よろづ屋 おやぢ はじめました
突然だけど聞いてほしい。世の中にはどうにもならないことってあるもんだ。たとえば名前。お前らの母ちゃんがトチ狂って、絶倫バキバキ太郎って名付けたら、お前の名前は少なくとも自分の意志で改名できるようになるまでは、絶倫バキバキ太郎で少年あるいは少女時代を過ごさなければいけないわけだ。
「128番…。デカ…?デカチチさん。準備ができましたので受付までどうぞ」
唐突だけど付き合ってほしい。世の中には我慢しなきゃいけないことだってあるもんだ。例えば、偏見やら仕事やら人間関係やら。ときには罵声を浴びせられたって、ぐっと怒りを喉の奥に飲み込んで、眼輪筋をヒクつかせて我慢に我慢しなきゃいけないことだってあるわけだ。
「デカチチさーん? デカチチさん!!」
しつこいようだけど傾聴と共感の姿勢をあたしに示してほしい。この受付のオタンコナスが何度も呼んでいるトンチンカンで同しようもないゴミクズみたいな呼び名が、紛いもないあたしの名字、”大親父”だってことに!
「はぁい!? 私が”大親父”ですけど!? なにか文句でもあるんですかね!?」
急に椅子から立ち上がって大声を出した両サイドの爺ちゃん婆ちゃんが目をまんまるに見開いて石みたいに固まってる。正直ごめん。一方で遠くで突っ立ってニヤニヤしてるスケベ顔の中年オヤジ。控えめに言って、できる限り苦しんで死ね。
「あの…。受付の順番なんですが…」
「あっ、はいっ、すみません…」
急にしおらしくなった受付のお姉ちゃん、いやなんか突然発狂したあたしがやべえやつみたいじゃん、てか客観的にやべえやつだと思えてきて反射的にこっちもなんか困って謝っちったじゃん。てかよく見たらこのひとめっちゃ美人だしスタイルいいじゃん。
「…」
「…」
なんか急に黙るし、ほら早く案内しなよ。早く引っ越しの準備全部済ませて、新居の中の方に取り掛かりたいんだから。ってなんか、目が笑ってない?てかその視線どこに向かってるし。これどうみてもあたしの胸元だし。それから自分の胸元確認して比べるなし。
「…プッw」
「…は?」
「すっ…すみません…ぷっw」
はい、出ました。これで今日5回目。いい加減慣れてきたけどさ。ほんとどうかと思うんだよね。人の身体的特徴を笑い者にするのって。わかるよあたしだって。あたしの名字は、”大親父”。その一方で、あたしの胸元といったら、あえてその貧相な有様を言葉の壮大さでごまかすのならば、断崖絶壁、あるいは、天然記念物級のそりゃまあ美しい瀑布、あえて低俗な言葉を選択するのならばつるぺたってやつだからね。
「で? 住民登録は終わったんですかねぇぇ?」
できる限り威圧感MAXで言って反撃してみるけど、どう見ても効いてなくてむしろ笑いを増強させてこらえてる感すらある。ていうかあたしの威圧感MAXって威圧感ほんとにあるんだろうか?昼間なんかは同じようなシチュエーションでおっちゃんにプチキレたけど、むしろちっさくてかわいいねぇ的な扱い受けたし。てかちっさくてかわいいってどこがだよ、くそが。セクハラで訴えるぞ。
「あ…ぷっ、はい。こちらの書類に必要事項をここで書いていただければこれで完了になりまっ…ブフォッ…すよ」
「あー、はいはい。これね。これ」
ガッガッガッと、この行き場のない感情をすべて筆圧に乗っけて書きなぐる。用紙が破れたって知らないからな。番地は…セフィア1丁目。使用目的は…んー治療院なんて書いたところでだれも来ないだろうから、なんでも屋。あとは従業員は、一人と。税金区分?いや知らんしそんなん。業務開始は、明日!
「はい、これでおわりね」
人差し指と中指で挟んだ用紙をポイッと放って踵を返す。ベンチに座った順番待ちの老若男女の視線が痛い。できる限り大股でその場を去る。ほら、ぜった笑ってるでしょ。ほら目があった瞬間露骨に顔そむけるし!もう!
「ママー、あの人デカチチって名前なのに全然おっぱいないよ」
「こらっ、コウタ。そんな言葉覚えてはいけません。それにあれは嘘の名字ですよ。変な人に関わったらだめよ」
…ぐすん。コウタ少年よ。君の指摘はごもっともだけど、あたしの名字はまぎれもなく、それなんだよ。変質者でもないし、嘘つきでもないのよ。もし君の名字がデカチンで君のアレが極小だったら町内引き回しの刑レベルで晒しまわって、絶対に辱めてあげるからね。ぜったいに約束だよ。お姉ちゃん約束破らないからね。ぐすん。
建物を出てレンガ作りの路地に出た頃には、空も色もすでにレンガ色になっていた。ガラス戸に映る夕日と街並みと同調した茜色は、いろいろな嫌なこと(といっても原因は1つだが)を洗い流してくれるくらい綺麗だった。あたしは午前中に家の前に立て掛けた看板を思い出してほくそ笑む。”よろづ屋 おやぢ”。そのとなりののぼりも気合を入れて毛筆で仕上げた。
「困ったこと、お悩みのこと相談してください 解決 改善 大親父に任せなっ」
のぼりのままにつぶやくと、なんだか帰路の足取りも軽い気がしたんだ。