ごく稀に庶民の中で騎士や魔法師のギフトをもつ子どもが現れるが、シュナの住む町では5年前に騎士のギフトをもった少年が現れたきりだ。
その時は町中をあげてのお祭り騒ぎになった程、生活一般以外のギフト持ちは珍しかった。
騎士、魔法師、魔導具師の3つが主なレアなギフトで、それらのギフト持ちは国が全て面倒を見てくれる。国立学校に行って専門分野を学び、将来国の役立つよう3年間研鑽したのち、それぞれ部署に配属される。
「どんなギフトだとしても無駄なギフトはないのだから、洗礼式を楽しみに待っていなさい」
ーーーそんな時だった。
教頭が緊張した面持ちで、慌てて教室にやって来た。
「シュナ・デューラー!迎えが来るから今すぐ帰る支度をして!詳しいことは後で教頭室で話すから!」
「は、はい!?」
訳がわからないまま急いで帰り支度をし、教頭室へと連れて行かれる。心なしか教頭先生の顔色が青ざめてみえるが気のせいだろうか。なんだか嫌な胸騒ぎがしてならない。
「シュナ、落ち着いて聞いてくれ」
「はい」
「さっき第一騎士団からの伝令鳥が学校に来たんだ。アドマリンにワイバーンが現れたらしい」
アドマリン?
ワイバーン?
ついさっきまで呑気に授業を受けていたシュナとって、あまりにも現実離れした話だった。
アドマリンは今朝、両親が行くと言っていた町名だ。ワイバーンは山脈向こうに生息する危険第1級指定魔獣であるが、結界が張られているいるのでまず人のいる場所には出てこない。
「それを聞きつけた第一騎士団が街道に駆けつけた時には…馬車が全壊していたそうだ。そして、そして…辛うじて読めた馬車のナンバーから特定されたのがシュナの家の馬車だったらしい。3人はアドマリンに行っていたかい?」
「…はい。今朝アドマリンに行くって…」
教頭先生は言いにくげに、言葉を選びながら告げる。
「馬車の瓦礫の下からご遺体が発見されたそうだ」