ドリームダイ部の現実(1)
「ふじこちゃああああああああんんッ!!」
意味不明な雄叫びをあげ、不思議な夢の世界を旅していた青年・源暁は目を覚ました。肩を回し固まりきった身体をほぐす。
彼のいる正方形の部屋には二つのベッドが並べられていて足側の部分は隙間なく壁面に押し付けられていた。その一つを暁が使用している。
ベッドの頭側には少しばかりの空間が生まれるので埋めるように机が配置されていた。
ぱっと見ただけではそれが机であるとは分からない。
仰々しい機械で机が埋め尽くされているからだ。モニターが左右上下に四つ、ハードディスクにあたる装置は五つもある。まるでコードのジャングル地帯の机周辺はロボットなどを開発する研究室を想起させる。
「おはよう暁。お目覚めに奇声を発する癖は相変わらずだね」
部屋の中央から自身の名前を呼びかけられた。
応接間のように設置されているローテーブルとソファにいるのは部活の先輩である鴨川天馬だ。
ストレートな短髪に中性的な顔つき。身長は年下の暁よりも少し高く高校二年生にしてはやや幼い外見だ。一方で紺色の縁をしたメガネをかけているためか知的度がアップし何とか年齢に見合った印象を受ける。
天馬の姿を目にして、ここは部室だったと忘れかけていた記憶を呼び覚ます。
今は部活の真っ最中なのだ。
「ん……むにゃあ」
「おや。叶ちゃん、おはよう」
「おはにょうございます、てんませんぱぃ……」
暁の隣のベッドで目を覚ましたのは夢の中で共に小さな冒険をしていた天瀬叶。朝に弱いというより寝ぼけることが多々ある彼女はろれつの回らない口調で挨拶を交わした。ぴょこっとはねている寝癖がとてもチャーミングだ。
「………………」
「寝起きの女の子の顔をそんなにじっと見るもんじゃないよ、暁」
「えっ、あっ!? す、すみませんッ!」
あまりにも可愛らしいのでついつい見入ってしまった。あたふたと慌てふためいて必死に誤魔化そうとする。幸いにも叶はいまだに思考が上手く働かないようで小首をかしげているだけだった。
好きな女の子の寝顔がそこにあるなら見るしかないでしょうが。
心の奥底で密かに開き直る。
「そんなことより! 俺たち、鏡を見つけてきましたよ」
「……おつかれさま」
「あっ、恋衣先輩おはようございやす!」
「……おはちゃん」
機械にうめつくされた無法地帯からひょっこりと顔を出したのは天馬の同級生である塔野恋衣だ。
真っ白なボブヘアーに大きいな瞳。赤ちゃんみたいにもちっとしたきめ細かい肌は見たものの頭にこびりつく。小柄ながらも女性らしい身体つきで、これまた記憶に残ってしまう。
本人曰く、白い髪は生まれつきだそうだ。
とろんとした瞳は周囲にも眠気を与えそうだが、実際のところ、彼女と会話していると目が冴えてくる。おっとりとした口調でマイペースな言動なのにと暁はいつも不思議に思っていた。
「……あっきー。はやく何があったか教えて」
恋衣が唯一うきうきと表情をはずませるのは決まってこの話題だ。
ちなみにあっきーとは暁のことである。
「ちょっと待ってくださいね。頭のコレ、先に外すので」
「……はやくして」
暁は頭部に手をやってヘルメットのように装着していた機器を取り外した。無数にとびだすコードを見るたびにすごいよなぁと感心してしまう。
なにせ、恋衣が一人で作り上げたのだから。
ヘルメットをベッドの上に置き、暁と叶はそろってそこから出た。部屋の中央にあるソファに暁・叶、天馬・恋衣が対面になるように腰掛ける。
暁と恋衣が話の口火をきった。
「依頼人の夢の中であったことを報告します」
「鏡にうつった依頼人さんの本心を」
*
ここ私立縣高校は部活動に力を注いでいることで有名だ。
部活合計数は百を超えており、数人という小規模団体から何百人単位の大規模団体までが熱心に活動に打ち込んでいる。
その中で『ドリームダイ部』は密かに日々の活動を重ねていた。
小規模団体ながらも十数年前から続く伝統ある部活だ。
活動内容としては明晰夢と呼ばれる夢について深く研究している。
明晰夢とは自分で夢だと自覚しながら見ている夢のことである。
たとえば、宝くじの当たる夢を見たとしよう。高鳴る鼓動をおさえながら現金を引き換えにいくわけだ。しかしその道中で当たりくじが見つかってしまい、周りの人々から追い回されるはめになる。必死になって逃げ回るがついに行き場を失くしてしまう。絶体絶命のピンチ。そこで自分の足元にとある害虫が通りかかった。
触覚をピクピクと動かし黒光りするヤツの名は、ゴキブリ。
稲妻が脳内を走り抜ける。
ゴキブリになれば逃げきれるんじゃね?
夢の中だから何でもあり。ゴキブリに変身した自分は無事、大衆から逃げ出すことに成功した。だがしかし、どう念じてもゴキブリから人間に戻れない。そうこうしているうちに突如として影がかかり、勢いよく自分の身体が何者かによって押しつぶされた。
はたかれた新聞紙にべったりと引っつきながら後悔する――――こんなことならゴキブリにならず宝くじなんて捨てたほうがよかったのだ、と。
「暁、何の話をしてるの……?」
「えっ、いやあ。彼女が明晰夢って何ですかって聞くもんですから、つい……」
「……さすがのあたしも気持ち悪くなった。カナちゃんなんて涙を浮かべて耳をふさいでるよ?」
先輩方の思わぬ反応を受けあわてて叶のそばに寄った。口元を抑えている彼女の背中をドギマギしながらさすってやる。
「気持ち悪い話でしたけど、明晰夢って面白いですね!」
暁の話をきいて明晰夢に興味をもった女子生徒が一人。
現在、ソファには天馬と恋衣の二年生が座っており、その後ろに暁と叶が立って話をきいていた。対面のソファでは依頼人の女子生徒が前のめりになっている。
暁と叶が夢の世界で見た、鏡の中のツインテールの少女。
その夢というのが、まぎれもない彼女のものなのだ。
興奮気味の彼女が興味津々といった様子でさらに身を乗り出してくる。
「それで、私の夢の中ってどんな感じでしたか!?」
尋ねかけられた一年生の二人は顔を見合わせた。叶がどうぞと促してくる。
「えっと。桃井さんだったよね?」
「はい!」
「桃井さんの夢なんだけど……なんだかちょっと悲しい感じがしたかなぁ」
「悲しい、ですか?」
言われた彼女は少しだけ目を見張った。何か心当たりがあるのかもしれない。
暁の言葉を補足するように叶が説明を加える。
「私の印象に残ってるのは子供たちの歌かなぁ。『さくら、さくら、こぼれおちゆく、さくら』だった気がするけど……」
「俺も覚えてる。それに男子生徒がプリントされた抱き枕とギターもあったなぁ」
「にゃっ!? お、おとこの人ぉっ!?」
今度こそ桃井の表情が崩れた。動揺しすぎて滑舌がおかしくなっている。
「やっぱり心当たりがあるみたいだね。それを相談するためにここに来たんでしょ?」
「そ、それはぁ、そうなんですけど……」
「大丈夫。僕たちは笑ったりしないから」
優しい天馬の心意気に桃井の心の紐がゆるんでいく。
これだからこの人は恐ろしいんだと暁は心の中で呆れた。
「わ、私……実は…………好きな人がいるんですっ!」
ようやっと彼女の口から直接悩み事が打ち明けられた。
話によれば一年前の入学したての頃、人見知りの桃井にとって友達をつくることは難しかったそうだ。一ヶ月経っても友達と呼べる人はほとんどいなかったらしい。
そんなとき彼女の想い人と出会った。
「彼、軽音部か何かの部員だったんです。音楽系の部活が合同で開催したフェスティバルに出場していて。バンド名は確か、『レインチェリー』だったかな」
「それ俺も知ってる! プロ級のうまさで会場を沸かせたんだよな!?」
「そうそう! 私もうほれぼれしちゃって! 彼に影響をうけてギターまで始めちゃう始末だったの!」
回想に身をたぎらせる暁と桃井は手をとりあって話に花を咲かせた。
天馬が二人のすさまじい勢いに圧倒されながらも話の軌道を戻す。
「それで、桃井さんの相談っていうのは結局……?」
「あ、はい。……その、それから私は彼の追っかけになったんですけど……」
「けど?」
聞き返す天馬から視線をそらして桃井は静かにうつむいた。
しわ枯れた花のような声色で告白する。
「私、彼のことをどうおもってるのか分からなくなったんです。私に元気をくれた憧れの存在なのか。それとも、一人の男性として魅力を感じているのか……」
「……なるほどね」
話を聞き終えた天馬がメガネを指でかけ直す。
部室内は、誰もいない夜の校舎のように静まり返った。
静寂が、続く……。
…………
「……ズズっ。お茶がうまい」
「空気読めやあッ!」
すまし顔でお茶をすする恋衣。この先輩はどうしようもなくマイペースなのである。
「……飲みたいときに飲むのがお茶の存在意義でしょ?」
「誰もそんな哲学的なことは聞いてないわッ!」
「……わかった。あっきーは天然水派なのね?」
「天然なのはあんたの頭のほうだよッ!」
「…………」
二人のやりとりを見て、桃井の表情から曇りが消えていく。
と同時に微笑が零れ落ちた。
「楽しいとこでしょ?」
「はいっ。なんだかちょっとだけ心のもやもやが晴れた気がします」
「それはよかった」
天馬がふっと爽やかに微笑み返す。
恋をしていない女子ならイチコロだったろう。女の子ホイホイと陰で呼ばれているだけはある。
さて、と天馬が手をたたいて場を仕切り直した。
総括するように彼女の悩みに答える。
「夢っていうのはね、その人の心の表れでもあるんだ。暁たちが桃井さんの夢の中で見た世界はつまり、君の心そのものなんだよ」
「……はい」
「君の心は悲しい感じだったらしい。それは悩んでいたからに他ならないんじゃないかな。ギターがあったのも、想い人の抱き枕があったのも、全部桃井さんの本心なんだ」
「それって……」
桃井は恐る恐る、天馬の言葉の続きをうかがう。
彼は柔らかい表情を浮かべながらこうアドバイスした。
「桃井さんは想い人のことを尊敬しているだろうし憧れてもいる。でもね、同時に彼のことが大好きなんだよ。一人の男性としてね」
「…………っ」
桃井自身も分かっていたことなのかもしれない。
何か言いたげにしている。
彼女の気持ちを察した上で、天馬はこう紡いだ。
「人の心っていうのはね、そう単純なものじゃないんだ。あれがしたいけどやりたくない。これが欲しいけど欲しくない。相反する気持ちを持ってしまう」
「でもっ!」
「いけないことじゃない。だから、彼を尊敬する気持ちと恋心は同時に存在していいものなんだよ」
核心をつく言葉だった。
不安と期待の入り混じる声音で、
「…………二つとも、大事にしていいんでしょうか……?」
「もちろん。一つに絞ろうとして自分に嘘をつくことこそ、しちゃいけない」
厳しくもマシュマロみたいに甘くて優しい人だなと傍らで聞いていて思った。
だからこそ、この部活に相談に来る人が絶えないのかもしれない。
「自分に嘘をついちゃいけない……」
心に刻みつけるように、桃井は天馬の言葉を反芻した。
すると、みるみるうちに彼女の口元がゆるんでいく。
気がつけばもう、そこに悩める少女はいなかった。
勢いよく立ち上がり、胸を張る。
「私、目が覚めました! 自分に嘘をつくくらいなら、いっそ矛盾する気持ちにだって立ち向かっていきます!」
「うんうん。その調子っ」
メガネの優男が子供を褒める先生のように頷く。
気持ちを新たに、桃井は背をむけて部室の扉に手をかけた。
「ありがとうございました! またお礼をしにきますね」
「お礼だなんて、そんな。頑張ってね」
「……お礼はあられがいいな」
「さりげなく自分の願望をさらさないで!」
「ま、まあまあ源くん」
騒がしい部員に見守られながら、桃井は扉をくぐり抜ける。
未来にむかって、一歩踏み出した。