26縛 天才
× × ×
参った。どうやら、悪い精神状態というのは伝染するモノらしい。会話の中で聞いたノイズは、発症の予兆だったみたいだ。
桔梗が来てから、今日で7日目。二人のキスによって道を見失った俺にはあいつらと向き合う力が湧いて来ず、だから争いから目を逸らして、彼女たちにされるがままになっていた。
言ってみれば、欲望の捌け口だ。
「大好きです」
「大好きだよ」
今の俺は、物なんだと思う。意志を持たない、肉の塊。彼女たちの望む形に、彼女たちが動かして遊ぶ人形。我慢もしてないから、なんの反応も無い抜け殻。それに成り下がった俺も大概だが、人じゃないモノに本気で愛や恋を抱くなんて相当に気色が悪い。
「……」
ただ、拒否しない事が、こんなに甘美だったなんて。考えない事が、こんなに楽だったなんて。俺、全然知らなかったよ。
分かってる。どうせ頑張ったって、どうにもならないんだ。だって、あいつらは自分から助かろうとしてないんだから。
俺は、自分が折れない人間なんだと思っていた。でも、それは自分に対する逆境に立ち向かっている時だけだったのだ。それを、独り善がりとでも呼ぼうか。本気になる事の意味の無さに、俺は奥底の深い虚しさを覚えてしまったのだ。
誠実って、一体何だっけか。
だったら、このまま沈んでいったっていいハズだ。こんな責任の取り方だって、救われる気のない彼女たちになら。淀んで腐って行くことを、拒まない彼女たちになら。俺は――。
「らしくないな、時生」
「……遥」
ふと、目の前に現れた。学校の、中庭のベンチ。ボーッと空を見上げていた俺の隣に、遥は座ってからメガネを外した。
「もう死んでるのに、僕に相談するより青空を眺めてる方がいいの?」
「なんで、わかった?」
「『なんでわかった』?ハハっ。そんな白い顔して、『なんでわかった』だって?悲しい事言うなよ、時生。それじゃまるで、僕たちが他人みたいじゃんか」
クロスでメガネを拭きながら、遥はそう言った。
「……もう、どうしていいのか分かんなくなったんだよ」
「その様子だと、古谷さんに責任の押し売りでもされたみたいだね」
俺は、力なく頷いて、地面に目線を落とした。遥、お前にはこうなる事が分かってたのか。
「矢箕さんが時生の前から消えた時、古谷さんたちが攫われた事はすぐに分かった。誰とも、連絡が通じなかったからね。だから、僕は時生が例の5人を助けに行って、そして成功したんだって確信したよ。だって、他でもない時生だから」
「お前……」
「古谷さんにとっては、自分が裏切ったハズの男が命を懸けて守ってくれたように見えただろうさ。背景や、実際に誰を救ったかはさて置きね。ならば、惚れ直すのは当然。だって、そんなのカッコよすぎる。例え記憶が無くなったって、命を救われたなら忘れられないよ」
言ってから、遥は「惚れ直すってのは語弊があるかな?」と笑った。俺は度肝を抜かれて、視線をこいつに向ける以外に何も出来なかった。
「その後の展開は、容易に想像がつく。優月学園で起きてる……。そう、仮に『恋愛症候群』とでも呼ぼうか。古谷さんは、自分がそこに参加できない事に気が付いた。だって、心の中には時生がいたんだから」
推理を確かめる為か、遥は一度だけ話を区切った。
「それで、時間を超えて融合した色んな想いを抑えきれず、同棲中の二人のところへ向かったんだろう。あの性格なら、きっとそうするさ。いや、お前に罪悪感を埋め込むために、行く前に告白でもしたかな?」
どうやら、遥は俺が思っていたよりも先を行く天才だったらしい。しかし、倉庫での真実を答えることは出来ないから、力なく校舎の二階の開いている窓を指さすことしか出来なかった。
「……なるほど。あれは、かなりヤバいね」
「だから、俺から離れた方がいい。後で、どんな目に合されるか分かったもんじゃない」
「もう手遅れだよ、既に時生と話してる」
そう言って、遥は窓に向かって手を振った。こいつの怖いモノ知らずも、相当イカれてるな。
「どうするつもりだよ」
「こっから生き残る方法を考えよう。それしかない」
「何ともならねぇよ。だって、あいつらは自分が『まとも』だと思ってやがるんだ。あいつらにとって普通じゃないのは、俺の方なんだよ」
「だから、彼女たちは時生に恋をしてるんだろ?お前を好きなヤツにとって普通じゃないから、お前は特別なんだ」
それは、まさに青天の霹靂とも呼ぶべき言葉だった。
「冷たい北風には異常に強いのに、温かい太陽にはめっぽう弱い。そりゃ、寂しがり屋にはとことん好かれるだろうさ。だって、自分の足りない箇所を全て埋めてくれて、おまけに自分で縛り付ける事が出来るんだから」
それを、遥は知っている。つまり。
「僕と彼女たちとの違いは、自分を律する事が出来ているか否かだよ。時生」
そう言って、妖しく笑った。しかし、その目は奥の奥まで透き通っている。まるで、見ているだけで不思議なエネルギーが湧き上がってくるようだ。
「俺がどうすればいいのか、分かるのか?」
「簡単さ。矢箕さんをお仕置かなければいいし、古谷さんにも責任を負わせればいいんだ」




