2.恋物語
カイソクの貴族令嬢、ゾフィ=クールは、弟と母親を続けて亡くしていた。
「令嬢は縁組みに乗り気でした。
けど、父君の傷心が癒えていないようで。一人残った娘がカイソクを離れることに反対しているようでした」
「うむ。令嬢がその気なら、それで良い。
娘を離したくないと言っても、所詮、零落貴族だ。減りゆく蔵を見るうちに、気が変わるだろう」
馬車の中で、ジンギ王はご機嫌だった。
「盛大なパーティでしたね」
「ああ。カイソク復興の証だな。
幸せそうな夫婦だった。ダンギの時も、盛大にやってやろう」
「――」
ちょっと驚いた。
『幸せ』そう?
男の目には、そう見えたのだろうか。
この様子だと、薬指にも気づいていまい。
新王については特に語らず、カルラは帰宅した。
そして翌日、すぐにまた王のお呼びが掛かった。
「昨日の今日とは、姫様は本当に覚えがよろしくていらっしゃる」
「シュリ。おまえも、わたくしの覚えがよろしくてよ? 優秀な侍女を持って幸せだわ」
「間接的に、姫様を優秀だと言いたいのですか? それとも、サンリク王を幸せ者と?」
「素直に喜んで」
シュリは本当に優秀だった。
カイソクに居たたった二日間で、新王には王子の時代にすでに妻がいたこと。その夫人は今、行方知らずであることを調べ上げた。
「そんなお話、わたくしは誰からも聞かなかった。どうやって調べたの?」
「簡単です。カイソク王の側近の部下だった者を捜しました。上には上の、下には下の探り方があるのですわ」
「おみそれしました」
その報告で、ナタシアと自分の所見に確信が持てた。
やはり、あの緑の瞳は不幸を背負っていたのか。
サンリク王、ジンギが執務室に戻ってくる。
「待たせてすまなかった」
「美味しいお菓子を頂いてました」
王はヘトヘトの様子で、カルラの向かいのソファに座った。
「お疲れでいらっしゃいます?」
「ああ。なんともはや――」
これが本日の課題だ。
「ダンギのヤツが、恋に落ちおった」
「は?」
「視察に行った虹の谷で、族長の娘に一目惚れしたんだと!
族長の娘は、虹の谷の、次期族長だ!」
サンリク北方の、セツゲンとの国境近くにある草原は虹の谷と呼ばれている。
虹の谷を支配している一族は、王国にとって、国境警備を担っている一族なのだ。
「あやつは、我が国で一番手を出してはいけない一族に、手を出した!」
「族長の娘を第二夫人にしたら、怒りますよね?」
「王妃として迎えると、約束してきたそうだ」
「ゾフィ=クールはどうなさいます?」
「ゾフィは王妃にせねばならん。同盟の鍵なのだから」
今回の政略結婚は、サンリクとカイソクの国境の争いを解決する、粉飾案だった。
まず両国は、令嬢輿入れ時の道を整えるという名目で、それぞれ国境沿いの町を復興させる。
サンリクは輿入れの際の準備金を名目に、カイソク側に復興費用を支払い、カイソクは令嬢の持参金を名目に、サンリク側に復興資材を提供する。(カイソク国庫から祝いの品としてクール家に渡された後、サンリクに提供される)
この結婚を機に両国は平和同盟を結び、隔年で平和会議を開いて、話し合いを持って紛争を解決する計画なのだ。
「カルラ。
おまえはゾフィ嬢の人となりを知っている。
ダンギを説得してはくれぬか?」
「――」
さすがに、すぐに返事はできない。
ダンギの人となりも知っているからだ。
「とりあえず――、ダンギの様子を見てきてもいいですか?
ゾフィ嬢がどんな方かは、伝えます」
気が進まなかったが、カルラはダンギの部屋に向かった。
同い年のサンリク王子様とは、まったく気が合わない。なんというか、性格に接点がないのだ。
「殿下、カルラ姫がお越しです」
「用はない。帰れ」
「陛下に頼まれて来たの。いいから、開けなさい」
さすがに扉は開かれた。
部屋の様子に変わったところはない。
サンリク王太子であるダンギ殿下は、正面に置かれた机に背を向け、あっち側を向いて座っていた。
「私はメアリ嬢と結婚するんだ。カイソクの姫はお迎えできない」
くるっとこちらを向く。
栗色の瞳、同色の短い髪。
何一つ特徴のない青年だが、今日の目は意志が強い。
「誰でもいいと受けておいて、今になってキャンセルなんて。
バカなの?」
「数ヶ月前は、メアリ嬢を知らなかった。出会ってしまった以上、彼女以外、考えられない」
普段のダンギに、こだわりは全くない。が、何年かに一度、ものすごい固執が訪れる。
今気づいたのだが、見方を変えれば、ものすごいこだわりのある男なのかもしれない。
「あなたの結婚で、同盟が結ばれるのよ? どうするの、サンリク王子様として?」
「知らん。考えるのは私ではなく、父上や大臣達の仕事だ」
本当に、話にならない王子様なのだ。
さて、カルラは悩んだ。
ゾフィ嬢がどんなに美しい人だったかを伝えても、ダンギは揺るがないだろう。
陛下の期待にはお応えしたいが、始めから万策が尽きている。
「族長の娘って、そんなに素晴らしい人?」
メアリ嬢から突破口を探った。
「聞いてくれ、カルラ!」
ダンギの目が見たこともない輝きを放つ。
「出会った時、彼女は鎧をまとい、馬に乗っていたんだ! とても強そうで、格好良かった! そして、美しかった!
長い黒髪が、強い意思を示すがごとくぴしっと一本に編み込まれてて、その凜々しいこと!
馬から下りる姿は一枚の絵のように華麗だった!
透き通った声で、私の名を呼んだ!
優しげな微笑みは、全てを包み込む度量の広さを思わせた!」
訳が分からない。
一目惚れとはこうも人を詩人にするのか。
馬に乗った女が降りて、ダンギの名を呼んだだけではないか。
「彼女と結婚できるなら、私は他に何もいらない!
虹の谷に婿に入ってもいいのだ!」
「え? そんな話になってるの?」
「――いや、これは最後の手段にする」
この王子様は、国を捨てるつもりか!
「落ち着いて、ダンギ。
メアリ嬢も、あなたを同じように思ってくれてるの?」
先に、確認しなければならない。
案の定、ダンギは、
「――――なんとも、思われてない訳ではない、と思う」
ほら、やっぱり。
「王室を説得できたら考えると言われた! 可能性はあるだろう?
わたしの努力次第で、結婚できる!」
つまりこの王子様は、可能性に賭けてカイソクとの同盟と、北方の警備を天秤にかけたのだ。
先走るにもほどがある。
「そんな顔をしないでくれ、カルラ。
カイソクとの紛争も、ようやくこぎ着けた同盟も、わたしはよく分かっている」
「だったら――」
「でも、メアリ嬢と結婚したい!」
「王妃様はご存じなの?」
「母上は――、メアリ嬢を第二夫人にしろと言ってきた。
側室になってくださいなんてプロポーズ、メアリ嬢が応じてくれる訳がない!
そんなこと言ったら、虹の谷との関係まで悪くなる!」
すべてを理解したうえで、この面倒を引き起こしているから質が悪い。
「母上は倒れてしまわれた。まだ寝込んでいらっしゃる……」
「とんだ親不孝ね」
「言わないでくれ。諦めることなんて、考えられないんだ」
ダンギはうな垂れた。
カルラの前で気弱な姿をさらすのは、初めてのことだった。
「――おまえにも、迷惑を掛けている。
母上に聞いた。縁談を進めるために、カイソクに行ってくれたのだろう?
台無しにして、すまない」
「……」
本当のところ、あちらはあちらでもめていて、ちいっとも進んでいないのだが。
「――わたくしは、陛下に頼まれたからカイソクに行って、陛下に頼まれたからここに来ただけ。
たぶん、また来ることになる」
「来なくていい。私の意志は変わらない」
カルラは部屋を出た。
今日のダンギはいつもの理路整然とした嫌味野郎ではなかった。
ムチャクチャではあったが、ちゃんと話が通じた気がする。
報告のために、再び執務室を訪ねた。
「おお、カルラ。ついさっき、おまえに縁談がきたぞ。
カイソクの第六王子に興味はあるか?」
え?
カイソクの、第六王子の妃。
カルラに話がきたということは、 ナタシアは正式に断ったのだ。
6歳年上のセツゲン王女に断られ、7歳年上のサンリク王の姪に打診する。
第六王子には、どうしても身分の高い妃を添えたいらしい。