ファッションリーダーとしての帽子屋 Milliners
J.W.ポリドリ『吸血鬼』冒頭で、主人公オーブリー青年を紹介の際
He had, hence, that high romantic feeling of honour and candour, which daily ruins so many milliners' apprentices.
との一節がある。読んで、意味が解らなかった。
平井呈一は、この文を次のように流している。
じつは、この廉直と率直が、こんにち、多くの婦人帽子屋のお針子たちを日に日に堕落させているのである。
『ノストラダムスの大予言』(1973, 五島勉)が流行った中学生の時、平井呈一訳ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』も回し読みされ、それで知ったポリドリ『吸血鬼』はしかし、全く頭に入って来なかった。今では創元推理文庫『幽霊島』で気軽に読める1篇であるが、いくら読み直しても理解できない悪訳は相変わらずで、こんなものを買ってはいけない。
milliner とは Milan (の小間物屋)に由来する「帽子屋」、milliners' apprentices とはその見習い達を指す。平井にとって日銭稼ぎの「お針子」にしか見えなかった帽子屋見習いたちは、しかし実際にはファッションリーダーとなった人たちである。
製帽業は 19 世紀の工業化の恩恵を受けました。1889 年にはロンドンとパリで 8,000 人以上の女性が帽子屋で雇用され、1900 年にはニューヨークで約 83,000 人 (ほとんどが女性) が帽子屋で雇用されていました。技術の進歩は帽子屋や業界全体に利益をもたらしましたが、不可欠なスキル、職人技、創造性は依然として必要とされています。帽子の大量生産が始まってから、「帽子屋」という用語は、通常、主に女性の顧客向けに、伝統的な手工芸を応用して帽子をデザイン、製造、販売、トリミングする人を指すのに使用されます。
ローズ・ベルタン、ジャンヌ・ランバン、ココ・シャネルなど、多くの著名なファッション デザイナーは帽子屋としてスタートしました。
……Wikipedia 英語版 "Hatmaking" から機械翻訳
まだ日本語版がない Hatmaking の記事だが、知らなかったことばかりだ。殊に、ランバンもシャネルも帽子屋見習いから始まったとは衝撃的で、平井訳からは想像もつかない。しかも今なお、この伝統は続いているらしい。これを知った時ほど、自分が結婚していないことを悔やんだことはない。
これは是非とも、milliners' apprentices の実態を知らねばなるまい。と思って見つけた1 冊が
Lilias, the Milliner's Apprentice
Gabriel Alexander, 1854
というもので、Google books にある。やはりこれも邦訳はない。そのうち翻訳してみたいが、いつになるやら。