戦続きのヨーロッパ
おそらく本邦初訳の1篇"The Italian in England"は、イタリア統一独立の指導者ジュゼッペ・マッツィーニが自らを語ったかのようなバラッド。訳者はJohn Woolfoad & Daniel Karlin の註釈書を読んで初めてその存在を知った。作中にマッツィーニの名は出てこないので、両氏の解説がないと調べようもなかった。改めて感謝を捧げる。
当時のヨーロッパは、今日の私たちが知る姿をしていない。地図を見ると、知らない国ばかり描かれている。世界史の知識は教わったが、感覚的には覚えていなかったようだ。
英語版 Wikipedia にあるイタリア半島地図を、改めて見てみよう。
「イタリア共和国」が存在しないのは当然として、何だか斑な図にしか見えないが、ヨーロッパの他の国も、当時はこんなものだ。「ローマ帝国」だったものは「教皇領」に縮んでいる。縮んではいるものの、当時はまだ教皇が実権を握っていたので、この点は室町時代に実権を失った我が皇室とは異なる。裏を返すと、政治体制としては500年近く遅れていると言ってよい。
そう思ってみると、この図は日本の戦国時代と大差ない。ダンテが追放され、ブローニングが居住したフィレンツェは、当時はトスカーナ公国にある。詩聖が身を寄せ、没したラヴェンナは、教皇領だった。両シチリア王国は、ガリバルディに征服される。民衆の手でイタリア統一を果たしたいガリバルディであったが、サルディニア王国への献上を余儀なくされ。サルディニア島の政権であったサルディニア王国が、イタリア統一を果たす結果とはなった。チロル地方は、今ではイタリアとオーストリアに分断されている。
問題はそれが第二次世界大戦まで続いたことで、日本の戦国時代よりも発達した武器と組織を用い、イタリアのみならずヨーロッパ全土に渡り陣取り合戦し続けた訳だから、それは悲惨な戦争となった筈である。
17世紀に清教徒革命の背景となった30年戦争は、仁司方氏の記事で梗概を知ることができたが、『戦争』にしては戦争目的が不鮮明。旧教徒対新教徒だったのに、フランスが新教徒側についてハプスブルク家を削りに行ったりしている。アレは宗教の名目で仕掛けられた国家間略奪ではなかったか。それから200年程が過ぎても、やっていることが変わらなかったのではないか。この地図を見ても、ハプスブルク家配下のオーストリア帝国が直ぐ隣へ迫る状況は変わらず、フランスの恐怖もまあ解らないではない。かのヴェネツィアを含むロンバルド=ヴェネト王国などは、オーストリア帝国の構成国すなわちハプスブルク家配下であった。本作の舞台はそこにある。
ロンドン亡命当時とはいえ、秘密の曝露になりかねない作品を公開して良かったのか?とも思うが、不味ければ革命家マッツィーニ本人が制止しただろうし、そもそも本作のネタは当人からの物語だったようだ。話が話だから、助けてくれたヒロインの名も残らない。御伽噺なら結婚して幸せに暮らすのに、既に仲間には裏切られ、この勇気あるヒロインは既に未亡人で、どうやら農奴の身分らしい。革命家は助けてもらいながら、その恩に報いることもできない。まあ現実なんてそんなものか。
イタリアは第二次世界大戦中、ダルマチアまで獲得したが、連合国への降伏により失った。それまで失地回復または領土獲得の戦争を続けていた訳である。
戦後日本は、いや戦前から「日本は遅れている」を殺し文句に予算を組み、社会資本を整備し、経済構造を変革してきたのだが、あちらの事情を知れば知るほど「遅れている/進んでいる」というのは一面的に過ぎる評価だったと思えてならない。




