16縛 元カノ?
「行かないで、ちょっとだけ」
どうやら、俺が逃げようとしたのが分かったらしい。
……そうなると、何故、このタイミングで?とか。もしかして、全て覚えてるのか?とか。他の連中も、同じなのか?とか。そんな事を、確認しておかなきゃいけない気がする。まさか、麻酔薬が効いてなかったのだろうか。
どうか、京にバレませんように。そう思って、俺は腕を組み口元に手を当てた。
「どうした」
「なんか、急にあんたの事を思い出したの」
多分、彼女は俺の反対側に寄りかかった。カタッと、少しだけ扉が揺れた。
「また、『暇潰し』か?」
「……ううん、違う」
彼女は、二人の時に嘘を吐かない女だ。だから、本当に『暇潰し』ではないのだろう。
「変な話、してもいい?」
「あぁ」
「あのね。……夢の中に、あんたが出て来たの」
「そりゃ、かなり気味が悪いな」
「……うん」
なるほど。そういう形で、深層心理に記憶が残っているワケか。
それでここに来たのなら、浮かんだ疑問が全て取り越し苦労になって助かる。俺が出てきた夢の話なんて、彼女はまだしも他のヤツらはしないどころか、覚えてもいないだろうからな。
「……ねぇ、薬師。まだ、怒ってる?」
「お前とは、あまり会いたくないな」
答えは、はぐらかした。
「そ、そうだよね。……あはは、分かってた」
「話は、終わりか?」
「……わかんない」
彼女らしい、そう思った。だが、あの日『失恋した』と言い聞かせたのが、知らないうちに功を奏していたようだ。
安心したよ。間違いなく、俺は彼女に恋をしていない。
「それじゃ」
「ま、待って」
口元から手を下げた刹那、扉の向こうから掴まれた。こいつ、一体何のつもりだ?
「まだ、電話番号変わってないよね?」
「……あぁ」
「分かった。じゃあ、今日の夜電話する」
そして、俺の返事も聞かずに手を離し、彼女はパタパタと足音を立てて離れて行った。廊下を覗く事はしなかったが、俺はそこから動く事が出来なかった。
「してくんなよ」
思わず、呟いてしまった。確実に、厄介な事になる。その予感と後味の悪さが、俺の胸の中に渦巻いていた。
……その日の夜。
「寂しくないですか?時生さん」
「あぁ、大丈夫だ」
「え?なんで大丈夫なんですか?寂しくないんですか?寂しいですよね?一晩とはいえ、私がここにいないと不安になりますよね?だって、だから必死になって捜してくれたんですもんね?私と一緒じゃないと、絶対に嫌ですよね?」
「……ウン。サビシイ」
「そうですよね、私も凄く寂しいです。でも、矢箕の力を使ってしまったので、後処理をしなければいけないんです。ごめんなさい、時生さん。学校に行く前には、ちゃんと戻ってきますから」
「……ウン、ウレシイ」
どうやら、そういう風に受け取られてしまったらしい。また、地雷が増えたなぁ。
そんなワケで、今夜の京は一日だけ実家に帰り、『後始末』とやらを片付けてくる事になっているようだ。それから察するに、京はただ両親の権力にぶら下がっているワケでなく、自分の責任で組織を動かしているのだろう。
忘れてたけど、やっぱり人格だけじゃなくてスペックもバケモンだ。そんなの、絶対に普通じゃない。
「それでは、また明日」
「あぁ、ゆっくり寝ろよ」
そして、俺は京を見送った。しっかりと睡眠を取って、目の中の黒い色が少しでも取り除かれれば幸いだ。
……さて。
ラジオを聴きながらカップラーメンを啜り、どうしてよりによって今日なんだ、と。俺はシコシコ考えていた。
こんなふうに重なるなんて、とても偶然とは思えない。誰かがこの世界を上から見ていて、俺にこういう試練を与えてるんじゃないかって気分になってくる。
「……早いな」
そして、当然のように、電話が鳴った。着信の音ってのは、どうも不安を掻き立てられる。まぁ、俺にかかってくる時ってのは、その内容が十中八九が悪いニュースだからなんだろうけど。
画面には、数字の文字列。これを無視すれば、彼女は明日俺に理由を尋ねるだろうか。そして、いずれ京に辿り着いて、また事件に発展するだろうか。
チクショウ。
「……はい、薬師です」
遠くに、電車が走る音。風、ノイズ。そして、吐息。……やがて。
「こんばんは。古谷桔梗、だけど」
古谷の声が、ようやく聞こえてきた。今更、フルネームを名乗らなくたっていいだろうに。
「要件はなんだ」
「別に。少し、話したくなっただけ。顔は見たくないだろうから、電話で。まぁ、私もあんまり見たくないし」
相変わらず、変な気の使い方をする女だと思った。
性根が曲がっているのに、外道になりきれない。悪に徹し切れないのに、下手な悪口を言う。そういう詰めの甘さがあったから、俺は騙されてるって分かったワケだが。彼女の性格は、概ねそんなところだろう。
「二年生になって、どう?」
「忙しいよ、毎日疲れてる」
「どうせ、また人助けでもしてるんでしょ」
人助け、なのだろうか。よく分からん。
「そういうとこ、変わってないんだね。人が良過ぎると、また勘違いされるよ」
「余計なお世話だ、バカ」
「あ、またバカって言った」
「……またって、何ヶ月前のこと言ってんだよ」
「あはは、分かんない。いつぶりだっけ」
そんな事聞かれても、困るだけだ。
「……ねぇ」
笑い終えた、少しの静寂の後。古谷は、改まった声で言った。
「私のこと、好きだった?」
何の前触れもなく、ラジオの音が止まった。




