大海原の沙漠
コールリッジ『年寄り船乗り』第2部に始まる「静かの海」は、サルガッソ海の伝説を移したものと思い込み、文献を漁ってみた。ところが、William Hope Hodgson による Sargasso Sea Stories(1906-1920)など、思いつく作品は100年程後になって出来たものばかり。余談になるが、最近になって東京創元社から復刊されたホジソン短編集『夜の声』には「サルガッソ海物語集」から「廃船の謎」「グレイケン号の発見」が含まれる。井辻朱美氏の手になる訳文は心地よいリズムで進められ、これは見習いたいところ。
さて調べ直すと、コールリッジの描写は赤道無風帯の話を伝え聞いたものらしく、早くから船乗りには高く評価されていたようだ。赤道無風帯または熱帯収束帯 Intertropical Convergence Zone と呼ばれる海域あるいは現象は、南北の貿易風がぶつかり上昇気流と化す赤道付近に見られるもので、水平方向にはほぼ無風となる。
画像は『理科ねっとわーく』からお借りした。海面が湖水のように凪いでおり、上昇気流から雲が湧いている。上昇気流とは、すなわち低気圧であるから、実際には雨がよく降るところで、但し自分の船に降ってくれるとは限らない。その点ばかりは詩と違う。
redbull.com が「60秒で体感する『砂漠のような大海原』」と題して公開した動画では、案外と動いているようにも見えるけれど、船の速度は0になっている。
これはサルガッソ海には無縁の話でもない。北緯25°~35°に広がるサルガッソ海は、北緯30°前後に形成される亜熱帯無風帯または亜熱帯高気圧、あるいは「馬の緯度」を含む。
熱帯収束帯で新郎新婦よろしく舞い上がった気流が、この辺でへたばり、下降へ転じるため、乾いた空気の圧力が高まるばかりで水平方向には風が動かなくなる。また、これにより北緯30°前後で、西向きの貿易風と東向きの偏西風が入れ替わる事となる。さらに、大陸沿岸部に沿った海流(北大西洋還流)もあるので、ヨーロッパから「馬の緯度」を越えて南下した船は、大きく北西に向かい偏西風及び還流に乗る迂回帰航路 Volta Do Mar を取らないと帰れなかった。
図は英語版 Wikipedia から。緑の矢印が風向を示し、30°線を挟んで逆向きになっているのが、偏西風と貿易風である。コロンブスも(アメリカ大陸とは知らず)インドへ渡るため、先ず帆を畳んでカナリア海流に乗り、カナリア諸島から帆を揚げて貿易風に乗って行った。帰りは還流及び偏西風に乗れば良いと知っていたから、北上してから大西洋を東進するまで。
迂回帰航路は、一旦はアフリカ大陸沿岸から遠ざかるという、直感に反した行動になるから、これを知識としていない限り帰港できない。しかもどの道、サルガッソ海の無風帯を通過しなければならない。追い討ちをかけるように、サルガッソ海では魚が取れない。海流に起因する水温変動のため、プランクトンが住めず、それを餌にする魚も住めないのである。魚が釣れないから、貴重な馬でさえ、積んでいるものは剥いで食うしかない。無動力の帆船には中々つらい課題で、だからこそサルガッソ海が実態以上に恐れられたのであろう。
これはしかし、知っていれば済む話ではあるし、そもそも帆船でヨーロッパに帰ろうとしない限りは問題にならない訳で、今となっては「海難事故率は他の海域と差はない」などと解説されてしまう有様。実は限定条件下の難所であったのだ。
無風帯の知識を踏まえて読み返すと、作者は赤道無風帯とサルガッソ海を混同したようにも読める。特にあの恐ろしく印象的な一節は、亜熱帯高気圧下の現象ではないか。
Water, water, every where,
And all the boards did shrink;
Water, water, every where,
Nor any drop to drink.
「大海原の沙漠」を歌った詩句に、これ以上のものはあるまい。この無風帯に登場する幽霊船の描写は、友人のクルックシャンクが見た悪夢が基になるというけれど。コールリッジはそれだけでなく、実際に航海した船乗りの話を詳しく聴いたのであろう。凡そ創作たるものは取材に始まる。
ただ『サルガッソ海』の文字に何がしかの幻想を持つ身には、その名で詩人が何か遺してくれたならと、そればかりは残念でならない。