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【長編】病んでる二人の同居人  作者: 夏目くちびる
第二章 彼女たちは、人として大切な何かが欠けている
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18縛 眩暈

「……寝ぼけて、ぶつけたんだろ」

「そうかな。なんか、引き摺られて出来た傷って感じがしない?」



 古谷は、カマをかけているのだろうか。俺がボロを出して、なにかヒントを言う事を期待してるのだろうか。それだけ、昨日の事実の存在を疑っているのだろうか。



 かなり、厄介だ。



「分からん」

「そっか。まぁ、時生ならそう言うって思ってたよ」



 俺は、ダッシュして切れたハズの呼吸を整えて、ようやく真っ直ぐ立ち上がった。それを見た古谷は、ジーンズを戻し微笑むと、一歩だけ俺に近付いた。



「でも、私はこう思うんだ」



 そう呟いた時、俺にはほんの一瞬だけ、古谷の目の色が真っ黒に塗りつぶされたようなに思えた。



「時生が、本当に私を好きだと言ってくれた証拠だって」

「何が言いたいんだよ」



 訊くと、古谷はクスクスと笑い、不意に俺の手を取った。



「好きになっちゃったの。時生の事」



 ……新しい『暇潰し』。誰だって、そう思うハズだ。古谷は、二人の時に嘘をつかない。あの頃の記憶を疑わなければいけない状況である事は、火を見るより明らかだった。



 それだけは、綺麗な思い出のままでいさせて欲しかったよ。



「お前、バカなのか?夢に出てきただけの、昔の男に。しかも、お前が散々おもちゃにした相手だぞ」

「だって、夢でも現実でも関係ないくらい、カッコよく見えちゃったんだもん。もう、私の事情なんて、自分でもどうでも良くなっちゃうくらい」

「勘違いだ、この手を離せ」

「それに……」



 また一歩、距離を詰められた。手は、まだ離れていない。



「こんなにバカげてるのに、時生は笑ったりしないでしょ?」



 そう言って見上げられ、拒否を忘れるくらいに、俺は言葉を失っていた。



「勘違いしないで。別に、私は時生にやった事を許して欲しいワケじゃない」



 言いながら、古谷は俺を手繰り寄せて。



「今から始めたい、そう言ってるんだよ」



 目を閉じると、そっと背伸びをした。



 ……狂ってやがる。



「ふざけるな。お前、どういうつもりなんだよ」

 


 突き放すと、古谷が後ろへ二歩蹌踉(よろ)めいて、繋がれた手の長さで止まった。ゆっくり目を開き、触れてもいない唇を拭う俺の姿を見て、何を思ったのか妖しく笑った。

 そして、一瞬どこかへ飛んでいた俺の意識が戻って、視界が広がったその瞬間。ちょうど、電車が通り過ぎて行った。



 断続的な光が、暗い夜道を照らしたのだ。



「……時生さん?」



 もしも、俺ではないのなら、おかしくなってしまったのは世界の方だ。こんな偶然を引き起こして、一体あなたに何の得があるというのか。もしも叶うなら、理由を教えて欲しい。



「どうして、こんなところにいるんですか?」



 ユラリ。揺れながら、ゆっくりと近付いてくる。獣のように、赤子のように。その目に映る感情は、怒りか、悲しみか。判断は、つかなかった。



「私、そんなに寂しい思いをさせてしまったんですか?」

「ねぇ、時生。もう一回、好きって言ってよ」



 彼女たちは、本当に互いの存在を認識していないんだと思った。あまりにも自然に、二人で肩を並べて、俺を見上げている。長い髪が、風に靡いて。夜よりも暗いその黒が、今の俺には深い闇に見えた。



 どうして、こうなった。



「……挨拶くらい、したらどうだ」



 気が付いた仕草は、二人ともわざとじゃなかった。それが、更に俺の正気を逆撫でしていく。



「あら、古谷さん。気が付きませんでした、こんばんは」

「こんばんは、矢箕さん。こんな時間に外出とは、不良ですね」

「あなた程ではありませんよ。それで、こんな時間に何を?」

「時生が会いに来てくれたので、お話をしていたんです」

「そんなワケがありません。ちゃんと考えてモノを言っていますか?」

「少なくとも、あなたよりは綿密に考えています。だから――」



 俺が、ここにいる。そんなの、ハッタリに決まってる。



「帰りましょう、時生さん」

「一人で帰ればいいじゃないですか。なぜ、時生を巻き込むんですか?」

「私たちが、同じ場所へ帰るからです」



 ふと、古谷の目から光が消えた。今度は、気のせいじゃなかった。



「どういう意味?時生」

「そのままの意味です。私は、時生さんと同棲しているんです」

「勘違いしてしまったんですか?矢箕さん。私は、あなたと口を利いてるワケじゃありません」

「どうもすみません。ただ、時生さんはとても迷惑しているようでしたので。ねぇ、時生さん」



 どうして、彼女たちは俺の目を見ながら会話をしているのだろうか。



「それと、なぜ古谷さんは時生さんの手を握っているのですか?」

「いや、待て京。これは――」

「……京?時生。どうして、矢箕さんを名前で呼んでるの?矢箕さんと、どういう関係なの?」



 京との関係。倉庫で気を失う前にも、そんな事を口走っていた。なんで、古谷はそんな事が気になってるんだ。



 それも、お前の『事情』が関係してるのか?



「なぁ、古谷」



 しかし、彼女は何の返事もしない。それどころか、掴んでいた手を両手で握り込んでしまった。



「……き、桔梗」



 そう呼んだ時、京は手に持っていた鞄を地面に落とした。



「なに?時生」

「手を、離してくれ。俺は――」

「仕方ないなぁ、もう。大人っぽいのに、照れ屋なところは変わってない」



 言って、古谷は俺の手を離した。それはきっと、言葉を遮るためだった。彼女は、俺が何を言うのかを、分かっていただろうから。



「……酷いです」



 違う、そうじゃないんだ。



 偶然に、偶然が重なったんだ。きっと、あの時お前を止める為に吐いた言葉が、外道になり切れない古谷の弱い心を刺激してしまったんだよ。ここに来たのだって、見えない力に導かれてるんじゃないかってくらい、細い可能性をすり抜けてしまっただけなんだ。間違っても、捜してなんていなかったさ。



「遠ざけたって、巡り合う。きっと、運命だったんだよ。時生」



 そんなワケがない。それに、京。俺は、決してお前を裏切ったワケじゃないんだ。それだけは、本当だ。名前を呼ばなきゃ、古谷は手を離そうとしなかった。それだけなんだ。



 でも、怒っていい。今は、信じなくてもいい。何か、俺が考えもしない悪口でも、目を背けたくなるような拷問でも、変態的なスキンシップでも。何でもいい。明日になったら、山ほどある言い訳をするから。今日だけは、何だって受け入れるから。



「私だけじゃ、無かったんですか?」



 だから、お願いだ。そんなに悲しそうに泣かないでくれ。

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